外遊帳 2017 

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サイト移転に思うこと

サイト移転というか、閉鎖というか、まあそうしようと思ったのには、当然だけれどいくつか理由がある。

ここ数年、サイトの更新頻度が少なくなっていたのは、まあ面倒になっていたからということが一つ。つまり飽きちゃったってことかなあ。

そこへきて、パソコンを新しくしたら、これまで使っていたHP作成ソフトからはアップロードできなくなちゃって、更新がさらに面倒になったのが追い打ち。

それから「まあきちさんのサイト、文字化けしてみられないんだけど」という訴えに対して、自分なりにいくらか調べてみたところ、どうもそれも古いホームページ作成ソフトが影響しているらしいんだけど、自分の知識ではどうにもそれを直すことができなそうだなーということでトドメを刺された。

それならばいっそのこと、ホームページにしろブログにしろ、インターネットの世界から足を洗ってしまえばいいのだが、このサイトは人に見せるという意味だけでなく、すでに自分の日記的な意味も持ってしまっているので、なんかこのまま止めてしまうのものなあと思ったり。

それでひとまず、このページはこのまま残しておいて、日記部分はブログ化しようと思ったわけ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

思えばサイトを立ち上げようと思ったのは、20代最後の年だった。それが今や40代後半だ。いやはや、そう考えるとずいぶん続けたな。

その頃、個人でHPを作るというのが流行り始めていて、釣りサイトもたくさんできた。

サイト間で交流もあり、そこでたくさんの人と知り合った。

どんなことをUPしてよいかわからず、ひとまず思いつくままに書いていたら、何やら怪しげな闇鍋雑煮サイトになってしまった。

旅の話や思い出エッセイなどのページはほとんど30台前半までに書いたものだから、今読むと恥ずかしいのだが、まあこれもせっかくなので消さずにそのまま残しておくことにした。若い頃の文章を後で読むのも、まあ楽しいかもしれないし。

別寒辺牛川ダム反対の署名運動のページやルアー釣り初心者のためのページ、十勝の釣り場案内などは、削除した。リンク集と掲示板とメールアドレスも載せるのもやめた。もしも私にコンタクトをとりたい人がいたら、ブログに書き込んでくれれば可能だけれど、多分そんな人はいないのじゃないかなあと思っている。

とはいえ、17年前にこのサイトを立ち上げなければ知り合えなかった貴重な友人たちと今も魚釣りをし、たまには酒を飲めるというのは私にとって大きな財産だ。

そんな意味で、「のんびり釣ろうぜ」には感謝をしている。

そして、初めから終わりまで拙いサイトだったにも関わらず見に来てくださった皆さん。どうもありがとうございまさした。

ブログやFBでちょろちょろと続けていますので、これからも良かったら見てください。

 


 

12月30日 ジュエリーアイスが大流行している

鳥を見に行ったがあまり鳥に出会えなかったので、砂浜に出てみると最近巷で流行のジュエリーアイスが散らばっていた。

あまりきれいなものはなかったので、形がよさそうなものを波打ち際に放り投げて、波で洗って撮影した。そういう撮影がジュエリーアイスを撮るときにありなのかなしなのかということが頭をよぎったが、野生動物を餌付けして写真を撮るのとはとっちょ違うと思うので、まあありでいいのかな。

ちょっと遊ぶつもりが、1時間以上撮っていた。夢中で時間がすぐにたったのだから魅力的な被写体なのだろう。でも自分が好きな写真対象ではないと思った。人が全くいなかったからそれなりに楽しかったけれど、昨今の報道やSNSの影響で多い時には100人くらいの人がいるというからねえ。そんな中で写真を撮るというのは、想像したくない。本当に最近は連日新聞やらテレビやらで取り上げられている。

でも、私には鳥を探していて川で見つけた氷の方が、私には面白い。

人がたくさんいるところで写真など撮りたくない。


12月17日(日) いつもの幻狙い

今や毎年恒例なので多くは書かないが、いつものように暗いうちに川に出て、暗くなってから川から上がった。いつものように魚からのコンタクトはなく、いつものようにヘトヘトではあったが、いつものように充実した気持であった。

いつもとちょっと違ったのは、カヤックのバルブから常に空気が漏れていて、15分に一回ほど空気を足さなくてはならなかったこと。おまけに、ポンプにも穴が・・・。

いやでも、空気を足しながら下ったことは前にもあったな。

いつも言っているが、次は釣る!


11月18日(土) 釧路にて

釧路で2日間座りっぱなしの下らん研修があったのだけれど、その初日にかわいい人と久しぶりに会って一杯飲んだから帳消し。ちなみに、二日目に一人で行った店は高いわりに大して美味くなくてがっかりだった。結構有名な店だとのことだったのだが、もう行かない。

土曜日暗いうちにホテルをチェックアウトし、川に向かった。

雨に雪にアラレに強風、それに雷のおまけつきというひどい天候だったが、魚は結構出てくれたので楽しかった。

夜に家に友人たちが来て宴会をすることになっていたので昼にはあがって、途中の道の駅などでつまみを買いつつ帰った。

夜の宴会は、世界各国の話を聞きつつ写真を見せてもらったりしながら楽しく時間が過ぎていった。仲間はワインや日本酒をたくさん持ってきてくれ、私は料理をたくさん作った。

充実の1日であったなあ。

このグラスでこの酒を飲んだのだろうか。それとも娘の飲んだカルピスか?


