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〜ふかしぎアンケート感謝プレゼント小説<なかじまゆら様へ>〜

名探偵クライス 第2話

彼女が創り出したもの [捜査篇] Vol.4


「あはははは、なんか、すっごい噂になってるみたいね。わざわざ工房まで確かめに来る人までいるんだもん、びっくりしちゃったよ」
マリーは大口を開けて笑いながら、あっけらかんとして言う。
俺とマリーが、夜中に近くの森で逢引きをしていたという噂は、やはりあっという間に界隈に広まったようだ。
「まったく・・・。笑い事じゃないぜ。これじゃ、おちおち外も歩けやしない」
俺がぼやく。
「まあまあ、気にしない気にしない」
マリーが笑顔で、手をひらひらさせる。
「あんたは気にしなくても、こっちは気にするんだよ」
クライスも、あきれ半分、安心半分といった様子で、
「マルローネさん、あなたには当事者意識というものがないのですか。以前からそうだとは思っていましたが、これほどまでに神経が図太い人だったとは・・・。いや、神経がないと言った方が正しいかも知れませんね」
「だって、噂なんてさぁ、いっとき流行っても、すぐに忘れられちゃうよ・・・。ほら、ことわざでもよく言うじゃない。えっと、何だっけ・・・あ、そうだ、『火のないところに煙は立たず』って」
「マリー! 違うだろう!?」
「あれ? 違ったっけ・・・。あ、そうそう、思い出した、『噂をすれば影』だ」
「それも違います。マルローネさんが言いたいのは、『人の噂も75日』でしょう」
「あ、そうか。ちょっと間違えちゃったよ」
「全然、“ちょっと”ではありません。だいたい、あなたの国語能力ときたら・・・」
言いつのろうとするクライスを、マリーが制する。
「ちょっと待って。誰か来たみたい」
確かに、かすかなノックの音がしたようだ。
「は〜い、どなた?」
マリーの返事に、ドアを細めに開けて、水色の錬金術服を着た金髪の女性がおずおずと入って来る。
それは、ルイーゼだった。

