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〜90000HIT記念リクエスト小説<イッテツ様へ>〜

夏の夜祭り Vol.1


前篇 祭りの準備

Scene−1

シグザール王国の王都、城塞都市ザールブルグ。
昼間は人々の活気に満ち溢れているこの町も、すでに真夜中をまわった今の時刻は、しんと静まり返っている。下町の『職人通り』界隈へ行けば、深夜まで営業している酒場もあり、酔漢が大騒ぎをしているかも知れないが、貴族や豪商の屋敷が建ち並ぶこのあたりは、通る人もなく、青白い月明かりだけが、がらんとした石畳の道を照らし出している。
そんな中、ひとつの足音が、屋敷街の静けさの中に響く。着実にリズムを刻む足音は、静けさを破るというよりも、沈黙の中に調和し、夜に溶け込んでいるかのようだ。そして、足音の主もまた、夜の闇に同化しているかのような漆黒の黒い長髪をなびかせ、黒い瞳に鋭い眼光を秘めて、流れるような動作で歩を進めていく。青光りする重い鎧を身につけているにもかかわらず、その所作に鈍重さは微塵も感じられない。
(ふむ、思ったより時間をくってしまったようだ。急いで戻らねば・・・)
シグザール王国王室騎士隊長にして、“ザールブルグの剣聖”と呼ばれるエンデルク・ヤードは、心の中でつぶやくと、さらに歩みを速めた。
エンデルクは、今宵、王室で開かれた舞踏会でワインを飲みすぎて酔いつぶれたさる貴族のご婦人を、屋敷まで送り届けてきた帰り道だった。通常、そのようなことは騎士隊の役割ではないのだが、その美貌の女性が、自分は何者かに命を狙われている、騎士隊長に送ってもらわなければ怖くて帰れない、と騒ぎ始めたので、見かねたブレドルフ国王の指示により、エンデルク自身が馬車で送ることになったのだった。
無事に屋敷に到着すると、その貴族の女性は大仰に感激して見せ、すっかり酔いもさめた様子で、あの手この手を使ってエンデルクを引きとめようとした。だが、そのような事態には慣れっこのエンデルクは、色仕掛けにも泣き落としにもあくまで冷徹な態度を崩さず、あらゆる誘惑の芽を丁重に辞退して、紳士的に辞去してきたのだった。
誰が言い出したのか、誰が最初に騎士隊長を落とせるかというのが、この夏、ザールブルグの上流階級のご婦人たちの間で関心の的になっていた。そのことはエンデルクも聞き知っている。だが、貴族たちの恋愛ゲームに巻き込まれる趣味はない。
彼が求めているとすれば、それは別の種類のゲームだった。

もう少しで屋敷街を抜けるというところで、雲が月にかかり、あたりは急に暗さを増してきた。
つと、エンデルクは歩みを止め、鋭いまなざしを周囲に向ける。
かすかな音と気配を感じたのだ。
未知のものは、常に危険となる要素をはらんでいる。たとえ、街の中であっても。いや、平和であるべき街の中であるからこそ、そのような謎の気配を看過するわけにはいかない。
エンデルクは、濃さを増した闇を透かし見るようにして、気配をさぐった。
右前方で、カタン、と軽い音が響き、そちらへエンデルクの注意が集中する。そこは、公共のゴミ捨て場で、いくつかの木箱が転がっている。
そのひとつが、動いた。
エンデルクは剣の柄に手をかけ、油断なく身構える。
がさっ、と音がして、緑色に光るふたつの丸い点が、エンデルクの方を向いた。
「にゃー」
闇に溶け込んでしまいそうな黒猫は、安眠妨害をするなとでも言いたげに、緑色の瞳でエンデルクをじっとにらみつけている。
エンデルクは肩の力を抜いた。
「フ・・・。すまぬ、邪魔をしたな。ゆっくり休むがいい・・・」
低い声で猫にささやきかけると、きびすを返そうとした。
その瞬間、背後で黒い大きな影が動いた。
「もらった!!」
気合のこもった鋭い叫び声と共に、飛び上がった影から、棒のようなものがエンデルクの後頭部に振り下ろされる。
「甘い!」
エンデルクは矢のように動いた。鍛え抜かれた反射神経がなければ、間違いなく一撃を受けていたことだろう。体を沈めざま、横に身を投げ出す。
目標を見失った曲者がたたらを踏んで前に飛び出す。同時に、跳ね起きたエンデルクは、相手が体勢を立て直す前に背後から迫り、手甲を付けた右腕で相手の手首を打った。
ぽろりと曲者の手から模擬刀が落ちる。そのままエンデルクは相手の右手首をねじりあげ、体重をかけて押し倒した。
「あいたたたた! 参った、参りました!」
相手の声に、軽くうなずいて、エンデルクは手を放した。
「フ・・・。まだまだ甘いな、ダグラス。野良猫を使って私の注意をそらしたのは、お前にしてはよく考えたというべきだが、所詮は浅知恵だ」
「ふん、浅知恵で悪かったですね・・・。ちっくしょう、3日も寝ないで考えた作戦だったのに、また失敗かよ!」
打たれた右手首をさすりながら、聖騎士いちの元気者ダグラス・マクレインはくやしそうに叫んだ。勤務時間ではないので聖騎士の鎧は身につけておらず、黒い肌着に黒いズボンという身軽な姿だ。もちろん、黒装束なら闇に紛れることができるという計算もあったのだろう。
「フ・・・。どうした、降参するか。期限の夏祭りの夜中まで、もう日にちがないぞ」
「降参・・・? 冗談じゃねえや。少しでも可能性がある限り、望みを捨てるなっていつも言ってるのは隊長じゃないですか。俺は絶対に諦めませんからね!」
「ふむ・・・」
エンデルクの表情が緩み、口元にかすかな笑みが浮かんだ。

