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古代の栄華に思いを馳せて Vol.1


Prologue

「うっわ〜、すっごいほこり。それに、床も石がごろごろしてるし・・・。本当に宝物なんか、あるのかなあ」
右手に持ったランプをかざして行く手を照らし、マルローネはぼやいた。
「いまさら何を言っているのですか。ベルゼンブルグ城には宝物が眠っているに違いない、誰かに取られる前に取りに行こう・・・とあんなに力説していたのはあなたではありませんか」
マントの裾にこびりついたほこりをわざとらしく払って、クライスがたしなめる。
「だって、いつも酒場にいるおじいさんが、『東の高地にある古い城には宝物がある』って言ってたんだもん。クライス、あなただって聞いたでしょ?」
「確かに私もその場にいました。しかし、あの老人が言っていたのは『東の高地に古い城があるのは知っているか』ということだけです。宝物うんぬんというのは、後から付け加えた、あなたの勝手な思い込みに過ぎません」
「え? あれ、そうだっけ?」
「あなたという人は、本当に都合のいい思考回路を持っていますね。あきれてしまいます」
「でもさあ、やっぱり、ほら、古城には宝物が付き物じゃない」
「それはおとぎ話でしょう。それに、そういうお話では、古城には宝を守る強い魔物もいるということをお忘れなく」
「その点は大丈夫よ。魔物が出た時に備えて、エンデルク様にも来てもらったんだから」
マルローネの声に応えるように、前方の通廊から聖騎士の青い鎧に身を包んだ大きな姿が、うっそりと現れてくる。右手に握られた大ぶりの抜き身の剣が、ランプの光を受けて妖しくきらめく。
「あ、エンデルク様、どうでした? 向こう側の様子は」
「うむ・・・。あちら側の通廊もここと同じく、荒れ果てている・・・。敵の気配はない・・・。が、宝物らしきものも目につかなかったな」
「そっか。それじゃ、もう少し奥まで行ってみましょうか」
と、マルローネはランプを掲げた姿勢のまま、床に転がった丸い石材をひょいとまたぎ越える。
ランプの炎が揺れ、染み込んだ雨水とカビでまだら模様になった左右の壁に、3人の影が踊る。
「それにしても、よろしかったのですか」
クライスが礼儀正しくエンデルクに声をかける。
「王室騎士隊長ともあろう御方が、マルローネさんの与太話に乗せられて、こんな辺境の古城までいらっしゃるとは・・・」
「ふ・・・、気遣いは無用だ。今回のことがなくとも、ベルゼンブルグ城の様子を一度は見に行かねばならないと思っていたところなのだ・・・」
「そう! だいたいクライス、気を回し過ぎなのよ」
と、先頭に立つマルローネがすまして言う。
「それに、あんたこそ、何だってついて来たのよ? あたしとしては、別にルーウェンでもナタリエでもハレッシュさんでも良かったのに、どうしてもついて行くって言い張ってさ」
「それは、私の良識のなせる技なのですよ。だいたい、『爆弾娘』のあなたを放っておいたら、貴重な歴史的文化財を爆弾でふっ飛ばしかねませんからね」
「むっか〜っ!! 決めた! 宝物を見つけても、あんたは分け前なしだからね!」
「ええ、結構ですとも。ただし、埋蔵品は第一発見者に権利があることをお忘れなく」
「へ〜んだ。どんくさいあんたなんかに、先に見つけられてたまるもんですか」
「そうでしょうか。あなたほど注意力散漫な人には、生まれてこの方お目にかかったことがありませんが」
「もう! クライス、うるさ〜い!」
(・・・。なるほど、聞きしにまさる名コンビぶりだな・・・)