11月5日(日) シジュウカラガンがたくさんいた

鳥に詳しい友人たちが、シジュウカラガンなんて最近はわんさといると(わんさって、死語かなあ)言うので、行ってみると確かにわんさといた。

数年前までは会えたらラッキーというガンで、私がかつてとった写真も遠くの沼に浮かんでいる証拠写真のようなものだけだった。

夕方、畑の水たまりに夕日が映ってきれいだった。


10月29日(日) ハーフマラソンを走った。

 

大学の時に5km走ったのが一番長い距離なのではないか。

いつか長い距離に挑戦してみたいと思っていた。

15年ほど前に北海道マラソンに出ないかと誘われて、約束をしたのだが、いよいよエントリーをするという段になって断ったことがある。長女が生まれてくる予定日がほぼその時期と重なってしまったのが断った理由だ。

そして、その年の秋に足首をひどく骨折し、それからは全力で運動をすることのできない足になってしまった。

しかし、そろそろ十分に回復したんじゃないかということで、今年地元のフードバレーとかちマラソンというハーフマラソンにエントリーすることにした。

未知の距離だったから、練習方法もわからないし、自分が走り切れるのかも自信がなかった。しかし、そういう未知の刺激が何より楽しいのが、私の性分だ。

練習は2か月ほどしたが、レース前2週間ぐらいに足底筋膜炎になってしまい直前で練習が思うようにいかなくなってしまった。

さて、レース当日の話だ。私自身が慣れないせいなのか、それとも大会運営のせいなのか、気に入らないことがいくつかあった。

指定されていた無料駐車場へ行って満車だと言われたのがケチのつけはじめだった。指定された無料駐車場へ行ったのに、近くに止めたいなら有料駐車場をご利用くださいっていうから、いや私は遠くても無料に行きますってことで行ったのに、満車ってどういうことだ。駐車スペースには限りがあるので、お早めにうんぬんっていう記述も一切なしだったんだぞ。ちゃんとそのくらい確保しておいてほしい。

その2 トイレが込みすぎていて、トイレが終わってからスタートまで走って行って、ついたとたんスタートになってしまった。ほんとに文字通り着いた途端のスタートだったよ。まあ、アップになってよかったか。

その3 ゴール後に無料で食べられる十勝の美味い物ってのがいくつかあるのだけれど、ミニ豚丼に並んだら、もう売り切れだと言われたよ。フードバレーって言ってんだから、食ぐらいちゃんとしろ。

その4 預けていた荷物の受け取りが長蛇の列だった。汗が冷えて寒かった。雨の中20〜30分も並んだら、風邪ひいちゃう。

その5 去年までは満腹チケットだかという地元で使える金券がついていたのだが、今年は満腹クーポンだかいうクーポンに変わっていた。いくら以上食べると何パーセント割引だとか、なんか1品つけるだとかのしょぼいクーポンだ。使わないよそんなクーポン。スマホで取れるネットのクーポンとなんもかわらない。最悪。

とまあ、運営面で不満を感じる(初めてだから他のマラソンがどうなのか知らないけど)大会だった。

しかし、走るのは楽しかった。

前半はゆっくりと走った。最初の1kmは人が多すぎてペースなど選べないほどぎゅうぎゅうの人込みだった。そこを抜けてからは、だいたい6分ちょとくらいのペースで折り返しまでいき、帰りは5分半ぐらいで走った。後半は雨だったが、日差しが強いよりは走りいいように感じた。

目標は完走だった。2時間半で走らないと途中で失格となってしまうので、そうならないようなペースで走っていたのだが、どうももう少し速く走っても平気そうだったので、後半はスピードをあげた。

沿道で応援してくれる人とたまにタッチしたりしながら走った。いつ、足に来るのだろうと思っていたが、最後までなんともなく走り切った。なんならあと10km行く?ってな感じだ。

 2時間6分で完走することができた。はやくはないが、私としては十分だ。

一緒に走った友だち一家と夜宴会をしたが、そのビールの美味いこと。

また出るとしたら、今度は2時間を切るのを目標に走ろうと思う。


10月22日(日) ソフトボール納会

娘のソフトボール部の納会があった。

3年目3回目の出場の親子ソフトボール対決

これまで2回の成績は、全て凡退。と言っても1試合に1打席しか回ってこないけどね。

私は今年も前日にバッティングセンターに行き、万全の態勢で当日を迎えた。今年は3年生の親なので優先的に2回打たせてくれるかもしれない。

しかし、朝から雨でソフトボールはなしで、昼からの焼き肉レストランでの会だけになってしまった。

やけというか、いつも通りというか、私はさっさとビール飲み放題を頼み(全親中私しか飲まなかったが、いいのだ、それで。)3杯目を頼んだか頼もうとしたときに、「雨が止んだから、これからグラウンドへ行き、ソフトボールをやろうじゃないか。」という話になった。

