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〜ふかしぎアンケート感謝プレゼント小説<なかじまゆら様へ>〜

名探偵クライス 第2話

彼女が創り出したもの [解明篇] Vol.1


「あ、あの・・・」
凍りついたように立ち尽くしていた俺たちは、ルイーゼのおずおずとした声に、はっと我に返った。心は日常に引き戻される。
ルイーゼは小首をかしげ、夢見るような表情で微笑んでいる。
「皆さん、何のお話をされているのですか・・・?」
そうだ。まだ部外者のルイーゼがいたのだ。彼女がいるところで、『生きてるうに』の謎や、事件とヘルミーナ先生の関係などを話し合うのはまずい。
マリーがあわてて両手を振る。
「あ、あははは、何でもない。何でもないのよ。それより、もう実験はいいの?」
「はい、疲れてしまいましたし・・・。今日は本当に、ありがとうございました」
にっこり笑って太陽のように微笑む。そして、ふと思いついたかのように言う。
「あの、お礼がしたいのですが・・・。よろしければ、今度、お昼でもご馳走させていただけませんか」
「わあ、素敵ね。ぜひご馳走になるよ」
食べ物には目のないマリーが、嬉しそうに答える。
「ちょっと待ってください。その料理は、まさかあなたが作られるのでは・・・?」
クライスが言う。ルイーゼは微笑んで、うなずく。
「はい、わたしの手料理で、カロリー控えめの理想的な昼食メニューを・・・」
「私は、遠慮させていただきます」
クライスはぴしゃりと言った。
「そうだな、俺もパス」
数日前にルイーゼが調理した、この世のものとも思えない朝食を思い出して、俺も首を振った。
「何よ、ふたりとも、意地悪なこと言って。人の好意は受けるものよ。クライスはともかく、ルーウェンまでどうしちゃったのよ」
反論するマリーに、俺はささやきかけた。
「いいか、ルイーゼさんの料理の腕前はな・・・。マリー、あんたといい勝負なんだ」
「え、そうなの?」
マリーが目を丸くする。そして、苦笑してルイーゼを見やる。
「あははは、じゃあ、あたしも遠慮しとくわ。気持ちは嬉しいけど。ごめんね」
「そうですか・・・。残念です」
「そうです。それが賢明でしょうね」
クライスが言い添える。さらに、言い足りないと思ったのか、
「そもそも、料理と錬金術は、基本的には同じものだと言えるのですよ。どちらも、レシピ通りに材料を処理して、完成品を作り上げる。その基本をマスターした上で、さらなる工夫を加え、より高度なものを目指していく。その姿勢に変わりはありません」
この言葉に、ルイーゼはぱっと顔を輝かせた。
「それじゃ、料理をお勉強すれば、錬金術の腕も上がるということなんですね」
「まあ、基本的にはそういうことです」
ルイーゼはこくこくとうなずき、
「わたし、お料理を勉強します! 叔母様に教わります。叔母様は、とってもお料理が上手なんですもの。・・・あ、よろしければ、マルローネさんもご一緒にいかがですか?」
「あ、それもいいかもね・・・。でも、今はちょっと忙しいから、また今度ね」
「マルローネさんには、時間の無駄かも知れないですけれどね」
「むっか〜っ! どういうことよ、クライス!」
「それよりも、今はもっと大事なことがあるでしょう」
「あ、そうだった・・・。それじゃね、ルイーゼ。またね」
ルイーゼは何度もお辞儀をしながら、帰って行った。

「さて・・・」
クライスは俺とマリーに向き直ると、眼鏡を整えて、おもむろに話し始めた。
「これまでわかったことを整理すると、いくつかの疑問が浮かび上がってきます。まず第一は、昨夜、近くの森でルーウェンくんが目撃した、ヘルミーナ先生の不審な行動です。その目的は不明ですが、少なくとも、黒魔術の類に属する危険な実験を行おうとしていたのは間違いないでしょう」
俺はうなずいた。あの光景を思い出すと、今も背筋が寒くなる。
クライスは続けた。