言い合っていたふたりは、エンデルクのもらす含み笑いには気付かなかった。

その大広間は、ベルゼンブルグ城1階の、いちばん奥にあたっていた。
崩れ落ちた正面入り口を通過して、左右に延びる回廊を進めば、どちらから行っても広間に通じる造りになっているようだった。
先に立って足を踏み入れたマルローネが、ランプを高くかざす。
広間の中央には、大人数の晩餐会でも開けそうな大きなテーブルが置かれ、周囲を椅子がぐるりと取り巻いている。しかし、テーブルに掛けられたテーブルクロスは虫に食われたらしく、ぼろぼろで、椅子の背もたれの布も茶色く変色し、穴だらけだ。
壁のそこここに、金属製のロウソク立てが突き出しており、燃え残りのロウソクが幽霊のように立っている。
クライスにうながされ、マルローネが次々に、ランプの火をロウソクに移していく。
「あら、これは・・・」
テーブルの周りを1周して、ともせるだけのロウソクに灯がともると、正面の壁に掛けられた大きな剣や、壁際の台上に置かれた金属製の鎧が、光の中に浮かび上がってきた。
エンデルクがつかつかと進み出て、壁に掛かった長剣を手に取る。
鞘に刺繍された金糸の模様は汚れ、かすれていたが、間違いなくベルゼン侯爵の紋章だ。
「うむ・・・」
エンデルクは、すらりと剣を引き抜いた。
右手で目の高さに掲げ、刀身を見る。そこには、くもりひとつなかった。
「これは、なかなかの業物のようだな・・・」
長年、様々な武器を扱ってきただけあって、剣を見るエンデルクの目は鋭い。
一方、クライスは、銀色に光る鎧の表面をなで、何事か考え込んでいる。
「どうしたのよ、クライス」
問い掛けるマルローネには答えず、クライスは持っていた杖で鎧の表面を軽く叩いた。
澄んだ、金属的な音が広間に響く。
「どうやら、今回に限って、マルローネさんの勘は当たっていたようですね。これはまさに、宝物です」
身を起こしたクライスは、エンデルクの視線をとらえて、言う。
「この鎧も、そして、そちらの剣も、同じでしょう」
エンデルクも無言でうなずきを返す。
「もう! 何よ、何なのよ!? もったいぶってないで、早く言いなさいよクライス! その鎧と剣が、どうしたっていうの?」
クライスは、マルローネを振り返った。銀縁眼鏡のフレームが、きらりと光る。
「この材質・・・。これは、超金属です」


Scene−1

シグザール王国は、起伏に富んだ国土を有している。
王都ザールブルグはなだらかな平原の中央に位置しているが、四方は山や丘陵に囲まれている。北には、赤黒い岩肌が目立つ火の山ヴィラントがそびえ、西に向かって山脈が延びている。西の港町カスターニェは、それを越えた先だ。南の隣国ドムハイトとの国境地帯も山地となっており、散在する豊富な銀の鉱脈が、両国の紛争の火種となっている。東へ進めば、断崖を越えた先にゆるやかな丘陵地帯が連なり、その街道の先には、カリエル王国など、ザールブルグ市民にもほとんど知られていない小国家群がある。
『東の台地』と呼ばれるその丘陵地帯には、人はほとんど住んでいない。
この地域にはアードラと呼ばれる巨大な鳥が生息しており、大空から人々の平和な生活を妨げていた。また、点在する森には戦闘的なエルフの群れがひそんで、旅人を弓矢で狙う。そのため、この地を旅する商人や旅芸人たちは、集団を作ってキャラバンを組み、冒険者を雇って護衛とするのが普通だ。
単独あるいは小人数で旅をするのは、よほど腕に自信があるか無鉄砲か、どちらかだろう。
今、ストルデル川に沿った街道を、東へ向かっている3人は、どうやら前者に属する旅人のようだった。
「来るよ!!」
上空を見上げ、カリンが叫ぶ。
「うそ!? 何あれ? 大きいよ〜!」
