「欺瞞」ってなんだろう……(9/22)
某所にて、「生きたヘビやワニは毛嫌いするくせに、ヘビ皮ワニ皮のハンドバッグは喜ぶ女の欺瞞には吐き気がする」というご意見を見て、ふと首を傾げた。
ワタシの見方では、「生きたヘビはイヤ。ヘビ皮のバッグはスキ」というのは、それはそれで「スジの通った感覚」だと思うので……
だって、「生きたヘビ」は、「バッグ」と違って、(ごく特殊なシチュエーションを除けば)お洒落の道具としては使えないじゃん(^^;;)。
わたし自身は「ヘビ皮のバッグ」を求めるほどのお洒落心はありませんが、「生きたヘビ」はやはりコワイです。それに比べれば、「バッグ」はニョロニョロ動かないし、カエルも呑みこまないし、目蓋のない目でキョロンとこっちを見たりもしないし〜〜(^^;;;;)。
「自分の役に立つモノ」には愛着を示し、「そうでないモノ」には冷淡というのは、「欺瞞」どころか、むしろ人間として正直とすら言えるのではなかろうか……いや、だからといって、それが「美徳」というわけではなく、しばしば「正直」イコール「無神経」だとも思うけど(^^;;)。
人間の快楽(生きるために必ずしも必要というわけでもない)のために命を奪われた生き物に対して、感謝や畏敬の念を見せるどころか、頭から毛嫌いするなんぞ、確かに「罰当たり」な態度と申せましょう。「バッグにしちゃってごめんね。大切にするね」という気持ちは、別に、ヘビを「気持ち悪い」という感覚を持っていても両立可能だと思うし。
なので、件の発言の「吐き気がする」という感覚自体には、特に異議を唱える気はございませんが、それを「欺瞞」と呼ぶことに、なんか引っかかりを覚える……
かくいうわたし自身、「ある種の言説」に対して、それこそ吐き気のするような「欺瞞」を感じたことが何度もあったので、改めて「自分はいったい何をそう感じたのか? そもそも『欺瞞』ってなんだろう」……って考えちゃったりして。(この項続く…かも)
続・欺瞞ってなんだろう…(9/24)
で、22日の続きですが……
わたしが誰かの言葉に「欺瞞」を感じるのは、そこに「表面上の言葉とは全く違う何かが隠されている」と感じる時ですね。
たとえば「自分はこれが嫌いだ」と表明しているとき。
「嫌い」という感情自体は、他人が口を挟めることではないけれど、「嫌いな理由」を述べられると、途端に「ウソ」が感じられることがある。その「理由」が「もっともらしい」ものであればあるほど「ホンマかよ」って言いたくなる。
まぁ、ワタシの場合は、 「これ=フィアナ」なわけですが……(^^;;)。フィアナが「嫌われる理由」は一応わたしにもある程度想像つきますが、でも、実際に彼女を「キライ」という意見の中で述べられる「理由」とは、大抵一致しないんですよね。
で、わたしは不遜ながら「ホンマかよ」と思う(^^;;)。
その点、「ヘビ皮のバッグはスキ、ヘビはキライ」という「理屈」には、ワタシの目から見て「ウソ」の入り込む余地はないんですよね。まぁ、その理屈自体は先にも述べたように「無神経」だとは思いますし、そういうことを大声で言うのは、あまりアタマの良い人とは言い難いかも…とは思いますが(^^;;)。
#つまり「欺瞞」を行うには、「ある程度のアタマのよさ」が必要なのね。
フィアナに関しては、最近ではめっきり「キライ」を聞くこともなくなりましたが、逆に更に複雑な「欺瞞」を感じる意見を目にすることもあったり……(更に続く)
また地震……(涙)(9/25)
もうヤダ〜〜、先週より小さかったけど、明け方の時間差攻撃(04:30頃とその30分くらい後)に、すっかり目が覚めてしまって、そのまま出勤……寝不足でヨロヨロ……。というわけで、ショックのあまり、話題は少し戻ります(^^;;)。
「フィアナ嫌い」の言い分にワタシが感じる「欺瞞」のこと。
人が特定の対象を嫌う理由として、ワタシの目にも納得がいくのは、「自分の利益・なわばりを侵害されたから」
「自分のプライドを傷つけられたから」 というヤツ。
たとえその「利益」「なわばり」「プライド」が、客観的にはみみっちいモノであっても、当人にとっては大切なものであれば、それを脅かす相手を恨んだり憎んだりするのは、ごく自然な…というか「正直」な反応だと、ワタシは思います。
フィアナびいきのワタシが言うのも何ですが、彼女って結構鈍感だったり無神経だったりする部分もあるから(^^;;)、ある種の男性からは「なわばり」や「プライド」を侵害していると恨まれるのも、それはそれで仕方がない、とも思う。
だけど、不思議なことに、フィアナを悪しざまに言う男性は、決して表立って「彼女が(自分がキリコやイプシロンに託した)『男のプライド』を傷つけたからキライだ」なんてことは言わないんですよね。話の流れ的には、そうだとしか解釈できないのに……。
むしろ、表面上は「男のプライド」にこだわるイプシロン的生き方を思いっきりバカにして、「キリコはそんなつまらないことにこだわらない」と誇っているように見える。
