旅行記 青森県藤崎へ 上野発、午後9時42分寝台特急『あけぼの』 私は上野駅に「師範代」と呼ばれる男と一緒にいた。 定刻通りに列車がホームへ入ってくると、鉄メモラーである師範代は、すごい勢いで写真を撮っていた。 彼に言わせると『こんな機会はもう無いかも』という事だったが、私には理解しづらい光景であった。 私たちの取ったB寝台は、個室タイプだったので、小さいながら机があったりBGMも選択できたり、思ったよりのんびりできそうな感じであった。 |
部屋に入ってすぐ、ハンガーにジャケットをかけ、電気を消して寝転がってみた。 すると上の窓から星が見え、この旅が楽しいものになる事を暗示しているようだった。 合流 列車に乗ってから約1時間半…。 そろそろ高崎に到着だが、高崎では沙巫恵希さんが待っている予定だった。 定時に到着する事の確認をするために携帯へ連絡を入れると共に、早いペースで飲み干してしまったビールの追加購入など、実に失礼な事までお願いしたりした。 無事合流でき、列車が走り出してから私たち3人は、一つのブースに集まり おしゃべりをしながら時を過ごしているうちに師範代がトイレに…。 その後起こる事は、師範代と付き合いの長い私には容易に予想できたが、今日初めて会った沙巫恵希さんには思いもしない出来事だった。 トイレから帰ってきた師範代は、自分のブースで「ひびきの高校のコスプレ」をして乱入してきたのだ。 そのいでたちを見て沙巫さんは『風呂上がりのメタルユーキ』と言って、意外にすんなりと容認していた。 沙巫さんの懐のでかさに乾杯! 弘前 朝5時に気がついた時、私は座ったまま寝ていた。 |
寝台列車なのに座って寝ていたことで、寝台料金の半分くらいをドブに捨ててしまった計算になる。 なんかもったいなくなり、元を取るために乗り換え駅の弘前まであと5分というギリギリまで横になっていた。 弘前は、上野駅の8〜17番ホームのような、いかにも長距離列車の止まりそうな駅だった。 30分の列車待ち間に沙巫さんは師範代と一緒に郵便局へ、私は… ポカリスエットを飲みながら酔いが醒めるのを待つ事に。 このレポートを書いている今、弘前の思い出はとても少なく、旅に出る時は、飲み過ぎると損をするという良い経験を身を持って痛感している。 あこがれの藤崎 弘前を出て8分ほどで目的地『藤崎』だった。 無人駅と思っていたら改札業務を高齢者に委託していたので、のんびりする暇もなく改札を出る事に。 しかし次の上りの列車まで2時間あるせいか「改札の中に自由に入ってもいいよ」と言い残して自宅に帰っていってしまった。 私たちは早速ホームに戻り、詩織ちゃん人形を片手に記念撮影を開始。 いい笑顔だ。 みんな実に楽しそうに写っている。 雨が降りそうになってきたので、約30分ほどで撮影は終わり、沙巫さんは「ジャスコ藤崎店」へ行き、私と師範代は駅舎に残っていた。 私は「モバイルカキコ」していたのだが、師範代はボーっと自分の世界に浸っていた。 少しして、帰ってきた沙巫さんは『りんごチップ』という、見慣れないものを買ってきていた。 味はともかくとして、そのレシートに「藤崎」の文字が… 行けば良かったと猛省したものの出発まであと20分だし、雨が降りはじめてしまったので後の祭りであった。 あと5分で下り列車が到着する時に、20前後の女性が切符を買い求めに来た。 どうやらお釣の10円玉が足りず困っているらしいが、オヤジは「お釣はない」の一点張りだった。 「オヤジの奴、職務怠慢だなぁ」と思った時、沙巫さんが「足りない20円なら僕が出しますよ」。 爽やかである。 見た目も爽やであるが、沙巫さんは本当に好青年なのだ。 聖地藤崎に一つの逸話が残された瞬間であった。 それから15分後、私たちを乗せた列車は藤崎をあとにした。 青森 青森というところは、連絡船時代は北海道の玄関口として栄えた名残か、人通りと比べると何故かホテルが目立った。 廃船となった青函連絡船「メモリアルシップ八甲田丸」(入場500円)というのに入ってみる事に。 観光の目玉なのだろうが私たち以外に訪れる者もなく静かな船内ではあったが、当時を偲ぶ事ができ、なかなか興味深いものであった。 私は青森で宿泊して、翌日から函館へ行く予定だが、二人はこのまま帰る事になっていた。 別れ際に夕食を「帆立のうまい店」に入って食べた。 三人別々の物を頼んだのだが、フライがメチャメチャ美味しいらしく、すすめてくれた沙巫さんの言葉に甘え一つ相伴を。 そのサクサクの衣の中にふんわりとした帆立が絶妙なハーモニーを醸し出しており、沙巫さんの興奮ぶりもわかる美味しさだった。 二人を載せた列車を見送った後、しばらく歩いてみたが、これといって面白そうなものはなかったので今夜の宿泊場所である「ホテル、オクタ」にて24時に就寝した。 函館編へつづく トップページへもどる |