頭上に迫る大きな影を振り仰ぎ、リリーが口をあんぐりと開ける。
「うむ・・・。ふたりとも、油断するな! まず自分の身を守ることを第一に考えよ!」
鋭い声とともに一歩前に出るのは、輝くような青い鎧に身を固めた王室騎士隊副隊長ウルリッヒだ。
神経にさわるような奇声を発し、巨大なアードラが舞い降りてくる。大きく広げられた両の翼は、大人の人間ほどの差し渡しがある。鋭い鉤爪とくちばしは、直撃されれば大けがを免れない。
「当たれ!」
リリーが握り締めた杖を突き出す。陽光に輝く銀色の杖の先から、一筋の炎が立ち昇る。
炎は、飛び込んできたアードラの翼の一部を焦がしたが、ダメージを与えるまでにはいたらない。
アードラはリリーの頭上をかすめて飛び、後方のカリンに向かった。
剣を構えていたカリンだが、危ないとみて身を投げ出すようにして伏せる。アードラの鉤爪はむなしく空をつかみ、巨鳥は再び大空に舞い上がった。
その隙に、リリーは背負った採取かごの中から円筒形をした水色の物体を取り出していた。
「よし、火がだめなら・・・えい!」
再び急降下してきたアードラに向かって、リリーはその円筒を投げつける。
宙を飛んだ円筒から、細かな霧が広がり、そこに突っ込んだアードラが悲鳴に近い鳴き声をあげる。
リリーが投げつけたのは、冷気を発する爆弾『レヘルン』だった。
羽の一部が凍結したアードラは、自由を失い、ふらふらと地上に向かって降りてくる。
そこへ、剣を抜いたウルリッヒが突進した。
「てぇっ!!」
裂帛の気合とともに、銀の糸となって剣が一閃する。
次の瞬間、アードラの首は胴と切り離され、血しぶきを上げて地面に転がる。
一瞬をおいて、胴体もどさりと大地に落ちた。
「やった!」
リリーが歓声をあげて駆け寄る。ウルリッヒに、ではない。アードラの死体へである。リリーは嬉々として、まだひくひくと痙攣している巨鳥から、いちばん大きな羽根を抜き取る。アードラの羽根は、風の属性を持っており、錬金術の材料となるのだ。
ウルリッヒは、眉ひとつ動かさず、マントの裾で剣をぬぐうと、ゆっくりと鞘に収めた。
「さすがですね、ウルリッヒさん!」
髪を少年のように短くしたカリンは、青い瞳をきらきらさせて、ウルリッヒの剣を見やった。
「うむ・・・。カリン殿が鍛えてくれた剣は、本当に扱いやすい。まるで、私の考えを先に察知して、手に飛びこんで来るかのようだ・・・」
ウルリッヒは、いつも変わらぬ静かな口調で言う。
今、ウルリッヒが差している剣は、カリンが全身全霊をこめて鍛え上げた逸品なのだ。
ザールブルグの『職人通り』で、父親の製鉄工房を手伝っているカリンは、女性ながら、刀鍛冶としての腕は一流だった。
かつてカリンは、病に臥せっている父親に代わって、ウルリッヒのための剣を鍛えた。しかし、ウルリッヒはその出来に満足せず、受け取ってはくれなかった。父親を超えよう、男なんかに負けない・・・そう考えていたカリンには、剣を使う人の立場で考えて、剣を鍛えるということができなかったのだ。
カリンは、「自分らしい剣を作ればいい」というリリーのアドバイスに力づけられ、再びウルリッヒの剣を鍛えた。ウルリッヒの身長、体つき、腕力、剣技・・・それらすべてを計算に入れ、魂をこめて鍛えられた長剣は、まさにウルリッヒのために作られた、カリンらしい剣だった。
「しかし・・・。この剣を以ってしても、あの『黒の乗り手』には、かなわないかも知れぬ・・・」
ウルリッヒの表情がかげり、口調にはくやしさと不安がにじむ。
「もう! ウルリッヒ様ったら、またそんなふうに考える!」
採取かごの中にアードラの羽根を収めたリリーが、怒った口調で言う。