「いつでも、どこでもいい。できるものなら、私に一太刀浴びせてみろ」
その言葉がエンデルクの口から出たのは、ひと月ほど前のことだった。
騎士隊の若手の剣の訓練を見ていたエンデルクは、かれらの剣技に進歩が見られないのが気になった。
ここ数年、ザールブルグ周辺は平和になっている。かつて恐怖の的となっていたヴィラント山の火竜やエアフォルクの塔の魔人のような、世を騒がせる怪物もいない。隣国との関係も良好だ。年に2回の魔物討伐でも、手ごたえのある敵と出会うのは珍しくなっていた。
そんな中で、王室騎士隊の精鋭といえども、気が緩んできているのはやむをえないことかも知れなかった。
だが、エンデルクは隊長として、そのようなことを見過ごすわけにはいかなかった。
そこで、ダグラスをはじめとする騎士隊の若手を挑発したというわけだ。
条件は、簡単だった。
ザールブルグの夏祭りが終わるまでの1ヶ月の間に、エンデルクの隙をついて一太刀浴びせることができた者には、無条件で年末の武闘大会への出場権を与えるというものだ。
毎年、年末に開催される王室主催の武闘大会には、冒険者をはじめ、腕自慢の猛者たちが参加してくる。当然、騎士隊員たちもこぞって参加を希望するわけだが、全員の参加を許可しては参加枠を超えてしまうし、当日の会場整理や警備などもおぼつかない。そこで、騎士隊内部で予選会を行い、それを勝ち抜いた者のみが本大会に参加できるという内規が定められていた。その内規に縛られないのは、歴代の武闘大会の優勝者のみ。言い換えれば、エンデルクひとりだけだった。
しかし、今回のこのエンデルクとの賭けに勝てば、無条件で武闘大会に出場できる。
若手騎士たちは、色めきたった。
以降、毎日24時間、朝から晩までエンデルクの周囲には、彼を付けねらう騎士たちの影がつきまとった。勤務中はもちろん、着替えている時も、食事中も、風呂に入っている時も、宿舎のベッドにいても、背後から襲ってくる模擬刀の気配を感じないことはなかった。
しかし、そのことごとくをエンデルクは打ち払い、返り討ちに遭わせてきた。
10日あまりが経つと、ほとんどの騎士は諦めてしまったようだった。その中で、ダグラスだけは、やられてもやられても、手を変え品を変え、あくなき挑戦を続けていた。

雲が切れ、再び差してきた月明かりが、ふたりの聖騎士の姿を照らし出す。
くやしそうに、ひねり上げられた手首をさすっているダグラスを見やりながら、エンデルクは思った。
(ふむ、情けないことだ・・・。見どころがあるのは、ダグラスひとりだけとは・・・)
この賭けの期間が終わったら、またなにか別の手を講じて部下たちを鍛え上げねばなるまい。
(だが、その前に・・・)
今度はダグラスがどんな手を打ってくるか、心ひそかに楽しみにしているエンデルクだった。