でも、フィアナを罵る時だけは、都合良く「イプシロン的価値観」になるんですよね……。その「理屈」がワタシには非常に不可思議で、「欺瞞」とすら感じられてしまうのですよ。
具体的に言うと、クメン終盤の決闘シーンですが、ここで「男の勝負」に割り込んだフィアナに対する男性の不評って、わたしの知る限りでは、皆、この種の「価値観の混同もしくは使い分け」をしてます。
でも、そのことを当の男性に問い質しても、いつも感情的になっちゃって話にならなかった(苦笑)。なので、ワタシの中では未だに「未解決のナゾ」として残っています 。
げっ! こんな時間……(9/27)
Photoshopで遊んでいたら、時間を忘れてしまいました(^^;;)。
で、話は25日から続きます(^^;;)。
イプシロンの話が出たついでと言ってはなんですが……彼について、というより、彼に関する言説についても、ジツはかねてから感じていたギモンが一つ。
イプシロン自身は、まぁ、良くも悪くも「悲劇的美形悪役キャラ」の伝統を色濃く受け継ぐ、あの当時ですら、既にアナクロ気味のキャラだった…という印象があります。モチロン、だからといって、「薄っぺらなキャラ」というわけではなく、むしろワタシとしては、「定石」「お約束」をきちんと守ったキャラとドラマは大好きでして(^^;;)。故に、彼の精一杯の生き様にも今なお心からの愛しさを覚えております。
が、問題は、彼自身ではなく、彼に対する一部キリコfanの反応。なんていうか、こう……「妙に風当たりが強い」気がするんですよね。
いわゆる「美形キャラ」には、男性fanの反応が鈍いのは当然ですが、その種の「無関心」ではなく、もっとこう……「なんかイプに恨みでもあるの?」って訊きたくなるような……
確かにイプは、ちょっとおバカさんで(しょーがないじゃん、子どもなんだから)、世間知らずで、惚れた女にはふられるは、撃たれるは、キリコに決闘挑んでも無視されるはで踏んだり蹴ったりだけど、それを嘲笑って、そんなに楽しい? 「哀れだな」ってキリコのセリフが、そんなに「痛快」?(個人的には、あのシーンでイプシロン以上に「哀れ」なのはキリコの方だと思ってます)……いや、この辺りのイプに対するキリコfanの評を目にして、そう訊きたくなったことが、一度ならずあるんですよね。イプシロンを嘲笑する男性fanの口調に「シャレにならない」ものを感じて、背筋が寒くなったりして……(^^;;;)。
で、冒頭に掲げたワタシのギモンですが、ズバリ。
イプシロンってもしかして、「女性fan向けのサービス」じゃなくって、
「(一部)男性fanのウップン晴らし」のためのキャラだったんだろうか?
制作者にその気がなかったにせよ、結果として、そういう風に受け止めた視聴者は結構いるのかもしれない……って。
我ながら、これ、「アンチイプシロン系男性fan」に対してメチャクチャ失礼な仮説だとは思います。自分でも、そりゃ「ゲスの勘ぐり」じゃねーの?と半信半疑です。いくらなんでも「三高(死語か?)男への男の嫉妬」なんて、あまりにもわかりやすすぎて、みっともないし……
でも、「気のせい」で流してしまうのは、イプシロンを悪く言ったり、憐れんだりする男性キリコfanって、「異様に楽しそう」に見えたことが一度ならずあるんですよねぇ……(^^;;;;)。
既に言い古されたことですが、『ボトムズ』というタイトルには、「底辺の人々」の意味が込められているそうです。事実、この作品には、「弱い者」「虐げられた者」の逆襲の物語という側面が強くあります。主人公たるキリコはもまた、基本的には「社会的弱者(^^;;)」…と言うのは抵抗がありますが、まぁ「社会から虐げられた者」です。
最近になって思いついたのですが、キリコが女性受けする理由の一つは、もしかしたらこの辺りにもあるのかも。「男性でありながら、(相対的に男性一般よりも社会的な抑圧を多く受けている)女性が共感できる立場にいるキャラクター」って。
ですがここで、「弱い者」を「弱いオス」と置き換えると、なんかちょっと、別の、なんともイヤ〜な光景が見えてくる……ような気がするのは、わたしだけでしょうか。
眠〜い…(=_=)(9/29)
昨夜は、『雪風』のプロモ(MPEG1で19MB)を落としていたら、明け方4時近くまでかかったです。いや、2時間近くかかって「あと2MB」ってところで失敗して(クイックタイムがいらんダイアログ出すから〜!)、そこで諦めればいいものを、ムキになって再度DL始めてしまったもので(^^ゞ。<ばか
そういうわけで、昨夜はお休みしちゃいましたが、引き続き、イプシロンとキリコ(についての言説)の話題。
たとえば……こんな風に考えてみる。
『ボトムズ』を「弱いオスの逆襲の物語」だとすれば……「弱い(群の中での劣位の)オス」の「逆襲」って、なんだろう?
