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言葉数の減少 |
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2000年の暮れ頃より言葉数が少なくなってきたが、日常会話は一応出来ていたので問題はなかった。電話が鳴ると飛んで出るのは妻であったが、2002年の後半頃から電話でのやり取りが少なくなり、話している内容からすると話の途中で電話を切ってしまっているようである。また私が不在中に掛かってきた電話の取り次ぎ内容が次第におかしくなってきた。そしてその年の終わり頃には自分でも分かってきたのか電話が掛かってきても出なくなってしまった。更に集金や配達などで訪れる人との応対も次第におかしくなり、訪問客が訪れても出なくなった。そして現在では会話は完全に一方通行となってしまっている。 |
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金銭処理の変化 |
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日常生活では生活費が必要になれば銀行で、1万円か2万円を下ろして買い物に出掛けていたが、2002年の春頃銀行のキャッシュカードが利用できなくなり、再発行をして貰った。一旦落ち着いていたが秋口になり、同銀行より使えなくなったキャッシュカードを使用している旨の連絡を受けた。CDの画面で「引き出しを指定」「カードを投入」「暗証番号を入力」「金額の入力」「確認を押す」操作が間違いなく行われている時は問題ないが、一旦操作ミスか機械上の問題でやり直しのメッセージが出た際にその判断力がなく、元に戻って暗証番号を再入力すべき所で、払い出す金額を入力し続けて、3回の暗証番号の間違いから、使用禁止になったようである。また2ヶ月程して他銀行より「自動支払機の所にキャッシュカードが落ちていた」との知らせの電話があった。早速取りに行くとキャッシュカードは使用不能となっていた。置き忘れてきたのではなく、使用できなくなったので捨ててきたようである。これ以降は毎日財布にお金を補充するようにしたので、結果的にキャッシュカードを使用しなくなった。
普段のスーパーやコンビニなどでの買い物は入り口でカゴを取り、必要なものをカゴに入れていき、レジでお金を支払う。会話がなくても買い物はできる。話が出来なくなり始めた当初は細かい金額も認識できていたから、レジの金額を見て小銭の支払いも出来ていた。その後、硬化での支払いが難しくなってきたのか、千円札でお釣りを貰うことが多くなったようである。昨年7月17日の事件以降、買い物に同行するようにし始めた。東急ストアではカードであるので、そうもたつくかずにレジを通過できているが、現金で支払いをする店では過不足に対する対応にもたついているようである。買い物をすればお金を払うと言う行為は分かっている。その払った金額の過不足と言う概念が薄れているために、「○○円足りません。」とか「お釣りですよ。」とか言われても、それを理解するまでに時間が掛かって迷惑を掛けていたようである。そこで現在は財布は持たせているが支払い時には同行者が手助けをするようになっている。 |
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身体の動きの鈍化 |
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数年止めていた社交ダンスを始めたいと妻が言い出したので、2000年の秋頃より個人レッスンに二人で通い始めた。当初はステップも普通に覚えることができ、ワルツ、タンゴ、ルンバ及びチャチャチャの4種類の基本的なステップを覚えて一応踊れるようになった。しかし、2002年の暮れ頃より新しいステップの覚えが悪くなってきた。それでも3倍程時間をかけて一応覚えて行き、ジルバも踊れるようになった。先生にお願いして妻のリハビリを兼ねているので無理を承知で続けさせて貰っていたが、2003年の夏頃より、新しいステップは覚えられなくなり、また今まで覚えていたステップも特定のステップになると立ち止まるようになってきた。そして2004年に入るとどの曲も1曲を踊りきることが出来ないのは勿論、一寸踊り始めると止まってしまうようになってきた。最後には最も楽しく踊っていたチャチャチャも同様に踊り始めると立ち止まってしまうようになってきた。これでは全くレッスンにならず、先生にこれ以上迷惑を掛けることが出来ないので、3月末をもって止めることになった。
妻は歩くことには比較的慣れており、健全な頃から一緒に散歩に出掛けた。自宅から1.5K程歩くと多摩川大橋の下手の六郷土手に出る。土手に沿って500M程下り、そこから蒲田方向に向いJR蒲田車庫の横を通って来ると約6K程のコースとなり1時間半ほど掛けて歩いていた。冬場の寒い時期には土手の手前で曲がると4K強の40〜50分コースとなる。2003年夏頃までは6Kコースは少なくなったが、4kコースを標準的に歩いていた。しかし秋頃より歩いている途中で立ち止まり出してきた。立ち止まるとしばらくはテコでも動かない状態になる。それでも最初の頃は頻度が少なかったので、そう問題はなかったが、今年の夏の初めより立ち止まる頻度が多くなり、そのために散歩の輪も次第に小さくなり2K程度に縮まった。特に日中の買い物で蒲田まで出掛けると、正常な時には往復1時間程度であったが、2時間から2時間半ほど掛かるようになってきた。
散歩と言えば家を出て西方向に進み多摩川線の矢口渡駅を越えて多摩川方面に向かうのが当たり前のコースであったが、ある日突然家を出て北の方向に向かって歩き始めた。路地を抜け池上方向に向かい池上線の線路を渡り商店街を通り抜け池上駅を廻って来る2K弱のコースが出来た。夕食後の散歩なので、昼間よりは歩くが止まっては歩き止まっては歩きなので、僅か2K程度の道のりを1時間弱掛けて歩くこととなった。
ダンスにしろ散歩などの歩行にしろ動作が止まってしまうのはなぜか。体力が衰えて来たとは考えられないので、運動機能が低下したのか、または動作に対する思考機能が低下したのか理解に苦しむところとなった。またこの状態から回復出来るのかどうか心配された。しかし、猛暑が去り、10月に入った頃から、散歩の際の立ち止まる間隔が少しずつ長くなってきた。そして現在では昼間の買い物に出掛ける時も、従来の状態に戻ってきたので一安心している。今夏の猛暑のために体温コントロールが出来なかったためであったのだろうか。 |
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現在の状態 |
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総合的にみると、目から入ってくる情報に対する処理は衰えてなく、人の顔の判別や物の判別、また自宅を中心とした約2K四方の買い物や散歩などで歩いてきた道は路地裏でも十分記憶に留めており、同じ目的地に行くにしても、自分から時々違ったルートを選んで歩く場合もある。時々車で出掛けるが、走ったことのある道は大体分かっているようである。また時々看板などを読んでいるように文字も読むことは出来ている。
一方、知識や経験的に得ていた常識といった面では1ヶ月程度の単位で見ると、そう顕著な変化は見られないが、半年、1年の単位で見ると可成り変化してきている。先ず、責任感というものは完全に亡くなっている。また、我々は常識として「誰が」「何時」「何処で」「何を」「どうしたか」、所謂『4W1H』で物事を考えるが、このような物事を考えるための経験的な常識が亡くなっている。また問いかけに対する答えは肯定であり、否定がない。問いかけに対してうなずいたので、安心していると実際は逆の場合もある。自分の思っていることを一言でも良いから、言葉で表現して貰うと有り難いのだが無理なようである。 |