靖国神社
18年春、靖国神社にお参りした。
祭神 : 護国の英霊246万6532柱(平成16年10月17日現在)
大鳥居
高さ25m,上の横木は35m。
九段下からかなりの勾配の坂を上がると、この大鳥居が迫ってくる。
伊勢神宮のような「神域」という雰囲気はない、明るい。
ようやく  「来たぞや...」   初の参拝である。
ここに立つと、あの「九段の母」の歌が、何故か浮かんできて、素直な気持ちで、英霊に頭が下がる。そして、まさに日本の代表的な母親の気持ちを歌い込んだ、この歌に涙が自然に浮かぶ。

太平洋戦争末期、特攻隊として死んでいった人たちが居てる。
死を目前にし、愛しい人のことを思いつつも、日本という国の悠久の歴史が続くことを願って、ささげた尊い命の上に我々は成り立っている。
ここに祀られている人の中には、不名誉な死に方の人も居てるかも知れない。しかしそれらの人びとを含めて戦争犠牲者の先人に弔意を表することは自然であろう。
九段の母          作詞:石松秋二  作曲:佐藤富房

1
上野の駅から  九段まで   かってしらない  じれったさ
杖をたよりに  一日がかり  せがれきたぞや  会いにきた

2
空をつくよな  大鳥居       こんな立派な  おやしろに
神とまつられ  もったいなさよ  母は泣けます  うれしさに

3
両手あわせて  ひざまつき    おがむはずみの  おねんぶつ
はっと気づいて  うろたえました せがれゆるせよ  田舎もの

4
鳶(とび)が鷹(たか)の子  うんだよで いまじゃ果報が  身にあまる
金鵄勲章が  みせたいばかり      逢いに来たぞや  九段坂 


大村益次郎像

近代日本陸軍の創設者で靖国神社建立の功労者。
靖国神社の場所を決定後、暗殺された。
1893年に造られた日本初の西洋式銅像。
第二鳥居


静かなる 神のみそのの 朝ぼらけ
世のありさまも かかれとぞ思ふ

       昭和天皇御製(昭和13年)
神門


1934年に完成。
扉の両方には直径1.5メートルの菊花の紋章がある。
高さ6メートルの檜作りの門。

魚眼レンズで撮ったので両方の菊花の紋章が撮れた。
拝殿

本殿は、この奥。

通常、拝殿には写真のように「白色」の幕が掛かっている。団体参拝の時や祭日は「紫色」の幕となる。

今日は、普通の日曜日だった。
遊就館(ゆうしゅうかん)

博物館である。

名前の由来は、『荀子』の「遊必就士(遊ぶに必ず士に就く)」(遊歴する時は必ず優れた人物に交わり学ぶの意)から。

合祀されている英霊の遺品や資料、戦争で使用した武器などを展示している。
収蔵品は約10万点。
日本の戦争の歴史がバネルで解説される。
約5000人の遺影もある。
人間魚雷「回天」や、真珠湾攻撃成功の電文である「トラ・トラ・トラ」や「戦勝」を祈願した血染めの日章旗、終戦時の陸軍大臣阿南惟幾の「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」という血染めの遺書もある。金鵄勲章もありました。
遊就館の展示から

零戦52型(海軍零式艦上戦闘機)

ゼロ戦だ。皇紀2600年7月(昭和15年7月)に正式採用になったので零式という名前が付いた。
当初は無敵であったが、やがて特攻機となる悲しい運命を持つ。
遊就館の展示から

C56型蒸気機関車31号機

泰緬鉄道(たいめんてつどう)−第二次世界大戦中にタイとビルマ(ミャンマー)を結んでいた鉄道。日本軍によって建設・運行されていた。−で走っていた車両。
戦後もタイで走っていたが、引退後、有志により譲り受け奉納された。
遊就館のお土産

コーガ石のふくろう。
コーガ石は、世界で東京の新島とイタリアのリパリ島でしか取れない石。
のこぎりでも切れて、水に浮く不思議な石。
渋谷のモヤイ像もこの石。

たくさんの展示を見た後では、この可愛らしさにほっとします。
ふくろうは、不苦労とも書けるとのこと。

幸いにして、戦争の苦労を知らない、私たちには、ピッタリのお土産でした。
海ゆかば
                      作詞 大伴家持
                      作曲 信時潔
海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の
辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ


   
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