「あ、あの・・・」
ひとこと言ったまま、次の言葉を探すように、ルイーゼは小首をかしげて、上目遣いに工房の天井を見上げた。手には、採取用のかごを下げている。
「あれ? あなた、どこかで・・・」
同じように小首をかしげていたマリーが、すぐに素っ頓狂な声を出す。
「あ、あなた、確か補習で一緒だったよね! どうしたの? 何か依頼のご用?」
劣等生仲間の共感からなのか、急にマリーは愛想よく話しかける。
ルイーゼはゆっくりと工房の中を見まわし、
「あの・・・、こちら、錬金工房ですよね」
「そうよ、見ての通り。薬、爆弾、魔法の道具、何でも引きうけるわ。安心、安全、品質保証、信用第一。『マリーのアトリエ』とは、うちのことよ」
「明らかに誇大宣伝、虚偽広告ですね。そのうち商店会から摘発されますよ」
わざとらしく肩をすくめるクライス。マリーは意に介さず、ルイーゼに椅子を勧める。
「ルーウェン、お茶の追加お願い!」
「おいおい、俺は下働きかよ」
と言いながら、ポットにお湯を入れに立つ俺も、相当なお人よしだ。
「あの・・・、実は・・・」
「うんうん、それで? 爆弾なら、強力なのがあるよ。中和剤も揃ってるし。それとも、危険な場所での材料採取? それだと割増料金になるけど」
ゆっくりした口調のルイーゼと、せっかちなマリー。ふたりの会話はテンポが合わないことおびただしい。
「その・・・、実験をしたいので、こちらの工房を少しお借りしたいんですけど」
「へ? 実験? なんでアカデミーでやらないの?」
「補習で使わせてもらっていた実験室が、先生の都合で、閉鎖されてしまったんです。わたし、寮に部屋がないもので、実験に使える場所がなくて・・・」
ルイーゼは少し顔をくもらせる。
「今は、叔母様の家に下宿しているんですけれど、しばらく前、実験中にボヤを出してしまったので、部屋での実験は叔母様に禁止されてしまっているんです。それで、どこか場所がないか探していたら、こちらの噂を聞いて・・・」
「そっか。もちろん、構わないよ。今、ちょうど、急ぎの仕事もないし」
マリーは明るく答える。
「うちなら安心よ。夜中に大爆発を起こしても、変な臭いが広がっても、街の人から文句を言われたことないもんね」
「本当ですか? 信じられませんね」
クライスが疑い深そうな声を出す。俺もうなずく。
「もしかしたら、みんな怖くて言い出せないだけかもな。それとも、言っても無駄だととっくに諦められてるのかも」
マリーは俺たちの発言は無視して、ルイーゼに尋ねる。
「それで? どんな実験をするの?」
「はい。この本に載っている実験なんですけど」
ルイーゼは微笑みながら、抱えていた本を見せる。
「ふうん、『魂の秘術』か。あ、これならあたしも図書館で読んだことがあるよ」
どうやら、昨夜、下宿の廊下で見かけた時に読んでいた本らしい。
開かれたページを覗きこんだマリーが、首をかしげる。
「あれ? でも、あたしが読んだ本は、こんなに分厚くなかったような気がするけど」
「これは、改訂版なんですよ」
嬉しそうにページをめくりながら、ルイーゼが説明する。
「補習の2日目に配られたものなんですけど、元々アカデミーの図書館にあった『魂の秘術』に、ヘルミーナ先生が様々な注釈を入れて、新しいレシピをいくつか追加したものなんだそうです」
「へええ。で、今回はどのレシピを実験するの?」
「はい、これです」
ルイーゼは開いたページを示した。クライスも興味深そうに覗きこむ。
「えっと・・・。『生きてるうに』? こんなの聞いたことないよ」
マリーが驚いた声をあげる。
ルイーゼは微笑みながらうなずいて、
「はい、ヘルミーナ先生のオリジナルレシピらしいです。無生物に生命を吹き込む調合は、かなり高度なものですから、失敗することも多いですよね。でも、これなら材料の『うに』はただでいくらでも手に入りますから、練習用のレシピとしては最適なんだそうです。でも、補習の時は、ひとりで居残りまでしたのですが、うまくいきませんでした」
マリーが、俺たちにも聞こえるように、書かれている内容を読み上げる。
「ええと、材料は『うに』と『祝福のワイン』、それに『植物用栄養剤』かあ・・・。なんか、割と簡単にできそうだね。調合手順は・・・ええと、『うに』を適当な容器に入れ、『祝福のワイン』と『植物用栄養剤』を試験管4分の1分注いで、ランプで温めながらむらなく吸収させる・・・か」
「ふむ・・・確かに、生命付与魔法の中では初歩の初歩に属するものですね。私も初めて聞くレシピですが、落第生の練習用レシピとしてはぴったりでしょう」
「お、おい!」
クライスの辛辣過ぎるコメントに、俺は脇腹を突ついて注意しようとした。しかし、当の“落第生”ルイーゼにはクライスの言葉はまったく聞こえていないようだった。いや、聞こえても、自分のことだとは気付かなかったのかも知れない。
マリーはさっそく作業台の一画を片付け、実験用の隙間を作った。とはいえ、作業台は、こぼした薬品のしみや焼け焦げで、まだら模様になっている。だが、ルイーゼはまったく気にしない様子で、持ってきた採取かごに入っていた『うに』の山を積み上げた。
「今朝、近くの森へ行って、採って来たんです」
と、微笑む。
「うわあ、すごい量だね。あ、でも、『祝福のワイン』と『植物用栄養剤』は?」
マリーの言葉に、ルイーゼはきょとんとした表情を浮かべた。しばらくして、悲しそうな表情に変わる。目がうるんでくる。
「忘れていました・・・。『うに』を集めることだけに一生懸命になってしまって・・・。どうしましょう、これじゃ、実験ができないわ」
聞いていたクライスが、額に手を当て、処置なしといった表情で天を仰ぐ。マリーも一瞬あっけにとられていたが、あわてて言う。
「あ、だいじょぶよ、ふたつとも、うちに在庫があるから、それを使えばいいわ。お代は後でいいから。現物で返してもらってもいいし」
マリーの好意で、『うに』の山の脇に、『祝福のワイン』と『植物用栄養剤』が入ったガラスびんが並ぶ。ルイーゼは、嬉しそうに作業にかかった。
俺はクライスにささやきかける。
「おい、俺たちは、のんびりと見ていていいのかい? はやく事件の方に取りかからないと」
「まあ、お待ちなさい」
クライスがささやき返す。
「この『生きてるうに』というレシピには、興味があります。特に、問題のヘルミーナ先生が考え出したレシピだというところがね。もしかしたら、何かヒントが得られるかも知れませんよ。レシピを見る限り、短時間で結果が出そうな実験ですし」

