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幻の怪盗ふたたび Vol.2


第1章 暗中模索

ケントニスを発ってから、一ヶ月半。
船と馬車に揺られる不安な旅の果てに、クライスはザールブルグに戻ってきた。
ザールブルグの外門は、騎士団によってものものしく固められていた。トーレンス家に押し入った盗賊はまだ捕らえられておらず、その後もいくつかの旧家や豪商が被害にあっているという。馬車で着いた旅人たちは城壁の中へ入る前に厳重な取り調べを受けていた。
幸い、騎士団の中にクライスを知っている者がいたために、彼は手間暇をかけずに街に入ることができた。

クライスはさっそく、貴族や資産家の屋敷が建ち並ぶ、町の西側へ向かう。
知らせによると、トーレンス家は家族、使用人ともに毒にやられてしまったため、姉のアウラは敷地が隣り合ったドナースターク家で治療を受けているという。
ドナースターク家で案内を乞うと、すぐにメイドが現われ、寝室に案内してくれる。
かつて、ここの一人娘でマルローネの親友でもあったシアが使っていた寝室に、アウラは寝かされていた。シアは既にエンバッハ家に嫁ぎ、この屋敷を出て行っている。

「姉さん!」
クライスはベッドに駆け寄った。
顔を壁に向けていた姉が、ゆっくりと首を回してこちらを向く。クライスは言葉を失った。
数年ぶりに会う姉は、すっかりやつれ、十も年を取ったように見える。知的な輝きを放っていた目も、どんよりとくもり、すっかり光を失ってしまっている。
それでも弟の声に気付くと、口の端をゆがめ、微笑もうとしているのがわかる。

「クライス・・・クライスなのね。よかった、もう会えないかと思っていたわ・・・」
かすれた声で、つぶやくようにアウラが言う。これだけの声を出すのにも、かなり努力しなければならないようだ。
「姉さん・・・ひどい。いったい、どうしてこんなことに・・・」
クライスはベッドの脇にひざまずき、姉のやせ細った手を握りしめる。
「わからない・・・。急に目の前が真っ暗になって、気が付いたら、ここに・・・。でも、あたしは、まだいいの・・・。あの人は、まだ目を覚まさないって・・・。それに、トーレンス家の家宝の、純銀の壷が・・・」
あの人・・・というのは、アウラの夫、トーレンス氏のことだろう。クライスは、悲しみと怒りに、姉に言葉をかけることもできなかった。

その時、ベッドの傍らに目立たないように付き添っていた白衣の若いシスターが、そっとクライスに顔を寄せ、ささやいた。
「そろそろ寝かせてあげないといけません。お気持はわかりますが・・・」
クライスは一瞬、厳しい視線をシスターに向け、なにか言い返そうとしたが、やがて目を伏せ、握っていた姉の手をそっと毛布の中に戻す。
シスターに導かれて控えの間に戻る。メイドが運んできたお茶を味わいもせずにのどに流し込むと、ようやく心が落ち着いてきた。

シスターを見やり、眼鏡の位置を整える。
「あなたが、ずっと姉の面倒を見てくださっていたのですか。お礼を言わないといけませんね」
不安げにティーカップをかかえていたシスターは、その言葉を聞くと表情が明るくなった。
「はい、わたしたち、フローベル教会の者が、交替でお世話をさせていただいています」
「そうですか。少し、話を聞かせてください。・・・ええと?」
「あ、わたしは、ミルカッセといいます」
「では、ミルカッセさん。正直に教えてください。姉は・・・いや、その他の人たちも、どんな状態なのですか。なぜあのようなことになったのですか。良くなる見込みはあるのでしょうか」

クライスの勢いに気圧されたようなミルカッセだったが、お茶を一口飲むと、話しはじめる。
「お姉様やご当主のトーレンス様をはじめ、お屋敷にいた皆さんは、身体がしびれる強い毒を吸い込んだようなのです。何人かの方は、見つかった時には亡くなられていました。
アカデミーで解毒剤を調合し、すぐに与えたのですが、毒にはわたしたちの知らない成分が混じっているとのことで、充分な効果を上げることができませんでした。今も、アカデミーの先生方を中心に、研究が進められています。
とにかく、よく効く解毒剤が早く見つからない限り・・・」

