というわけで、続きです。
35話「死線」。イプシロンと交戦状態に入るキリコ、だがそこにバララントの奇襲が……!
どさくさにまぎれて、トレーラーでその場を脱出するふたり。
どうにか安全圏まで逃れたところで、呼吸を荒げ、疲労を訴えるフィアナ。
「疲れたわ」「眠ればいい」
「助かったかしら? あのひとたち」
「少なくとも、おれ達よりは安全だったはずだ」
こうやって抜き出しちゃうと、なんてことのない会話なんですけどね(^^;;)。
でも、フィアナの「疲れたわ」は、「キリコの肩に寄りかかる」というジェスチャー付き(*^-^*)。その後の会話(ったって一語ずつですが(^^;))も、その姿勢のまま交わされます。前方と、肩のフィアナとに、交互に動くキリコの視線が妙に可笑しい(^^;)。
「初めての喧嘩」の気まずさも、なんかこれで、結局なし崩しになっちゃうあたり……いや〜、フィアナさんってば「甘え上手」!
で、後半の会話に出てくる「巻き込まれた他人を気遣う」という感覚も、キリコが「フィアナによって“変わった”」というより、「フィアナから覚えた」ことのひとつだと、わたしは考えます。
キリコの場合、それまでの人生が人生だから、「自分の巻き添えになったもののことなんて構っていられない」というより、「(自分を守るために)考えない」ようにして、生きてきたと思うんですよね。
だけど、そういうことに気を回す「感性」とか「想像力」自体はけっして死に絶えてしまったわけではなくて……。そういう、自分の中の「柔らかい部分」が、フィアナに出逢ったことで、自然に表に出せるようになったのかな……なんて、思うのです。
ちなみに、「巻き込まれた他人を気遣うキリコ」が実際に見られるのは、このもうしばらく後、クエントでのことです。
42話「砂漠」。組織のAT隊の追撃で、谷底に集落を抱えた谷が崩れたとき。
「シャッコ、下の村は?」と、咄嗟に被害を案じるキリコに対して、「全滅だろうな」って淡々と応えるシャッコ(^^;;)。シャッコが落ち着いているから、キリコが余計「動揺」しているように見えたのかもしれないけど……。でも、上のフィアナとの会話を比べると、「変わったなぁ」……って思いません?
で、35話に戻って、またしてもドライブ中のふたりの会話。
「どこへ行くの? あたし達」「今のおれは…孤独ではない」
「え? なに?」「いや、なんでもない。もう少し眠るといい。…安心しろ」
……はいはい、好きにして下さい(^^;;)、ってなラブラブぶりですな(主にキリコ側)。
でも、すごく好きなシーンです。
特に、「…安心しろ」って言うキリコに向かって、ふっと笑うフィアナが〜〜!
キリコのフィアナに対する「安心しろ」って、わたしには、「だからそばにいてくれ」「おれを信じてくれ」って「お願い」に聞こえちゃうんですよね。だから、「安心感」…というか、「頼もしさ」みたいなものは、実はまったく感じられないんだけど(^^;;)、その分スゴク「可愛い」んですよね。
で、この時のフィアナも、きっと同じこと感じてたんじゃないかな〜。
あの「ふっ」は、「年上の女性の余裕の笑い」ですよ。たとえば、『999』のメーテルが、鉄郎から「安心しろ」(いや、鉄郎なら「安心しなよ」ぐらいかな?)って言われたら、きっと同じ微笑みを見せる…気がします。
「人は何のために恋をするのか?」「何故“伴侶”を求めるのか?」って命題に対する、「解答」の一つがここにあると、わたしは思います。
日頃「純愛派」を標榜して、「キリコとフィアナの恋」について語りまくっているわたしがいうのもなんですが……「恋人(配偶者)」って、結構うざったいモノだったりしません?
「まったくの孤独」ってのも、それはそれでツライものだけど、反面「独り身の気楽さ」ってのも確かにあるわけで……。それを犠牲にしてまで、「カノジョやカレシ(カミさんやダンナ)がいる面倒」を背負い込む必要があるんかい?なんてことも思ったりもする。
キリコちゃんが前回の終盤に傷ついたり、落ち込んだりするのも、言ってしまえば、ぜ〜んぶ「恋人がいるが故の面倒」。(無論、その大前提として「戦争によって負ったトラウマ」ってのがあるわけですが)
だけど、この時、フィアナを隣にしたキリコが感じていたモノは……きっと、それは、そういった「面倒」や「犠牲」を引き受けてもなお、求めるだけの「価値」があるんですよ。
あんまり、言葉を費やすと野暮になるので、これ以上説明はしません(今は(^^;;))。
とにかく、観て、そして感じて下さい。
#……とは言え、残念ながら、作画はボロボロなんですけど(T_T)。くっそ〜!
1999.11.7
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