ところが、それほど短時間というわけにはいかなかった。
なにしろ、ルイーゼの動作がのろいのだ。よく言えば、注意深くやっているのだろうが、それにしてもとろい。
びんから試験管に薬を注ぐ時も、おぼつかない手つきで扱うため、ガラス同士がぶつかりあってカチャカチャと音をたてる。ようやく注いだ後も、目の高さに試験管をあげて、額にぶつかりそうなくらい近付け、何度も確かめるように見つめる。そして、あげくの果てに、「だめだわ、微妙に量が違う」とか、「あら、変ね、こんなにさらさらしていたかしら。補習の時と違うみたい」とか、「手順が違うわ。先にランプの火をつけておかなくちゃ」とか、ひとりごとを言っては作業を中止し、最初からやり直すのだ。
そばで興味深そうに見ていたマリーも、ルイーゼの動作に、次第にいらいらしてきたようだった。そして、ついに、
「あああ、もう、いらいらするぅ! 見ちゃいられないわ。調合っていうのはね、そんなふうにやるものじゃないのよ。あたしが見本を見せてあげるわ!」
言い放つと、材料と器具をかき集め、作業台の反対の側で調合を始めた。
こちらは、ルイーゼの作業とはまったく対照的だった。
手元にあったビーカーに『うに』を入れると、目分量でワインと栄養剤をびんから直接注ぐ。そして、ランプにかけると、いきなり強火で一気に加熱した。
「こういうのはね、大胆にテンポよくやらなくちゃ」
得意そうにマリーが言った瞬間、ボン!と鈍い音をたててビーカーの中身が爆発する。煙が吹きあがり、マリーの顔も金髪も、すすだらけとなる。
「あれぇ、おかしいなあ・・・。よし、もう一度!」
そして再び同じ手順が繰り返される。またも爆発。
その反対側で、ルイーゼは相変わらずのろのろとマイペースで作業を進めている。一心に集中して、周囲の様子も目に入っていないようだ。
結局、ルイーゼが1回目の調合を完了したのは、マリーが10回連続で失敗した後のことだった。
「できました・・・」
ルイーゼの声に、俺もクライスも作業台に近付いた。爆風で乱れた髪をなでつけ、布で顔のすすをぬぐったマリーも覗きこむ。
ランプから下ろされた乳鉢の中には、丸く、全体をちくちくしたとげで覆われた『うに』が入っていた。『祝福のワイン』と『植物用栄養剤』を吸って、元々の茶色が、より濃くなったように見える。
「本に書いてある通りなら、これが生命を得て、生き生きと動き出すはずなんですけど・・・」
ルイーゼは、自信なさげに言う。俺たちは、じっと待った。
『うに』は動かない。
しびれを切らしたマリーが、恐る恐るガラス棒で突ついてみる。
「お・・・」
『うに』が、ぴくりと動いた。乳鉢の中で、弱々しく回転する。
だが、それだけだった。
『うに』は力尽きたように動きを止め、それ以降はいくら待っても動きそうになかった。明らかに、生命力は失われていた。
「失敗・・・でした」
ルイーゼがつぶやく。マリーが力づけるように言う。
「でも、ちょっとは動いたじゃない。前向きに考えなきゃ」
クライスが一歩下がると、気取って眼鏡の位置を整え、口を開く。
「今の実験を見ていて、私が思うに、おふたりとも、錬金術をするには致命的な欠点があるようですね」
「何よ! どこが欠点だっていうのよ」
マリーが気色ばむ。クライスはそれを無視し、
「マルローネさんは、私が常日頃から指摘している通り、作業が大雑把過ぎます。だいたい、薬品の分量を正確に計らず、びんから直接材料に注ぐなど、言語道断です。ランプの火の使い方も、初心者の域を出ていません。いくら時間に追われることが多いとは言え、何でも強火で一気に暖めようとしたら、うまくいくものもうまくいかなくなってしまいますよ。もっと細心の注意をもって扱っていただきたいものです」
「悪かったわね」
次にクライスはルイーゼを振り向く。
「ルイーゼさんは、マルローネさんの逆です。注意深くされるのはいいのですが、あなたの場合は度を越しています。時間がかかりすぎるために、薬品や材料が変質や劣化を起こしてしまうのです。これでは、成功は望むべくもありません」
「すみません・・・。それに、わたし、目が悪いもので、よく見て確かめないと、すぐ間違えてしまうんです。時々、右も左もわからなくなったりして・・・」
「目が悪いのなら、私のようにちゃんと眼鏡をかけて矯正すべきでしょう」
「はい、でも・・・」
ルイーゼがうなだれる。マリーが傍からかみつく。
「何よ、クライスったら、さっきから聞いてれば、えっらそうに! 言うだけなら、誰でもできるわよ」
「失礼なことを言いますね。私は決して、口だけの人間ではありません」
「じゃあ、あんた、やって見せてよ」
マリーの挑発に、クライスは肩をすくめた。
「仕方がありませんね。私は、実験は高度な研究のためにだけ行うようにしているのですが・・・。いいでしょう、模範をお見せしましょう」
クライスは、無造作に作業台に歩み寄ると、おもむろに作業を始めた。

