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「世界がもし100人の村だったら」…

11月初旬、友人からメールが送られてきました。パワーポイントの添付ファイルがあり、開けてみるときれいな風景写真の背景と音楽のついた英文のスライドショーでした。

題名は「Lightening in a jar」

If you could fit the entire population of the world into a village consisting of 100 people , maintaining the proportions of all the people living on Earth, that village would consist of 57 A sians 21 Eur opeans 14 A mericans ( North, Central and South ) 8 Africans .…

 

 

 

知っている単語だけをつないですぐに「世界がもし100人の村だったら」とわかりました。

「世界がもし100人の村だったら」とは

この「世界がもし100人の村だったら」はインターネット上でチェーンメールのように世界中に広まった文章です。

次々に伝わるうちにそれぞれの解釈を通して尾ひれがついたり、削られたりしてできあがっていきました。

 

1990年、ドネラ・メドウズ(Donella Meadows)という環境学者が「村の現状報告」(State of the Village Report)という文章を著しました。これが「世界がもし100人の村だったら」の原型となったものです。

世界をひとつの村にたとえ、差異の比率はそのままに、人口だけを1000人に縮小して説明しています。

2001年、9.11アメリカ同時多発テロ事件をきっかけに伝播は加速していきます。

村の人数は1000人から100人に減り、インターネットの普及ともあいまって、世界中に広まりました。

ドネラ・メドウズ博士は同時多発テロを知らず2001年2月に他界しています。

もともとは人口問題、環境問題に関するメッセージでしたが、事件をきっかけに平和に関する解釈の部分で共感を得たと言えるでしょう。

 

人口、性別、年齢、性愛、人種・地域、宗教、言語、食糧、富、エネルギー、住居&水、貯蓄&車、教育&パソコン、思想・信仰の自由、戦争&紛争、生と死。

1000人村の時よりも数字が簡略化されたことで、その表現がより誇張され、わかりやすくなったように思います。

もちろん受け取ったそれぞれがどうとらえるかはまったく違うはずです。

書籍「世界がもし100人の村だったら」

私は「100人村」を子供の担任の紹介で知りました。「こんな書籍があるから」というものでした。

「世界がもし100人の村だったら」(池田香代子再話、C・ダグラス・ラミス対訳、マガジンハウス刊)の文章は

「中学校に通う長女の担任は生徒たちに、毎日メールで学級通信を送ってくださるすてきな先生です。…。」

とまえがきがあって、「世界には63億人の人がいます。…。」とはじまります。

この中学校の先生は調査中であるようになっていましたが、続編の「世界がもし100人の村だったら 2 100人の村の現状報告」の中で千葉県市原市五井中学校の生稲勇先生であったことが紹介されています。

学校の先生の間で広がっていったのはあながち嘘ではないようです。

書籍は

「世界がもし100人の村だったら2 100人村の現状報告」

「世界がもし100人の村だったら3 たべもの編」

「世界がもし100人の村だったら4 子ども編」

「世界がもし100人の村だったら完結編」

と、続編があります。

「世界がもし100人の村だったら」をさらに焦点を絞って数字に表しています。

「日本がもし100人の村だったら」という池上彰氏の書籍もあります。

いずれも、注目すべきところを100の数字に凝縮させることで強調している手法は同じです。

9.11と3.11

友人夫妻は、2001年、商社勤務から独立して渡米を目前にしていましたが、9.11のため少し遅らせることになりました。それから10年。3月の大震災の後、この「100人村」がまためぐってきたことに不思議を感じます。

ドネラ・メドウズ博士は、幸せになれる5つの条件を述べています。

3.11のあの時から、こわれてしまったことがたくさんあります。

原発の事故で目に見えない「放射能」におびえています。
一瞬のあまりのできごとに途方にくれました。傷痕は大きすぎます。
散り散りになった子どもたち、同級生たち。
故郷を追われて、いつ戻れるのかわかりません。