ここまで話したミルカッセは、自分の言葉にはっとして、口をつぐむ。クライスは、ティーカップをそっとテーブルに置くと、不自然なほど落ち着いた口調で、
「解毒剤が見つからなければ・・・、危ないのですね」
ミルカッセは目を伏せたままだが、その沈黙が何よりも雄弁に真実を物語っていた。

「犯人の見当は、ついていないのですか」
クライスが話題を変える。ミルカッセが気を取り直したように答える。
「はい。王室騎士団が、いろいろと調べているのですが・・・。街では、無責任な噂話も流れているようですけれども、詳しいことは騎士団に尋ねていただいた方がいいと思います」
「わかりました。ではこれから、騎士団とアカデミーを回って、話を聞いてみることにしましょう。・・・姉を、よろしくお願いします」
立ち上がるクライス。ミルカッセも立ち上がり、深々と頭を下げて祈りをつぶやく。
「アルテナ様のご加護がありますように・・・」


ドナースターク家の屋敷を出ると、青い鎧に身を固めた聖騎士がクライスを待っていた。長身のがっしりした身体に、鋭い眼光。身のこなしには一分の隙もない。
「きみがクライス・キュールか・・・。王室騎士隊長のエンデルク・ヤードだ。疲れているところをすまないが、同行してもらいたい・・・。優秀な錬金術師であるきみに、ぜひ協力してもらいたいのだ・・・」
低いが、不思議なほど説得力がある声で、エンデルクが話す。クライスにも、否やはない。

エンデルクは、クライスを伴ってアカデミーの建物へ向かった。ふたりは黙々と歩を進める。中央広場は昔ながらの賑わいを見せてはいるが、住民たちの目に見えない不安感がたちこめているようで、重苦しい雰囲気がそこここに感じられる。
すぐにアカデミーに着く。クライスにとって、久しぶりに訪れる母校だが、過去を思い出し懐かしんでいる余裕はない。

エンデルクとクライスは、アカデミーの事務棟の奥にある会議室に入った。
楕円形をした大きなテーブルの向こう側には、ザールブルグ・アカデミーを代表するふたりの錬金術師が待っていた。《ザールブルグの竜虎》の異名をとるイングリドとヘルミーナである。
イングリドは立ち上がってクライスを迎え、椅子を勧める。
「クライス、よく帰って来てくれましたね。アウラがあんなことになってしまって、本当に残念です・・・。わたくしたちも精一杯の努力をして、賊が使った毒薬の分析をして解毒剤を発見しようとしているのですけれど・・・」
「その後の進展は?」
エンデルクが簡潔に聞く。イングリドは軽く首を左右に振り、ヘルミーナを見やる。

「ヘルミーナが過去に調合したことのある毒薬と、かなり似通った成分だということは判ったのですが、やはり、残りの成分が・・・」
「不純物がかなり混じっているのよ。だから効力が不完全で、どんな作用をするのか、人によってまちまちなの。それで、かえって始末が悪いことになっているのね。わたしなら、こんな不様な調合はしないのにね・・・」
腕組みをしたヘルミーナが、低い声で答える。エンデルクは軽くうなずくとクライスを振り向き、
「聞いた通りだ・・・。そこで、マイスターランクでも主席を通していたきみにも、解毒剤の研究にあたってもらいたい。これは、アカデミーの意向でもあるのだ・・・」
クライスは顔を上げ、
「言われなくても、最初からそのつもりで帰って来ました。実験室を貸していただければ、すぐにでも取りかかりましょう。ですが、その前に・・・」

エンデルクに鋭い視線を向け、
「これだけの事件が起こっているというのに、王室騎士団は何をしているのですか? 犯人の手がかりすらつかめないのでは、騎士団の存在意義がなくなってしまうではないですか。
この体たらくでは、おもちゃ屋の店先に並んでいるブリキの兵隊と、変るところがありませんね」
ここまで胸の奥のいきどおりを押し隠していただけに、クライスの舌鋒はいつになく鋭い。

