パリにパッサージュが誕生したのは、写真誕生前後の18世紀末から19世紀中頃にかけてである。パッサージュの写真を記録として残すことができるようになるのは、感光材料のスピードが速くなった後の時代のことで、アッジェを始めとする写真家が20世紀初頭に撮ったパッサージュの写真には、もはや隆盛を極めた出会いの場、ショッピングの場としての往時の面影はない。
なぜならば、パッサージュに代わる場として、当時すでによりバラエティに富んだ品物を提供する百貨店が誕生し、ブールヴァール(大通り)が整備されたため、狭くて暗いパッサージュからは次第に人々の足が遠のいてしまったからである。
商業的な関心を失い、倉庫として使われたり近道としての機能しか果たさないなど、長らく打ち捨てられた状態のパッサージュだったが、1999年に「パッサージュとギャルリ協会」が創設され、改修工事がなされたり新しい店舗が入るなどして、本来のパッサージュの姿が再現されるようになってきた。しかし今日この場所を利用するのは、華やかな雰囲気を求める人々ではなく、懐かしさを求めたり、外のあわただしいリズムをしばし忘れるために訪れたりする人々である。
今、パッサージュに堆積された長い年月とともに、露出時間が非常に長い(数分から30分)ピンホール写真でじっくりと構え、ゆるりと流れる時間を一枚の映像の中に収めたいと願うのである。なぜならば、ピンホール写真は、利便性やスピードがますます求められる日常から解放されたいと願う者にとって、格好の手法だからである。
田所美惠子
パリ、パッサージュ、ピンホール |
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2002年11月16日(土)〜11月30日(土) |
東京日仏会館(恵比寿) |
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