健康保険や介護保険制度が存在することは非常に有難いことです。しかし、近年毎年のように制度が改正されています。その改正は被保険者の立場は全く考慮されておらず、年々改正毎に受けられる恩恵が、薄れていくのを痛感しています。

 少子化高齢化社会において、医療費の増加、介護費の増加をどのようにカバーして行くか、行政としては大きな課題であることはよく理解できます。「制度がどのように改正されたか」を知るための時間的余裕などなく、詳細は調べておりませんが、年々制度の改正によって具体的な場面で、適用範囲が狭められて行くのを実感しております。

 
今後の日本の福祉社会はどのような方向に進んでいくのでしょうか。
 
 認知症である妻の介護している一介護人の声として、両保険制度の矛盾点と期待について述べていきたいと思います。

高齢者デイケアセンターの突然の閉院
 大田区内のIクリニックには認知症患者を対象としたデイケアセンターが開設されており、妻もケアマネージャの紹介で昨年(平成17年)4月より通所を始めた。ここは音楽療法、絵画・書写療法、運動療法などを取り入れてケアを行っている医療機関であり、【9時-15時】と【10時-16時】の2クラスがあった。本年3月よりクラスは1本にまとめられ、【9:30-15:30】の1クラスに集約された。当時、その理由は不明であった。

 一方、デイケアは医療機関であり、その費用は健康保険である。その利用者の費用負担は基本的に10%であるが、精神通院のための「自立支援医療受給」を東京都に申請をすることによって、一部健康保険の対象外となる費用を除いて東京都が全額費用負担してくれ、非常に有難い制度であった。

 しかし、この制度は今年度より変更され、戸主の収入に応じて一部負担金(最大値)が設定され、その最大値までは患者が10%の費用を追うことになった。昨年までがあまりにも有難い制度であり、一部費用負担することになっても、このような施設に通所できることはありがたいことだと思っていた。

 しかし突然、6月末にIクリニックより1通の手紙が届いた。開けてビックリ「今回の医療制度の改正によって、経営が成り立たなくなったので、申し訳ないが7月29日をもって閉院する。」との通知であった。患者はもとより家族が路頭に迷ってしまった。毎日通所でフルに施設を利用していた人、今年より奥さんを通所し始め、「当初は通所をいやがっていたが、最近、通所を楽しみにするようになった。」と喜んでいた若干足がご不自由なご主人などなど。同様の医療施設など簡単に見つかるものでない。

 早速ケアマネージャに事情を話し相談したところ、大森にあるOデイサービスセンター(介護保険)の紹介を受けた。この施設は認知症を対象としており、比較的環境が上記のデイケアセンターと類似しているので、8月より入所をお願いすることにした。これで一件落着と思ったのだが、次なる難題が発生した。

 現在
、I デイケアセンターには週3日通っており、施設送迎車の対象外区域であるため、車で送迎している。しかし、月3回程参加しているクラブの定例会と重っているため、迎えに行けない。しかし、デイケアは通院と同じであり、通院の送迎に介護保険を利用することができたため、ヘルパーに月3回迎えをお願いしていた。また以前デイサービスを利用していた際にも、送迎車を利用せず個人で送迎をしていたので、同様にヘルパーに迎えをお願いしていた。

 従って今回デイサービスに変更しても、送迎のためのヘルパー派遣は可能だと、考えていた。しかし、今回8月のサービス利用計画を始めて、デイサービスへの送迎は介護保険の適用外に今年度よりなったことを知らされた。

 理由はこうである。従来は施設に入ってから、施設を出るまでが、介護保険の対象で、送迎車の利用は別枠で個人負担となっていた。しかし、制度が変更され、送迎車で送り迎えするのが前提となり、玄関先で迎え、玄関先まで送るのが介護保険の適用範囲となっていた。

 一見すばらしい制度になったようであるが、現実は逆である。デイサービスにとって、送迎費用は介護保険の中に含まれているが、全員を送迎せねばならないと言う義務は負っていない。従って一日の定員数とその人数全員を送迎できる体制を供えていることとは無関係である。今回従来と同様に月、木、土の週3回通所することをお願いしたところ、収容人員として可能であり、受け入れてもらえたが、送迎に関しては木曜日は可能であるが、月、土曜日に関しては自宅方向の便に空きがなく家族の送迎と言うことで入所することができた。