ここで基準とするのは、「キリコ自身が満足や幸福を得られるかどうか」ではなく、【視聴者が】満足するには、どうすればよいのか。
(己の代弁者たる) 主人公が「優位の印」を手に入れること? たとえば、「とびきり美人で(できれば上流の)カノジョ」とか、「う〜んとエライ地位(銀河を支配するカミサマとか)」とか? でも、それをやっちゃったら、そのオスは既に新たな「ボス」=「最も強い(優位の)オス」になってしまい、「弱い(劣位の)オス」ではなくなってしまう。
多くの視聴者がキリコに共感するのは、彼が「劣位のオス」だからであるとすれば、「優位のオス」になってしまっては、魅力が半減。故に、キリコは「優位の印」を与えられても、それをホイホイ喜んで受け取ってはならない。困惑
or 迷惑顔をしなくてはならない。
「劣位のオス」である主人公が、(自分たちに共感できる)「劣位」のまま、自分たちを抑圧するものに「逆襲」する方法は何か?
そこで回答例1: 「主人公(自分)より優位のオスをうち負かすこと」
ただし、必ずしも自分(キリコ)が「勝つ」必要はない。
相手に自分(キリコ)に対する「敗北感」を感じさせればそれでよい。
キリコのイプシロンへの対抗法は、ハッキリ言って「卑劣」「狡い」「せこい」ものが多いのに、何故かそこが「魅力的」に見えてしまうのは、多くの視聴者が認めるところだと思います。そこで言われるものは、「とにかく生き残ったものが勝ち」という、したたかな歴戦の強者、「戦争のプロフェッショナル」の徹底して合理的な行動原理。確かに、それは、従来のアニメ…少なくとも主人公の行動としてはほとんど見られなかったもので、その「新鮮さ」が好評に繋がったということはあるでしょう。しかし、それとはまた別 に、ヒソカに上記のような理由もあるのではないか?……ってワタシは疑っています。
そう考えると、クメンでのフィアナを非難するキリコfanの心理も、(ワタシ的には)非常に納得がいってしまうのです。
あの時のフィアナに対して、たとえば、イプシロンや彼に共感するfanからならば、「ふざけるな! 人の邪魔して悲劇のヒロイン面してるんじゃねぇ!」って罵られても、ワタシも何も言えません(^^;;;)。ただひたすら、「す、すみません。ウチの娘(いつからそうなった!)がご迷惑をおかけして…」とアタマを下げるのみです。
でも、キリコfanが何故フィアナを責める? キリコの方にもイプと決着つけたい気持ちがあったとか、キリコにイプとの決着をつけさせてやりたかったと思っているならばいざ知らず、不思議なことに、この方々は:
キリコの方には、イプシロンの挑戦を受ける気なんてなかった。
ただ生き残る方針を冷静に考えて決闘を受けるフリをしただけだ。
と強弁していらっしゃるのに。
だったら、結果的にキリコの命を救ったフィアナのことも、「バカな女だがおかげで助かった」くらいで放っておいて、「生き残るためなら女も使う」と、キリコの「合理的な卑劣さ」を褒め称えればよいものを。フィアナの「愚かな」行動が、いったいあなた方にどんな不利益をもたらしたというの?
……と、このナゾを、かれこれ1年以上考え続けていた(そこまで根に持つか?>自分)のですが、昨日になって、ふいに思いついたのがこの答え。
別に「正々堂々とイプシロンの挑戦を受けて戦うキリコ」なんかは見たくないけれど、「キリコがイプシロンをコケにするところ」或いは、「イプシロンがキリコにコケにされるところ」は見たかった。それがフィアナに邪魔されたから、腹が立つ。
……どんなもんでしょうね?
