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楽譜(参考運指つき)前半

楽譜(音の高さと長さの情報以外はほとんど削除した状態)

楽譜(参考運指つき)後半


ゴルトベルク変奏曲〜第16変奏

様式がもたらす期待と満足、「くるぞ、くるぞ、ほら、きたー」みたいな感覚ってのは、どうなんでしょうか。
マンネリズムって言葉は、昔の小説なんか見るとたまにマナリズムとか書かれてますね。
マナー イズム?
様式儀礼にこだわりすぎて中身からっぽになっちゃった状態か。
リッチーさんあたりから始まったへヴィメタルの様式は、おそらく20年もたずに、インギー、クリスあたりが登場するころには完全にマンネリ化しちゃいました(ザクザク、ピロピロまだやってのんかな)
ばーんと華やかな序曲が鳴ってフーガに移るこの様式はいつごろ始まっていつ廃れたのか、まあいかにもバロックらしい雰囲気です。
予定調和ってのはそれ自体全面否定は難しい。
我ながら軽薄だと思いつつも妙にわくわくしちゃう。
考えてみりゃ対位法、和声法だって予定調和です。
だからって開き直っていいのかどうかは難しいところで、けっきょくは様式の中身というかそこで行われていることのセンスが問題にされるべきなんでしょう。インギー、クリスはこそこそ隠れて楽しんだほうがいいです。

で、この第16変奏。
見開き2ページ、序曲16小節に3声フーガ32小節(フーガ部分1小節あたりの音符数は最大でもたった6個)。
まあ何と手ごろなサイズ。
これを弾かない手はないだろと。
序曲部分はそんなに難しくないです。
フーガは面倒くさいけど(フーガはいつだって面倒。弾けるようになれば楽しい)短いから力ずくでねじ伏せてしまいましょう。
問題はホ短調カデンツ直前のソプラノのトリル。
これ省略しちゃダメなんじゃないかな。
第10変奏の場合もそうだったけど、尻尾にトリルと同じ細かさの音符がついている場合は(この場合は32分音符のソ-ラ)、バッハがちゃんとピロピロやってここにつなげよと言ってるようなもんでしょ。
10度楽々とどく人ならアルトを左手にまかせてもいいんでしょうけど(んなこと出来るやつ、いるのか?)、これを右手でやらなきゃならないとすると、トリルはその余った指でやるしかない。
どうしてもダメだったら巧い省略法を考えるなり改変するなりってことになるんでしょうけど、ま、それはそれで。
主題のバスはもう崩れまくってますね。
でも、あとかたもないというわけではない。
ぎりぎりの綱渡りという感じ。