Scene−2

「こんにちは〜」
いつも通りの元気な挨拶をして、錬金術師エリーは酒場『飛翔亭』の扉を押し開けた。
オレンジ色の錬金術服とローブをまとった小柄な姿は、酒場にはいかにも場違いに見える。だが、錬金術学校ザールブルグ・アカデミーに補欠で合格し、アカデミーからの支援が得られないエリーにとって、酒場が紹介してくれる仕事が命の綱だった。初めて訪れた頃は、ごく限られた仕事しかこなせなかったが、時を経て信頼を得た今は、高度な技術を必要とする依頼も任されるようになっている。
さして広くない『飛翔亭』は、入って右にカウンターがあり、店内にはいくつかのテーブル席がある。
まだ昼過ぎだが、店内はにぎわっている。仕事にあぶれた冒険者たちが酒を酌み交わしながら情報交換しているのはいつもの風景だったが、どこか人々が浮き立って見え、いつも以上に活気にあふれているのは、年に一度の夏祭りが間近に迫っていることもあるのだろう。
「ああ、お嬢さんか。何の用かな」
カウンター内の手前側にいたクーゲルがエリーに気付き、いつもの無愛想な調子で挨拶を返す。クーゲルは『飛翔亭』の店主ディオの実弟で、数年前までは現役の冒険者だった。王室や貴族への独特のコネクションを持っており、実入りのいい仕事を斡旋してくれる半面、仕事のできばえには厳しかった。
「クーゲルさん、頼まれていた薬、できましたよ」
エリーは明るく言って、紙袋をカウンターに置く。
クーゲルは黙って袋を開け、ひとつひとつ色紙に包まれた薬を取り出して、しばらく観察した後、ゆっくりとうなずいた。
「うむ。なかなかの出来だな。これなら、依頼人も満足するだろう」
クーゲルの言葉に、緊張気味だったエリーも笑顔を見せた。
クーゲルが差し出した銀貨の袋を受け取りながら、ふと思いついたように、エリーが尋ねる。
「それにしても、依頼だから作りましたけど、『逆に作用する酔い止めの薬』なんて、いったい何に使うんでしょうね」
エリーの問いに、クーゲルは首を横に振った。
「さてね。貴族の考えることはわからんよ。それに・・・」
じろりとエリーを見る。
「依頼人のことをあれこれ必要以上に詮索するのは、あまりほめられた態度とは言えないな」
「あ・・・、ごめんなさい」
顔を赤らめるエリーを、大きな手が背後からどやしつけた。
「おう、エリーじゃないか、どうした、しょぼくれた顔して」
「あ、ハレッシュさん」
『飛翔亭』を根城にしている冒険者のハレッシュは、トレードマークの赤いマントに大柄な身体を包み、人のよさそうな笑みを浮かべている。
「そんな・・・。しょぼくれてなんか、いませんよ」
エリーがふくれて見せる。ハレッシュは豪快に笑って、
「ははは、それならいいんだ。なんてったって、もうすぐ夏祭りだからな。大いに楽しまなけりゃ損だぜ」
「夏祭りと言えば・・・」
エリーがクーゲルに話しかける。
「今年のメインイベントは肝試しだって聞いたんですけど」
クーゲルがうなずく。
「ああ、そうだ。街の南にある大きな墓場を会場にしてな。フローベル教会は、死者を冒涜することになるとか言って渋っていたが、参加料のかなりの額を寄付すると決めたとたんに、許可してくれたよ」
「ふうん、面白そうですね」
「お嬢さんも、参加するのかね」
「ええ、できれば・・・」
「だが、今回は肝試しに参加できるのはカップル限定という決まりなのだよ」
「へ?」
「そう、それだよ、それ!」
目を丸くするエリーの脇で、ハレッシュが叫んだ。
「いったい誰が、そんな嬉しい・・・じゃなかった、くだらないルールを決めたんだい?」
「今回は、ただ墓場を歩き回るだけの肝試しではないぞ。いろいろと趣向を凝らした脅しの仕掛けを作る予定なのでな。ひとりで参加して気絶されても困るし、大勢で騒がれても興趣がそがれる。だから、参加者はカップル限定ということにしたのだよ」
「それで・・・。あのさあ、クーゲルの旦那・・・」
ハレッシュが口ごもる。なにかを言いたいのだが、言い出せずにいるようだ。
クーゲルはハレッシュをじろりとにらんで、
「フレアの予定なら、わしは知らんぞ」
「げ・・・」
図星を当てられたとでもいうように身をこわばらすハレッシュを見て、エリーはくすっと笑った。
ハレッシュが、店主ディオのひとり娘で『飛翔亭』の看板娘でもあるフレアに想いを寄せているのは、誰もが知っている事実だった。もっとも、ばれていることにハレッシュ本人が気付いているかどうかは定かではなかったが。
(ハレッシュさんは、フレアさんと一緒に行きたいんだろうなあ・・・。でも、ディオさんが許してくれるわけないよね。気の毒だなあ・・・)
エリーはそう思って、ちらりと左側のカウンターを見やった。当の店主ディオが、こちらの話が聞こえたのか聞こえないのか、無表情にグラスを洗っている。
「ところで・・・」
エリーは話題を変えた。
「肝試しの脅かしの仕掛けって、どんなものができるんですか」
「さあな。知っていても、教えんよ。ネタがばれては、面白くもなんともないからな。そういえば、仕掛け作りには『職人通り』商店会の他に、アカデミーも一枚かんでいると聞いているが、お嬢さんは知らないのかね」
「え、そうなんですか? そんなの、初耳です」
その時、けたたましい音を立てて扉が開き、夏らしく露出の多い服を着た女性が金髪をなびかせて、嵐のように駆け込んできた。
「やっほ〜! みんな、久しぶり〜!」
「マ・・・マルローネさん!?」
エリーがあんぐりと口を開ける。
「ケントニスにいらっしゃったんじゃ・・・」
エリーの大先輩で、命の恩人でもある錬金術師マルローネは、エリーに気付くと矢つぎばやに言葉をはきだした。
「あ、エリー、いたんだ。ちょっと、聞いてよ。のんびり骨休めをしようと思って久しぶりにケントニスから帰ってきて、ちょっとアカデミーに挨拶に行ったら、イングリド先生にいきなり呼び止められちゃってさあ。で、何て言われたと思う? 夏祭りの肝試しに使う脅かしの仕掛けを作れだってさ。しかも、クライスと一緒によ。たまたま帰りの船と馬車で一緒になっちゃって、さんざんイヤミを聞かされて、やっと解放されると思ったのに。もう、最悪よ。あたしは便利屋じゃないって言ってるのにさ! でもまあ、面白そうだから引き受けたけどね。さあて、どんなすごい仕掛けを作ろうかなあ・・・」
まだまだ続くマルローネの言葉を聞きながら、ハレッシュがため息をついた。
「やれやれ、こいつはただじゃ済みそうもないな。もしかしたら、肝試し会場には近づかない方が利口かも知れないぞ・・・」
エリーもまったく同感だった。


