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〜35000HIT記念リクエスト小説<くまごろ〜様へ>〜

悩める錬金術師 Vol.1


Scene−1

「何よ! あんたなんて!!」
「何よ、文句ある!?」
「ちょっと、ちょっと、二人ともどうしたの!?」

少女たちがけたたましく言い合う声が、街角の工房から響いてくる。

シグザール王国の王都ザールブルグ、その一画にある『職人通り』は、ザールブルグの下町にあたり、食料品店、骨董屋に雑貨屋、鍛冶屋といった商店や工房がにぎやかに軒を連ねている。
当然、人通りも多く、買い物袋をかかえたおかみさんたちや仕事場へ急ぐ職人たち、その間を縫って追いかけっこに興じる子供たちなど、ザールブルグでもっとも活気にあふれた通りとなっている。
その『職人通り』の片隅に、いつの間にか店開きした『リリーのアトリエ』という名前の工房。金属製の丸い看板が、風にかすかに揺れている。
声が聞こえて来るのは、その工房の中からだ。

外を行く人々は、つと足を止めて耳を傾け、肩をすくめてささやきを交わす。
(あらあら、またやってるわ。いやねえ、騒がしくて・・・)
(そう言えば、この間、夜中になにかが爆発しているのが聞こえたわよ。物騒なことにならなければいいけど)
(でも、なんでも遠くからわざわざやってきたそうじゃないかい。リリーちゃんもまだ若いし、がんばってほしいものだわね)

そのような、店の外での会話に気付くこともなく、工房の1階の作業場では、10歳を少し越えたくらいの年格好のふたりの少女が、険悪な雰囲気でにらみ合っていた。そして、ふたりをなだめようとしている10代後半の少女が、この工房の主、リリーである。
「だって、先生、イングリドがあたしの試験管を黙って使ったんです!」
薄紫色の髪をおかっぱにまとめ、輪になった帽子をかぶった少女が、もうひとりをにらみつけて言う。
「空いてるようだったから、ちょっと借りただけよ。別にそのくらい、どうってことないじゃない」
軽くウェーヴがかかった薄水色の髪の少女が、言い返す。
「あたしは、次の調合で使おうと思って、きれいに洗っておいたのよ。変な薬を入れられたんじゃ、たまったもんじゃないわ!」
「ほんとに、ヘルミーナもしつこいわね! そんなに自分の道具が大切なら、名前を書いて、鍵のかかる戸棚にでもしまっておくことね」
「もう、イングリドってば、最低!!」
「その言葉、そっくりそのままお返しするわ!」
小さなふたりの言い争いは、とどまるところがない。
リリーは両手を大きく広げて、ふたりに負けない大声で叫んだ。
「分かった! 分かったから、二人とも、ケンカはやめなさ〜い!」
イングリドもヘルミーナも口をつぐんだが、ふくれ面をしたまま、ぷいと顔をそむけ合う。

(もう、ふたりとも、よくケンカのネタが続くものだわ・・・)
リリーはため息をつくと、イングリドに声をかける。
「イングリド、今日の食事当番はあなたでしょ。そろそろ支度を始めた方がいいわ。今夜は、ドルニエ先生も早く帰って来られるというし・・・。久しぶりに、4人揃ってご飯が食べられるわ。よろしくね」
振り向いたイングリドはにっこり笑い、答える。
「はい、先生。あたし特製の『森のきのこソース』で味付けしたシチューを作りますね。おいしいですよ」
そして、台所へ向かうイングリドの後ろで、ヘルミーナはぽつりとつぶやく。
「毒キノコなんか、使わないようにね。心配ったらありゃしない」
「何? なんか言った?」
「ううん、な〜んにも」
と、ヘルミーナはそ知らぬ顔で、自分の作業台に向かい、乳鉢で薬草をすりつぶし始めた。

