もう午前3時ですよ。
あと6時間もすると、本屋さんが開いて月刊ニュータイプ11月号が購入できてしまいます。あかん、急ごう。
と、急いでいるからというわけではないのですが、今回は見開きページごとの読み解きでは無く、描かれている各要素ごとについて、いろいろ考えてみるという書き方をしてみます。そのほうが今月は解り易そうです。
表紙
フィルモアとメヨーヨの紋章が白地の誌面からはみ出す大きさで描かれています。これから両軍が大戦闘です。
両軍の紹介ページ
見開きで、右ページにフィルモア軍、左ページにメヨーヨ軍の紹介がなされています。
フィルモア側は大将の皇帝代理騎士(ハイランダー)クリスティン・ビィと、彼女御付の皇帝警護騎士であるビオレート・トライトン、ブルーノ・カンツァインという三名の騎士、そして三種のMHサイレンが紹介されています。
対するメヨーヨは大帝クラーケンベールと彼のファティマ・アンドロメーダ、そしてこちらも三種のMHアシュラ・テンプル……いや、クラーケンベールのMH姫沁金剛の解説文を読むと、
「主力MHであるアシュラ・テンプルをチューンアップしたものと思われがちだが、その設計は根幹から異なり、アシュラ・テンプルよりも若干小柄である。その性能は不明」
とのこと。
その上、メヨーヨ軍が揃って搭乗しているMHアシュラ・テンプルDDは、今回が初登場の量産型。以前にイラー・ザ・ビショップが駆っていたものと同型の騎体をアグファ・パイドルが使っていますが、ドラゴントゥースが取り外され、これもすでに別物。となれば、これから大暴れする中に、僕らの知っているアシュラ・テンプルは居ないという事ですね。
両陣営のMHのカラーリングは、フィルモアが青系メヨーヨが赤系でその対称性が美しいです。
まずメヨーヨ
クラーケンベールが超ニッコニコです。
前回でこそ、星団最強の軍隊の最精鋭部隊といきなり鉢合わせてビックリ、参謀のアグファと顔を引きつらせて冷や汗なんかかいていた大帝ですが、前回のセリフにあった通りこれぞ「願ってもない」相手と、ゴキゲンで広報部隊に前線への展開を指示します。さらには戦闘会話以外を受信可能なオープンに、とまで大決定。星団中のTV観戦者に大サービスです。
それから、星団中の注目するこのハスハ動乱の、このタイミングでここにやってきたフィルモアの判断を敵であるにもかかわらず褒めちぎります。
まず前回のクリスティンの名乗りを受けて、あらためて彼女を名指ししてこちらも名乗りました。これでTVを見ている人達に、今回戦う両軍の「顔」が伝えられます。次に、「うまいっ!」とか「見事なタイミング」とか「他の国家がいまごろじだんだを踏んでるぞ」などと、解りやすく持ち上げます。
こうやって誉めておけば、この後それに勝ったメヨーヨの株も跳ねあがるというわけです。
元からフィルモアの騎士団といえば星団で最も強いとされているわけで、それに勝つだけでも十分に高評価が得られるわけですが、今回は指揮官がハイランダーであるとはいえこれまで全く無名だった新人の少女騎士クリスティンですから、クラーケンベールはまずそこに「素晴らしく有能である」と最初のレッテルを貼ることで、わざわざフィルモアの威信を保ちつづけます。
口でいくら言ったところで、実際に相手が強くなるわけではありませんから、これは言えば言っただけ得です。
そして、勝てば「あのフィルモアに」ということになりますし、よしんば不覚を取っても「あのフィルモアが相手だったなら」と、傷つく名誉は最小限で済みます。
戦上手です。
往年のプロレスラー・アントニオ猪木が大勝負の前になると必ず「今日は体調が絶不調だ」「スランプだ」などととインタビューに答えていたのが思い出されます。
そしてもちろん、クラーケンベールは負けるつもりなんてさらさらありません。
受けてフィルモア
こっちはメヨーヨ軍の絶賛アピールに対応する余裕すら無い状態です。
騎士達は皆、緊張しまくった表情でトライトンの言葉を聞いています。まず彼等は、フィルモア帝国の最強騎士団員であるというプレッシャーと戦っているかのように思えます。過去の栄光は、そのまま、負けてはいけないという重圧です。額に揃って巻かれたフィルモア紋のハチマキが、気合を入れているという効果以上に、それを象徴しているかのようです。まさに決死。