「次は、先ほどの『生きてるうに』の問題です。ピッコロくんが受けた傷と、武器屋の親父さんの全身に印されていた傷とは、規模の違いこそあれ、非常に似通った点があります。親父さんが受けた傷は、刀傷でも矢傷でも、けものの噛み傷でもありませんでした。打撲もひどく、なにか、たくさんの細かいとげの生えた武器で、何度も殴られたような印象がありました。そう、例えば『うに』のような・・・」
俺とマリーは、息をのんで顔を見合わせた。さらにクライスは続ける。
「ここでも、不思議な暗合というか、共通点があります。『生きてるうに』というレシピが、ヘルミーナ先生のオリジナルレシピだということです。私も知らなかったほどですから、この『生きてるうに』というレシピは、まだほとんど世間には知られていないと言っていいでしょう。『生きてるうに』自体は、大きさも小さく、さして危険なものではありません。しかし・・・」
クライスは言葉を切った。真剣な表情で、俺とマリーを交互に見る。
「ここからは、私の推測です。・・・ヘルミーナ先生は、『生きてるうに』のレシピになんらかの手を加えて、『生きてるうに』を巨大化または狂暴化することに成功したのではないでしょうか」
「そんな・・・!?」
マリーがごくりとつばを飲みこむ。俺は、なんとか筋道を立てて考えようとして、言葉を選びながら言った。
「それじゃ、こういうことか・・・? ヘルミーナ先生が作った、その『うに』の化け物が近くの森に潜んでいて、たまたまそこを訪れた武器屋の親父さんを襲ったって?」
「たまたまじゃないよ、きっと」
マリーが断定口調で言う。
「前に酒場で聞いたことがあるよ。『うにを粗末にするとバチがあたる』って。親父さんも、“うに投げ”の練習とかいって、『うに』を粗末にしたから、その『生きてるうに』の化け物に襲われたんじゃないのかな」
「そういえば、ゆうべのヘルミーナ先生も、『うに』を集めて焚き火をしていたな。何か意味があるのかな?」
「そのあたりのことについては、もっと情報を集めなければいけませんね」
クライスはうなずくと、先を続ける。
「おそらく、その怪物は、ヘルミーナ先生の実験室で生み出されたのでしょう。覚えていませんか、イングリド先生の話の中に、ヘルミーナ先生が地下実験室のドアの修理依頼を出したという情報があったのを」
「そういえば、そんな話があったな」
「そのドアは、怪物が地下実験室を脱け出す際に、破壊されたのではないでしょうか」
「そっか。爆弾じゃなかったんだ」
しばらく、沈黙が工房の中を支配した。
「で・・・どうする?」
俺は尋ねた。
「今度こそ、イングリド先生に報告するかい?」
クライスは首を横に振った。
「確かに、すべての情報はヘルミーナ先生を指しています。しかし、どれもこれも状況証拠に過ぎません。決定的な証拠をつかむ必要があります」
「決定的な証拠・・・って、どうするのよ?」
「実験室を調べてみるしかないでしょう」
「実験室・・・って、アカデミーの?」
「ヘルミーナ先生の地下実験室です。なにか証拠が残っているとすれば、そこ以外にはないでしょう」
「だけど、調べさせてくれるかな」
「もちろん、こっそり忍び込むのです。ヘルミーナ先生が不在の時を狙って・・・」
クライスの眼鏡のフレームが光る。
「でも、いつヘルミーナ先生が留守だってわかるのよ?」
「それは、調べる必要があります。マルローネさんは、アカデミーの講義の時間割を・・・」
クライスは言葉を切り、肩をすくめる。
「・・・持っているはずが、ありませんよね」
「なんでそこで断定するのよ!?」
「では、持っているというのですか」
「それは・・・。持ってないけど」
「やはり、お聞きするだけ無駄でしたね」
「何よ! クライス、あんたこそ、偉そうなこと言って、知らないんじゃないの!」
「私は既にマイスターランクの人間ですからね。アカデミーの通常の時間割を関知している必要はありません」
「もう! この役立たず!」