 即ち、利用者には送迎車利用の選択の余地はなくなり、施設側の理由で送迎車を利用できなくても、送迎車利用料を含めた施設利用料を払うことになる。一方、送迎車が利用できないので、送迎ができない時にヘルパーの送迎を依頼しようとしたが、施設利用のために送迎料も含めて施設利用料を支払うので、同一目的のために介護保険の適用は出来ないとのことである。理屈は分かるが、ダブルパンチを食らったようなものである。制度改正は本来、利用者がより良いサービスが受けられるようになって欲しいものであるが、少なくとも介護保険に関しては改正毎に利用の幅が縮められているのが現状で、今回もまた被保険者を全く無視した制度改正であると痛感する。

 それでは問題は解決できたのか、現状は未解決である。しかし、幸いなことに8月は月、土曜日の例会は夏休みで休会となった。木曜日の例会は送迎車が利用できる日で、自宅前での受け取りをヘルパーに依頼することができたので一安心だが、9月以降については今後の課題である。
 
 I デイケアセンターへの通所も今週末まで、後2回となってしまった。

医療と介護(No.1)
 医療と介護は車の両輪のようなもので、切っても切り離せない関係にあるように思う。しかし、現在の医療(健康保険)制度と介護保険制度との間には補完し合う関係はなく両者の間に深い溝を作ろうとしているように見えてならない。それぞれの制度改正は一見効率的(支払を減らす目的)であるかも知れないが、その被害を受けているのは被保険者(患者)である。保険制度の改正は本来、被保険者がより恩恵を受けられるようになって欲しいものであるが、現状は全く逆で如何に支出を減らすかの論議で進んでおり、改正によってそのしわ寄せが被保険者(患者)に降りかかっている。
 
 これは保険制度の問題ではなく医療領域における役割分担の範疇であるが、卑近な例としてこのようなことがある。両親は同じ病院に入院し、それぞれ最後を迎えたが、父の入院時(1998-2000)と母の入院時(2005)の看護体制が全く違っていたことである。父の入院時には基本的に患者に対応するのは医者と看護師(以下看護婦と言う)で診察などの医療行為を除いては看護婦が補助的医療行為から、身の回り一切の介護処置も併せて行っていた。従って見舞いに行った際、巡回して来た看護婦に父の様子を聞けば、患者のカルテを見ていることでもあり、様子を聞くことが出来た。

 5年以上経過した母の入院の時(2005/12)は病院の雰囲気が全く変わっていた。病院内の作業区分がなされ、患者に対する看護作業と介護作業が分離されて仕舞ったためと思う。確かに従来の看護婦の業務は激務であり、また看護婦不足を補うためには適切な処置であるかも知れない。

 しかし、介護師(以下ヘルパーと言う)が増えたため病院内で見かける職員の数は多くなったが、病室内の雰囲気は堅苦しく感ぜられた。見舞いに行っていても、ヘルパーが食事の提供やパンツのチェックなど身の回りの介護に来てくれるので、「有り難うございます。」と挨拶はするものの、体調などの様子を聞くことが出来ない。確かにヘルパーは介護を専門に行っているので、決められた時間毎に指定された作業は行われているのだろうが、患者一人一人のその日の体調などをどこまで知った上で身体介護を行っているのか、疑問が残った。

 また看護婦は病院の従業員であるが、ヘルパーは病院より業務委託を受けた外部委託グループであり、命令系統も医師または看護婦に直結しているように見えない。即ち介護グループは委託業務内容に従ってグループ長の指示に従って行動をしているようで、何となく病院の中で看護の領域と介護の領域の間にバリアがあるように感じられた。

 従来のように、看護婦が医療行為も介護行為も行っている場合には、作業そのものが介護行為であっても、常に看護の観点から患者の症状についても確認が行われていたように思う。しかし、現状の体制は作業区分に従い、それぞれの役割の作業行為を実施していることになる。多分、患者の80%以上は年齢的にも若かったり、命に関わる病気でないため、この方式であっても十分だろうと思う。しかし、10〜20%程度の患者は重症患者であったり、高齢者で突発的な症状変化が起こりうるので、作業区分で作業者を分離してしまって、本当に良いのだろうかと若干疑問に思っていた。

 母は昨年暮れ手首骨折で入院中に急逝した。亡くなる1時間前(5時頃)に見舞った際、ミカン1個を食べるほど元気であった。しかし、6時の夕食のため、ヘルパーはベットから母を起こし、車椅子に座らせて、食事を始め2,3口ほど食べたところで、「心臓発作」をお越し、突然倒れ込んだようである。