フィアナ贔屓のワタシとしては、賛同はできませんが(当たり前だ)、とりあえず理解はできるし、この理由でお怒りなのならば、一応「そりゃ、悪いことをしましたね〜。すんません」くらいには思えるのですが(^^;;)。
まぁ、イプ&イプfanに対する「申し訳なさ」と比べると、かなり誠意が落ちるのは、仕方がありませんが(爆)。
あれ、ナンの話だったっけ?(^^;;)(9/30)
「フィアナに関する言説に見られる欺瞞」について話すつもりだったのに、なんか違う方向にいっちゃったかな(^^;;;)。
まぁ、「キライ」っていう感情は、大抵の人にとっては「理屈抜き」のものだから、その感情自体には、「欺瞞」の入り込む余地は少ないんですよね。
だから、フィアナを嫌う人の「キライ」というその感情自体は、ワタシはまったく疑わないし、別に「悪い」ことだとも思わない。
ただ、その「嫌いな理由」の中に、時折、どうにも納得できないものがあるんですよ。言葉で言っているのとは「違う理由」が隠れている気がするものがある。ワタシが感じる「欺瞞」とは、言い換えれば「何かを隠している感じ」なのかも知れません。
で、改めて整理しますと……
人が何かを嫌う理由として、ワタシが納得するものは:
1.その対象によって、自分が損害や不利益を被った場合
よしんば、法律上・倫理上は相手方に「理」があったとしても、「恨めしさ」や「怒り」を感じること自体は「自然」なことだと思うので、「理解」はできます。
#「賛同」するかどうかはまったく別な話ですが。
プラス、最初の頃には気づきませんでしたが、もう一つ、重大なものを見落としていました(^^;;)。
2.自分にとって特に不利益があるわけではないが、
その対象が自分の美意識から著しく外れている場合
自分にとって「醜い」「見苦しい」ものが目の前でのさばっていたら、不快になるのは、これまた人間の感情として自然なことだとも思います。
たとえば、「感情に左右されない合理性」を尊ぶような価値観の持ち主から見れば、フィアナの「後先もTPOもわきまえずに感情のままに振る舞うところ」って、確かに目障りでうざったいですよね(^^;;)。
手元に残る、クメンでのフィアナの行動に対するキリコfanの非難も、改めて読み返すと、意見の主旨としては2.に近いようにも見えます。<もっと早く気づけよ。
でも、ワタシにはそこが、な〜〜んか引っかかっちゃって(^^;;)。フィアナが気にくわないというなら、それはそれでイイ。でも、その意見の主が本当に「合理性」を重んじているのなら、フィアナが「結果的に」キリコの命を救ったコトでプラスマイナスゼロ…とまではいかなくても、もう少し点を甘くしてくれてもいいんじゃないか、と。
で、ず〜〜〜っと考え続けるうちに、たどり着いた結論が、29日付けの文章ですが、これ、一応弁解させてもらえるなら、「フィアナを非難した人」への「非難返し」が目的じゃないんです(^^;;)。
#そういう気持ちが「まったくない」と言えばウソになるとは思うけど。
言いたかったのは、
■「感情的な(合理的でない)フィアナがキライ」という
意見の主は、必ずしも「合理性」を最上位に重んじる
「合理主義者」というわけでもなさそうだ。
で、そこから飛躍して、
■ そもそも、キリコの戦闘時の「合理性」を高評価する意見が、
彼のロボットアニメの主人公にあるまじき(^^;;)「卑怯な」行動を
「正当化」するための「方便」という部分も あるのではないか
ということでして……。そこから発展して、
■ キリコのイプシロンに対する「卑怯さ」がなぜか視聴者に
「魅力的」に映るのは、 「生き残るための合理性」故ではなく、
「劣位の者が優位の者を(悪知恵使って)コケにする」様が
カタルシスを与えるからではないのか?
という、仮説に至っています。
この仮説、更に発展させると、かねて抱いていた疑問のいくつかが説明できそうな気がするので、もうしばらく自分の中で突き詰めてみるつもりではありますが、それはまた別の機会に。
ともあれ、わたしが「欺瞞=何かを隠している」と感じたものは、「キリコの『合理性』への高い評価」に対して、だったようですね。
「キライ」という感情には「欺瞞」が入り込む余地が少ないと冒頭で言いましたが、逆に言えば「欺瞞」が入りやすいのは「好意的」な言説。しかも、「理屈抜きにスキ!」という感情を訴えたものではなく、一見理性的でもっともらしい「高い評価」ということになるのかもしれません。
今回は「フィアナに対する批判的な意見」を先に例に挙げてしまったので、話が回りくどくなってしまいましたが(^^;;)、「フィアナに対する好意的な意見」の中に、まさに「欺瞞」=「高い評価の陰に別の何かを隠している」例も知っているので、次はそちらをご紹介……できるといいなぁ(^^;;)。
|