「あなたよりはましです。・・・それより、実験室を調べに行く時は、マルローネさんには留守番をしていただきますからね」
「なんで!? あたしも行きたいよ!」
「これは、細心の注意を要する調査なのです。しかも秘密裏に行わなければなりません。あなたのように、がさつでそそっかしい人がいたのでは、百害あって一利なしです」
「ふん、どうせあたしは、すっとこどっこいですよ!」
マリーはふくれたが、俺もこの際はクライスに賛成だった。
「それにしても、ヘルミーナ先生のスケジュールですね・・・」
クライスが考えこむ。その時・・・。
「あ、あの・・・」
背後から声をかけられ、俺は飛びあがりそうになった。
いつのまにか、工房の入り口のところにルイーゼが立っている。
いつからいたのだろう。話を聞かれてしまったのだろうか。
「すみません、何度もお邪魔して。実は、忘れ物をしてしまったもので・・・」
ルイーゼは、作業台の下に置きっぱなしになっていた採取かごを示した。
マリーがあわててかごを渡すと、ルイーゼは微笑んで、出ていこうとする。
どうやら、話を聞かれてはいなかったようだ。俺とクライスはほっとして目を合わせる。
その時、振り返ったルイーゼが、にっこり笑って言った。
「あ、そうそう。ヘルミーナ先生のスケジュールでしたら、今日は午後いっぱい、『四大精霊概論』の集中講義をなさっているはずですけれど」


「こちらです」
クライスが先に立って、石造りの狭い階段を、地下へと下りていく。
ここは、アカデミーの研究棟だ。研究棟は、特に高度な錬金術の実験が行われている施設で、部外者はもちろん、一般のアカデミー生徒でも立ち入るには許可がいる。
クライスはマイスターランクなので、ここに自分の研究室も与えられており、出入りは自由だ。そこで俺は、クライスの研究室に実験材料を運び込む手伝いをするという名目で、アカデミー事務室の許可を得て、研究棟に足を踏み入れることができた。
いったん、2階にあるクライスの研究室に落ち着いた後、クライスが、大講堂でヘルミーナ先生の講義が行われていることを確かめてくる。それから、俺たちは階段を下り、ヘルミーナ先生の地下実験室へ向かったのだった。
石壁のところどころに取りつけられたランプの薄明かりに照らされる廊下を進むと、左側に真新しい樫材の扉が見えた。
「地下実験室Aです。イングリド先生が言った通り、壊れたドアが、つい最近新しいものに付け替えられたようですね」
ドアには、「関係者以外立ち入り禁止」と張り紙がしてあった。
手袋をしたクライスが、ためらわずドアに手をかける。が、頑丈なドアはびくともしない。
「やはり、鍵が掛けられていますね」
「よし、ここは俺に任してくれ」
俺は身をかがめると、持って来ていた細い針金の先を慎重に鍵穴に突っ込む。 手応えを確かめながら、何度も微妙に角度を変えて針金を動かす。やがて、内部でカチャリと音がして、鍵が外れた。
「なかなか見事な腕ですね」
クライスが珍しく、感心したように言う。俺はうなずいて、
「ああ、ダンジョンで財宝探しをする時には必須のテクニックでね。これができないと、トラップにはかかるわ、宝は手に入らないわ、とんでもない目に遭うのさ」
そのまま、俺はドアを開けようとしたが、ふと気になって、ドアの周囲に注意深く視線を走らせた。やがて、予想していたものが目にとまる。
「ちょっと待ってくれ。・・・やっぱりな」
「どうしたのですか」
俺はドアを細めに開けながら、手を伸ばして、ドアと壁の隙間に挟まっていた1本の糸のような物を抜き取った。薄紫色をしたそれは、蜘蛛の糸のように細い。
「何ですか、それは」
俺は、光にかざして見せた。
「あの先生の髪の毛だな。なかなか用心深いぜ。部屋を出る時に、こうして髪の毛をドアに挟んでおくんだ。留守中に誰かがドアを開ければ、この髪の毛が床に落ちて、戻って来た時に、誰かが侵入したことに気付くって寸法だ」
「なるほど」
「まあ、盗人や押しこみ強盗の多い土地で暮らす時は、なかなか役に立つやり方なんだが・・・。こんな手を知ってるなんて、あの先生、ただ者じゃないな」