少しの酔いが功を奏し、初回、娘の剛速球を見事にセンター前に弾き返し、次の打席も2塁打(これは守備が下手だっただけだが)を打った。

最終回2アウトになると下の学年の親たちが、後援会会長をやったご褒美にと3回目の打席に立たせてくれた。

気持ちよく打席に立ったが、結果はファーストファールフライ。いやあ悔しい。

でも、楽しかったなー。

高校でもソフトボールやるって言わないかなー。


10月15日(日) ナキウサギの山へ

下界は紅葉真っ盛りだったが、山の上には雪が少し積もっていた。

ナキウサギたちは、この日それほど活発ではなかったが、何回かは見やすいところに顔を出してくれた。

人が撮影している前に入ってナキウサギに近づいて写真を撮るという女の人がいた。そのせいでナキウサギが逃げてしまうというようなことが何度かあって、腹が立った。

いつものように夕方までまったりとしようと思っていたのだが、寒くて寒くて2時過ぎに山を下りた。


9月18〜23日 オーストラリアから来た娘

4月に娘がオーストラリアに行った。何か私の住んでいる町の海外研修制度だかで格安に行けるというので応募したのだ。その制度の一環ということで、今度はオーストラリアの生徒さんたちが日本に研修旅行に来るということで、一人の女の子を預かることになったのだ。

長女が「どんな子来るかな?かわいい子だったらいいなあ。」と言うので、
「来る前にあんまり妄想を膨らませるんじゃない。」と釘をさした。だって、「かわいい子じゃなくてがっかり」なんていう感情は、相手にとても失礼だ。
それでなくたって、どんな相手が来るのかは全くの運命だ。外見はさておき「性格最悪、食べ物の好き嫌い山ほどで、人と付き合うのは苦手」なんて可能性だってあるんだから、過度の期待は百害あって一利なし。

対面式というセレモニーにその子を迎えに行った妻と娘が昼過ぎに帰ってきた。玄関から一緒に入ってきたその子は、とびきりの美少女だった。名前をエミリーと言った。

初めは外見の可愛さにはしゃいで長女だったが、毎日のふれあいの中で、エミリーの内面の可愛さにも惹かれていったようだ。よく気の付く、笑顔を絶やさない子だった。犬や下の娘のこともかわいがってくれた。
長女とは毎日の学校の行き帰りでずいぶんたくさん話をしたようだ。この時ばかりは学校が遠いことがありがたかったと、娘は言っていた。

肉が食べられないということがエミリーが来る前に送られてきたプロフィールには書いてあって、何を食べされればいいかなあと思っていたが、実際にはエイミーは肉以外にはほとんど好き嫌いがなく、どんなものでも喜んで食べてくれた。納豆と梅干はだめだったけれど、沢庵は好きだった。

彼女がうちに滞在したのは、ほとんど平日だったので、特別なところには連れて行ってあげることはできなかった。でも、彼女は娘をはじめ、私たちととても楽しく過ごし、すぐに家族の一員のようになった。
特に長女とは長い間つきあった親友のように、何かを話し、笑いあっていた。お互いにつたない言語と視線を交わしながら気t持ちを近づけていったのだろう。初めはどう話していいかわからなそうにしていた娘も、何かこちらから話しかけなければ黙りがちだったエミリーも、随分リラックスしていろいろなことを話しているように見えた。

出発の日の朝、「娘のように思っているよ。また遊びにおいで。」というと、彼女は涙ぐんで頷いた。娘が随分長い時間をかけて作ったアルバムや手紙を大事そうに受け取り、「ありがと」と何度も言った。

空港で、とうとうエミリーが泣き出してしまった。長女も一緒に泣いている。次女もエミリーにハグをされると、がまんできなくなって一緒に泣いていた。
私は、もらい泣きするには、二人があまりに号泣しすぎていて、可笑しくなってしまった。可笑しいなあと笑いながら、私は、良かったねという気持ちと、寂しいなあという気持ちと、羨ましいなあという気持ちとがまざった、ちょっと複雑でなにか少し温かい気持ちを感じていた。

