久能山東照宮
久能山東照宮
唐門(重要文化財)

主祭神 東照大権現(徳川家康) 創建 1617年(元和3年) 静岡県静岡市駿河区
徳川家康は元和2年(1616年)に死去した後、遺命によりこの地に埋葬された。後に改葬され日光東照宮に移された。
武田信玄は、ここにあった久能寺を清水市(今の鉄舟寺)に移し、この要害の地に久能城を築いたが、
武田氏の滅亡とともに徳川氏の領有するところとなった。二代将軍秀忠によって社殿が造営された。
東照宮と称するところは400位あったが、現在は150位が残っている。ここと日光の東照宮が有名で、三大東照宮という時は、自分の大好きなを勝手に加えて言うのがお約束らしい。
故郷和歌山には、紀州東照宮がある。
大阪府堺市の南宋寺(なんしゅうじ)には家康の墓がある。(異説ではあるが)


東照宮には日本平からロープウェーで行く ロープウェーから下界
両方向から同時にロープウェーは出発するので途中ですれ違う。ガイドさんが手を振ってくださいと言う。多分向こうも(笑)。 ご神木
ここには久能城の石垣が残っている。
楼門(重要文化財) 勅額御門 後水尾天皇御宸筆の「東照大権現」
楼門を裏から 家康公の手形があった
神厩
普通は生きた馬なのにと思っていたが、帰りのロープウェーで、ガイドさんが 左甚五郎作と説明があった。先に説明した方がいいと思うが...。
二の鳥居
五重の塔跡
3代将軍家光公の命により建立され、高さ約30Mあったという 明治 6年に取払われた。
神楽殿(重要文化財)
鼓楼
以前は鐘楼であったが、神仏分離令の後、鐘を太鼓に 取り替えて今の名称に改めた。
神庫(重要文化財)
神楽殿の東石段上にあって校倉造り
日枝神社
御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)である 元は、御本地堂と称し東照公の御本地仏とする薬師如来像を安置してあったが、神仏分離令により 明治3年12月、これを廃し境内の山王社をここに移祀した。
前方が拝殿、後方が本殿(重要文化財) 江戸時代初期の代表的権現造り
唐門から 廟門(重要文化財)
廟所に通ずる門
御廟所参道(重要文化財) 御廟所(重要文化財)
本殿の裏手にあり家康公の遺言により御遺骸埋葬した所。
この石組みは、一つの岩をくり抜いて出来ている。
何度か来られているペトマサさんの語り部代行の説明。
本殿の装飾
50年に一度、建造物の漆塗り替えが行われており、2006年に社殿の塗り替えが完了したばかり。


朱印

  
【余分な知識】
久能山から富士山に直線を引くと、その先に日光東照宮がある。

久能山から家康の位牌のある松平家の菩提寺の大樹寺まで線を引くと、途中に鳳来山東照宮(家光が造営、家康の母の於大の方(おだいのかた)が,鳳来寺の薬師に懐胎を祈願して家康を身ごもったという伝説)そして、その先は、丁度京都になる。
多少誤差があるらしいが出来すぎた話かな。案外、当時の人には、そんな拘りがあったのかも。

大樹寺は、愛知県岡崎市にある浄土宗のお寺。
 
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