ようやく工房の中が落ち着いたのを確認して、リリーも自分の作業に戻る。
今、作ろうとしているのは、1ヶ月先に迫った王室主催の展覧会に出品する予定の装飾品だ。
リリー、そしてイングリドとヘルミーナは、このザールブルグへ錬金術を広めるために、師匠のドルニエとともに、はるか西の海の向こうのケントニスからはるばるやって来た。そして、この『職人通り』の一画に家を借り、錬金術の工房を開いて、まる2年が過ぎようとしていた。
王族や貴族を含め、ザールブルグの人々は、錬金術という名前も、それがどのようなものかもまったく知らなかった。そのような中で、ドルニエとリリーは工房を開き、人々の依頼事をこなすことで、錬金術の良さ、重要さを人々に認めてもらい、理解してもらおうとしていたのだ。
また、年に1回、王室主催で開催される展覧会に出品し、優秀な成績を収めれば、王室から援助金を融資してもらうこともできる。材料や機材の購入代金、町の外へ材料採取に行く時に護衛を雇うための費用など、お金はいくらあっても足りなかった。
しかも、そのような暮らしの中から、この地に錬金術のアカデミーを建設するための費用も貯えていかなければならない。
最初の1年は、まさに爪に灯をともすような生活だった。
しかし、2年目に入ると、それなりに仕事の依頼も増え、『リリーのアトリエ』の名前も人々に知られるようになってきていた。
そして、アカデミー建設資金も、ある程度の蓄えはできるようになっていた。もっとも、目標金額には、まだ程遠いというのが現実ではあったが。
「がんばるぞ〜!!」
リリーは自分を励ますように、ルーペ越しに作品を見下ろし、細工道具を握り直した。

その晩は、リリーが言った通り、ドルニエを含めて4人揃っての夕食となった。
リリーたちが一般庶民の依頼に応えることで錬金術に理解を得ようと、いわば“草の根”活動をしているのに対し、師匠であるドルニエは、王室や有力貴族の間を回って、理解と援助を求める政治レベルでの活動をしている。そのため、貴族のパーティーや王室での打ち合わせなどに出席することが多く、いつも帰りは遅い。今日のように、夕方に帰ってくるのは珍しいことだった。
「おいしい! ほんとにおいしいわ、このキノコのシチュー!」
リリーが叫ぶ。イングリドはにこにこと得意顔だ。
「でしょう? あたし秘伝の味付けがしてあるのよ」
「へええ、どんな味付けなの? あたしも知りたいなあ」
「えへへ、それはね・・・秘密です」
と、勝ち誇ったような視線を向かいの席のヘルミーナに向ける。
ヘルミーナは仏頂面で視線を返したが、若い食欲にはがまんできないらしく、忙しくスプーンを口に運んでいる。
そして、ぽつりと、つぶやいた。
「オニワライタケの配合を、もう少し増やした方がおいしくなるんじゃないかしら?」
「な・・・」
言い返そうとしたイングリドだが、自分でも口に含んだ後、しぶしぶ言った。
「確かに、そうかも知れないわね・・・」
ふたりの視線が、シチュー皿を挟んで火花を散らした。
それを見ながら、リリーは心の中でつぶやいた。
(このふたり、すごいわ・・・。もう、あたしなんか敵わないかも)

ガタン、と音を立てて、ドルニエが席を立つ。
イングリドが、にこにこして尋ねる。
「どうでしたか、ドルニエ先生? あたしの特製シチュー、おいしかったですか?」
しかし、ドルニエはイングリドに顔を向けることもなく、
「あ、ああ」
と生返事をして、自室の方へ向かう。
「ドルニエ先生・・・」
イングリドが悲しそうな表情で見送る。
リリーはいぶかった。普段は、こんな冷たい反応をするドルニエではない。大げさなほど喜んでみせるはずなのだ。
「先生!」
リリーも席を立つと、師の後を追った。廊下へ出たところで追いつく。