Scene−3

「それで・・・? 一体全体、あなたは私に何をさせようというのですか?」
手渡されたメモを片手で振り、もう一方の手で銀縁眼鏡の位置を整えながら、クライスは顔をしかめた。
「わからないの? 案外、あんたってばかなのね」
アカデミー研究棟の地下実験室で、床に敷き詰められた大きな紙に設計図らしきものを書きなぐりながら、マルローネは目も向けずに言う。
「あんたは下働きなんだから、言われた通り、そこに書いた材料を集めてくればいいのよ」
「誰が下働きですか。イングリド先生がおっしゃったのは、ふたりで協力して作業しろということです。他に適任者がいないということでしたので、不本意ながら私も承諾しただけです。あなたのような人使いが荒い人に隷属して仕事をするなどという契約にサインした覚えはありません」
クライスは、年齢はマルローネより二つ下だが、アカデミー在学中はずっと首席を通してきた秀才である。優秀な生徒のみが行けるマイスターランクに進み、卒業後も西の大陸にある錬金術の総本山ケントニスに渡って、高度な錬金術の研究を続けている。先にケントニスに渡っていたマルローネを追いかけて行ったのだという噂に対しては、本人は完全無視を決め込んでいるが、明確に否定したことはない。
クライスは冷ややかな口調で続ける。
「だいたい、このいいかげんな指示は何ですか。『布をたくさん、糸をたくさん、ワインを適当に、ぷにぷに玉を適当に・・・』とは、あきれてものも言えません」
「言ってるじゃない」
「一口に“布”と言っても、様々な種類があるのですよ。木綿なのか、国宝布なのか、高価なグランビル布なのか、正確に記していただかなければ、取り揃えようがありません。数量もちゃんと具体的な数字を挙げてください。糸についても同じことです。それに、もう少し読みやすい字で書いていただきたいものですね」
「もう、クライスは細かいんだから。量だの種類だの、そんなのは常識で判断しなさいよ。いい大人なんだから」
「いつまでも子どもみたいなあなたに言われたくはありません。それに、あなたの言う“常識”は信用できません。だいたい、材料のリストだけ見せられて、何を作るつもりなのかも教えていただけないのでは、判断のしようがないではないですか」
「うるさいわね。肝試しの本番までは、どんな仕掛けなのか知ってる人が少なければ少ないほど、秘密が守られる確率も高くなるのよ。ばれたら面白くないものね。あんた、口が軽いかも知れないし」
「少なくとも、私の口はあなたよりは数十倍、重いと思いますけれどね」
「はいはい、わかったから、口ばかり動かしてないで、身体も動かしなさいよ」
確かに、マルローネは手を休めずに設計図を書き続けている。もっとも、線は歪んでいるし文字も乱暴なので、書いた本人以外は判読のしようもないものだったが。
処置なし、というふうに肩をすくめて、クライスは出て行った。自分なりの判断で、材料を調達しに行こうというのだろう。

「どう? マルローネ。作業は順調かしら?」
クライスと入れ違いに実験室に入ってきたのは、錬金術服とローブに身を包んだふたりの女性だった。
マルローネとクライスの師匠だったイングリドと、同じく講師のヘルミーナである。ふたりとも、ケントニス出身者の特徴である左右の色が違う瞳の持ち主だ。
「あ、はい、イングリド先生、順調です」
手を休めて立ち上がると、マルローネは腰を伸ばした。
「そう・・・」
イングリドは散らかった室内をあきれたように見回し、ため息をついて言った。
「まあ、あなたに任せた以上、とやかく言うつもりはありませんが・・・。最初に言ったように、火薬や爆弾だけは使うんじゃありませんよ。いくら脅かすのが肝心とは言っても、肝試しの会場を野戦病院にするつもりはありませんからね」
「は〜い、わかってます」
明るく答えるマルローネに、まだ幾分か不安そうな視線を向けて、イングリドはうなずいた。
「まあ、あなたもそろそろ“爆弾娘”は卒業したでしょうからね。ですが、もし、わたくしの信頼を裏切るようなことがあったら・・・」
「は、はい! だいじょぶです、もちろんですよ、あはは」
直立不動の姿勢をとったマルローネをじろりとにらんで、今度はヘルミーナが口を開いた。
「それにしても、あんまり期待できそうにないねえ、ふふふ。まあ、イングリドの弟子のやることだから、仕方ないけれどね」
「あら、聞き捨てならないわね、ヘルミーナ」
イングリドが険悪な視線をヘルミーナに向ける。
「そういえば、あなたも仕掛けを用意すると言っていたわね。そのへんの準備をしている様子がまったくないようなのだけれど、どういうことなのかしら?」
イングリドの視線を平然と見返し、ヘルミーナは、
「こっちの準備は、もう終わっているよ。みんなをぞっとさせてやるさ。どんなに大掛かりな仕掛けをしようとも、大切なのはリアリティなんだよ、ふふふふふ」
不気味な笑みを浮かべるヘルミーナを見ながら、マルローネは心の中で思った。
(ひえええ、墓場で幽霊なんかに遭うより、ヘルミーナ先生に出会う方が、よっぽど怖いなあ・・・)


