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幻の怪盗ふたたび Vol.1


プロローグ 速達

アカデミーの研究棟の廊下を、ひとりの小柄な女性が、すたすたと歩いて行く。
古風な錬金術服に身を包み、緑色のマントをはおっている。青みがかった長い銀髪がゆったりと束ねられ、肩から背中に流れ落ちている。
既に日は暮れ落ちており、薄暗いランプの光が点々と灯った廊下には、ところどころに闇がわだかまっている。
この時間になると、ほとんどの研究生は寮棟の自室に戻ってしまい、灯りのついている研究室はまばらだ。他に廊下を歩く者もなく、自分の足音だけが不気味に響き渡る。

しかし、ケントニス・アカデミーの司書を務めるイクシーは、気にとめる風もなく歩き続け、目的の研究室の前で立ち止まると、ドアを強くノックする。
しばらく待つが、室内から反応はない。だが、木製のドアと廊下との隙間からは、薄明りが漏れているのだから、中に誰かがいることは間違いがない。それに、この研究室の主の性格を考えれば、1回や2回のノックでドアが開かなくても不思議はない。
イクシーは再び、軽く握った右手を振り上げ、強くドアを叩いた。
そして、待つ。
眼鏡をかけた端正な顔は無表情だったが、板張りの廊下の上をかすかに上下するつま先だけが、内心のいらだちを示している。
もう一度、ノックしようと右手を振り上げた時、内側からドアが乱暴に引き開けられた。

中から現れたのは、イクシーと同じように錬金術服に身を固めた長身の男性だった。細身で、知的な顔立ちをしているが、銀縁眼鏡の奥の両目は、不快感をあらわにしている。
「いったい何事ですか。わたしは今、非常にデリケートな調合に取り組んでいるところだったのですよ。あなたに邪魔されたために、この調合の成功率は明らかに低下しました。
研究員が研究室にこもっているということは、即ち調合作業が行われているということです。それを邪魔してはならないことくらい、常識でわからないのですか。歴史と伝統を誇るケントニス・アカデミーも、職員の質は嘆かわしいほど落ちているようですね」
男は、意識的とも思えるほどとげとげしい口調で、一気にまくしたてた。それと同時に、刺すような視線で相手をにらみつける。気の弱い相手だったら、逃げ出してしまうかもしれない。

だが、イクシーは瞳の色が異なる左右の目でその視線を正面から受け止め、書物を読み上げるような感情のこもらない調子でゆっくりと口を開く。
「ケントニス・アカデミー内規 第13条 附則2・・・アカデミー職員は、正当な理由に基づく場合に限り、講師・研究員・学生を問わず、研究の中断を要求することができる。なお、この際、該当の研究に不都合が生じても、アカデミーはその結果に対し責めを負わない・・・。この内規はご存知と思います」

一息つき、自分の言葉を相手が理解するだけの間をおく。そして、反論する間は与えず、
「クライス・キュール研究員。あなた宛てに、つい先ほどザールブルグから速達が届きました。しかも、最高緊急度の虹妖精便です。アカデミーは、この知らせを即座にあなたに伝えることの必要性を重視し、研究を中断するに値する正当な理由と判断しました」
と、左手に持っていた手紙をクライスの鼻先に突き付ける。反射的にクライスが受け取る。
「では、確かにお渡ししました。今回のことでなにか異議があれば、正当な手続きを踏んでアカデミー運営委員会に文書で申し出てください。それでは」
イクシーは、言うことだけ言うと、返事を待たずにすたすたと歩み去る。

残されたクライスは、なにか言いたげに口をぱくぱくさせたが、薄暗い廊下に消えて行くイクシーの後ろ姿をにらみつけ、舌打ちをして部屋の中に引っ込む。
作業台の上では、ろ過器を通った濃紺色の世界霊魂液がフラスコに滴り落ちているところだった。
あとは、この材料を遠心分離器にかけ、水分を発散させて純粋な結晶を析出させれば『精霊のなみだ』が完成する。
クライスは作業台と受け取った手紙とに何度か目を往復させたが、やがてひとつため息をつくと、椅子にかけて手紙をゆっくりとながめる。

手紙は赤いロウで封印され、ザールブルグ・アカデミーの印章が押してある。
しかし、裏を返して差出人を見ると、クライスの目は大きく見開かれた。
「姉さん・・・?」
口走ると、あわただしく封を切り、手紙を開く。
くいいるように読み進む顔から、次第に血の気が引いて行った。