「ドルニエ先生!」
リリーの大きな声に、ようやく我に返ったように、ドルニエが振り返る。
「あ、リリーか。どうかしたのかね?」
「いえ、あたしじゃなくて、先生の方が・・・。なんか、いつもと様子が違うものですから、気になって。なにか、心配事でも・・・?」
ドルニエの目からは、いつも浮かべている優しげな微笑が消えていた。眉間にしわもよっている。ドルニエは独り言をつぶやくように、低い声で言う。
「うむ・・・。どうするべきか・・・。困った・・・」
「先生!」
だが、心配そうなリリーの顔を見やると、やや表情を緩め、
「いや、これは私の個人的な問題だ・・・。リリーには関係のないことだから安心しなさい」
そう言って微笑を浮かべ、ドルニエは思い出したように続けた。
「そう言えば、そろそろ展覧会の季節だが、リリーが出るかね? それとも私が出ようか」
「あ、はい、あたしが出ます! 去年は、初めてだったし、勝手がわからなくて、いい成績が取れなかったけれど、今年は自信があります。やらせてください」
「うむ、わかった・・・。期待しているよ」
そして、微笑んだまま、きびすを返すと、師は1階奥の自室へ消えていった。
「先生・・・」
リリーには、ドルニエが最後に浮かべた微笑が、無理矢理の作り笑いのように思えてならなかった。
その後ろでは、同じように眉をひそめたイングリドとヘルミーナが、顔を見合わせていた。


Scene−2

「ねえ」
「ん? 何?」
工房の2階にあるイングリドとヘルミーナの部屋では、並んでベッドに入ったふたりが、ささやき交わしていた。
「どう見ても、変だったよね、今日のドルニエ先生」
「うん。とっても困ってたみたい」
「個人的な問題だって言ってたけど、もしそれが、あたしたちにも影響することだったら・・・」
「なんとかしないとね」
「でも、先生の悩みって、何なんだろう。リリー先生にも、わからないみたいだし」
「“大人の悩み”ってやつなのかなあ」
「う〜ん」
ふたりは揃って天井を見上げて考え込んだ。
そして、調子を合わせたようにうなずく。
「大人の悩みについてだったら・・・」
「大人の人に聞いてみるしかないわね」
「そうね。それじゃ、さっそく、明日から行動開始ね」
「誰に聞いてみる?」
「あら、あなた、もう決めてるんじゃないの。顔に書いてあるわよ」
「へ〜え、あなたの顔にも同じことが書いてあるけど」
「じゃ、朝になったら、行き先は・・・」
そして、ふたりは口を揃えて言った。
「フローベル教会ね」

次の日の朝、イングリドとヘルミーナは、朝食もそこそこに、工房を出た。リリーは相変わらず、展覧会に出品する品にかかりきりである。ドルニエは、自室にこもったままだ。
『職人通り』を下って、ザールブルグの中心部、中央広場に出る。ここに面して、シグザール城の城門や、女神アルテナを祀ったフローベル教会など、町の重要な建物が並ぶ。そして、それを隔てた反対側には、貴族や豪商が住む屋敷町が広がっている。
石畳の道を小走りに進み、ふたりがたどり着いたのは、畏怖と歴史を感じさせる荘厳な建物、フローベル教会だった。
教会の大扉は、日の出の鐘の鳴る時から真夜中までの間は、開放されており、誰でも中に入ることができる。礼拝堂の片隅に住みついているホームレスの老人までいた。
2列に並んだ長机の間を抜けて、イングリドとヘルミーナはまっすぐ説教壇の方へ向かった。説教壇の背後には、美しいステンドグラスとともに、慈愛に満ちた表情を浮かべた女神アルテナの像が、礼拝する人々を見下ろしている。