Scene−4

祭りを控えた浮き立つような日々はあっという間に流れ過ぎ、8月14日になっていた。
ザールブルグの夏祭りは、明日に迫っている。
酒場『飛翔亭』も、普段の数倍にも及ぶであろう客をさばく準備に、おおわらわだった。
ディオとクーゲルは店の奥で料理の仕込みに余念がなく、カウンターでの接客は看板娘のフレアが一手に引き受けている。
祭りの前日ということで、客の数はいつもの倍近かったが、フレアは笑顔を絶やさず、次から次へと注文をさばいていた。
ハレッシュは、そんなフレアをちらちらと見やりながら、うろうろとカウンターとテーブル席の間を行ったり来たりしていた。
(フレアさん、俺と一緒に肝試しに行きませんか・・・?)
そのひとことが言いたくて、朝からずっと店内をうろついているのだが、なかなか決心がつかない。決心がついたらついたで、話しかけようとすると他の客が注文するので、タイミングを外され、再び決心は揺らいでしまうのだ。
(くそっ、俺はなんて臆病者なんだ・・・)
ハレッシュは心の中で歯ぎしりしながら、何度目かの勇気を奮い起こそうとしていた。
もしかしたら、自分がためらっている間に、他の誰かが同じことをフレアに言い出さないとも限らない。ディオが奥に引っ込んでいる今がチャンスなのに。
と、ハレッシュの願いが通じたかのように、一瞬、客の流れが途切れた。
フレアは疲れたのか、カウンターにもたれ、ぼんやりと宙をながめている。
(今だ! 今しかない・・・)
ハレッシュは意を決して、カウンターに歩み寄った。
「あ、あの・・・、フレアさん」
「あら、ハレッシュさん」
フレアはにこやかな笑顔を向けた。もっとも、この笑顔はハレッシュだけではなく、『飛翔亭』を訪れるすべての人に向けられるのだが。自分だけに向けてほしい、と願うハレッシュだった。
「フレアさん、もし、よかったら・・・」
声を上ずらせながらも、なんとか言葉を口にしようとした時、奥からひょいとディオが顔を出した。
「おい、ハレッシュ」
ハレッシュの顔が凍りつく。そして、途中まで出かかっていた言葉は途切れた。
ディオににらみつけられ、文句を言われるのを覚悟して、ハレッシュは首をすくめた。これまで、フレアに話しかけようとするたびに、そういう目に遭っている。
だが、ディオはハレッシュに向けて、にやりと笑って見せた。
「いいところに来たな、ハレッシュ」
「は?」
意外な展開に、どぎまぎしながらハレッシュが答える。
「あんたは今週、自警団の当番だったな、ハレッシュ」
「はあ、そうですけど」
「では、すまないが、肝試しの裏方として、脅かし役をやってもらいたい。身体の大きい人間が必要でな。あんたならぴったりだ」
「え・・・?」
「当番なんだから、仕方なかろう。それとも、なにか不都合でもあるのか」
「・・・・・・」
ハレッシュは、周囲の世界ががらがらと崩れ落ちる思いだった。

これ以上はないというほど肩を落として、ふらふらとハレッシュが出て行った後で、ディオは会心の笑みを浮かべた。
「これで、最大の厄介ごとは始末できたな」
ひとりごとを言うと、険しい目でフレアを見やる。
「祭りの日というのは、不埒者の数も増える。ふらふらと外を出歩いたりするんじゃないぞ」
「そんな・・・、お父様・・・」
フレアは哀しげに目を伏せる。
「店も忙しいしな。わしもすべてに目を行き届かせることはできん。妙なやつがお前に近づくのを四六時中、見張っているわけにもいかんのだ。わかってくれ」
「おいおい、兄貴、そいつはちょっとやり過ぎじゃないのか」
クーゲルが口を挟んだ。
「お前には関係ない」
「ご挨拶だな。フレアももう大人なんだぞ。少しは自由にしてやったらどうだ」
「大人だから、危ないんだ。どんなやつがフレアを狙っているとも限らん。危険な場所には出せん。祭りなど、その最たるものじゃないか」
ディオが声を荒げた。フレアはますます哀しそうな顔をして、目をそらす。
「兄貴の気持ちはわかるが、外出禁止は行き過ぎだろう。フレアにも祭りを楽しむ権利はあるはずだ」
「なら、どうしろと言うんだ」
クーゲルは、兄には直接答えず、フレアに声をかけた。
「フレア・・・。わしと一緒に、肝試しに行こうじゃないか」
フレアがはっと顔を上げる。クーゲルは姪に優しく視線を向けた後、ディオを見やる。
「わしが一緒なら、兄貴も文句はなかろう。なに、出かけている間、誰にも声はかけさせんと約束するよ。どうだ?」
「う、うむ・・・。まあな・・・」
ディオがしぶしぶうなずく。
「まあ、パートナーがわしでは、不満かも知れんが・・・」
「いいえ、クーゲル叔父様、ありがとうございます・・・」
フレアの表情に、明るさが戻ってきた。