エミリーがいたのは1週間にも満たない短い時間だったけれども、彼女は私たちに―とりわけ、長女に―何か目に見えないたくさんの宝物を残してくれたなあ、と思う。




9月2日(土) 娘と山女魚釣り & カウンターで寿司

自分ばかり遊んでいる罪悪感がないといえばウソになるが、あるといえばウソになる。

とまあ、謎な心境が影響したのかしなかったのか下の娘を誘って山女魚を釣りに行った。
Yさん、Nさん、Tさんも一緒だ。

それなりにコツを掴むと楽しそうに釣っていたが、1時間もすると飽きたようだ。


川は渇水で水が少なかったが、それなりに魚は釣れたので娘は楽しかったようだ。
途中で飽きて、カエルを捕まえたり、ミミズや川虫を捕まえたりして遊んでいた。


持ち帰って、しばらく飼ったが、この間 死亡。

初めに娘が見つけてきたミミズには、ウグイがかなり激しく反応し、入れると奪い合うように食いついた。
次に娘がとってきたクロカワムシをつけると、これには山女魚が好反応だった。
散々小さい山女魚を抜きあげて、もういないだろうと思っていたポイントにクロカワムシを流すと、今日一番のサイズが釣れた。私の釣った山女魚で塩焼きサイズだったのは、この日はこの一尾だけだった。

下の娘と私で50〜60尾釣り、それをいつものすし屋に持ち込んで宴会をした。
その日は妻が札幌に遊びに行っていたので、上の娘も寿司屋についてきた。
握りとバッテラと塩焼きを楽しんだ後、座敷にいるおじさんたちを置いて娘たちはカウンターに座った。
そして、人生初の回らない寿司をカウンターで自由に注文するという経験をした。後で聞くと、マスターに勧められるままにウニやアワビまで食べたと言っていた。なんと贅沢な。私だってカウンターで好きなものを注文する経験などほとんどしたことがないのだぞ!


良かったね。おいしかったね。


8月28日(月) 知床でいくら採り

ふくちゃんが具合が悪くて泊められないというので、今年は別に宿をとろうという話になっていたのだが、行ってみると「とりあえず、温泉でも入らない?」と勧められるままに、旦那のけんちゃんと、いつものY氏と私の3人で以前の宿に併設されている温泉に入り、あがって家に戻ると、「まあまあまあまあ」ということで、ビールを飲み、美味いものを腹いっぱい食わせてもらい。そして、泊めてもらってしまった・・・。

泊めてもらうつもりのなかった我々は中標津で大してうまくもないラーメンを食べてしまっていて、しかも私はライスまで頼んでいたので、山ほど出されるご馳走への箸がそれほど進まなかった。箸の進まない我々にふくちゃんはわざわざカニをむいてくれたりした。来る予定だったが、急に腹を壊して来ることのできなかったNさんが残念だ。彼は酒は一滴も飲まないのだが、カニやらエビやらには目がないのだ。来ていれば、喜んだだろうなあ。


毎年のことながら、豪勢。美味い。

翌朝は、めったに見られないほどの美しい色に空が焼けた。
それで、釣りへの期待が高まるかというと全くそんなことはない。なぜなら今年は誰もかれもが口をそろえて「魚はいないぞ」というのだから。


本当に美しい朝焼けだった。水平線に見えるのは国後島だ。

海にはそれなりに大きなカラフトマスの群れがいたが、完全にいつきの古くなった群れで、皆色々と工夫したが口に食わせることはほとんどできなかった。



極まれに光ったマスも釣れるが、ほとんど全てが黒い魚だった。

時折すれでかかってしまうマスのうち、メスを選んでキープするという冴えない釣りであった。
大きなオスのすれ掛かりはホッチャレマスであっても、なかなか寄せられずに腕がだるくなった。おまけに、磯場から船着き場までの悪路を、何匹も魚の入ったクーラーボックスをY氏と運んだものだから、船に着いた時には、腕がパンパン、息はゼイゼイという状況となってしまった。

この日、熊に会えば、1か月に3度熊を目撃したことになり、これは現在のところの私の最高記録となるので期待したのだが、出てこなかった。隣の釣り場では出没したというので、帰りの船からも目を凝らしたが見つけることはできなかった。

昨年同様、帰りにもふくちゃんのところに寄らせてもらい、再び温泉に入れてもらい、昼飯をごちそうになり
、その後家路についた。釣りとしては最悪だったが、なんか、楽しかったな。まあ、初めから釣りというより知床旅行だと思って行っていたというのもあるしね。

黒くなったマスのいいところは、卵が発達しているところだ。この日からイクラ好きの下の娘は、朝晩とイクラ丼を食べまくっていた。


キューピーちゃんと同じヘアスタイルのN氏が気持ち悪い。

8月19日(土) 紋別でブリ釣り

ブリを狙いに紋別へ行った。
珍しく船中で最初にヒットしたのは私だった。
最初の魚はリーダーとの結束がうまくいっているか心配で不安だったけれど無事ゲット。
そして、次の魚も私がゲット。今度のは5kgほどのまあまあのサイズ。こういうことは私の釣りではあまりない。
それからほどなく3匹目もゲットで、密かに目標としていた3匹を朝早いうちに達成してしまった。