説教壇では、いつものように、礼拝用の白いローブをまとい、涼しげな目をした若い神父が聖書を広げている。
「こんにちは。なにかお困りですか?」
アルテナ像と同じように慈愛に満ちた表情をしたクルト神父は、静かな落ち着いた声で、少女たちを迎えた。
「はい、困ってるんです」
イングリドが訴えるように言う。頬がやや紅潮しているのは、彼女がこの若い神父にほのかな憧れを抱いているせいだ。
「あたしたちの、先生のことなんです」
ヘルミーナもイングリドに負けじと、声を上げる。ヘルミーナの瞳も、ややうるんだように輝いている。どうやらこの神父に対する気持ちの点でも、二人はライバル関係にあるらしい。
「あなたがたの先生・・・というと、リリーさんのことですか?」
あくまでも静かに、クルトは問い返す。
「いえ、違います。ドルニエ先生なんです」
「ドルニエさん・・・と言うと、リリーさんの師匠にあたる方のことですね。みなさんを連れて、はるばる海を渡って錬金術をこの地に広めに来たという・・・。私は、まだお目にかかったことはありませんが」
「そうです」
「それで? そのドルニエさんが、どうしたというのですか?」
「悩んでいるらしいんです」
「とっても、苦しそうで・・・」
「でも、その悩みが何なのか、あたしたちにはわからなくて・・・」
「それで、ここへ来れば、神父さんがなにか教えてくれるんじゃないかと思って・・・」
ふたりは口々に訴えた。その切々とした口調に、クルトも心を動かされたようだった。表情が引き締まる。

「この世の中に、悩みのない人などおりません。貴族も平民も関係ありません。アルテナ様は、すべての人を見ておられます。しかし・・・」
ここで、クルトの口調が変わった。今までの静かな調子から一転して、言葉が熱を帯びてくる。
「すべての人がアルテナ様の慈愛の対象になるとは限りません。自然に反した考え方を持つ者、人の世の因果律を歪めようともくろむ輩には、アルテナ様は天罰を下すのです。錬金術などという誤った魔性の術を広めようと考えたことで、ドルニエ氏にはアルテナ様の天罰が下ったのです。ですから、そのように、悩み、苦しんでいるのです。さあ、今すぐに、アルテナ様の前に出てひざまずき、懺悔をして、錬金術などという邪教を捨て去ることです。そうすれば、すべての苦しみは癒されましょう!」
もはや、クルトは熱にうかされたようにしゃべり続けていた。目には異様な光がある。イングリドもヘルミーナも、思わず2、3歩あとずさった。
「あ、あの・・・、神父様・・・」
おそるおそる話しかけるイングリドをヘルミーナがつつく。
「だめだよ、これじゃ」
そして、熱弁を振るい続けるクルトに近寄ると、
「神父様、ありがとうございました。神父様のお考えは、よおくわかりました。これ、お礼です。とってもおいしい果物ですよ」
と、ローブのポケットになにかを滑り込ませ、イングリドに目配せした。
「ありがとうございました、神父様」
イングリドも一礼し、ヘルミーナと一緒に逃げるように教会を抜け出した。

中央広場の噴水の石段に腰掛け、顔を見合わせる。
「あ〜あ、幻滅」
「錬金術のことを、あんなにひどく言うなんてね。ちょっとショックだったわ」
「ところでヘルミーナ、あなた、神父さんに何を渡したの?」
「ふふふふ、『うにゅう』よ」
「え!? だって、それ、食べ物なんかじゃないじゃない。もし食べたりしたら・・・」
「ふふふふふ、天罰よ、天罰」

その日の夕方、フローベル教会で原因不明の爆発があり、礼拝堂に寝泊まりしていたホームレスの老人が顔に火傷を負うという事件があった。神父に施しを受けた食べ物が爆発したとの噂が立ったが、真相は闇に葬られたままだった。

その後も、イングリドとヘルミーナは、何人かの大人に相談してみたのだが、はかばかしい結果は得られなかった。
シグザール城の城門を警護する王室騎士隊の副隊長は、
「人は、みな悩みを持ち、一生それを抱えて生きてゆかねばならない。私のこれからの一生は、償いのためにあるのだ・・・」
と金髪の頭をかかえ、自分の世界に入り込んでしまった。

酒場で出会った、時々リリーの護衛をしてくれる威勢のいい黒髪の冒険者は、
「なに? 悩み? 男がそんなことでガタガタ言ってんじゃねえよ。武器を振り回して、歌でも歌えば、悩みなんて、どこかへ飛んでいっちまうぜ。そうだ、俺が1曲歌ってやろうか!」
それからの数分間は悪夢だった。イングリドはめまいでふらふらし、ヘルミーナは「頭痛い・・・」とうずくまる羽目になってしまった。