 その後の処置としてヘル−パーは急遽看護婦に連絡、看護婦は経緯を聞いた上で症状を確認し、先ず、食べかけた食べ物を吸引して除去。その後心臓マッサージを行ったものと思われる。危篤の連絡を受け、6時半に駆けつけたが、酸素吸入は行っているものの既に心拍数はゼロであった。

 もしヘルパーでなく看護婦であったなら、患者のその時の体調を見極めて、椅子に座らせるか、ベットから起こした状態で食べさせるかの判断があっただろう。また、椅子に座らせて食べさせていても、倒れ込んだ時までの経緯は分かっているので、即看護作業に取りかかることが出来たと思う。介護の手から看護の手に渡るまで、「どれだけの時間を要したか」分からないが、この時間だけ早く看護にかかって貰えていれば、場合によっては息のある内に到着出来たのではないかと思っている。

 医療も介護も単にそれぞれの効率化だけを求めるのでなく、患者の立場に立った観点からも検討して貰いたいものである。

医療と介護(No.2)
 通院のため妻を連れて色々な病院に出掛けているが、3,4年前には杖をついた老人や車椅子に乗った患者がヘルパーに付き添われて通院してきている光景をよく見かけたものである。介護保険のお陰で、家族を煩わせることなく、安心して通院できるようになったのだと思っていた。しかし、最近その数がめっきり少なくなっている。理由は簡単で、介護保険制度の改正によるものである。

 身体に不自由な人が安全に通院するためには家族などの手を煩わせる必要があったり、また単身の人の場合、家を出てから、家に帰り着くまで、介助して貰いたい。特に総合病院などで採血だ、レントゲンだと不案内な場所を移動せねばならない場合などもある。当初はドアツードアまでの時間が介護保険で適用され、非常にすばらしい制度だと思っていた。これが制度改正によって、通院中の行動が細分化され、介護保険の適用範囲も細分化されてしまったためである。

 通院に適用される介護保険は身体介護となる。往路及び帰路は交通の安全を期するために身体介護をしているので、一応保険が適用される。しかし、受診中は医者の手に渡っており、介護して無いため、適用外となる。また受診待ち時間も特に介護の必要が無く、一人で待っていられる場合は適用外となる。
 
 デイケアのため医療機関へ出掛ける際、朝送って貰い、夕方迎えに来て貰うために送迎だけをヘルパーに依頼するようなケースでは問題ないが、一般に通院の場合は幾ら予約が入っていても受付から会計まで、病院内にいる時間は少なくとも1時間はかかってしまう。この院内にいる時間はヘルパーは不要だから、どこかで時間を潰してきて下さいと言うわけにも行かない。その間ヘルパーに付き添って貰うなら、「介護保険の適用外であるので、自費で支払いなさい」と言うのが現在の制度である。

 即ち、「送迎の費用は見てやると言っているのに、自腹を切るのが嫌なら、家族が連れて行くか、苦労してでも勝手に自分で行きなさい。」と言っているのと同じである。このようなことから、最近ではヘルパーに付き添われて通院して来る患者を病院内では殆ど見かけなくなった。

 母及び妻も通院に関しては私自身が連れて行くことにしていたので、通院のためにヘルパーだけ依頼したことはない。しかし、母のケースで考えてみると、一応短い距離の歩行は可能であるが、常に手をつないで歩くなど補助が必要である。診察待ちの間、椅子に座っていることはできるので、物理的には一人で待てると言うことになるが、100才に近い老人が、話し相手もなく「一人で座って待ってなさい。」と言っても不安で心理的に不可能である。また診察室に入っても、症状や身体状況については、本人からでは正確に伝わらず、常に私の方から説明する必要があった。また診察後の医師の説明についても、本人は良いか悪いか程度は分かるとしても、その処置方法については家に帰るまでに忘れてしまうのであり、全て私の方で聞いておかないと、対応が取れないのである。万が一、ヘルパーに依頼せねばならなかった場合には、症状や状況についてヘルパーに説明しておき、ヘルパーから医師に伝えて貰うことになる。また、診察結果について、医師からの説明を聞いてきて貰う必要があっただろう。

 また、妻のケースで考えると、当然のことながら一人で病院に行くことは勿論、病院に行く理由も分かっていない。従ってもし、ヘルパーに依頼する場合には行き帰りは勿論、受付・受診待ちから、診察時及び会計に至るまで全て行動を共にして貰う必要がある。特に診察の際には、症状を医師に伝えて貰い、また医師の診断結果につて聞いてきて貰う必要がある。