飛び込みたくなるような凪  こういう時は釣れないそうだ。

これは、もう数匹増えるかなあと期待したが、その後は1回もあたりが来なかった。
途中から怒涛の連続ヒットのキンゾーさんが6本を釣り上げ竿頭だった。

満足のはずの釣りだったが、ちょっと消化不良感もある。
釣りってのはつくづく釣果だけが満足度というわけにはいかないのだなあと思う。
1日のイトウ釣りでは、大したサイズではない60cmがとても嬉しい一尾だったし、今回は今までで一番釣れたのに、朝9時ごろからずーっと釣れなかったことでイマイチな気持ちになるのだから。

でも、そういう釣り人の心は魚を待つ家族やお客さんには関係がない。
魚を持って帰った私を家族は大歓迎で迎え、翌日は遊びに来た親戚と盛大にブリパーティーをした。


最終的には、この日に船に乗った全員が1尾は釣ることができました。

8月1日(火) イトウ釣り

7月31日からイトウ釣りに行った。毎年この時期には渋い渋いといっている気がするが、例年以上に厳しい状況で初日は1日中歩いて、たった2度のあたり。極小2匹だけしか釣れなかった。
次の日、車から川までは30mほどの距離のはずだったのだが、川に出るまでにまず1時間弱の時間を使ってしまった。そして、そのやぶ漕ぎで痛めてしまったのか、釣りの序盤から左の足首の上が少し傷んだ。

痛みは、だんだん増してきて、数時間釣りあがると、もうこれ以上進めば帰れなくなる可能性を感じるほどとなってしまった。
ちょうど、そのタイミングで今回の釣りで最大サイズとなる60cmのイトウが釣れた。
普段なら特段嬉しいサイズではないのだが、この日のこの一尾は格段に嬉しかった。何と言っても昨日から15時間以上竿を振り続けての1尾だったのだから。


嬉しい一尾だった。

この一尾で満足しろということなのだろうなあと、元来た道を帰り、2時ごろに車に戻ったころには左足は、地面に着くだけで激痛を感じるほどに悪化していた。
車のエンジンをかけ、林道を500mほど走ったところで熊に出会った。釣りをしているすぐ近くにいたのかもしれないなと思った。

あと二日間釣りができる予定をあけていたのだが、この分では明日の朝までには回復しないと思い、家に帰ることにした。長いドライブ中も足は痛んだが、左足だったので運転には支障がなかったのが幸いだった。

7月16日 ブリキャンプ

キンゾーさんとブリ釣りに行った。16日、17日と二日連続で船に乗る予定だ。
前日の夜に紋別に着き、安着祝い。
キンゾーさんのキャンピングトレーラーの中での、ぜいたくな一杯だ。
次の日が早いので、ビール一缶だけにして、寝床に入ったが、これが全く寝られない。中途半端に酒を飲むとか、昼寝をしたとか、興奮しているとか、たまにそういうことがあるのだ。
寝不足は船酔いのもとと思って、不安だったが、海況良く穏やかだっただめ、体調は問題なかった。






空と水平線の境目のはっきりとしない朝。穏やかな美しさ。

が、魚が釣れなかった。
キンゾーさんはでかいブリを2本釣ったが、私はヒットすらしなかった。
途中船長がかけた魚を「ひきだけでもあじわってみろ」とロッドを渡されたが、それもバラシた。
キンゾーさんのヒットジグを「これつかってみて」と渡されたが、フグにラインを切られて借りたジグをなくしてしまった。



いい型のブリ


おまけに、釣りを終わり港まで帰る間、やっと寝られたと思ったら、船長が鉄の椅子を倒し、それが私のすねに直撃するという散々な釣りだった。
まあ、今日は釣れなかったけれど、明日もあるし
と、思っていたら、なんと次の日の朝、強風のため出航断念ということで、今回のブリ釣りは無釣果のまま終わってしまった。

本当にがっかりだったけれど、16日の夜に、まつさんも合流してやったブリパーティーは楽しかった。
釣ったばかりのブリは美味かったし、話も盛り上がった。外は雨だったが、キンゾーさんのキャントレは快適だった。

さっさと、20時ごろには寝てしまったので、まつさんには申し訳なかったけれどね。



刺身とのっけ盛りとカマ焼き、それからまつさん差し入れの高級ステーキ。


釣り自体はいまいちだったが、前の週のソフトボールロスはこの釣りで一掃された。
またブリに行きたいと思ったし、8月頭にはイトウに行く、カラフトマスにも行くし、9月には初の船でのサケ釣りも予定に入れた。その他にも遊びたいことがたくさんできて、「ん?ソフトボールってなんだっけ」という状態になっている。

と、いう意味で、良い釣りであった。


7月8日、9日 娘のソフトボールもこれで終わり。

上の娘の全道大会の予選が行われた。この大会で全道を勝ち取ることを目標に頑張ってきたが、準決勝で敗れて、娘の中学校でのソフトボールは終わってしまった。
8日は予選だった。35度の気温の中、3試合を投げ切った。全て1点差の緊迫したゲームの中、娘は淡々と良いピッチングを続けることができた。
9日の決勝トーナメントでも、娘もチームもみんなもがんばったが、1点差ゲームで敗れてしまった。
ソフトボールが楽しいとか、好きだとか、一度も言ったことのない娘だった。しかし、この大会を含む最近の数試合は、とても楽しくソフトボールをしているように見えた。