「戦ってもみないうちに、そんなふうに考えてしまったら、勝てる戦いも勝てなくなってしまいますよ。そりゃあ、あの『黒の乗り手』は、とんでもなく強そうで、この世のものとも思えない不気味な雰囲気を持っていましたけど」
『黒の乗り手』に直面したことがあるリリーは、その時のことを思い出して、身震いした。
ここ数ヶ月ほど、ザールブルグの周辺に、『黒の乗り手』と呼ばれる怪しい魔物が出没している。巨大な黒馬に騎乗し、黒ずくめの鎧に身を固めた騎士の姿をしているが、それは、生身の人間ではないという。
王室騎士隊に語り継がれて来た伝承によれば、『黒の乗り手』は、シグザール王国を建設した始祖カールと同時代に生きていた、『始まりの騎士』と呼ばれた勇者のなれの果てであると言われている。しかし、彼がなぜそのようなおぞましい魔物と化してしまったのかは、まったくの謎である。
「・・・だからこそ、わたしたちは、謎を解くために、こうしてはるばる旅をして来たんじゃありませんか」
リリーが自分をも力づけるように言う。
「そうですよ。ベルゼンブルグ城へ行けば、きっと手がかりがつかめるに違いありません」
カリンが言い添える。
ウルリッヒから『黒の乗り手』の伝説を聞いたリリーは、自分の手で情報を集めてまわった。そして、親友イルマが属しているキャラバンの長老格である占い師の老婆から、『東の台地』に城を構えるベルゼン侯爵を訪ねればなにかわかるかもしれない、というアドバイスを得たのである。
今、リリーはウルリッヒ、カリンとともに、『黒の乗り手』の謎を解くべく、ベルゼンブルグ城への途上にあった。ザールブルグを発って、すでに8日が経過している。
「さ、ウルリッヒ様、そんなに後ろ向きに考えないで。ポジティブ思考で行きましょう! 前向き、前向き」
リリーの明るい声に、ウルリッヒが再び歩み出そうとした時だ。
先にゆるやかな坂道を登っていたカリンが、大声をあげた。
「お〜い、見えたよ〜! あれ、ベルゼンブルグ城の塔じゃないかな?」
声にうながされるように、リリーとウルリッヒも歩を早める。前方に開けた緑なす風景の向こうに、陽光を浴びて、石造りの尖塔がそびえていた。


Scene−2

ベルゼンブルグ城の城壁にもたれて、ベルゼン侯爵は、眼下に広がる緑の丘陵を見やり、物思いにふけっていた。
ベルゼン侯爵家は、シグザール王国建国の時までさかのぼる、由緒ある古い血筋の家柄である。
侯爵家の先祖は、シグザール王国の始祖カールとともに王都ザールブルグを建設した騎士のひとりだった。しかし、戦いの日々に疲れた彼は、田舎に引退することを申し出、カールからシグザール東北の地を授けられ、ベルゼン侯爵を名乗ることとなった。そして、この地に城砦を築いたのだ。以後、ベルゼンブルグ城はシグザール王国の東の守りの要として、その役割を果たしてきた。
しかし、現在では国同士の争いもなく、東北部の国境に不穏な空気はない。カリエル王国を中心とした北方の小国家群も、シグザール王国への移民を送るなど、文化交流の動きが芽生えつつあった。そんな中、ベルゼンブルグ城は、その存在意義を失いつつあった。
もともと、『東の台地』は肥沃な土地であり、水はけがよく、小麦やベルグラド芋が自生していた。また、城の周囲に開かれた荘園では、みずみずしいブドウの豊富な収穫があり、城内で醸造されたワイン『ブラウワイン』は、幻の銘酒として王国中に知られていた。
ところが、人手も足りず、十分に土地を手入れしてこなかったためか、最近、周囲の土地がやせ始めていた。ブドウの収穫量も年々減って、『ブラウワイン』が本当に“幻”の酒となってしまうのも近いのではないかと思われた。
