函館編

ウニ丼
函館に着いたのは丁度12時だった。
同じ会議に参加する同僚に電話をいれてみると、近くの『函館朝市』で食事をしているらしいので合流することに。
そこは『あけぼの』というこじんまりしたお店だったが、あの『どっちの料理ショー』にウニ丼の応援団として2回も出演したところだった。
わたしはウニ丼よりもイクラ丼の方が好きだったのだが、ここは話のタネになるだろうと思い「ウニ・イクラ丼」(1800円)をたのんでみた。

出てきた料理は、イクラは特段変わって見えなかったが、ウニは東京のそれと比べると明らかに色が違い、食べてみるとイクラが邪魔になるほどおいしく、来たそうそう「北海道おそるべし!」という思いを植えつけられた。

ゆっきーと歩いて
1日目の会議がおわり東京からの参加者で交流会を開くことになった。
場所はときメモ2、寿美幸ちゃんの修学旅行でおなじみの『金森倉庫郡』。
時間も午後6時とあって、雰囲気が漂う中、海辺まで散歩してみた。

そこは古い煉瓦作りでありながらモダンに改装されていて、水銀灯とネオンの明かりで幻想的な世界が醸しだされていた。

日本一の
交流会が終わったのが午後9時ごろ、夜景で名高い「函館山」に登ってみる事にした。

タクシーを飛ばし山頂からみた函館の夜景を、もし一口で言い表すとしたら『明と暗』。

右と左には暗い海があり、その真ん中を光の道が走っている。
その光は、手前が広く真ん中が細く、そして五稜郭に向かってまた広がっている。
そのコントラストの妙が函館の夜景が日本一と称される由縁であろう。

安さの大王
同僚曰く『朝市は高い!』だそうだ。
そこで同じ市場でも、地元の人が通う「中島廉売」という所へ足を延ばす事になった。

そこには観光客の姿はなかったが、生活の活気に溢れていた。

朝市で八千円したメロンが、ほぼ同じ大きさで四千五百円だったり、九千五百円、特大の花咲蟹が三千円だったりと、信じられないような値段だった。

ここで同僚は職場へ宅配便でメロンを送ったのだが、送り主の名前が「メロン大王」
わたしの部署ではそのような冗談は理解を得づらいのだが、つくづく平和な部署なのだろうと羨ましく思えた。

ラーメン道
北海道と言ったらやはりラーメンは外せないだろう。

同僚三人と共に地元の人にリサーチして、うまいラーメン屋を探すことに。

この方法は熱海をはじめ、いろいろな所でも実践したのだが、観光ガイドに載っていないような穴場が見つかったりするので好んで使っている。

そこで教えてもらったラーメン屋のうち一件に行くと、「テレビで何度も紹介されている」らしかった。
失礼とは思いながら主人に『どのラーメンがうまいですか?』と質問をぶつけてみた。

『味噌も塩もしょうゆもみんなうまいよ。』という胡散臭い答に戸惑ったが、函館ラーメンといえば「塩」だろうという事になり頼んでみた。

「東京の口に合わないのだろうか?」
わたしの脳裏にはそんな言葉がよぎっていた。
他の二人にも目を向けてみたが、どうも同じことを考えているらしかった。
やるせない気持ちで店を後にした一同であったが、次に教えてもらった店へ行ってみることに。

そこは札幌ラーメン屋だった。
なぜ函館に札幌ラーメンが?という疑問もあったが食べてみた。

うまかった。
函館にある札幌ラーメンがうまかった。

その時点でわたしたちの「函館ラーメン探し」は終了した。

五稜郭
3日目の午後。この日で会議も終わり、午後から自由な時間になった。
折角だから、メロン大王と一緒に五稜郭へ行こうということになり、二人で市電を乗り継いで一路五稜郭へ。

五稜郭タワーというものがあったので、「馬鹿ほど高い所が好き」の諺通り登る事に。
登って気がついたのだが、この五稜郭というのは下から見ただけではただの公園でしかないく、タワーに登ってはじめて本領を発揮するらしい。

とりあえず登っておいてよかった。



見晴っぽい
自由になる時間があと2時間あったので、メロン大王の冷やかな視線を気持ち良く背中で受けながら、余裕があったら行ってみたいと思っていた「見晴公園」へ急遽行くことにした。

五稜郭から市電で10分、さらにタクシーを使って10分。
タクシーを降りた瞬間そこには「見晴公園」の文字が。
早速記念に看板を写真を取り、中へ入ってみた。

耳を澄ますと遠くから「タタタタ…タッタ」と音がする!『おぉ見晴ちゃん?』と思ったら…
サバイバルゲームをやって、機関銃の音だった。

気を取り直して園内を一周してみたが、運動場や和風の庭園があり、落ちついた雰囲気のある公園だった。

帰路、同じ日野出身の土方と言うことで、「土方歳三最後の地」という所にろに寄ってみた。

タクシーの運転手に聞くと『昔は道路の真ん中だったが、今は移動している』とのこと。

『最後の地って、移動してもいいのかい?』
歴史的重みが半減してしまったが折角なのでお参りをして、土方歳三最後の地「函館」を後にした。

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