雑貨屋のヨーゼフさんに話すと、
「そりゃあ、20年も店をやっていれば、いろいろなことがあるよ。困ったことも、嬉しかったこともねえ・・・」
と、長々と思い出話に付き合わされることになったし、その2階の雑貨屋の若主人には、
「ち、何を言ってやがる。俺は、自分が何をしたいかさえわかっちゃいないんだぜ。他人のことなんか、わかってたまるか」
と、冷たく言い放たれた。

結局、小さなふたりのけなげな努力は、すべて報われることなく終わったのだった。


Scene−3

それからほぼ、ひと月後。
「できたあ!」
工房に、リリーの歓声が響いた。
目の前の作業台には、ここのところずっと、仕事の合間をみてはこつこつと細工を加えてきた装飾品が、繊細な姿を現していた。
南のレッテン廃坑まで行き、魔物に襲われる危険を冒して採取してきた『竜の化石』を削って台座とし、そこに研磨剤で磨き上げた楕円形の銀の固まりを埋め込んである。そして、同じく磨き上げられた銀の鎖がつながれ、首に掛けられるようになっている。
今度の展覧会に出品する『銀のペンダント』が、ついに完成したのだ。

年に一度開かれる王室主催の展覧会は、その年の“お題”が決められており、参加者は、その“お題”に合った品物を出品しなければならない。
今回の“お題”は“装飾品”だった。
リリーは、この1年間、装飾品に関する参考書を熟読し、材料になる金属についても研究を続けてきた。確かに、もっと美しく、見栄えもするアイテムは、参考書にたくさん載っている。しかし、リリーは今の自分の実力を正直に判断して、もっとも完成度を高めることができるアイテムを選んだのだ。
そして、何度もブレンド調合を繰り返し、産業廃棄物の山を作りながら、努力を続けてきたのだ。
それが、目の前にある『銀のペンダント』である。
リリーは自分の作品をじっと見つめ、ほうっと大きな息をついた。

師のドルニエは、相変わらず元気がなく、さえない表情を浮かべていることが多かったが、リリーがなにか尋ねても、心配することはない、私個人の問題なのだから、と同じ返事が返ってくるばかりだった。
(そうだ! 展覧会が終わって一段落したら、イルマに占ってもらおう!)
リリーは考えた。イルマは、中央広場で店開きをしているキャラバンの占い師で、ザールブルグにやって来たばかりのリリーにとって、初めての友人でもある。
ふと気付くと、日は大きく傾き、工房には西日に照らされた器具類の長い影ができている。
先ほどまで、2階で言い争っているイングリドとヘルミーナの声が聞こえていたが、今は静まり返っている。ここ数日、仕事の依頼が立て込んだせいで、ふたりにはかなり無理をさせてしまった。もしかすると、疲れて眠ってしまったのかも知れない。
(ふわあああ・・・。あたしも疲れたなあ。ドルニエ先生は、今日も帰りが遅くなりそうだし、先に寝ちゃおうかな・・・)
そして、リリーは寝間着に着替えに自室へ向かった。


Scene−4

翌朝。
「きゃああああ、ない、ないよお!!!」
リリーの悲鳴が工房中に響いた。
「どうしたんですか、リリー先生」
目をこすりながら、眠そうな顔でイングリドとヘルミーナが2階からとことこと降りてくる。
「ねえ、ふたりとも! ここに置いてあったペンダント、知らない!?」
リリーは少女たちを揺すぶるようにして、叫ぶように尋ねた。
「え、ペンダントって・・・」
「あの、展覧会に出すって言ってた、『銀のペンダント』ですか?」
「そう! そうよ! それが、見当たらないのよ。昨日、完成させて、この作業台の上に置いておいたはずなのに!」
リリーの声は、もう涙声になっている。
「わかりません」
「だって、あたしたち、昨日は夕方に寝ちゃって、ずっと下には降りてこなかったし」
イングリドとヘルミーナは顔を見合わせ、うなずき合った。

