日蓮聖人は晩年甲斐身延山に隠棲し弟子や信者の指導に当たっていましたが、病の悪化する中、弘安5年(1282)9月8日に身延山を出発し、18日に武蔵国千束郷池上右衛門太夫宗中の邸(現・本行寺境内)に到着しました。宗中夫妻の厚い介護を受けましたが、10月13日朝、この場所で入滅しました。
病中の日蓮が身延山を立ってここに移ったのはその昔、法華経を説いた釈尊が霊鷲山から艮(東北方)にあたる工匠純陀の家で入滅した故事にならったものであります。
場所は本門寺大堂の裏手を左折し、車道を横切って階段を下りきった本行寺境内にあります。
文化財指定:昭和11年3月31日(東京都) |
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御臨終之間 |
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御会式の参拝者 |
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御硯井戸
日蓮聖人が9月18日にご到着になりご使用された霊水 |
右より:
宗祖御灰骨堂、旅着日蓮大菩薩、大毘沙門堂、御硯井戸 |
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御会式櫻
弘安5年10月13日宗祖御入滅に際し庭前の桜花時ならぬ開いて法性の春を表したという。御会式に桜さす由来はここに始まる。
今でも10月頃咲き当時の古事を伝えています。 |
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