それぞれに小規模な内戦派兵などでの戦闘経験はあるものの、これほどの規模の集団戦闘を経験しているのは構成員の中でブルーノたった一人。なにより、大将のクリスティンは初陣なのです。
戦の勝敗というのは戦場で決するものですが、戦前には必ず勝てるように準備をするものですし、戦が終わったら、勝ったら勝ったなりの、負けたら負けたその理由を追求します。この度の戦、もしフィルモアが負けてしまったならば……戦場での実情はどうあれ、敗因は、間違い無く初陣の大将であると星団中から思われることでしょう。そのためのクラーケンベールのアピールであります。
そういう空気を解っているトライトンが、これから起こる戦の中で最も重要な事を、あらためて全軍に告げます。
そしてファティマ
「この戦… 貴公ら騎士が最も頼るべきは……」
「ファティマたちだ!」
MHを操縦するためだけに産まれ、戦の中でのみ死んでいく生体コンピューター。殺戮の妖精・ファティマ。
MHのファティマルームにそれぞれ鎮座する、五体のファティマが描かれています。全て異なるデザインのプラスティック・スタイル・スーツに身を包んでいます。緊張している騎士達とは性質の異なる張り詰めた空気。
凛凛しさと、美しさです。
彼女たちはこれから起こることを、恐れてはいません。いや、戦うのは嫌だ、恐い、なんて声や表情に出して言えるファティマは星団史上でもクローソーくらいではあるんですが……。
ひょっとしたら、彼女たちの中には、これから起こる戦争が嫌で嫌でしょうがないと思っている者があるかもしれません。しかしその感情は、彼女たちがファティマとして産まれた以上は、無いものとして処理されてしまいます。
このシーンに限ったことではなく、FSSという作品の描く数多いテーマの内でも最大のものの一つは、ファティマという存在の悲劇とその救済です。悲しみの糸は、これから約1000年後のAKDフロートテンプル内で、まさしくクローソーが断つその時まで、紡がれていきます。
しかしまた、このシーンの彼女たちの美しさは、その悲劇性だけが要因ではありません。
彼女たちは、騎士から頼られています。彼女たちのMH操作補助、情報処理、戦況判断、指示、そういったものの頑張り次第で、愛する自分の騎士は命を永らえ、戦功を上げられるのです。これは集団戦ですから、自分の頑張り次第ではまわりで戦っている親しい仲間たちも助けることが出来ます。戦に不慣れな騎士たちにとって、経験を積んだファティマたちの判断こそが、最も信頼すべき次の一手になります。
コミックス7巻に収録されているエピソードで、ボロボロの中古MHアパッチを駆る騎士アーレン・ブラフォードを、大好きなソープのMHと戦うというジレンマに激しく嘔吐させられながら、それでも懸命にサポートしつつ、ファティマ・京は心で叫びました。
「主に星を取らさず何がファティマか!」
戦う彼女たちの誇りと気高さを、何者も否定することは出来ません。気高さとは、自らを省みず人の為に尽くす者を賞して贈られる言葉です。
かのクローソーが、過去に自分の意思でただ一度MHを操縦して敵を打ち倒したのも、コーラスを守るためだったのです。
まとめ
いつ、いかなる場面でも、仲間を救おうとする行為を「正義」と呼びます。(これの対概念は「不義」といって、人の道から外れた行為という意味です。「悪」の対概念は「善」です)
正義という言葉は、特に政治の舞台などでは胡散臭い使われ方をされることが往々にしてありますが、僕は上記の意味以外で使われるこの言葉に出会った時はそうとう用心することにしています。あ、英語の「justice」は「公平」が適当な訳だと、英語は不得意ながらも僕は思います。justiceだけど不義なことというのは、ちょくちょく世の中にあるのではないでしょうか。
今回のFSSを改めて読み返しながら、また現在この世界で起こっている痛ましい事態を思い、こんなことを考えていました。