今までは当たり前のことだったのに、…。

世界一幸福な国ブータン

友人からのメールのすぐ後、ブータン国王夫妻が訪日しました。

世界一幸福な国の若き国王夫妻は、5月に結婚したばかり。日本訪問は新婚旅行でもあります。

民族衣装姿で東京、福島、京都を訪れ、注目を浴びました。

ブータンは、立憲君主制でさまざまな禁止、強制を含む政策をとっています。

一方で豊富な水資源による電力輸出、環境保護などをに力を入れ、総合的に国民の大多数が「幸福である」と感じています。

幸せの5つの条件を考えると、なるほどと思えます。

ヒマラヤの豊かな環境。
農業を中心にした産業。
国策としての伝統文化保持。

幸福とは何か、真の意味をもう一度考えてみたいものです。

以下、ウィキペディアより。

ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク

1980年2月21日
第5代ブータン国王。2011年現在、世界最年少の元首である。学位は政治学修士(オックスフォード大学モードリン・カレッジ)。名誉学位として慶應義塾大学及びタイ王国ランシット大学名誉博士号を保有。
ジグミ・シンゲ・ワンチュク国王は、2008年に譲位をする意向を2005年に示していたが、より早い2006年12月14日に退位した。これを受けて同日に国王として即位し、2008年11月6日に戴冠式が行われた。
2011年5月20日、平民ながらも遠縁の女性ジェツン・ペマと同年10月に結婚予定と発表、10月13日にプナカで結婚式を挙げた。結婚後の最初の外遊では王妃とともに日本を訪問。2012年11月15日に東京で国賓として待遇を受けたあと、17日午前に港区の慶應義塾大学を訪問し、清家篤塾長から名誉博士号の贈呈を受け、三田演説館で講演を行った。その後の午後に国会の衆議院本会議場で演説を行う。また、東日本大震災の被災地のひとつ福島県訪問。さらに京都を訪問し金閣寺を参拝した。

ジェツン・ペマ・ワンチュク

1990年6月4日
ブータン王国の第5代国王ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクの王妃。
父親は国営ドゥルックエアーの元パイロットで、現在はバーレーンエア勤務。母親は王室に連なる名家の出身。 姉・妹・弟2人の兄弟姉妹がおり、王妃は5人のうち二女である。
2011年5月20日に結婚を発表、同年10月13日に古都プナカで華やかな仏教式を挙げた。
7歳の頃に、当時17歳の王子(現・国王)から「大人になって独身であったら結婚しよう」とプロポーズされた。

ブータン王国

ブータン王国(ブータンおうこく)、通称ブータンは、南アジアにある国家。インドと中国にはさまれている、世界で唯一チベット仏教(ドゥク・カギュ派)を国教とする国家である。民族はチベット系8割、ネパール系2割。公用語はゾンカ語。首都はティンプー。
急速な近代化(欧米化)のなかで、近代化の速度をコントロールしつつ、文化大革命に端を発する中国の進出で領土の1割を事実上喪失し、内陸の農村部に強い影響を受けた政治的立場や、全体主義的な伝統を維持しようとする政治に世界的な注目が集まっている。前国王が提唱した国民総生産にかわる国民総幸福量 (GNH) という概念、さまざまな環境政策、伝統文化保持(隣国のシッキム王国(現シッキム州)のインドへの併合経緯に由来するブータン族優位政策の一環)のための国民に対する民族衣装着用の強制などが近年のスローライフなどのキーワードと組み合わされて語られる場合も多い。

国旗はかなり複雑なもののひとつで、竜のうろこが細かく書かれている。国花はメコノプシス=ホリドゥラ、国樹はイトスギ、国獣はターキン、国鳥はワタリガラス。国技は弓術。

1907年のワンチュク朝成立以降、国王を中心とする絶対君主制だったが、近年の政治改革により2008年に憲法が公布され、民選首相が選出されるなど立憲君主制に移行した。国会は国王不信任決議の権限を持ち、国王65歳定年制が採用されている。