ベルゼン侯爵は、ひとつ大きなため息をつくと、きびすを返し、城内に戻った。
書斎の机に向かい、ランプに火をともすと、ブランデーのグラスを片手に分厚い書物を広げる。その表情には、孤独の色が濃かった。
すでに先代侯爵はこの世に亡く、当主にはつれあいもいなかった。使用人たちがいることはいるが、身分の違いもあってか、かれらもベルゼンとは距離をおいて接している。心を打ち明けられる友人もいない。侯爵は、先祖代々が収集してきた蔵書を唯一の友として、こうして思索にふけるのが常だった。
「ふう・・・」
芳醇なブランデーを口に含み、ベルゼンは再びため息をつく。
単調な日々・・・。それに変化をつけてくれるのは、時おり城に立ち寄る交易商人や冒険者だが、ここのところ、訪れる旅人もまれになっていた。
(そういえば、以前、ここを訪れたのは、不思議な娘だったな・・・)
ベルゼンは思いをめぐらせた。珍しいものを求めて、交易に来たというその少女は、ザールブルグからやって来た錬金術師だと名乗った。そして、名産の『ブラウワイン』や『宝石草のタネ』を大量に購入して帰っていったのだった。
それ以降、ベルゼンブルグ城を訪れた旅人はない。建築後250年以上を経たこの古城は、歴史の流れの中に忘れ去られたかのようだった。ベルゼン自身、自分が生きていくことにどんな価値があるのだろうと、疑いすら抱いていた。
ベルゼンは、再びグラスを傾けると、書物のページに目を落とした。
と、書斎のドアが軽くノックされる。
「お入り」
ベルゼンの声に応え、執事が入ってくると、軽く礼をする。
「失礼します。旦那様、お客人が参っております」
「何だと。珍しいな」
「はい、何でも、旦那様の知恵を借りたいと、ザールブルグから来られたとか」
「どんな人物だ?」
「聖騎士がおひとりと、あとのふたりは若い女性です。錬金術師と刀鍛冶だと申しておりますが」
ベルゼンは、あごに手を当て、考え込んだ。面倒なことに巻き込まれたい気分ではない。しかし、単調な日常に刺激を与えてくれる出来事であることも確かだ。しかも、聖騎士に錬金術師に刀鍛冶とは、思ってもみない取合せで、興味がわいた。
「よし、会おう。客間にお通しするように」
「かしこまりました」
一礼して、執事は出て行く。
ベルゼン侯爵は立ち上がり、大きく伸びをした。
自分はまだ世の中から忘れ去られてはいなかった・・・。ベルゼン侯爵の胸には、そんな思いが去来していた。


Scene−3

「・・・そんなわけで、『黒の乗り手』に関する情報を、探しているんです。侯爵様のところには、たくさんの蔵書があるとうかがっています。それを、調べさせていただけませんか」
3人を代表して、リリーが説明する。リリーの後ろでは、豪華な客間へ通されて緊張でこちこちになっているカリンと、冷静な表情を崩さないウルリッヒが、ベルゼン侯爵に視線を注いでいる。
客間のソファにゆったりとくつろいだベルゼンは、鷹揚にうなずいて見せた。
「うむ。事情はわかった。先祖が集めた本の中には、そのような書物が混じっているかも知れぬ。いいだろう、さっそく執事に言って、書庫の鍵を開けさせよう」
出された香り高いお茶をすするのもそこそこに、リリーたちは書庫の探索にかかった。

「どう、リリー? そっちになにかあった?」
天井まで届く書架の向こう側から、カリンが声をかける。既に、探し始めてから2日が経っていた。
「いや、それらしきものはない・・・」
答えたのはウルリッヒだった。
カリンがひょいと顔をのぞかせる。
「あれ? ウルリッヒさんだったんですか。リリーは?」
「うむ。部屋のいちばん奥から探すと言って、今日はあちらの方へ行ったきりだ・・・」
