炊 事
料理を作る
昭和60年から6年間、名古屋に単身赴任していた際、自炊する予定で炊事道具を持参していったが、3日と続かず数件の店を渡り歩いて外食生活を送ってきた。妻はどちらかと言えば料理は得意であったので、料理など自分が作るようになるなど考えられないことであった。

 妻の食事の作り方は少し雑になってきたかなと思われたが、食事は一応普通に作っていた。そして2002年の年の瀬も押し迫り、正月料理用の材料も例年通り買ってきていた。例年だと27・8日頃になると台所に入り浸りになって正月料理を作り始めるが、一向に料理を作り始める気配がない。「料理を作り始めなくて良いのか。」と聞いても返事がない。このままでは材料だけが残って、何も料理が出来なくなる。致し方なく、料理に挑戦することとなった。

 妻は毎月NHKの料理番組用テキスト「きょうの料理」を購入しており、その12月発行分は「正月料理」の特集号であったので、そのテキストと首っ丈で「煮物」「なます」「ごまめ」「栗きんとん」「白豆」「黒豆」等々を作った。特に黒豆などは柔らかく、かつ皮に皺がよるように作ることで妻は得意としていたが、それに近いでき上がりに作ることができた。正月には例年のごとく子どもたちも集まり、これらの料理を出したが妻が作った料理だと思って食べていたようである。正月料理を作ったお陰で、いざとなれば何とか料理を作ることが出来そうだと言うことが分かった。

 正月の幕が取れた頃、妻か急に高熱を出した。急遽病院に行くと、インフルエンザだと言う。注射と薬で熱は2・3日で下がったが、10日間程ぐずぐずしていた。この間も食事を作る羽目になったが、正月料理を作っていたお陰で、そう慌てることもなく料理を作ることが出来た。

 インフルエンザの回復後、一旦食事を作ることは妻に戻ったが、段々料理を作る気力がなくなってきたようである。また母親の昼食を頼んで出掛けたが、帰宅後母親を訪ねると今日は昼食がこなかったと言う。妻に確認すると持っていったと言う。最初は母親も大分ボケて食べたことを忘れたのだろうと思っていた。しかし、その後2回程同様なことが起きた。どうも母親の言い分の方が正しくて、妻の持っていったとうなずいた方が間違っていることに気づいた。2003年秋頃より完全に妻に変わって、炊事をやり始めることとなった。

 こうなると主婦業に徹することとなったが、何とか1年半やってきた。やれば何とかなるものである。

 食事を作ることは何とかやってこれたが、失敗がないわけではない。特に、やっと料理を作り終え、さあ食べようとテーブルにつき、ご飯を注ごうとした時、ご飯を炊くのを忘れていたことに気づく。何ともいえない、「シマッタ!」と絶句する瞬間である。今までにご飯の炊き忘れを数回経験している。まだまだ主婦業の基本が出来ていないようである。
後かたづけをする
 料理を作ることが好きな男性も最近は多くなっているようであるが、好きな時に好きな料理だけを作ると言う訳には行かず、3度の食事を作って、家族を食べさせて行くと言うことは可成り大変な努力が必要である。また、食後には食器類の後かたづけが必要になる。料理を作った鍋釜は勿論、食器を洗い、乾燥し食器棚に片付けてはじめて完了である。整理整頓の不得意な自分にとっては不得意の作業である。特に夕食後は少々アルコールが入っているので、つい億劫になってサボってしまう。するとその”ツケ”が必ず翌朝やってくる。分かっていることだが、ついついサボることがしばしば起きているのが現状である。

 余談だが料理を始めて分かったことであるが、調理台の高さである。妻とは身長差が20cm以上ある。現在の調理台の高さは妻にとっては丁度よかったようであるが、自分にとっては低すぎるようで、調理をしていると腰を若干屈めないと出来ない。そのためにしばらくすると腰が痛くなってくる。そこで一旦腰を伸ばして改めて調理をしていたが、最近では調理台の高さに合わせた姿勢が分かってきたのか腰の痛みを感じずに調理をやっているようになってきた。

買い物
食材の買い物
 毎日食事を作るためには逆に毎日料理に必要な食材を買いに出掛ければならない。従来は当然のことながら買い物は妻の仕事であった。毎日毎日買い物に出掛けては、買い物袋を3つも4つも抱えて帰ってくる。よくも毎日それだけ買い物があるもんだと思っていた。妻の事件以来、毎日の買い物には一緒に出掛けることになった。当初はまだ妻が食事を作っていたので、食材も妻が中心で買っていたが、次第に主役がこちらに廻ってきた。しかし、妻と一緒に買い物に出掛けるようになって見ると、あちらの店こちらの店で買い物をし、2つ3つと袋を下げているのに気づき時々苦笑することがある。

 買い物に出掛けることは現在の妻にとって唯一の楽しみであるので、散歩を兼ねて一緒に出掛けている。食材の購入はスーパーが多いが、レジに並んで見ていると、男性と女性では買い物の仕方が違うようである。女性の多くはカゴ一杯に買い込み、数千円の支払いをしている。一方、数は少ないが自分を含めて男性のカゴを見ると大体底の方に品物が並んでいる程度で、支払いも1000円から2000円程度である。

 考えてみると妻が食事を作っていた頃は冷蔵庫の中は冷凍庫から、どの扉を開けても食材が一杯詰まっていたように思う。しかし、現在の冷蔵庫の状態は可成り物が入っているなと思っても各棚とも奥が透けて見える状態で、特に冷凍庫はガラガラで、製氷に利用する以外あまり利用されていない。従って以前は冷蔵庫も可成り頑張って冷やしていたが、最近では余裕を持ってのんびりと冷やしているようである。