その日の明け方。
研究棟の別の部屋では、長い金髪を振り乱して調合に取り組んでいた女性錬金術師が、そっと遠心分離器のふたを開けたところだった。
研究室の床は、材料のかけらや使用していない道具、乱暴にメモがなぐり書きされた参考書の切れ端などが散乱し、足の踏み場もない。

「さあてと、結果はいかに・・・?」
うきうきした口調とは裏腹に真剣なまなざしで、遠心分離器の中に固まった、宝石のような結晶を取り出す。海の色とも空の色とも異なる透徹した青い輝きを持った結晶は、水滴のような形をし、つややかな表面には傷も染みも見当たらない。
「できたあ!」
子供のように歓声を上げ、でき上がった『精霊のなみだ』をつまみあげてランプの明りにかざす。
「うん、なかなか上出来みたいね。さてさて、クライスの方の出来具合はどうかな? この間の『エリキシル剤』に続いて、このマルローネ様の2連勝なるか?・・・ってところね。今度の罰ゲームは『ドナーンの舌』だもんね、これを手に入れるのはちょっと大変よ」
ひとりごとを言って、マルローネはほくそえむ。

年下のクライスとは、ザールブルグ・アカデミーで特別試験を受けていた頃からの腐れ縁だ。片やマルローネはアカデミー始まって以来の落ちこぼれ、一方クライスは入学以来ずっと主席を守り通した優等生である。
しかし、様々な紆余曲折を経て、今はここケントニス・アカデミーで同格の研究員として高度な錬金術の研究に取り組んでいる。
それでも、マルローネの性格からいって、まじめに研究に取り組んでばかりいられるはずがない。研究の合間をぬって、クライスと罰ゲーム付きの調合の腕比べをやっているのだ。
前回は、見事にマルローネが勝ち、クライスはぶつくさ言いながらもミケネー島まで『絶滅寸前の実』を採取に行ったものだった。

思いにふけっていたマルローネは、鋭いノックの音にわれに返った。
「何よお、こんな時間に・・・」
床に散ったゴミを蹴散らしながら、ドアに向かう。
「あ・・・クライス?」
ドアを開けたマルローネが意外そうな声を上げる。クライスの方からマルローネの研究室を訪れることなど、めったにないことだ。
戸口に立ったクライスからは、いつもの皮肉な目の色が消えている。口調もいつになく真面目だ。
「マルローネさん・・・。残念ですが、今回の賭けは棄権させてもらいます。実は、急にザールブルグに戻らなければならなくなりました」

「いったいどうしたの、クライス?」
いぶかるマルローネに、クライスは前夜受け取った手紙を振ってみせた。
「マルローネさんは、姉のアウラを知っていますね」
「え?・・・ええ、もちろんよ」
クライスの姉アウラは、ザールブルグ・アカデミーでショップの店員をしていた。皮肉屋で人望のない弟のことをいつも気に掛けていて、マルローネが材料の採取に行くのに同行する冒険者がいなくて困っている時に、クライスが同行するよう説得してくれたこともあった。
そんなふうに優しい心の持ち主だったアウラは、マルローネが卒業した後、ザールブルグの資産家に嫁いだと聞いている。

「手紙によると、姉の嫁ぎ先、トーレンス家に賊が押し入ったそうなのです。なんらかの毒薬が使われたらしく、使用人には死者も出ているようです。姉は命に別状はないようですが、トーレンス氏・・・姉の夫は意識不明の重体とのことです。
幸い、今日は月に一度の定期船が出る日です。そんなわけなので、わたしは今日、ケントニスを発ちます。賭けの続きはわたしが戻ってからにしてください」
「クライス・・・」
顔をくもらせるマルローネ。意外な知らせを聞いて、いつもの陽気さがすっかり影をひそめてしまっている。
「ね、ねえクライス、ちょっと待ってよ。もし、あたしにできることがあったら・・・」
「いえ、これはわたしの個人的問題ですから、余計な心配は無用です。では」

マルローネの言葉をさえぎり、きびすを返すクライス。しかし、去り際に振り返ったクライスは、いつもの口調に戻って言った。
「それにしても、女性の研究室とは思えない乱雑さですね。神経を疑ってしまいます。いくら問題児のあなたでも、せめて月に1回くらいは掃除をして然るべきだと思いますがね」
部屋に残されたマルローネは、ほっとしていいのか腹を立てていいのか、複雑な表情だった。

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