「そうですか」
言いながら、カリンはふとウルリッヒが手に取っていた書物の題名に目をとめた。
『男の料理入門』という本だった。カリンの視線に気付いたのか、ウルリッヒは軽く咳払いをして、本を書架に戻す。
カリンは懸命に笑いをこらえ、まじめな表情を保つと、リリーを探して書庫の奥へと向かった。
ベルゼン侯爵の書庫は、カリンの製鉄工房ふたつ分くらいの広さがあった。そして、頑丈な木製の書架が規則正しく並び、大小の本が隙間なく差し込まれている。侯爵家には本を整理するという習慣がなかったらしく、様々な内容の本が何の法則性もなく詰め込まれていた。もちろん、蔵書目録などない。これら何千冊もの本の中から、シグザール王国建国当時のことが書いてある書物を見つけ出すには、何日かかることか、見当もつかなかった。
「リリー? どこ?」
声をかけながら、薄暗いランプの光を頼りに、カリンは幽霊でも出そうな書架と書架の間の狭い空間を進んでいく。
行く手に、書架から取り出した本の山にうずもれるようになって、座り込んでいるリリーの姿が見えてきた。
「リリー、進み具合はどう?」
カリンの声に、リリーは振り向きもしない。頭巾をかぶった頭をたれ、一心不乱に本を読みふけっているようだ。カリンの胸が期待に高まる。もしかしたら、目的の本が見つかったのかもしれない。
「リリー? 見つかったの?」
肩に手を触れると、リリーはびくっとして振り返った。
その頬が、涙でぬれている。表情は、心ここにあらずという感じだった。
「どうしたの、リリー!?」
カリンの驚いた声に、リリーは我に返ったようだった。
「あ、カリン・・・。どうしたの?」
「どうしたの、じゃないよ! リリーが泣いてるから、びっくりしちゃって・・・」
「だって、あんまりかわいそうなんだもん・・・」
と、リリーが掲げて見せた本は、『オルフィウス悲恋の物語』だった。
「もう! リリー、あんた、まじめに探す気あるわけ?」
両手を腰に当てたカリンのとげとげしい口調に、リリーはすまなそうな表情になって、
「ごめん、ほんのちょっとのつもりで読み始めたら、ついやめられなくなっちゃって・・・」
本で口を押さえ、上目遣いにカリンを見る。
「で、もう少しでラストだから・・・。ね?」
カリンはあきれて、怒るのを通り過ぎ、思わず吹き出す。
「あ〜、はいはい、好きにすれば。それじゃ、あたしもちょっと休憩してくるかな」
「うん。ウルリッヒ様にも、あんまり無理しないように伝えて」
「了解っと」
カリンは両手を頭の後ろで組み、口笛を吹きながら書庫の出口の方へ戻る。
ちらっとウルリッヒの方を見やると、今度は『剣術指南』という本を手に取っていた。
(はああ、どっちもどっちだね・・・)
いい空気を吸おうと、カリンは厚い樫作りの扉を開けて、外に出ようとした。
不意に出現した影が、ぬっと前をさえぎる。
「きゃっ!」
「おや失礼。驚かせてしまいましたか」
立っていたのは、ベルゼン侯爵だった。
「いえ、ごめんなさい。大声あげたりして」
「どうです。お探しの書物は、見つかりましたか」
「いえ、まだです。なにしろ、数が多いもので・・・」
「そうですね。先祖代々、金と暇にあかせて収集したものですから。どうも、当家の血筋は、ひとつのことに熱中すると、見境をなくす傾向があるようです」
「はあ」
「ところで、カリンさんとおっしゃいましたね。刀鍛冶をされているとか」
廊下を先に立って歩きながら、ベルゼンが問いかける。
「あ、はい、そうです。ザールブルグの『ファブリック工房』で働いています。といっても、父の製鉄工房の手伝いなんですけど」
「そうですか・・・」