1989年2月24日、34歳のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が、昭和天皇の大喪の礼参列のため、民族衣装「ゴ」の礼服姿で数人の供を連れて来日、自国も1ヶ月間喪に服す。
2011年3月12日 東日本大震災の翌日に国王主催の「供養祭」が挙行され、18日には義援金100万ドルが、日本に贈られた。
2011年11月15日 ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王が結婚したばかりのペマ王妃とともに震災後初の国賓として来日、被災地のほか、東京・京都などを訪れた。

主要産業はGDPの約35%を占める農業(米、麦など、林業も含む)だが、最大の輸出商品は電力である。国土がヒマラヤの斜面にあることをいかし、豊富な水力による発電を行い、インドに電力を売却することにより外貨を得ている。
2004年12月より、環境保護及び仏教教義的な背景から世界初の禁煙国家となり、煙草の販売が禁止された。国外から持ち込むことはできるが、200%の関税が課される。

1960年代から進んだブータン国の開発・研究(第1-2次五カ年計画)により、幸福こそ人のそして国家の究極の目標とし、ワンチュク国王が1972年にその概念を生み出した。4つの大きな柱からなるこの国民総幸福量、いわゆる幸せの指標、GNH(Gross National Happiness)により、「世界一幸せな国ブータン」として、特に、GDP/GNP増加を主眼としている先進国から今、注目されている。日本も、その成り立ちから、経済援助などを通じ、ブータンのGNH発現と実現に大きな貢献をしている。昨今、日本においてもGNHに関するシンポジウムが行われるなど、その最先端の概念の理解と導入への取り組みがみられる。

1989年、「ブータン北部の伝統と文化に基づく国家統合政策」を施行し、チベット系の民族衣装着用の強制(ネパール系住民は免除)、ゾンカ語の国語化、伝統的礼儀作法(ディクラム・ナムザ)の順守などが実施された。

男性の民族衣装「ゴ」女性の民族衣装「キラ」。

食文化においては、ブータンはトウガラシの常食と乳製品の多用という独自の面を有しつつ、赤米、蕎麦の栽培、納豆、酒文化(どぶろくに似た醸造酒「シンチャン」や焼酎に似た蒸留酒「アラ」)などの日本人の琴線に触れる習慣も多い。また、伝統工芸においては漆器や織物などの類似点もある。

国民総幸福量

国民総幸福量(こくみんそうこうふくりょう、英: Gross National Happiness, GNH)または国民総幸福感(こくみんそうこうふくかん)とは、1972年に、ブータン国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが提唱した「国民全体の幸福度」を示す“尺度”である。国民総生産 (Gross National Product, GNP) で示されるような、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから生まれたものである。現在、ブータン政府は国民総幸福量の増加を政策の中心としている。政府が具体的な政策を実施し、その成果を客観的に判断するための基準にするのが主な用途で、1990年代からの急速な国際化に伴って、ブータンで当たり前であった価値観を改めてシステム化する必要があったという。

2005年5月末に初めて行われたブータン政府による国勢調査では、「あなたは今幸せか」という問いに対し、45.1%が「とても幸福」、51.6%が「幸福」と回答した

2年ごとに聞き取り調査を実施し、人口67万人のうち、合計72項目の指標に1人あたり5時間の面談を行い、8000人のデータを集める。これを数値化して、歴年変化や地域ごとの特徴、年齢層の違いを把握する。国内総生産(GDP)が個人消費や設備投資から成り立つように、GNHは 1.心理的幸福、2.健康、3.教育、4.文化、5.環境、6.コミュニティー、7.良い統治、8.生活水準、9.自分の時間の使い方の9つの構成要素がある。GDPで計測できない項目の代表例として、心理的幸福が挙げられる。この場合は正・負の感情(正の感情が 1.寛容、2.満足、3.慈愛、負の感情が 1.怒り、2.不満、3.嫉妬)を心に抱いた頻度を地域別に聞き、国民の感情を示す地図を作るという。どの地域のどんな立場の人が怒っているか、慈愛に満ちているのか、一目でわかるという

 福島県相馬市にて(11,11,12)