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伝説のはじまり


「マリー! ねえ、マリーってば!」
ザールブルグ・アカデミーのロビーで、栗色の髪を三編みのおさげにした小柄な少女が、小声でささやきかける。
ささやきかけられている相手は、錬金術服を身に着け、金髪に丸い髪飾りをつけた少女だ。彼女は、ロビーの片隅に設置されているアカデミーの掲示板にうつろな視線を向けている。
今、掲示板には、先ごろ行われたアカデミーのコンテストの結果が発表されている。
このコンテストは、年1回、学年末に全学年を対象に実施されるもので、その結果、アカデミーに在籍するすべての生徒の成績順位が明らかになる。
マリーと愛称で呼びかけられた少女、マルローネは、アカデミーの4年生・・・最高学年である。先日のコンテストは、彼女にとってアカデミーで最後の試験だったわけだが、その順位は・・・。

250人中、250位!

いつも明るく、前向きなマルローネでも、茫然自失するのに不思議はない。
おさげの少女・・・親友のシアに何度も声をかけられて、やっとわれに返り、振り向く。
「ああ・・・なんだ、シアじゃない。どうしたの?」
「どうしたのじゃないでしょ! 今日はコンテストの結果発表だって聞いたから、心配になって見に来たのよ。・・・でも、どうして最下位なの? あんなに一生懸命、勉強してたっていうのに」
マルローネは大きなため息をつく。
「また、やっちゃったのよ。いつもの癖が出てね・・・。調合の試験では、燃える砂をつい入れすぎて、作業台をひとつ黒焦げにしちゃったし」
「じゃあ、筆記試験は? ばっちり出題範囲を予習したって、自信たっぷりだったじゃない」
「うん、答も、ばっちりだったよ。・・・ただ、あわてて解答欄をひとつずつ間違えさえしなけりゃね」

「マリー・・・」
「最後の基礎魔力の試験でも、目分量で爆弾使ったら、樽と一緒にイングリド先生の秘蔵の参考書を灰にしちゃった・・・」
力なく笑うマルローネ。シアも処置なし、というふうに肩をすくめるが、やがて心配そうな顔になり、
「で、どうなの、マリー。卒業できそうなの?」
「そんなの、わからないよ。だって、4年連続コンテストが最下位なんて生徒、いなかったらしいもの。このあと、イングリド先生が個人面談をするって、聞いているけど・・・。ま、今さらじたばたしたって、仕方ないよね」
と、早くも気分を切り替えてしまったのか、マルローネは明るく答える。

そんなマルローネの錬金術服の襟に、赤い記章が光っている。これは、現在の最上級生であることを示すものだ。
同じように、3年生から1年生までは、それぞれ青、緑、白の記章で区別される。これは、錬金術の基本である四大元素を表わしており、さらに上級の、優秀な研究者だけが行けるマイスターランクの生徒には、金色の記章が与えられる。

「ちょっと、その辺に座ろうよ。シアだって、身体が丈夫じゃないんだから」
と、マルローネがシアをうながした時、事務棟の方から歩いてきた男子生徒が、マルローネに声をかける。
「失礼ですが、あなたがマルローネさんですか?」
「ええ、そうだけど、何?」
その生徒は背が高く、銀髪に銀縁眼鏡をかけ、あどけなさの残る中にも知性を感じさせる顔立ちをしていた。緑色の記章を付けているということは、マルローネの2年後輩に当たるらしい。
マルローネの返事を聞くと、相手は片手で眼鏡の位置を整え、冷笑とも言っていいような笑いを浮かべた。
「やはり、そうでしたか。イングリド先生が、お呼びです。確かにお伝えしましたよ。では、失礼」
くるりと背を向けると、すたすたと研究棟の方に去っていく。

「何よ、あれ。あれが上級生に対する態度なの? いけすかないやつね。あんなの、アカデミーにいたかしら?」
むっとして、ぶつぶつ言うマリーに、シアは、
「ねえ、マリー、それよりも、イングリド先生のところへ行かないと・・・」
「あ、そうだね、じゃ、ちょっと行ってくるよ」
「がんばってね・・・」
マルローネを見送り、掲示板に目をやったシアは、コンテスト結果の一番上を見て、ふと目をひそめた。
そこには、「主席、クライス」と記してある。さきほど、マルローネを呼びに来た生徒の名札にも、同じ名前が書かれていなかったろうか。
「偶然かしら・・・」
シアは何度も首をかしげたが、もちろん結論は出なかった。

その頃、イングリドの部屋では、マルローネが身をこわばらせていた。
「・・・そんなわけで、アカデミー創立以来最低成績のあなたには、5年間の特別試験を受けてもらいます。5年後に、何かひとつ、あなたが自分で作ったものを持っていらっしゃい。それによって、あなたが卒業に値するか、判断します」
(ひ、ひええ〜〜)
マルローネは、言葉もなく、師の言葉を聞いていた。

イングリドは一息つくと、あらためてマルローネを見つめる。
「ところで、あなたの場合、4年生ではなくなるわけですが、アカデミーを卒業するわけでもありません。そこで、あなたのアカデミーでの身分を証明するものとして、新しい記章を付けてもらいます。新学期からは、今までの赤い記章の代りに、これをお付けなさい」
マルローネは、師から渡された記章をひねくりまわして、うらめしげな声を上げる。
「先生、なんですか、この色・・・。灰色の記章なんて、見たことがありませんけど」
「マルローネ。あなたは、四大と金の他にも、錬金材料に属性があることを覚えていないのですか」
「え・・・? ・・・ということは、これって、錬金術のゴミの属性じゃないですか。ひどい、じゃあ、あたしはアカデミーのゴミってことですかあ!?」
うらめしげに師を見やるマルローネ。

厳しかったイングリドの表情が、一瞬、ほころぶ。
「そういう考え方もあるけれど、錬金術のゴミといっても、中には貴重な調合の材料になるものもあるのよ。それがなければ、重要なアイテムが調合ができないというようなゴミもあるの。今のままでは、あなたもただのゴミよ。アカデミーも、いつかあなたを捨てなくてはなりません。でも、わたくしはあなたにそうなってほしくないの。だから、がんばりなさい」
まだ不満顔で部屋を出て行くマルローネを見送りながら、イングリドは心の中でつぶやいていた。
(マルローネ、あなたは、アカデミーはじまって以来の劣等生であると同時に、もっとも型破りな生徒でもあるわ。わたくしは、そこに無限の可能性を感じるの・・・。あなたなら、いつか、灰を金に、いいえ、それ以上のものに変えてしまうのではないかと・・・)

後日、マルローネは、卒業試験用にイングリドから貸し与えられた工房を開いた。
1年目、マルローネは、錬金術服に何の記章も付けていなかった。
3年目、灰色の記章はさりげなくマルローネの錬金術服に留められていた。
そして5年目、アカデミーにひとつしかない灰色の記章は、誇らしげにマルローネの胸に輝いていた。

<おわり>


○にのあとがき>

なかじまゆらさんの「Salburgs Museum」に寄贈した2つ目の作品です。

この記章のアイデアは、これの前に「幻の怪盗ふたたび」を書いた時に使った設定から思い付きました。
金色の記章を付けた、マイスターランクの錬金術師・・・

じゃあ、落第生のマリーは、どんな色の記章を付けていたんだろう?

そんな疑問から、生まれた作品です。
クライスとマリーとの、最初の出会い(本人たちはまったく意識してませんが)でもあります。


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