FSSという作品と出会って12年。他の多くの作品や、出来事、人物との出会いと同じように、この作品からも、僕は様々な影響を受けています。
FSSの世界において、魔法は超帝国の遺伝子技術の果てに産まれたものであり、巨大ロボットは超高出力のエンジンを積んでいるという設定の元に、僕らの了解する物理的にもウソ無く稼動します。遺伝子技術も、ハイパワーエンジンも、僕らの知っている科学の先に想定できるものであって、限りなく飛躍に近い発想ではあっても、僕らの常識と地続きで繋がっているものです。
魔法=不思議な力、巨大ロボット=超エネルギー動力という説明だけで、書き手が満足してしまうこともできるのに、それをしていないFSSという作品の凄さ、作者のこだわりの価値、そういうものに気がつけたのは、つい最近のことです。
これは、目的のある作品世界を構築するためには、とても重要なことなんだと思うのです。
「FSSはSFではない」と作者も明言していますが、あえて有名なSFの常套句にこの作品をあてはめてみます。
「SFで、使って良いウソはたった一つである」
これはSFというジャンルに限らず、ある作品の完成度を計る上で一つの目安になるものだろうと僕は思っています。(もちろん、これに当てはまらず、かつ、完成度が高い作品は無数にありますよ!)
FSSは唯一つ、「遥か未来の出来事である」という以外のウソは、原則として使われていません。「神様」役の登場人物以外の仕掛けは、すべてこの一つのウソに集約されて、作者の想像力の産物として説明がつきます。さらに言うなら、そうやってきちんと構築されている世界があるからこそ、その許容範囲を超える能力を持った存在が「神様」役をこなせるわけです。世界の構築が確り出来ていない物語では、登場する神様役もそれなりなものになりがちです。
だからこの作品では、人の悲しみは、悲しみとして正しく描けるし、喜びも描かれるし、怒りも、楽しみも存分にそこに描くことが出来るのでしょうし、またさらに、それを超越する神様も描けます。効果がループして、積層し、僕らにより深く訴えてきます。
はじめは、「わぁロボットかっこいい!」でした。次に「お話面白い!」で、それから「コンコード可愛い」「ソープ様美人〜(?)」という具合に、僕はFSSという作品を楽しむようになりました。
それから何年かおきに、生活の中で何かを学び、あらためてFSSを読むと、それはすでにそこに描かれていた、それがやっとわかった、そういう体験を何度もしています。
この一ヶ月、やはり、FSSというのは優れたエンタテインメントで、楽しむために読むものですから、アメリカのテロ事件でショックを受けた僕はページを開く気になれず、全く触ることが無かったのですが、こうして開いてみると、そこにはすでに「人(ファティマももちろん含む)の悲しみ」が、これでもか、これでもかと描かれていたのでした。
お話の展開として、この先はしばらく悲しみの要素を含んだ場面が続くように予想されます。FSSが優れた作品だからこそ、それを読むことを辛いと感じてしまう気持ちが、心に現れるかもしれません。
これはもちろん、FSSや、他の戦争的場面を描く全ての作品のせいではありません!
しかし、それを受け取る側に、楽しめない人がいるという現実は、やはりそこにあるでしょう。
FSSに描かれているドラマの中でも、最も美しい場面の一つが思い起こされます。
コミックスの9巻、星団初めてのファティマシリーズ・4ファッティスの一人、インタシティがハルペルとして老衰死を賜る場面です。
彼女を慕う多くの人々に囲まれ、彼女の悲劇と栄光を共に駆け抜けたMHエンプレスとMHビブロスに見守られ、彼女は息を引き取ります。
これは戦いによらず天に召された唯一のファティマの記録ではないでしょうか。
人なればこそ、このような最期も訪れて然るべき。
それでは数時間後に、「読み解け今月のFSS11月号」でお会いしましょう。
ただいま、朝の8時です。
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