エンデルクはクライスの言葉に腹を立てた様子はなかった。あごに手を当て、しばらく思案した後、ふところから1枚のカードを取り出すと、クライスに差し出す。
「市民には隠しているが、トーレンス家をはじめ、賊に襲われた家には、必ずそのカードが残されていた・・・。これが最初の手がかりだ・・・」
クライスは、ひったくるようにカードを受け取ると、目を皿のようにして見つめる。その口から、うめき声がもれた。
「まさか・・・そんな・・・?」
かすれた声でつぶやく。
材質不明のつやつやした黄金色のカードの表面には、鮮やかな赤い飾り文字で、

『怪盗デア・ヒメル参上!!』

と、書かれていた。

「あの幻の怪盗デア・ヒメルが、ザールブルグに戻って来た・・・。しかも、以前よりもはるかに凶悪になって・・・、ということなのだろうか。市民の間にも、どこからともなく情報がもれ、噂が広がっている。困ったものだ・・・」
エンデルクのつぶやきが、呆然としたクライスの耳に遠く聞こえる。

女怪盗デア・ヒメルは、クライスがアカデミーに入学したばかりの頃、ザールブルグを騒がせた神出鬼没の泥棒である。高価な美術品や宝石しか狙わず、常に警戒の裏をかいて、決して捕まることはなかった。
しかし、ある時、盗み出されたものがすべて持ち主の手に戻され、それ以降、デア・ヒメルの活動はぷっつりと絶えたという。
そのデア・ヒメルが、今またザールブルグの街を跳梁している・・・。
「しかも、先日、ローネンハイム家に押し入った時には、予告状までよこしていたのだ・・・」
重々しいエンデルクの声が、室内の沈黙を破る。

「他に、手がかりはないのですか」
気を取り直すように、頭を振ってクライスが問う。
エンデルクは軽くうなずき、イングリドを見やる。
「そのことだが・・・。アカデミーに調査を頼んでいたのだ・・・」
イングリドはうなずくと、
「調べはつきました。現在、アカデミーに在学中の学生の中で、お尋ねのアイテムを完成させたことがあるのは、3名だけです」
再びエンデルクがうなずき、先をうながす。
クライスは、腑に落ちない顔つきで、イングリドとエンデルクを交互に見る。話の要点がつかみきれないのだ。

「3名は、ここに呼んであります。・・・お入りなさい!」
イングリドの声に、反対側の扉から錬金術服を着た若い男女が入って来た。寄り添い合うようにして、いずれも不安げな表情を浮かべている。3人とも、錬金術服の襟には、マイスターランクに在籍していることを示す金色の記章が留められている。
そのうち、ふたりの少女には、クライスも見覚えがあった。ふたりとも、過去にケントニスのアカデミーを訪れたことがある。
栗色の髪と瞳にオレンジの錬金術服を着たエリーは昨年の春に、マルローネに会うために海を越えてやって来た。そして、赤い錬金術服に身を包んだ緑の瞳のアイゼルとは、ついこの間、ミケネー島からケントニスまで船旅を共にしたばかりだった。

クライスに気付いて、不安げだったエリーがはっとしたような表情に変わり、次いでぴょこんと頭を下げた。アイゼルは少しだけ恥ずかしげな表情を浮かべたが、やがて上品に微笑んで会釈をする。
もうひとりの知的な表情をした若者にはクライスは初対面だったが、すぐに現在の学年主席のノルディスだとわかった。アイゼルから話を聞いたことがある。ふたりの友人につられたように、ノルディスも軽くクライスにおじぎをした。
どうやら、今の3人は良好な関係を築いているらしい。マルローネの話によると、アイゼルがケントニスを訪れる前は、そうではなかったようなのだが。

「どうやら、お互いに紹介の必要はないようね」
と、イングリドが新来の3人に向き直る。
「あなたがた3人をここへ呼んだ理由は、他でもありません。今、ザールブルグの町を不安に陥れている怪盗デア・ヒメルは、その手口や素早さから見ても、魔力を持ったアイテムを身に付けていることは間違いないと思われます。
そして、アカデミー当局が調査した限り、このザールブルグの住人の中で、使用に耐える『デア・ヒメル』装備を作成し、所持しているのはあなたがただけだったのです」