「これって、やっぱり、泥棒じゃないですか」
それは、リリーがいちばん想像したくなかった答えだった。
「やっぱり、そうなのかなあ・・・。ああああ、あたし、なんてばかなんだろう! ちゃんとしまっておけばなんでもないことだったのに・・・。展覧会、どうしよう・・・」
リリーは頭をかかえ、床にぺたんと座り込んでしまった。
「とにかく、王室騎士隊に届けないと」
イングリドが言う。
「それから、ドルニエ先生にも知らせた方がいいわね」
ヘルミーナの言葉に、イングリドが手早く外出着に着替える。
「あたし、王宮へ行って来るわ。ドルニエ先生も王宮にいるだろうし。ヘルミーナは、リリー先生をお願い」
「うん、わかった」
と、ヘルミーナは、床に突っ伏し泣きじゃくるリリーの背中を、母親のようにさすり始めた。

「ん? どうした」
王宮の入口には、いつもの通り、聖騎士隊副隊長のウルリッヒが警護についていた。
息せき切って駆けつけたイングリドが、事情を話す。
「うむ。わかった。さっそく騎士隊に動員をかけ、捜査を開始させよう。だから、安心して、戻りたまえ」
ウルリッヒは、聞く人に安心感を与える深みのある口調で、答えた。
「あ、それと、今日、王宮にドルニエ先生が来ているはずなんですけど、先生にも知らせていただけますか?」
イングリドの言葉に、ウルリッヒは眉をひそめた。
「ドルニエ師が? いや、今日はこちらには見えていないぞ。私は朝からここに立っていたのだ。王宮へ来られたのなら、私が知らぬはずがない」
「え、そうなんですか? おかしいなあ」
ウルリッヒは微笑み、
「きっと、他の貴族の屋敷にでも行っておられるのだろう。そちらも、私の方で探させよう」
「はい、ありがとうございます!」
「うむ・・・。しかし、きみは小さいのに、ずいぶんしっかりしているな。うちの若い騎士隊員に見習わせたいくらいだ・・・」
そして、イングリドの見ている前で、ウルリッヒは部下を呼び集め、てきぱきと指示を下し始めた。

ようやくドルニエが工房に戻ってきたのは、夕方近くになってからだった。
ショックから自室のベッドで寝込んでいたリリーは、師匠の顔を見るなり、半身を起こし、師の腕にすがって泣き出してしまった。
「おお、リリー、いったいどうしたと言うのだね。盗難事件があったとは聞いたのだが、あわてて戻って来たので、詳しいことを聞いていないのだよ」
「先生・・・ごめんなさい・・・。展覧会用に作った『銀のペンダント』が、盗まれてしまって・・・」
「なに、『銀のペンダント』だと・・・」
ドルニエの顔にも驚愕の表情が走った。
が、すぐに表情を和らげ、リリーの肩を叩いて、言う。
「展覧会のことなら、心配することはない。リリーが作った装飾品は、まだたくさんあるではないか。その中から出品すればよい」
「でも・・・でも、あたし、一生懸命、あのペンダントに全力を注いでいたんです。これじゃ、今年の展覧会でも、いい成績は取れないわ・・・」
泣きじゃくるリリーに、ドルニエは、自らも動揺を押し隠すかのように落ち着いた口調で続ける。
「いいかい、リリー。展覧会は、今回で終わりではない。次も、その次もあるのだ。私たちの求めるものは、一朝一夕に実現できるものではないことは、リリーにもわかっているだろう・・・。今回のことは、済んでしまったことだ。また、がんばれば良いではないか」
肩を震わせ、涙をぬぐいながら、リリーは2度3度とうなずいた。

結局、展覧会にはリリーが練習用に作った、あまり出来の良くない『ランジェリング』を出品するしかなく、成績も芳しいものではなかった。

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