目標がはっきりしていると、毎日の生活にもめりはりが出て来るというものです。

大学で社会学なんか勉強して、いろいろ考えてみたんですけど、「高度成長期が終わって、これから日本が目指すべきもの」というやつに、一つ良い考えがあるんです。
日本を、21世紀の100年間をかけて、「こどものくに」にするんです。
子供というのは、欧米的価値観では、「未完成な大人」でしかありません。カルチャーは大人のものであって、子供が自己主張をすればそれは、大人のメインカルチャーに対するカウンターカルチャー、もしくはサブカルチャーとして扱われるものになります。
ところが、日本の価値観では、子供は尊いものであって、大人に対しての未完成だったり相対するものだったり副次的なものだったりしません。
日本では、子供は子供として存在しうるし、大人には子供に対しての憧れを持ち続ける文化があります。
異なる二つの価値観がある時は、お互いに認め合わなければなりませんが、決してどちらかが劣っているということも、また、ありません。
で、実際に日本の未来像「こどものくに」が何をするのかというと、

1・国際紛争における、国家としての、人的義務の放棄
2・1における放棄の代償としての、技術的、文化的国際貢献
3・2における国際貢献の最大のものとしての、こども文化国家の設立

世界の国からは、もう日本は子供扱いしてもらいましょう。
最先端科学の行き詰まりが叫ばれて久しい昨今、これからの地球に住む人々の豊かさのためには、科学の進歩に伴うハードウェアではなく、文化や哲学、思想を含めたソフトウェアの充実が必要です。
製造業以外で、日本が今得意なものといえば、マンガ、アニメ、ゲーム等、欧米的価値観でいえばサブカルチャーで片づけられてしまう「こども向け」ソフトウェアです。
でも、サブカルチャーとメインカルチャーという対立の構図から離れてみれば、人を楽しませることの出来る「良い文化」がそこにあるってことは、日本人なら何の抵抗も無く理解出来るはず。
この思想的スタンダードを欧米メインカルチャー人たちが理解するまでにかかる何十年かの間に、日本は文化で大きく彼らを引き離してしまいましょう。
欧米の大人たちが「こどものくに」の思想を無視してきたらどうするかって?
簡単です。彼らにそんな事はできません。必ずや、彼らの子供たちは、「こどものくに」日本へ憧れ、行ってみたいと親に熱望するからです。
思想の未だ備わらぬ子供は大人よりも事実を見ることが出来るってことです。
その時までに、我ら日本人は世界の人々を楽しますことの出来るソフトウェアを、そのソフトウェアを実現出来るハードを、汗水たらして作り上げるのです。
「世界中の子供たちが、大人になるまでに一度、訪れる国」
目標としては、なかなか夢があってよいと思いませんか?


「国家の思想」としては甚だ脆弱、されど、何千年と繰り返してきた人類の悲しい歴史や単なる欲望の具現化の思想より、僕はこの考えを広く日本に、そして世界に知らしめたい。
21世紀の日本をどうしていくかという勉強会を行ったそうですが、その結果が「富国美徳」なんて、孔子の時代から進歩が無いですよ、小渕さん。
世界のみんなで、得意なことを分け合って、恒久に平和な地球を作りましょうって、日本は世界に先駆けて言い出す事の出来る国ですよね。

(「こどものくに」実現に関する思想的、実務的アイデアを募集しています。単純な意見や感想などもございましたら、気軽に会議室の方に書き込んでみて下さい。このコーナーでどんどん取り扱っていきます。)



back