明治天皇陵
昭憲皇太后陵
桓武天皇陵
明治天皇伏見桃山陵(めいじてんのう ふしみのももやまのみささぎ)
京都府京都市伏見区桃山町にある上円下方墳。
第122代 明治天皇(在位期間:1867年1月30日-1912年7月30日)
「明治天皇は明治国家そのものであり、明治天皇の死は明治国家の終焉」と認識されていた。
御製 「よきをとり あしきをすてて外国(とつくに)に おとらぬ国となすよしもがな 」

大正元年9月13日、東京・青山の帝國陸軍練兵場(現在の神宮外苑)に於いて大喪の礼が執り行なわれた。大葬終了後、明治天皇の柩は霊柩列車に乗せられ、ここに運ばれ、9月14日に埋葬された。京都に葬られた、最後の天皇である。
大正9年(1920年)に、明治神宮(行って来ました)に祀られる。
近くに、殉死した乃木希典を祀る乃木神社がある。

参道 鬱蒼とした杉と玉砂利の道が続く 陵の前の石段
頼んだ分けではないが(笑)、外人を含む若者グーループが石段を元気良く登ってくれた。230段ある。
登りきったところに、最初の写真の陵がある。

SPOT
参道 入り口の石碑
明治天皇陵 昭憲皇太后陵の表示がある。
参道途中に
伏見城石垣に使用されていたと思われる石がある。工事中に発見されたようだ。
石段上からの眺め 明治天皇陵から昭憲皇太后陵に行く途中にあった、不思議な木
アップすると枯れたような幹から新しい命が 明治天皇陵のアップ写真

昭憲皇太后陵 伏見桃山東陵(ふしみももやまのひがしのみささぎ)
規模は小さいが、ほぼ同じ作りである。明治天皇陵より少し下に下りたところにある。
皇后であったので皇后が本来正しいが、誤って名付けられた。
天皇の名で持って一度発布されたので、以後訂正されることはない。
これを諺で「綸言汗の如し」という。

桓武天皇陵 柏原陵
第50代 天皇。
はじめに784年に長岡京を造営するが、794年に改めて平安京を造営した。
明治天皇陵の参道途中から別れ、徒歩15分位のところにある。
京都に都を作った、桓武天皇と京都から東京に都を移した明治天皇が同じ桃山に眠るのも歴史の妙である。
奈良.平安と陵墓を作る慣習が廃れた時期なので、比定地に再建されたもの。

陵印
天皇陵には「陵印」というのがある。 お寺の朱印みたいなものである。
陵墓監区事務所(宮内庁)に備えてある。
最近は流行ってないようですが、来られる方は居ますよということ。
明治天皇陵印 桓武天皇陵印


戻る