イングリドの言葉を聞いて、3人は一瞬、息をのんだ。しかし、すぐにアイゼルが先陣を切って、まくしたてる。
「ひどい! 先生方は、あたしたちを疑ってらっしゃるんですか? あんな、血も涙もないような悪事をはたらいたと・・・!」
「とんでもないことです。ぼくたちは、あくまで錬金術の勉強のために、ルフトリングや逃げ足の靴を調合してみただけなんですよ」
と、冷静さを崩さず反論するノルディス。
「そんな・・・。あたしたちだって、ひどい目にあった人たちを助けたくて、解毒剤の研究を一生懸命手伝っているのに・・・」
エリーは半べそ状態だ。

「待ちなさい。誰も、あなたたちが犯人だなんてことは、言っていないわよ。落ち着いて、話の続きを聞きなさい」
迫力あるヘルミーナの声に、エリーたちは口をつぐむ。
エンデルクが3人に向き直る。
「今の言葉通りだ・・・。われわれは、きみたちがデア・ヒメルだと疑っているわけではない。聞きたいのは、それらのアイテムが、今どこにあるかということだ・・・。それらが知らぬ間に持ち出されているというようなことは、ないだろうか」
これを聞いて、3人ともほっとしたような表情になる。

まず、ノルディスが自信を持って答える。
「作成したアイテムは、ぼくの研究室の鍵付きロッカーに保管してあります。エンデルク様のおっしゃる通り、悪用されては困るものですからね」
続いてアイゼルは、疑われかけたという不満が残っているのか、幾分とげとげしい口調で、アイテムはヘルミーナ先生に預けてあると答え、ヘルミーナもそれを確認した。
エリーは、やや自信なさげだった。
「ええと、たしか工房のアイテム倉庫に入れておいたはずですけど・・・。最近、整理をしてないもので・・・あ、すぐ、戻って確かめます!」
イングリドにオーラのこもった視線でにらまれ、エリーは身体をぴんとさせて答える。

隣にいたアイゼルが、ささやく。
「だから、部屋の掃除ぐらいしておいた方がいいって、いつも言ってたでしょ。それに、ばか正直に答えすぎよ。自信がなくたって、あると答えておけばいいのに・・・」
「そういうことは、先に言ってよぉ・・・」
と、うらめしげなエリー。

そんなひそひそ話を無視するように、エンデルクは続ける。
「では、すぐに確認することだ・・・。それから、それらのアイテムは、本日中に、王室騎士隊に提出してもらう。この騒動が解決するまでの間、それらは王室とアカデミーの管理下におかれる・・・。異存はないな」
今度は3人とも納得顔でうなずく。
「質問は、これで終りだ・・・。ところで、参考までに聞きたいのだが、今まで『デア・ヒメル』装備を実際に身に付けて使用したりしたことはないのだろうな・・・」

騎士隊長の最後の質問にも、ノルディスは確信を持ってうなずく。
「はい、そんなことはまったくありません」
ところが、エリーはもじもじしている。ちらりと横のアイゼルに目をやるが、アイゼルは知らんふりを決め込んでいる。
イングリドの視線が険しくなる。
「エルフィール、あなた、まさか・・・」
「あ、あの、実は、1年ぐらい前に、1回だけ・・・。あ、でも、悪いことに使ったんじゃないんですよ。人助けだったんです。ねえ、アイゼル、アイゼルもなんとか言ってよぉ・・・」
しどろもどろに答えるエリー。助けを求められたアイゼルは、
「知りません!」
と、黙秘権を行使するつもりのようだが、赤く染まった頬が、内心をあらわにしている。

かつて、近視に悩むアカデミーショップの店員、ルイーゼを助けるために、エリーとアイゼルが力を合わせたことがあった。その際、ルイーゼが隠したがる眼鏡を無断借用するために、エリーが調合した『デア・ヒメル』装備を使ったことがあるのだ。
「1年前というのは、確かなのだな・・・。ふむ、その時期には、事件は何も報告されていない。どうやら、今回のこととは無関係のようだ・・・」
紐で綴じられた、騎士隊の分厚い日誌をめくりながら、エンデルクがつぶやく。

イングリドは、一同を見渡し、よく通る声で指示する。
「エルフィール、アイゼル、その話は、後でゆっくり聞かせてもらうことにしましょう。それよりもまず、騎士隊長の指示をお果たしなさい。夕方までに、自分の『デア・ヒメル』装備を王室騎士隊に届けること。それでは、解散!」

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