この試合の期間中に二日連続で珍しい来客があった。
二人とも「今日、ちょっと空いていますか」と、突然連絡をくれてやってきたのだけれど、不思議な共通点があった。
金曜の夜には、ケニアに一緒にいった、友人が来た。ケニアでもらったコーヒーの種をまいてみたら芽が出たので、貰ってくださいと持ってきてくれたのだ。わざわざそんなことで寄ってくれたのも嬉しかったが、彼は、数日後にボツワナに行くという。
次の日に来た友人は、過去の同僚だ。青年海外協力隊として数日後からザンビアへ赴く。
ボツワナにザンビア?いったいそれはどこ?
どうも、私の周りにこれまでとは少し違う風が吹き始めているような気がする。

発芽したコーヒーの苗。ケニアの思い出。

話は変わって、
この土日に合わせて、東京から私の父親に来てもらっていた。
父は少し変わった人間なので、娘にしてみれば私の父親が来ると色々集中できないなどの支障があるのだとは思った。それでも、野球やソフトボールに目がない人なので、私にとってはこれ以上ない親孝行だと思って娘には我慢してもらった。
案の定父親は、娘にも、私にも、応援に来ていた妻の父親にも、ああだこうだいらないことを言い、嫌がられたり腹を立てられたりしていたようだが、まあ、それもいつものことではある。

それはさておき、
私は彼女の入部当初、休みの日に親が娘を練習試合に送っていかなくてはならないことや練習試合の審判をさせられること知り、中学校になってまで親が子の部活の手伝いをすることに驚いた。私が子供のころには、少年団だって、部活だって、親など送り迎えどころか試合の応援にだって1度も来たことはない。だから、私は驚いただけでなく、休みが潰れることに文句を言ったものだった。
でも、最近では娘の試合が楽しみで待ち遠しかった。
4月からは、毎朝6時にネットに向けて130球のトスバッティングをした。
娘が三振を取ればガッツポーズをし、毎打席、娘のヒットを期待した。

もう少し、娘の活躍を見ていたかったなあと、随分寂しい気持ちになっていることを自分自身とても驚いている。もう一度、彼女が投げたり打ったりする姿を見たいけれど、高校ではもうソフトボールはやらないと言っている。

でも、なんか、「やっぱりやる。」って言いそうで、そのことを少し期待しているんだけれどね。

まあ、いずれにせよ。とても楽しませてもらいました。ドキドキもさせてもらいました。ありがと。娘。



7月1日(土) 山女釣り

今年は解禁日が土曜日だったので、私も仲間と山女魚を釣りに行くことができた。
朝4時に釣り始め、7時ごろには釣りをやめた。
型の良い魚が多く、魚籠は一杯になった。
ニジマスが1尾混ざり、80尾の釣果だった。


天気が良く、最高の朝だった。


短時間でたくさん釣れた。


いつものすし屋で、いつもの宴会。

地元に帰り温泉に入り、昼飯を食べた。
夜の宴会まで、2〜3時間昼寝をしようということになっていたが、ひとまず一杯だけビールを飲むかということになり、それがもうひと間飲むか。焼酎もあるぞ、日本酒もあるぞ、こんな珍しいつまみもあるんだと、いつもの感じになって、寿司屋での宴会が始まる前に、十分にできあがってしまった。


6月15日(木) アオダイが届いた


アオダイとウメイロ どちらも初めて見る魚だ。

水曜日にシローさんの奥さんが、アオダイを家に届けてくれた。
アオダイなどという魚は見たことも聞いたこともない魚だったが、シローさんが届けてくれる魚は、いつだって超美味い。

さて、案の定、包んでいた新聞紙を開くと、目が透き通り、身が締まった魚が目の前に現れた。
そのまま調理したいところだったが、その日はすでに飯を食い終わっていたので、次の日に色々と調理して味わった。

最初どちらもアオダイだと思っていた魚のうち、一尾はウメイロという魚だった。
ダイビングを良くしていたころ、しばしば目にしたウメイロモドキという魚に似ていたので、検索をかけて名前が判明したのだが、こちらもさばくのも食すのも初めての魚だった。

私は学生の頃八丈島に1か月くらい滞在したことがあるのだが、こんかいは、その時に食べた島寿司を再現してみた。
酢飯に漬けにした魚を乗せるのだが、薬味は辛子だ。握りなどしたことがないから、不格好な握りずしができたが、味は最高だった。

ほかにも、皮霜造り(松皮造り)、塩焼き、あら汁、皮のネギポン、卵の煮つけ、カルパッチョを作ったが、今回は本当にどれも最高レベルに美味く仕上がった。鯛に似た味である。