これまでマリーの調合しか目にしていなかった俺は、あらためて、錬金術とはこういうものだったのかと目を見張らされた。マリーに比べると、クライスの手際はまさに神業だった。
びんと試験管を手に取り、無駄のない動きで薬を注ぐ。手が、適量を覚えているかのようだ。同じような動きで注がれ、試験管立てに並べられた『祝福のワイン』と『植物用栄養剤』が入った試験管。その赤い液体と緑の液体の水面の高さは、寸分たがわず同じだった。
あらかじめ湯に浸けて暖めておいた乳鉢に『うに』を入れ、若干の蒸留水を吹きかけた上で、ランプの火にかける。ランプの炎は弱火だ。そして、両手に持った試験管を正確に同じ角度に傾け、ワインと栄養剤を等量に注いでいく。すべて注ぎ終わると、わずかに炎を強め、ガラス棒で時おり『うに』を突ついて回転させる。
「回転させるのは、熱が均等に行き渡るようにするためです。また、最初に蒸留水を少量加えたのも、適度な湿り気を与えて薬剤の吸収を早めるためです。ただ材料を混ぜ合わせればよいというものではないのですよ」
とクライスは注釈を加えた。
やがて、『うに』を浸していた液体がすべて消えると、クライスはランプの火を消し、乳鉢を作業台に下ろした。
「終りです」
クライスは、得意そうな様子も見せず、淡々と宣言した。
俺は、クライスの錬金術師としての手腕を、あらためて思い知らされていた。アカデミー首席も、だてではない。クライスは、マリーにはない繊細さとルイーゼにはない大胆さを、バランスよく持ち合わせている。どちらの要素も、錬金術には必須のものなのだろう。
俺たちが期待をこめて見守るうちに、乳鉢の『うに』がぴくりと動いた。
そして、次の瞬間、ぴょんと飛び上がると、ころころと工房の床を転がり始めた。
「わ、すごい!」
マリーが歓声をあげた。ルイーゼが感動したように、
「本に書いてある通りです」
とつぶやく。
「わあ、何それ〜?」
工房の奥で作業をしていた赤妖精のピッコロが、気付いてこちらに出てきた。『生きてるうに』は、ピッコロの足元を勢いよく転がっていく。
「わ〜い、鬼ごっこだ〜!」
はしゃいだピッコロは、工房中を転げまわる茶色い『うに』を追いかけて走りまわった。
「ちょっと、ピッコロ、走りまわっちゃ危ないよ!」
マリーの注意も耳には届かない。
やがて、ピッコロは工房の隅に『うに』を追い詰めた。
「もう逃げられないぞ〜」
ピッコロは、壁際で動きを止めた『うに』を、得意そうに指先でつつく。
そのとたん・・・。
『うに』は、ぴょんと跳ねると、勢いよく宙を飛んで、ピッコロの顔を直撃した。まるで体当たり攻撃だ。
びっくりしたピッコロは、ぺったり床に座りこむと、やがて顔をゆがめて泣き出した。
「わあん、痛いよ〜。とげがちくちくするよぉ」
「ほら、言わないこっちゃない」
マリーが駆け寄る。
俺は、自分の方に転がってきた『うに』を取り押さえた。とげに刺されないよう、マントの端を使ってくるみこむ。
「ふう・・・。けっこう凶暴だな、こいつ」
俺のつぶやきに、クライスの目が光った。
つかつかとピッコロに歩み寄る。俺もつられて覗きこんだ。
マリーになだめられているピッコロの右側の頬から額にかけては、たくさんの細かなすり傷と切り傷におおわれていた。『生きてるうに』の体当たりをくらった側だ。頭にかぶった赤い帽子も、細かくほつれている。
「似ていませんか、ルーウェンくん」
クライスが感情を押し殺した声でつぶやく。
「え、何がだよ」
「武器屋の親父さんの傷にですよ」
俺は思い出した。確かに、あの時茂みから転げ出てきた親父の全身にあった傷は、ピッコロが受けた傷によく似ている。
「でも、まさか・・・」
俺はクライスを見やった。マリーもきょとんとして、こちらを見つめている。
「あんなにたくさんのひどい傷だぜ。しかも、相手は妖精じゃなく、腕っ節のある大人だ。こんな『うに』ひとつじゃ・・・」
「ひとつではないかも知れません・・・」
クライスは考え込みながらつぶやいた。
「大量か・・・。それとも、巨大化するかすれば・・・」
「え? 何? 何言ってるの、クライス」
マリーの問いには答えず、クライスはもの問いたげな視線を宙に泳がせた。
「あの人なら・・・やりかねないかも知れませんね」
「あの人・・・って、ヘルミーナ先生のこと?」
マリーの言葉に、クライスは肯定とも否定ともとれない身振りで応える。
俺は何を言えばいいのかわからなかった。
「お、おい、クライス・・・」
クライスは、口元に、やや寂しげな笑みを浮かべて、自分に言い聞かせるように言った。
「錬金術には、無限の可能性がある・・・そういうことです」


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