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楽譜(参考運指つき)1/2

楽譜(音の高さと長さの情報以外はほとんど削除した状態)

楽譜(参考運指つき)2/2


平均律クラヴィア曲集第1巻1番 ハ長調 BWV846〜フーガ

「神の祝福をあらわすニ長調」とか「十字架の重みをあらわす何とか短調」みたいなことが言われてた時代があったんですね。
今だったら調ってのは長調か短調か2つにひとつ。イロハに性格なんてありゃしない。ある曲をハ長調にするかニ長調にするか決める規準は、演奏奏者の技術とか体調とか楽器の音域とか、まあそのへんの都合です(ハ長調とニ長調程度ならともかく、ハ長調とヘ長調ぐらいまで離れちゃうと、相対的な響きは一緒でも曲全体として印象が変わってきそう、とかいうような話はさておくとして)
オクターブ12音が均等割で調律されてなかった時代は、ハ長調とト長調が違った響きを持っていました。
音の濁りがひどすぎて使えない調もありました。
祝祭用の曲は何が何でもニ長調でなきゃダメとか言っても誰もバカにしませんでした。
バッハが生きてた頃ってのは、それが均等割の調律に変わる境目の時代だったらしいです。
どんな調でも同じようにそこそこ問題なく響く、この均等割の調律を祝して、バッハは24全部の調を使った曲集をつくってみたくなった。
長調は長調、短調は短調で、イでもロでもハでも同じ響きになるのに、何でそんなことやってみたくなったのか分からないけど、とにかく24全部埋めてみたくなった。

というような話をどこかで読んだような聞いたような気がするんですが、どこまでホントか知りません。
(実のところこの種の話は自分でもよく理解できていない。平均律以前の時代に転調する曲がなかったはずはないんで、たとえばハ長調から始まれば途中ト長調ぐらいは通るだろうし場合によっちゃニ長調なんかも寄り道するだろうし、そこからニ短調にいったりヘ長調に行ったり、それだけでも何か不都合は起こってなかったのかと、疑問に思ったりするわけですが、ただ思ったりするだけで結局は放置と。だいたい鍵盤弾きってのは調律に関してかなりルーズです。自分もそうだけど、少しぐらいいいじゃん、どうだっていいじゃん的なところがかなりあります)

何はともあれ、1巻1番のフーガ。
曲集の冒頭なのに、まー困った作品。
この位置だったらふつうは「いらっしゃいませ」だろ。
いきなり「お気に召さなければお引き取りください」と言われているような気分。
指の動きだけなら難所といえるところはたぶんない。
ついでに前半だけなら、主題の入りも転調も穏やかで大変よろしい、さすが巨大な曲集の冒頭だけあって親しみやすい、という感じ。
後半、イ短調のカデンツを済ませてからの豹変ぶりは劇的。
アルトで主題、それが終わらないうちにテノールで主題、それが終わらないうちにバスで主題、終わらないうちにソプラノで主題、 ここで一段落というのがあれば少しはほっとできるけどそれがまったく見えてこない、怒涛の密接進行攻撃。あっというまに何やってんのか分かんなくなる。
とりあえず無理して最後まで弾き通すけど充実感も何もあったもんじゃない。
結論、自分の耳と頭と指はたぶんこの曲に手を出していいようなレベルに達していない。
達していないとかいったって、いまさらレベル向上の努力をする気なんてさらさらないし、もうどうでもいいかと。

この曲に心底惚れ込んだ人以外は弾かないほうがいいです。
自分もそれなりに惚れ込んだつもりだけど、惚れ込み方が足りないのか技術が足りないのか。