和泉五社
(日根神社の狛犬)
神功皇后が三韓征討の軍を発するにあたって、泉井上神社に戦勝を祈願したところ、一晩のうちに霊水が噴き出した。以来この地を和泉と呼ぶようになったという。
和泉国は天平宝字元年(757)大鳥、和泉、日根の3郡が河内国から分かれて成立した。
和泉の国の主要な神社の大鳥(おおとり)・穴師(あなし)・聖(ひじり)・積川(つがわ)・日根(ひね)を和泉五社という。平安時代に中央から派遣された国司が、任地に着いた時に、参拝する順番が決まっていて、最初を一の宮と言う。
その後、泉井上神社に五社を勧請し、和泉五社総社として、国司の巡拝を楽にした。
当時、堺市から泉佐野市までの巡拝の旅は大変だったのだろう。
和泉の国 一の宮 大鳥(おおとり)大社 大阪府堺市鳳北町
和泉の国 二の宮 泉穴師(いずみあなし)神社 大阪府泉大津市豊中町
和泉の国 三の宮 聖(ひじり)神社 大阪府和泉市王子町
和泉の国 四の宮 積川(つがわ)神社 大阪府岸和田市積川町
和泉の国 五の宮 日根(ひね)神社 大阪府泉佐野市日根野
和泉の国 総社 泉井上(いずみいのうえ)神社 大阪府和泉市府中町

これらの神社は「式内社」である。
「延喜式」(「養老律令」の施行細則を集大成した古代法典。927年に完成、全50巻)の巻9.10に神社名一覧があるが、そこに載っている神社名を、「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。
一の宮 大鳥(おおとり)大社
日本武尊(やまとたける の みこと)は、東征して東国を平定したが、伊吹山で病に倒れ、伊勢国能褒野(のぼの−亀山市)で薨去する。遺体はその地に葬られたが、その陵から魂が白鳥となって飛んでいき、和泉国のこの地に舞い降りたので、社を建てて祀った。これが大鳥神社の始まりだという。
正面鳥居 本殿の鳥居と拝殿
拝殿 奥に見えるのが本殿 日本武尊(やまとたける の みこと)の銅像
境内社の美波比神社 祭神:天照大神 庭園も秋景色。菖蒲の時に公開されます。
菖蒲の時に再訪しました。ここ。
裏門の鳥居 裏門近くの クスノキ
二の宮 泉穴師(いずみあなし)神社
祭神は、天忍穗耳尊(あまのおしほみのみこと)−農業の神−栲幡千千姫命(たくはたちぢひめ)−紡織神のご夫婦。皇室の御祖神系列なので菊の御紋。
大阪府みどりの百選のひとつ
鳥居 本殿
三の宮 聖(ひじり)神社
渡来氏族の信太首(しのだのおびと)が氏神として祀ったのが最初。
鳥居
住宅街を抜けてカーブしたところに突然現れる
まだまだ秋一杯
末社の三神社本殿と滝神社本殿 本殿拝殿
本殿 重要文化財 末社 平岡神社本殿
聖不動明王 相撲場。子供相撲が行われるようだ。
四の宮 積川(つがわ)神社
祭神は宮中神である座摩巫祭神五座。御神体は古鏡。
一の鳥居 二の鳥居
いい感じ 椋(むく)の木
拝殿 本殿
五の宮 日根(ひね)神社
大井関大明神とも言われる。祭神は鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、玉依比賣命(たまよりひめのみこと)−神武天皇の母−。
大阪府みどりの百選の大井関公園が近く。
国宝3名塔の一つ、慈眼院の多宝塔は、この近く。境内から覗くことも出来ますが。
鳥居 拝殿
本殿 この下が樫井川
比賣神(ひめがみ)社 - 式内社。御祭神は大日靈貴尊、素盞嗚命。清和天皇貞観元年に官社に列格した 比賣神(ひめがみ)社 -本殿 室町期か?
大阪府指定有形文化財
丹生神社(野々宮)
丹生都毘売神社(にうつひめじんじゃ)和歌山県かつらぎ町の末社
恵毘須宮(丹生神社末社) - 御祭神は事代主尊(恵毘須宮)
岡前神社 上記の末社がある近くの鳥居
参道に、まだまだ鳥居が続く
和泉の国 総社 泉井上(いずみいのうえ)神社
「和泉」の地名の発祥になったと伝えられる「和泉清水」を祭る神社である。
和泉国が成立した時に、現府中町一帯に和泉国府が置かれ、国府のほぼ中央が神社のある所であったと言われる。今は小さな神社。
鳥居 拝殿から本殿を
石造板状塔婆 南北朝時代の物
大阪府指定文化財
境内社の五社総社




   
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