Scene−5

祭りの前日ということもあって、アカデミーの授業はいつもより早めに終わった。
普段は放課後も図書室にこもっている生徒たちも、どこか落ち着かず、うきうきとアカデミーの中庭を歩き回ったり、街に出て行ったりしている。
閑散とした図書室の片隅で、ひと組の男女が語り合っていた。
「それで・・・。用って何? アイゼル」
「ううん、それほど、大したことではないのだけれど・・・」
エリーと同学年のノルディスとアイゼルである。ノルディスはエリーと同じイングリド教室に属していて、学年で1、2を争う優秀な生徒。アイゼルはヘルミーナ教室に属している。師匠同士がライバル関係にあることもあって、入学当初はエリーに冷たい態度を取っていたアイゼルも、今はすっかり打ちとけて仲良くなっていた。アカデミーの“3人組”と言えば、エリー、アイゼル、ノルディスを指すのが当たり前というほどの名物メンバーだった。
また、アイゼルがノルディスに対してほのかな想いを寄せていることも、本人の意向とはかかわりなく、アカデミーではかなりの噂となっている。
少し口ごもってもじもじした後で、アイゼルは意を決したように話し出した。
「もし、よかったら、明日の夏祭り、一緒に出かけないこと?」
「ああ、いいよ」
あっさりとノルディスは答えた。
「本当、ノルディス」
「うん。今年のお祭りのメインイベントは、男女ペアでないと参加できないらしいからね」
「まあ、ペアで?」
アイゼルがぽっと頬を染める。それに気付いたか気付かないのか、ノルディスは『職人通り』商店会が配っていたチラシを取り出して、アイゼルに見せる。
「ほら、これ。墓場を一周する肝試しは、カップル限定なんだってさ」
「肝試しですって!?」
アイゼルの声がひっくり返った。
「あれ? 知らなかったの、アイゼル? 男女ペアで墓場を一周する肝試しなんだって。面白そうだよね」
「ペ、ペアで・・・、き、肝試し・・・?」
見る見る、アイゼルの顔から血の気が引いていく。ノルディスは、気付いた様子がない。
アイゼルが、あわてた口調で言い出す。
「あ、あの・・・。ごめんなさい、ノルディス。よく考えてみたら、明日はわたし、実家に呼ばれていたのだったわ。おばあさまも来られるそうだし・・・。ばかね、わたし、なんで忘れていたのかしら」
「え?」
そわそわと立ち上がったアイゼルは、自分の本をまとめると、
「そ、それじゃあ、そういうことだから・・・。ま、また来年、一緒にお祭りに行きましょうね」
そのまま、逃げるように図書室を出て行く。
ぽつりとひとり残されたノルディスは、わけもわからず目を白黒させるばかりだった。

寮棟の自分の部屋に戻ったアイゼルは、どさりと本を机に投げ出すと、ソファに身を投げた。
「もう! よりによって、なんで肝試しなのよ!」
昨年の夏祭りで、エリーへの嫌がらせのつもりで肝試しに誘ったところが、間近でヘビと顔を突き合わせる羽目になってしまい、ノルディスの目の前で気絶した記憶が、アイゼルの心によみがえっていた。
それがトラウマとなっていて、“肝試し”という言葉を耳にしたとたんに、あれほどの過剰反応を起こしてしまったのだった。
(くすん・・・)
明日はずっと、部屋に閉じこもっていよう。
やりきれない気分で、アイゼルは決心した。


Scene−6

肝試しの会場となる墓場は、ザールブルグの城壁の外側、南門から西門にかけて、大きく広がっている。肝試しのルートは、南門を出発して墓場の中に設定されたいくつかのチェックポイントを通過し、西門に抜けるコースが予定されていた。
西門に近い空き地には、数日前から大きなテントが張られている。
テントの前には

危険。関係者以外立ち入り禁止。
ザールブルグ・アカデミー
(現場責任者:マルローネ)

と、恐ろしげな文字で書かれた大きな立て札が立っている。
興味にかられた旅人や、町の住人が遠巻きになって見つめているが、中を覗こうとする勇気のある者はいないようだ。特に、立て札の最後に記された『現場責任者:マルローネ』という言葉が効いているらしい。“爆弾娘”マルローネの名前と噂は、いまだにザールブルグの人々の間に根強く残っているようだった。
(また、あの娘が帰ってきたのかい?)
(物騒よねえ・・・。また騒ぎを起こさなけりゃいいけど)
(あのテントの中で、何をやっているんだろう? ちょっと覗いてみようか)
(おい、やめとけ、命がいくらあっても足りないぞ)
(くわばらくわばら、触らぬ神に祟りなしってやつだよ)
そんな言葉がざわざわとささやかれる中、大きな袋をかついだクライスは、つかつかとテントに近づき、ためらいもせず中に入っていった。
「お待たせしました、マルローネさん。持ってきましたよ」
「あ、クライス。どう、調達できた?」
振り向きもせず、マルローネが言う。
マルローネの脇にどさりと袋を投げ出し、嫌味な口調でクライスが言う。
「まったく、いいかげんな見積もりで作業を始めるから、最後の最後で材料が足りなくなったりするのです。あちこち駆けずり回って、最後はヘルミーナ先生にまで頭を下げて、揃えてきましたよ」
「あっ、そう」
「マルローネさん! 貴重な一日をつぶして駆けずり回ったあげく、かけられた言葉が“あっ、そう”の一言だけですか。本当に、あなたという人は勝手な人ですね」
「だって、手が放せないんだもん。いいから、そこに置いといて」
「特に、その薬品はヘルミーナ先生特製のやつですからね。使う時は、ちゃんと希釈して使うんですよ」
「はいはい、わかったわかった」
マルローネは手を休めない。
「それでは、私はもういいのですね」
「うん、後は明日の夕方、最後の準備を手伝いに来てくれればいいから」
それでも、なぜかクライスは立ち去りがたい様子で、自分の“作品”に取り組んでいるマルローネの後姿をぼんやりと見つめていた。金髪はほこりにまみれ、錬金術服も薬品の染みでまだらに汚れていたが、マルローネはいつも以上に生き生きとしていた。
(まったく・・・。私の美意識はどうなってしまったのでしょう・・・)
「何よ、どしたの、クライス?」
心の中でつぶやいていたクライスは、マルローネの声に、どきっとして顔を上げた。
手を休めたマルローネが、きょとんとして見つめている。
「まだいたの?」
「ご・・・ご挨拶ですね」
咳払いをして、クライスは言葉を探す。
「だいたい、あなたは本当に、こんなもので人々が驚き怖がると思っているのですか?」
ところ狭しと並べられた“こんなもの”をながめて、クライスは言った。
「当たり前じゃない。あたしだってばかじゃないわよ。いい? 人というのはね、かわいい、無害なものが牙をむいて襲いかかってきた時に、いちばん恐怖を感じるものなのよ」
「本当ですか? へたなホラー小説の読みすぎじゃないんですか?」
「まあ、それでもダメなら、奥の手があるし」
マルローネはにんまりと笑った。
「やれやれ、それでは、そろそろ失礼することにしますよ」
今度こそ、クライスは背を向けてテントを出ようとする。
その背中をマルローネの声が追いかけてきた。
「クライス、ありがとう。手伝ってくれて、ほんと助かったよ。大好き!」
無言でテントを出たクライスは、あたりが夕日で真っ赤に染まっているのを見て、ふうっと大きく息をついた。
彼女の言葉に、深い意味がないのは承知している。でも・・・。
夕日のおかげで、自分の頬が真っ赤になっているのも目立たずに済んだ。