家族みな、どれも凄くうまいと完食したが、その中でもあら汁は娘たちは2杯ずつ飲んでいたし、皮のネギポンは長女の一押しであった。無論、刺身も塩焼きもカルパッチョも文句なく美味であった。

アオダイとウメイロは似た味で、どちらも同じようにどんな料理にも合うが、刺身を一切れずつ味わい比べてみると、若干アオダイの方が甘みがあった。

とはいえ、日曜日に釣った魚を木曜に捌いて食べて、あの鮮度と味というのには驚いた。
珍しい魚なので、もう二度と口にすることはないのかもしれないが、いつも出会ったことのない美味い魚に出会わせてくれるシローさんには、とても感謝している。

キジハタ→アジ→アオダイ

次は、何が送られてくるか、楽しみである。


醤油に30分漬けた漬けと、辛子、これが酢飯に驚くほど合う。


皮を湯引きをした刺身。皮霜造り。


マスでいつもやるあら汁だが、味はアオダイの方が上だと思う。


定番のニンニクオイルのカルパッチョも、魚がいいとより美味い。

6月5日(月) 久しぶりの川

大好きな川へ久しぶりに行った。まつさんと一緒だ。
以前は毎年のように行っていた川だが、最後にいったのは何年も前だ。その時もまつさんと一緒だったのではないか。

アメマスを中心に、ニジマスやヤマベが釣れた。
小さいのが多かったが、時折、40弱くらいの太いアメマスが掛かると、竿が満月にしなる。
遡上個体なのか、随分とコンディションの良い魚だ。

場所を移動して上流部に行くと、バイカモが揺れてとても美しい渓相だ。
しかし、これでも昔に比べれば、随分と減っているそうだ。


ずっとこんなポイント続くからたまらない。


このぐらいが、この日の最大サイズ。太い!




渓も出てくる魚も、最高に美しかった。



大物といえる魚には出会えなかったが、魚が付いているだろうと思ったところからは、必ず魚が出てくれたし、バイカモの間を通して魚を釣るというのも気持ちがよかった。
天気も良くて、爽やかな初夏の緑の風の中、素晴らしい時間を過ごした。

午前中で満足し、阿寒湖で飯を食ったり、オンネトーに寄って写真をとったり、しつつのんびりと帰路も楽しんだ。


オンネトーは雌阿寒と阿寒富士を映していた。

良い休日だった。

まつさん、ありがとう。



5月20日 森はやっぱり気持ちがいい。


友だちと娘と犬と、みんなで森林浴

下界が30度くらいになるいうので、そういう時は山だなと、娘と犬、それから今日は同僚もさそって遊びに行った。
林道わきの湿地帯ではエゾアカガエルとエゾサンショウウオの卵塊があったが、まだオタマジャクシにはなっていなかったようだ。

エゾアカガエルを捕まえて娘に持たせると、かわいいかわいいを連発し、是非飼いたい、持って帰りたいというので困った。カエルは生き餌だし面倒くさいなあ。と思ったが、これが上の娘の時なら「よし、じゃあ一緒に飼ってみるか」と言っていたのかもしれないなどとも思う。
そんなわけで、妥協案として卵ならいいよというと、娘はたいそう喜んだ。そしてついでにサンショウウオの卵も持ち帰ることになった。まあ、いいか。楽しいかもしれないし。


持った感じがかわいいんだそうだ。下の娘も変態なんだなあ・・・。



サンショウウオを飼うことになるのかあ・・・。

ヤツメウナギを捕まえたり、森を歩いたりして、ゆったりと楽しんだが、何より良かったのは、あまり外遊びを好まない娘が、森をとても楽しんでいたことだ。やっぱり連れてきてやらないとだめなんだなあとつくづく思った。それから、これは当たり前だけれど、犬が本当に嬉しそうだった。野山を駆け回り、川や水たまりに飛び込み、そこらあたりじゅうを嗅ぎまわり、どこかから見つけてきた鹿の足の骨やら、頭の骨やらを大事そうに銜えて歩いた。



スナヤツメは、掌に吸い付く。

昼は、ちょっと開けた森の木陰で弁当を食べた。
友だちは草の上に仰向けに寝転んだ。
私は折りたたみ椅子を開いてゆったりと腰かけた。

なんとも、ぜいたくな時間だった。


クマゲラにも会えた。

5月上旬 職場には相変わらずいろいろな鳥がやってきて楽しい。

職場には色々な野鳥が来る。
とくに4月後半から5月半ばは渡りの途中に普段は見かけない鳥がやってくるのでカメラを必ず用意しておかないといけない。


ルリビタキ。これは4月の半ばに来た。


シロハラ。珍しくないというが、私はあまり見かけない。


マミチャジナイ。アカハラかなあと思ったが、画像をよく見るとコイツだった。


桜とメジロという嬉しいコラボも撮ることができた。


オオルリは毎年、1日から数日寄ってくれる。


センダイムシクイ

5月6日(土) 会長杯優勝

上の娘の最後のソフトボールシーズンが始まった。
春休み、オーストラリアに町の研修に行っていた分取り戻そうと、毎日朝素振りをすることにしたのだが、なかなか結果が出ず、打率が1割を切るというところまでいったときには、さすがにショックで自信をなくしていたようだ。
打撃は水ものなので、そのうち良くなるだろうとは思っていたが、最近ではなんとか持ち直し、先週の大会ではチームは負けたが、自分の打率は3割を超えるところまで持ち直したそうだ。

