永明寺(ようめいじ)
第七十五番
寺名 永明寺(ようめいじ)
山号 覚皇山
宗派 曹洞宗
所在地 島根県鹿足郡津和野町後田 
SPOT
三門  津和野城の総門を移した。菩提寺にふさわしい格式
応永27年(1420)津和野城主吉見頼弘創建。 以来この寺は吉見、坂崎、亀井氏の菩提寺として550年余の歴史を持つ。
お寺へのアプローチは細い道しかない。駐車場と言える程のものは、見当たらなかった。
観光バス向きではない、小さなお寺であるが、雰囲気のあるお寺である。


Snap shot
三門をくぐると大きな広場があって中雀門がある
奥の茅葺の建物が本堂。
鐘楼堂 これが、右側の入り口にもなっている
鐘楼堂 正面 このお寺で一番有名なのが、このお墓
森 林太郎の墓 森 鷗外である。
夏目漱石と並ぶ文豪、森鴎外は、ここ津和野の出身。このシンプルな墓石は、。「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス 」という遺言によるもの。
墓石の裏
没年、大正11年7月9日と刻まれている。享年61歳
関東大震災後、東京とここに改葬された。
森 鴎外記念館は、ここへ
書院 魚板
これがあると禅寺だ
庫裏の部屋 本堂
本堂から中雀門を 書院の庭園
書院の一部屋には、森鴎外の写真も 書院横の中庭
廊下からのワンショット 本堂の横手の石段を登ると坂崎出羽守の墓がある
「千姫事件」

大坂夏の陣による大坂城落城の際に、坂崎直盛(出羽守)は徳川家康の依頼を受け、家康の孫娘で豊臣秀頼の正妻である千姫を大坂城から救出した。直盛は火傷を負いながら千姫を救出したにも関わらず、その火傷を見た千姫に拒絶されたことで、
千姫奪取計画を立てる事件を起こしたと言われている。千姫は、その後姫路城に嫁入り。

この事件の後、坂崎直盛は自害。お家は断絶。
この話は史実とは少し違うようだけれどね。
死後13回忌に小野寺義道(出羽国横手城主)がその恩義に報いる為に、ここに墓を建てた。
このお寺で2番目に有名な坂崎出羽守の墓
津和野藩城主でもあったが、「千姫事件」でお家断絶。ささやかな墓石が涙を誘う。
淡島堂
淡島明神を祀る。和歌山淡島神社が発祥
ようやく見つけたツワブキ。
津和野の地名は、ツワブキの野に由来するという、盛りの時期は過ぎていたので、探すのが大変。
人形作家河津匂子(かおるこ)の碑

津和野を訪れる人もまばらであったその頃 心ある人が津和野の美しさを識ってくださる接点となった一人の女性があった。
彼女の渾身から匂る情調と才気を通して人々は津和野を再発見した。歌を詠み句を作り 紙人形の創作にいのちの昇華をとげた人

大変な美人であったという。
有馬頼義著「脱出」の高津夕子のモデルと言われている。
紙人形は、津和野の名産でもある。
石碑には「紙人形紙の椿を持たせけり  匂子」

朱印

五木寛之の一言
津和野に来ると、時間がゆっくりと流れているように感じる。その津和野の中でも、とくに永明寺に来てみると、さらに時間が止まったようなおだやかさを感じずにはいられない。じつにこころが安らぐ寺だ。

kazu_sanの一言
津和野の家の屋根は、みんな赤い。
どうしてか?
車で、津和野を走ってて疑問がつのるばかり.......。
途中に寄った道の駅「うり坊の郷」のおばさんが明解な回答をしてくれました。
津和野は天気が悪く暗い町なの、亡くなったお祖父ちゃんが、せめて屋根を明るくして、明るい町にしないとねと言ってました。

感動的な話です。
後で知ったことだが、石州瓦と言って島根県の石見地方で生産されている粘土瓦。含鉄土石「来待石」を釉薬に使用することにより、独特の赤い色になる。
こんな人々が居る津和野は、ますます明るくなりそう。


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