Scene−7

窓からロビーに差し込む日差しが、ゆっくりと西に傾いている。
アカデミーの授業が早めに終わったため、ロビーに人影は少ない。夏祭りを明日に控えて、調合材料や参考書を買いに来る生徒はなく、ショップ店員のルイーゼは誰にも邪魔されることなく、カウンターの中に座り込んで読書に没頭することができた。
読んでいるのは、夏にふさわしくというべきか、『幽霊の科学』というタイトルの本だった。
「あの〜」
不意に声をかけられて、ルイーゼは顔を上げた。
「あ、いらっしゃいませ」
目の前に立っていたのは、アカデミーではあまり見かけないクラシックな服装をした少女だった。
貴族が身につけるような上品なドレスを着て、肩にはショールをかけ、左手にたたんだ日傘を持っている。髪の毛は長く、愛嬌のある大きな目をしている。
この来客は、アカデミーの生徒ではない。記憶力のいいルイーゼは、一度でもショップへ買い物に訪れた生徒の顔は、すべて覚えている。
鈴の音のようなかわいらしい声で、少女は尋ねた。
「あの〜、ここって、ザールブルグのアカデミーですよね」
「あ、はい、そうですけど・・・」
「錬金術師さんが、たくさんいるんですよね」
「はい」
答を聞いて、少女はころころと楽しそうに笑った。
「あ、あの・・・」
ルイーゼが問いかけようとした時、少女は思い出したように言った。
「あ、ごめんなさい、ちゃんと着いたので、すっかり嬉しくなっちゃって。うふふ」
「はあ・・・」
くすくす笑っていた少女は、唐突に言った。
「ヘルミーナさん、いらっしゃいますか?」
「は? ヘルミーナ先生・・・ですか?」
ルイーゼは、きょとんとして少女を見つめた。このような少女とヘルミーナとは、いかにもそぐわない。
「ヘルミーナ先生なら、あちらの研究棟の実験室にいらっしゃるはずですけれど・・・」
ルイーゼは釈然としない思いで、研究棟へ通じる扉を指さした。
「ありがとうございます」
ぴょこんとお辞儀をして、少女はすべるような動きで扉に向かった。
ルイーゼは読書に戻ろうとして視線を下げたが、ふと気になって、もう一度、目を上げた。
少女の姿は消えていた。でも、ルイーゼは扉が開閉する音を聞いていない。
首をかしげていたルイーゼだが、やがて、自分が気付かなかっただけだと決めた。
(わたしって、いつもぼんやりしてるものね)

そろそろ店じまいの時間だ。
本の中の霊の世界に没頭していたルイーゼは、片づけを始めようとして、本に挟んでおくしおりを探した。カウンターの影に置いてあったチラシが目に付く。昼間、『職人通り』商店会の人が置いていったものだ。
なにげなく目を走らせたルイーゼの瞳に光が宿った。
“肝試し”・・・“墓場”・・・“怪異”・・・“幽霊”・・・“人魂”・・・。
連想が連想を呼び、ルイーゼはわくわくしてきた。
これは、ぜひ参加しなければ。
だが、チラシに書かれた“男女ペアでの参加に限ります”という文字を見て、ルイーゼはため息をついた。
足音が近づき、ルイーゼは顔を上げた。
図書室の方から、ノルディスがぼんやりとした足取りで歩いてくる。
ルイーゼに気付くと、ノルディスは弱々しく微笑んだ。寂しそうな笑みだ。
「どうしたんですか、ノルディスさん」
ノルディスの様子が気になったルイーゼが、声をかける。
「いえ、別に・・・」
力が抜けたような、気のない返事だ。
それでも、ノルディスはカウンターの前で足を止めた。
「なんだか、お疲れのようですね」
「そうですか? そんなことないと思うけど・・・」
「お勉強のし過ぎですよ。余計なことかも知れませんけれど、コンテストも終わったばかりですし、少しは気晴らしもなさった方が・・・」
「はあ・・・」
「夏祭りには、行かれないんですか?」
「はあ、でも、相手がいませんから」
ノルディスは寂しそうに微笑んだ。女心に敏感とは言えないノルディスは、先ほどアイゼルの態度が豹変した原因に思い当たっていなかった。
ルイーゼは、ふとチラシに目を落とした。その瞬間、天啓のように言葉が口をついて出た。
「あの・・・。もし、ご迷惑でなかったら・・・」