この日、娘がソフトボール部に入って初めての優勝を飾った(東部地区だか2チームしかない大会での優勝はあったけど)。初戦と決勝戦はぎりぎりだったので、選手も監督も見ていた親たちも大いに盛り上がった。

初戦の初回、娘がタイムリーヒットを打ち、それを最終回まで守り切っての1−0での勝利だった。ヒットは相手の方が多かったが、要所を締めなんとか勝ちに結びつけたのだ。
2回戦の相手は、前回大会でコールド負けにされたチームだったが、エース不在だとかで大差で勝利した。
そして3試合目、チーム数が少ないのでこれに勝てば優勝という試合、とったり取られたりのシーソーゲームだったが、最終回1点差で娘のチームが勝っていた。
この試合、娘の様子は明らかにおかしく、どこか故障しているように見えた。デッドボールもあったし、ピッチャー強襲が足に当たったのもあったので、どちらかで痛めたか、それとも3試合目で単に疲れが出たのか、球速は落ち、ストライクが入らなくなっていた。
その1点差で迎えた最終回も、フォアボールやヒットで2アウト満塁、バッターは4番という絶体絶命のピンチを迎えていた。その4番が打ち損じてくれたキャッチャーフライを、チーム一番の名手がまさかの落球をし、ああ、これは負けるパターンだなあと思った。
たしか、フルカウントだったのではないだろうか、娘の投げたボールを4番が完璧にとらえ、打球は左中間にとんだ。これはとれないと思ったその打球、センターの2年生がファインプレーでキャッチし、ゲームセット。優勝ということになったのだ。
応援していた親たちは狂喜乱舞であった。
娘は泣いていた。何の涙だったんだろう。聞いていないけれど、優勝して泣くなんて貴重な涙だよなあ。俺には経験がないなあ。

何日か後、地元新聞に意外なほど大きく記事が掲載された。

後で聞くと、3試合目の娘の不調は、肩の痛みが原因だった。
しばらくは投げるのを控えるそうだ。
素振りもしばらくお休み。
最後の大会は7月上旬。娘の部活なんて私の休みを奪うものって気もしていたのだけど、いつの間にか試合を楽しみにしている自分がいたりする。
あと何回かしか見られないのは、少し寂しいなあと思う。

でも、とりあえず、おめでと。

5月4日(木) 帯広29℃!


オオバナノエンレイソウ

早朝は一けた台だった気温もぐんぐん上昇し、最高気温は29度まで上がったそうだ。
最終的に然別湖まで行ったが、然別湖でさえ20度あった。
湖水は凍っている部分の方が多く、岸際にも雪が多く残されていたが、少し歩くと汗ばむ暖かさで、風景とのギャップが不思議だった。


風が吹くと手前の氷がシャラシャラと音をたてた。



ミサゴはここ以外であまり見たことがない。

岸際で上空に舞うミサゴを眺めていると、水面の氷がシャラシャラシャラと高い音を立てているのに気がついた。湖の氷がとけていく最後に柱状の氷になるという珍しい現象が起こるのだが、その氷の欠片たちが風でお互いにぶつかり合い、きれいな音を立てているのだ。
この氷、家に帰ってからキャンドルアイスというのだということを知り、もう少しちゃんと見ておくのだったと後悔した。


エゾアカガエルとエゾサンショウウオの卵塊。ここはただの水たまり。



まだ雪あるのに、交尾をし、卵を産む。


エゾサンショウウオの親もいた。

然別湖へ行くまでにいくつかの山を歩いたが、オオルリやキビタキなどはまだ来ていないようだった。
いつもように行者にんにくを少しだけ採り、花や生き物の写真を撮った。

ゴールデンウイークにしては少し暑すぎたが、やはり外で遊ぶのは楽しい。
今日一日で、たくさんの春を見つけた。


クロツグミやトラツグミ、アカハラにシロハラがいた。


今日までにあったこと

1月はケニアで動物の写真を撮っていた。

ケニアから帰って、娘の選抜ソフトボールの全道大会の応援に行った。結果はまあ、ぼちぼち。

スキーは2回しか行けなかった。

3月にイトウ坊主を食らった。

鳥見は通勤の途中か、職場でしかしてない。

何度か家で宴会をやった。久しぶりにまつさんやきんぞーさん、みっしーさん、カメさんを家に呼んだ。