「とにかく、手早く済ませてしまいましょう」
クライスが実験室の奥へ踏みこむ。俺は髪の毛を元の位置に挟むとドアを閉め、内側から鍵をかけた。
あらためて、部屋の中を見まわす。
生徒の実習に使わせるためか、手前にはかなりの空間が空いており、折り畳み式の作業台が、今はきちんと折り畳まれて壁際に積み上げてある。
正面の作業台の上には、ガラス器具やランプ、天秤といった、マリーの工房でも見慣れた道具類がきちんと並べられている。その正面の壁の棚には、ガラス扉でさえぎられた向こうに、様々な色の薬品が入ったガラスびんがひしめいている。ガラス扉はふたつに仕切られ、左右それぞれに文字が記されている。左の文字は『実習用:生徒の使用可』、右の文字は『講師用:生徒は使用禁止』となっている。
作業台の右側にはマリーの工房のものと良く似た大釜が置いてある。左側の壁に造り付けられた本棚には、古ぼけた本がぎっしりと詰まっている。作業台の下には、アイテムの保管箱らしい、しっかりした造りの大きな木箱がある。
まずクライスは、棚に並んだ薬びんに目をつけた。ガラス扉を開け、ひとつひとつ手に取る。
「こちらの『実習用』と書かれた棚にあるのは、ごく基本的な薬品ですね。中和剤、栄養剤、各種のワイン、アルコール、研磨剤、塩、蒸留水などです。しかし、『講師用』の方は・・・」
クライスは首を振った。
「かなり高度で危険な薬品が多いようです。しかも、ラベルを貼ってすらいないので、私としても中身は推測するしかありません。例えば、これは『虹色の聖水』、この黒いびんは、ある種の毒薬のような気がします。強力な火薬もあるようです。このピンクの粉は、文献でしか見たことがありませんが、一種の惚れ薬だと思われます。そしてこれは・・・」
クライスが掲げて見せたびんには、どろりとした赤黒い半透明の液体が詰まっていた。
「これなどは、私にも見当がつきません。書物でも読んだことがありませんし、初めて見るものです」
次に、クライスは本棚に目を向けた。真剣な表情で、次々と背表紙に書かれた本のタイトルに目を走らせる。
「ここの蔵書は、大したものですね。図書館には収められていないような貴重な文献もいくつかあります。それに・・・」
奥の棚に目を移したクライスは絶句した。目を見張り、顔をすりつけるようにして、そこに書かれた文字を確かめる。手を伸ばそうとしたが、思い直したように引っ込めた。まるで、触れるのを怖れているかのようだ。
振り返ったクライスが言う。
「とんでもないものを見つけてしまいました・・・。この奥の書棚に並んでいる何冊かは、古来より禁忌の書物として封印され、焼き捨てられたはずのものです。私も、マイスターランク以上の者にだけ閲覧を許される古い稀書の中で、その題名を垣間見たことがあるに過ぎません。やはり、この実験室では、きわめて危険でおぞましいことが行われていたのだと考えざるを得ませんね」
「だけど、肝心の『生きてるうに』の化け物に関する証拠がないな」
「こちらを見てみましょう」
クライスは、俺に手伝わせて、作業台の下にあったアイテム保管箱を引きずり出した。
ふたりで、重そうなふたに手をかける。
持ち上げようとした時、俺は不意に不安に襲われた。冒険者としての、本能的な反応だ。
「いかん、開けるな、クライス!」
だが、クライスは既にふたをわずかに持ち上げていた。
シューッという音とともに、霧のようなものが身体を包む。
「トラップだ!」
叫ぼうとした俺の声は、のどの途中で凍りついた。
全身が石のように固くなり、ぴくりとも動かせない。目は見え、音は聞こえ、呼吸もできるが、手足は動かせず、声を出すこともできない。気配から察するに、クライスもまったく同じ状態のようだ。
(くそ、油断した!)
後悔しても、もう遅い。


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