Scene−8

祭りの前日とは言っても、シグザール城はいつもとまったく変わりがなかった。
むしろ、祭りで羽目を外した人々が騒ぎを起こすのを警戒して、騎士たちは緊張の度合いを強めていた。
同僚の聖騎士と共に城の正門を警護するダグラスも、いつにも増して厳しい顔つきで勤務についていた。
正門前の広場を行き交う雑踏の中から、オレンジ色の錬金術服を身につけた小さな姿が、近づいてくる。
一瞬、ダグラスとエリーの目が合う。
だが、ふたりは言葉も交わさず、エリーは黙って入城許可証を差し出す。
ダグラスもそっけない態度でうなずくと、あごをしゃくってエリーを通した。
小さな姿が城内への通路に消えた後、同僚が不審そうな顔で問いかける。
いつもなら、急いでいる時でもふたことみことの他愛のない会話を交わすのが常なのだから、疑問に思うのも当然だ。
「どうした、お前ら、喧嘩でもしたのか?」
ダグラスは、不機嫌な顔でぎろりとにらむ。同僚は、取り付くしまもなく、黙り込まざるを得なかった。

エリーは、勝手知った城内の廊下を進み、謁見の間の前に出た。騎士隊長エンデルクが、そのたくましい体躯を鎧に包み、シグザール王家を守る最後の盾として堂々たる姿で立っている。
エリーの姿を認めたエンデルクは、かすかに眉を上げた。
「どうした。こんな時間に陛下に用事か」
「いえ・・・。違うんです。エンデルク様にお願いがあって」
「うむ? 私に?」
「はい」
エリーは一瞬ためらったが、意を決したように口を開く。
「エンデルク様は、明日の夏祭りは、ずっとお仕事なんですか?」
「いや・・・。夕方からは一応、非番になるが・・・。だが、なにかと心配なのでな、私服で街中を巡回するつもりだ」
「そうですか。・・・でも、少しは自由になる時間があるんですよね」
「うむ・・・」
エリーの真意を測りかねて、エンデルクはあいまいにうなずいた。
「なら・・・。わたしと一緒に、肝試しに行っていただけませんか?」
一気に言うと、エリーは顔を真っ赤にしてうつむいた。
エンデルクはいぶかしげにエリーを見やる。だが、心の中で感心もしていた。こんな場所で、大胆な誘いを受けたのは初めてだった。いかに厚かましい貴族の婦人であろうと、謁見の間の正面で、勤務中のエンデルクに堂々と誘いをかけようなどという勇気は持ち合わせていないに違いない。
「ふむ・・・。それにしても、なぜ私を誘う? ダグラスを誘えばよいではないか」
「誘ったんです。でも、お祭りの会場警備で忙しくて、それどころじゃないって・・・」
「ふむ・・・」
エンデルクは黙り込んだ。
沈黙に耐え切れないかのように、エリーが言葉を継ぐ。
「肝試しは面白そうなので、ぜひ行ってみたいんですけど、男女ペアじゃないと参加できないっていうし・・・」
「アカデミーには、一緒に行ってくれる男性はいないのか?」
「いないこともないですけど、やっぱり場所が場所だし、強い男の人と一緒じゃないと、怖くて・・・」
エンデルクは、再びあごに手をあてて考え込んだ。
別に、目の前にいる錬金術師の少女に同行することを厭う気持ちはない。これまでも、材料採取の護衛として一緒に外に出かけたこともある。だが、それはあくまで騎士としての職務の範疇に属することだった。
今回は違う。
これまで、ありとあらゆる手練手管を弄する貴族のご婦人たちの誘いを断り、はねつけ続けているエンデルクである。自分の娘といってもおかしくないかも知れない少女と連れ立って、祭りに出かけたことが知れたら、どんなあらぬ噂を立てられることか・・・。エリーにとっても、それはいいこととは言えまい。
「行ってあげればいいじゃないか、エンデルク」
背後からの声に、エンデルクははっと振り向いた。エリーも近づいてきた人物に気付き、膝をついて礼をする。
シグザール王国の第9代国王ブレドルフ・シグザールはエリーに立つようにうながし、罪のない笑みを浮かべた。
「年に一度のお祭りなんだし、一刻くらいは国だの警備だののことを忘れてもいいんじゃないか? たまには息抜きも必要だよ」
(いや、決して息抜きになるとは思えませんが・・・)
エンデルクは心の中でつぶやき、苦笑した。ブレドルフは続ける。
「それに、肝試しなんて、楽しそうだし。できれば、僕が代わりたいくらいだけど。でも、エンデルクはそんなこと、許してくれないだろう?」
エンデルクは重々しくうなずく。何が起こるかもわからない真っ暗な墓場に国王を行かせることなど、できるはずがない。
「だから、行っておあげよ、エンデルク」
ブレドルフはにこにこして言う。
エリーは顔を伏せたままだ。
しばらく思案した末、エンデルクはうなずいた。
「うむ、よかろう。陛下の口添えもあることだしな」
そして、エンデルクはエリーに向かい、膝を突いて深々と騎士の礼をした。
「たとえかりそめのものとはいえ、ひとたびパートナーとなるからには、このエンデルク、聖騎士の名誉にかけ、全身全霊を捧げて御身を護らせていただく」


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