 日常の買い物は妻の散歩を兼ねて毎日出掛けるので、何か欠品をつくっておいて、その時必要な物を買うことにしている。これは男性の合理性からくるのか、単なるケチなのか、分からないところである。行きつけのスーパーではレジ嬢とも顔なじみになってきている。一般にレジ嬢はお客の買い物の中身から「この家庭の今夜の夕食はこう言うものだ。」と想像しているだろうと思うが、「この家庭の夕食は何だろう?」と疑問に思っているだろう。
衣類の購入
 食材に関しては戦時中疎開先で、200坪程の畑で、母親と二人で麦やサツマイモに始まり、色々な野菜を作っていたことから、困ることはなかった。しかし、着る物に関しては戦中戦後の物資のない時代を過ごしてきたためか、全くの無頓着であった。逆に妻は着る物に関してはセンスがあり、服などは選んでくれていたので自分で選んで買った記憶がない程である。

 自分の着る物は兎も角として、妻の着る物も必要になってくる。最初は娘たちに依頼していたが、頼んでばかりもいられず、衣服の買い物に出掛けることとなる。婦人服の売り場は比較的抵抗もなく入っていけるが、センスのない自分にとってはどのような物を選ぶかが問題である。仕方なく店員に事情を話し、2,3点選んで貰う。本人にどちらが良いか聞くのだが、かつてのように着る物などに興味はなく、返事がない。仕方なく自分が選ぶこととなる。

 洋服など上に着る物はまだ良いが、下着売り場となると一大決心が必要となる。大の男が女性の下着売り場をうろうろし、品物を手にとってゆっくり見ているわけには行かない。そこで目的の品物のある位置を確かめ、その場所へサッと行き、余り品定めをせず、品物を持ってレジに行くこととなる。頭の中には買う物の形状だけがあって、サイズを忘れると失敗する。ある時、下着を買いに行き、目的の場所のハンガーの一番手前に掛かっていた「A75」と書かれたタグの付いた品物をなにも気にすることなく買って帰った。翌日着せようとすると小さくて着れそうもない。よく見るとタグに書かれた「A75」とはアンダーバスト75cmの意味であった。

 サイズ表示にはS,M,Lが使用されている。自分は身長175cmなので、基本的にLサイズを買っている。一方妻は20cm強の身長差があるので、Mサイズを買えば良いものと頭から思っていた。しかし、Mサイズでは何となく小さい物がある。余り見たことなく捨てていたが、送られてくる通販などのカタログを見るとM.L等のサイズ表示と共にウエストやヒップサイズが書かれていることが分かった。特に婦人物は縦の身長から選ぶのでなく、横の胴回りから選ぶのだと再認識した次第である。

掃除・洗濯
掃除
 自分にとって最も苦手なのは整理整頓で有る。郵便物や新聞などは直ぐテーブルなどに貯まってしまう。従来はそれらの整理は妻がやってくれていたが、現在はその手がない。その場で片付けてしまえば良いのだが、それが出来ない。仕方なく可成り貯まってくると処分している。居間や廊下などの掃除は本来毎日掃除すべきなのかしれないが、週2回ヘルパーに来て貰っており、その際掃除機を廻してくれているので、それでお茶を濁している場合が多い。しかし、トイレに関しては不定期ではあるが、汚れに応じて清掃をしている。
洗濯
 洗濯に関しては余り苦にはなっていない。洗濯は洗濯機が洗ってくれるからでもあるが、単身赴任時代に可成りの経験がある。洗濯物を職場まで持っていき、更に抱えて家まで帰り洗濯をして貰い、また洗濯した物を持ち帰るよりも自分で洗濯した方が面倒くさくないと判断したためである。

 従って洗濯は頻繁に行っている。洗濯をし、干す、取り入れてたたむ、また必要に応じてアイロンがけをする。それでも失敗がある。天気が良いので朝から洗濯機を廻した。しかし、洗ったことを忘れてしまい、夕方になって気づくことがある。また夕立などで雨が降ってきたが、洗濯物を干したことを忘れ、早く気づき取り入れていれば乾いていたものを雨に濡らしてしまい翌日また干さねばならない羽目になったことなどがある。

ゴミ処理
 当地域のゴミの回収日は可燃ゴミ(水、土曜日)、不燃ゴミ(木曜日)、古紙・びん・かん類(金曜日)、段ボール・新聞・雑誌・アルミ缶(偶数日曜日;町内回収)である。従って月、火曜日を除いて殆ど毎日8時までにゴミ出しする事を考えていなければならない。勿論のこと母親宅と2軒分である。

 特に可燃ゴミの日がやっかいである。ご存じのようにカラス対策としてネットを使用している。妻が頼まれたのか、進んで始めたのか経緯はよく分からないのだが、区からのネットの貸し出しを受け、ネットを掛ける担当を最初よりやっていた。朝ゴミにネットを掛け、買い物からの帰りにゴミの収集が終わっているとネットをかたづける。良くやるものだと人ごとのように思っていた。しかし2年ほど前より朝ネットを掛けるのだが、ネットの仕舞うのを忘れたり、朝ネットを掛けに行こうとしなくなり出したので、代行をするようにたった。

 妻が始めた当初は30所帯程度であったが、その後40所帯程のマンションが出来、大所帯となっているので放棄してしまっても良いのだが、皆さんに喜んで貰えており、地域貢献に役立っているようなので今しばらくは続けて見ようと思っている。幸いなことに皆さんもルールをきちんと守ってくれており、殆どカラスの被害にあったことはない。また都のカラス対策が功を奏したのか、最近ではたまに1,2羽のカラスの鳴き声を聞くことがあるが殆ど飛来して来なくなっている。

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