 以上は卑近な例であるが、 現実に院内での移動に付き添って貰う必要のある患者や、また診察の際、本人だけでは医師に対して、症状の説明が十分にできなかったり、診察結果の医師の説明を十分理解できない患者も多数いることも事実である。

 現在の介護保険制度は改正によって「医療」と「介護」の間に深い溝を作り、何とかして制度の適用を避けることばかり考えている。「医療」と「介護」がオーバーラップしている場面が現実に多々あることをもっと認識して、介護保険制度も利用者にとってもう少し優しい制度の方向に向かって貰いたいものである。

利用できないヘルパー派遣
 平成18年度の医療保険制度の改正で、認知症に対するデイケア制度が見直され、妻が通っていたIクリニックの運営するデイケアセンターの経営が成り立たなくなって閉院となった。このため月、木、土の3日間を介護保険制度のデイサービスに切替え、やっと落ち着いたのが、8月初めである。8月に入ると今度はケアマネージャーが交替し、持ち込んで来た難題はヘルパー派遣ができなくなると言うことである。よく話を聞いていくと「同居者がいる場合、食事や掃除などの家事支援では、介護保険の適用ができなくなった。」とのことである。

 介護保険の利用で利用者にとって、融通性があり最も利用しやすいのはヘルパー派遣であるが、年々制度が改正され、その度毎に利用に対する制限が加わり、利用範囲がどんどん狭められてきている。例えば17年度は1回の利用時間の制限が厳しくなったり、利用者にとって最も価値のある散歩が保険の適用外になった。また18年度は同居者がいる場合の家事支援(掃除、洗濯、炊事など)が保険適用外となった。


 保険制度の適用は利用者本人に対するものであることは間違いないが、その裏側の目的は家族(介護者)に一時の手代わりがなされることによって、その間、家族が介護から解放されることである。即ち、介護保険の申請をするのも、またその利用を申し出るのも一般的に本人が行うのでなく、その家族が必要とする介護の一部を手助けして貰うために、行っているのである。

 介護保険制度によって得られるサービスには「ヘルパー派遣サービス」「デイサービス」及び「ショートステイサービス」などがある。「ショートステイサービス」は宿泊を伴うものであり、利用するとしても一般に1年に1度利用するかしないかのサービスである。デイサービスは通所型のサービスで、決められた時間内のサービスを受けることができるが、曜日を決めて半固定的(期間単位)に利用する必要がある。それに対して、ヘルパー派遣は勿論曜日を決めて、半固定的な利用もできるが、基本的に利用日及び時間帯を指定して利用できる、柔軟性のあるサービスである。また継続して利用する場合には、ヘルパーを固定することができ、手慣れた人からマンツーマンのサービスを受けることができので、利用者にとっては最も利用価値のあるサービスである。

 妻がヘルパー派遣サービスを受けるようになったのは平成15年度からであるが、週2日間(火、金)基本的に4時間の派遣をお願いし、買い物を兼ねた散歩、掃除、炊事及び歌(童謡)、ぬりえ、字を書くこと等のケアをお願いしていた。また月の内、第1金曜日及び第2火曜日には同好会の集まりに出掛けるので、1時間多くお願いすることで、5時までの会合に問題なく参加することができていた。しかし、平成16年度になり、1回当たりの時間制約を受け、5時間のサービスは受けられなくなり、そのため会合も最後までおられず、4時で途中退席して来なければならなくなった。また平成17年になると、散歩が保険対象から外されたため、散歩のための1時間は自費払いとして対応して貰うことになった。

 ヘルパー派遣の作業項目は大別して、「身体介護」と「家事支援」があるが、平成18年度から同居家族がいる場合、家事支援は保険の適用外となってしまった。これによって従来、火、金曜日の午後はヘルパー派遣で、支援を受けていたが、これの代替えとしてはデイサービスしかなく、金曜日はデイサービスに変更し、火曜日については月2回の自費ヘルパー派遣に変更した。費用としては従来ヘルパー派遣の際、散歩のために1時間(月8時間)を自費で支払っていたので、この分を当てることにした。

 この結果、何とか従来と同様に月4回の同好会活動への参加は可能となったが、サービスという点からすると大きな変化が起きている。基本的に火曜日の月当たり4回が、月2回に減ってしまった。被保険者である妻からすると月8回、ヘルパー派遣による在宅で受けられていたマンツーマンでのサービスが月2回と1/4に縮小されたことである。その代わりに今まで週3回であったデイサービス通いが週4回に増える結果となった。