ベルゼンは、あごに手を当て、思案する様子を見せた。カリンは不思議そうに侯爵の表情をうかがう。
やがて、ベルゼンは意を決したようにカリンを振り向いて言った。
「実は、この城には、あなたが興味を持ちそうな場所があるのですよ。祖父が亡くなって以来、閉め切りになっていたのですが・・・。いい機会です、お目にかけましょう」
そして、すたすたと廊下を進み、地下へと降りる階段に向かった。ぽかんとしたカリンが、後に続く。
石造りの階段を下りきると、巨大な鉄製の扉があった。表面には架空の幻獣を図案化したベルゼン侯爵家の紋章が刻まれている。
ベルゼンは、大きな鍵を取り出すと、扉の鍵穴に差し、ぐいとひねった。
金属がきしむ音を立て、扉が徐々に開いていく。
先に立って中に入ったベルゼンが、壁に規則正しく並んだランプに、次々と火をともしていく。
「こ、これは・・・」
カリンは、目を見張った。
「祖父の、道楽の産物です」
地下室の中央に立ったベルゼンは、腕を広げて両の壁を指し示した。
そこにあるのは、カリンにとっては見慣れたものばかりだった。ただし、カリンが普段なじんでいるものに比べて、桁違いに金がかけられているようだ。
「こんな立派で豪華な工房、あたし、初めて見ました」
壁に造り付けられた炉は、上質の石材でできており、その傍らには高温の炎を出すためのふいごや、燃料となる良質の石炭が積まれている。使いやすそうな作業台の上には巨大な鉄床、坩堝、やっとこやハンマーといった道具類が、きちんと並べられている。どの道具をとっても、最高級の品質のものであることは明らかだった。
「私の祖父は、武具に凝っておりましてね。最初は出来合いの剣や鎧を収集していたのですが、それに飽き足らず、とうとう自前の製鉄工房を作ってしまったというわけです。これらの道具類は、刀剣の本場ドムハイトから取り寄せ、炉の設計と建設にも、ドムハイトの一流の職人を雇いました。ところが、工房ができあがって、さあこれからという時に、祖父はあっけなく、流行り病で亡くなってしまいました。後を継いだ父も私も、武器防具の類には関心がなく、この工房は、これまで一度として使われたことはなかったのです」
ベルゼンは、地下室の中をゆっくりと歩き回りながら、この古城には場違いな製鉄工房の由来を語った。
カリンはぼうっとなって、夢の中にいるような気分でその言葉を聞いていた。
語り終えると、ベルゼンは工房の奥の戸棚に歩み寄り、中から筒状に巻かれた古ぼけた紙を取り出した。
作業台の上に広げ、四隅に石のかけらを置いて丸まらないように押さえる。
「これを見てください」
カリンはのぞき込んだ。そこには、いろいろな剣や鎧の見取り図が描かれていた。専門家が描いたものではないらしく、デッサンが狂っている部分もあった。しかし、いかにも武具に精通した人物が描いたらしく、それぞれの図面にはきめ細かく寸法が書き込まれ、材料となる金属の配合度合いまで記されていた。
「すべて、祖父が書き遺したものです」
ベルゼンは図面から目をあげ、カリンを見やった。
「これまで、私は、これらの祖父の夢が現実のものになることはないだろうと思っていました。しかし、あなたが刀鍛冶だと聞いて、これは天の配剤ではないかと思ったのです。カリン殿、私はあなたがどの程度の腕の持ち主かはわかりません。あなたさえよろしければ、ですが・・・」
相次ぐ驚きで、口もきけないカリンに、ベルゼンは続けた。
「この工房に火を入れ、祖父がデザインした剣や鎧を、鍛えていただくわけにはいきますまいか」

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