 一方、介護者が受ける恩恵の低下も大きい。従来、ヘルパー派遣の際、夕食も作って貰っていたので、月8回は夕食作りに頭を悩ますことはなかったが、月2回(自費によるもの)となり、殆ど毎日食事の心配をせねばならなくなった。また、掃除についても週2回の割合で行って貰っていたので、普段は殆ど掃除をしなくて済んでいたが、2週間に1度の掃除では済ますわけにはいかず定期的に掃除をせねばならなくなった。
 
 費用面でも3時間の派遣費用とデイサービス1日の費用を比較するとデイサービスの方が高くなる。更に細かく言うとデイサービスでは昼食代やその他個人負担費用が掛かるようになった。恩恵面では可成り低下に
もかかわらず、費用面では負担増となった。

 介護保険はその介護度によって利用できる点数枠が、決められている。当初はその枠内での利用者側にサービスの選択権があったが、現在は殆ど選択権がなく、色々と利用面での制約から点数枠があっても無用なものとなっている。また、介護度が上がれば、点数枠は増えるが、利用領域が増えるのでなく、利用範囲がシフトしてくるので、結果的に点数枠の増加は余り意味のないもののように思われる。

 介護保険制度の毎年の改正は利用者に,、よりよいサービスを提供するためのものでなく、利用に色々と制約をつけて利用を如何に少なくし、保険料の支払いを少なくすることを目的としている。利用できる点数枠を与えておきながら、利用し過ぎであるとか、サービスの魅力を無くして、利用したがらないようにしようとする発想そのものがおかしいのである。利用できる点数枠を見直す。しかし、サービス内容の選択は利用者に選ばせる。このようにした方が利用者は利用枠の中で、よりよいサービスを求めて選択ができ、制度の有難味を感じるのではないだろうか。

後期高齢者医療制度
 本年4月より「後期高齢者医療制度」が実施されることとなった。日本の福祉制度はどこへ行こうとしてしているのだろうか。末が思いやられる最悪の制度である。この制度の適用から、今年度は免れたものの来年度から組み込まれる年齢である。

 先ずネーミングがなんたることか、これでは全く「生きているのは憚る」ような名称である。後期高齢者を手厚く保護しようと言うのら、まだ許せるのだが、その内容たるや聞いてあきれる。「おまえ達は医療費がかかり過ぎるから、1人ひとりから、医療保険料を徴収しようと言うものである。それも介護保険で味を占めたのか、年金から天引きしようというものである。

 従来の健康保険制度では世帯主が収入に応じて保険料を払っていれば、家族は全員その傘下で健康保険を利用することが出来ていた。従って子供の扶養家族となっている人は保険料を払う必要がなかったが、今度の制度では扶養家族には関係なく、75歳以上の人は独立して保険料が強制的に徴収され、また徴収も年金から天引きされることになる。

 75歳以上の大半の人は収入源を年金に頼って、老後を暮らしている人達である。本来なら減税などで少しでも出費を少なくし、暮らしを楽にしてあげようとするのが、政治と言うものではないだろうか。

 よく調べてないので正確ではないが、現在は所帯主として従来の健康保険料を払っているために妻と二人が利用できている。しかし、来年は75歳となり強制的に後期高齢者医療制度に移行させられ、その保険料が年金より天引きされることになる。一方、妻は国民健康保険に残っているために、国民健康保険料も支払わねばならず、その保険料が従来と同様年収に応じて支払うことになると従来の2倍を徴収されることになる。また、妻も75歳を迎えると国民健康保険料の支払は不要となるが、妻自身が後期高齢者として年金より、天引きされることになる。

 税制面から考えてみると、現在支払っている健康保険料は全額保険控除の対象となっている。しかし、後期高齢者医療制度が適用されると、妻は本人の年金より天引きされる。従って、現行の介護保険料が年金天引きのため妻の保険料は控除対象から外されている。後期高齢者保険料も年金から天引きのため控除対象から外されることになるのであろう。全く納得のいかない制度である。

 日本の人口構造を考えれば、高齢者の人口比率は増え続けるのであり、介護保険同様、数年経たずに財源不足になることは目に見えている。この制度をこのまま続ける限り、両保険料共、年を追う毎に見直され、増額され続ける結果となるだろう。

 今こそ、今後の日本の福利厚生はどうあるべきか、抜本的に見直す時期に来ている。政治家及び官僚は目先の問題解決に追われることなく、日本の将来ビジョンを明確にして、財源の確保と無駄のない配分を行い、「国民が安心して暮らせる日本」を築き上げて貰いたいものである。

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