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メイドのみやげ


わたし、最近、ちょっぴり憂鬱なんです。
わたしの職業は、メイド。ザールブルグの『職人通り』にある、ヴェルナー雑貨店に勤めています。
でも、ただメイドと言っても、やらなければならないことは、山ほどあります。
朝は、店主のヴェルナーより先にお店に来て、お湯を沸かします。ヴェルナーは、気まぐれな上に寝起きが悪く、店に出て来た時にいれたての熱いコーヒーがないと、すぐに機嫌が悪くなるんです。だから、彼の好みのコーヒー豆を切らさないようにして、いつもマグに注いであげるのが、朝のいちばん大事なお仕事。
それが終わったら、カウンターの中であくびをしているヴェルナーは放っておいて、店内の掃除を始めます。
まず、店の入口をホウキで掃き掃除。入口の脇には、大きなお面がかかっています。まったく、どこで手に入れてきたものやら。顔の造作がみんな大きくて、なんとなく趣味が悪いって感じ。でも、見慣れてくると、どこか愛敬があるように見えてくるのは、不思議ですよね。
入口から店内に向かっては、上り階段がずっと伸びていて、途中の踊り場で右に折れ、ヴェルナーのいるカウンターまで続いています。
そして、階段の両側に、ヴェルナーがあちらこちらで仕入れてきた得体の知れない商品が、ところせましと並んでいます。それらに毎日、はたきをかけます。埃を払いながら、思います。ほんとに、こんなの買う人、いるのかしら?
例えば、踊り場のところにある、黒い粉と白い粉。何に使うものなのか、全然わかりません。『混ぜるな危険!』と、ヴェルナーのきたない字で、注意書きがしてあります。混ぜると危ないのなら、離して置いておけばいいのに。
それから、ヴェルナー特製の投げナワもあります。先っぽにフックが付いていて、それを使えばどこでも登れるらしいんですけど、こんなものを買う人って、泥棒くらいしかいないんじゃないかしら。
カウンターの近くにある、グランビル産の高級織物も、謎です。ヴェルナー自身が、わざわざ遠くのグランビル村まで行って仕入れてきたものなんですけど、あまり高値を付けるものですから、まったく売れる気配がありません。
その他にも、『星のかけら』だとか『月のしずく』だとか『竜の化石』だとか、どんな用途があるのかわからない商品が、いっぱい。それでも、買って行く人がいるのだから、不思議よね・・・。
・・・。
そう。わたしの憂鬱の原因は、その人。
何年か前に、このザールブルグにやって来て、それ以来、頻繁にヴェルナーの店に出入りするようになった女の子。たしか、名前はリリーといって、職業は錬金術師だとか。錬金術って何なのか、わたしには、よくわかりません。でも、うちのお店で売っている商品を買っていっては、別の珍しいアイテムを売りに来たりします。お薬とか、爆弾とか、魔法の道具とか・・・。
で、気になっているのは、ヴェルナーが、リリーさんに好意を持っているらしいということ。いつもは不機嫌な顔をして、つまらなそうに商売しているのに、リリーさんが来ると、急に笑顔になるんです。
「ヒマなら、ずっと俺と話でもしねえか?」
なんて言って、にやけてます。
わたしにも、その笑顔、向けてほしいのに・・・。
リリーさんも、まんざらでもないって顔をして、にこやかに他愛のない会話をしています。最近は、一緒に街の外へ掘り出し物を探しにも行ったりしているみたいです。ヴェルナーが出かけている間は、お店は休みになります。わたしも、休めてお給料ももらえるので、嬉しくないわけではないんですけど、やっぱり想像してしまいます。街の外で、ヴェルナーとリリーさんが、楽しく過ごしている姿を。
わたし、知ってるんです。
リリーさんが、街の他の冒険者とも仲良くしてるのを。
テオ君とは、実の姉弟みたいに仲良しだし、武器屋のゲルハルトが悪酔いしているのを優しく介抱してあげてるのも見ました。王室騎士隊のウルリッヒさんも、リリーさんのことを気にしているみたいです。
でも、決して、リリーさんが二股も三つ股もかけてるというわけではないんです。ただ、あの人は底抜けに明るくて、誰とでも仲良くなれる素質を持っているだけ。だから、わたしは、ヴェルナーとリリーさんが楽しそうに話しているのを見ても、憎いという気持ちは起こりません。
ただ、寂しいだけ・・・。
ヴェルナーの笑顔。ヴェルナーの優しい声。ヴェルナーの指先。
それを、わたしにも向けてほしい。ただの雇い人じゃない、ひとりの女性としてのわたしを見てほしい・・・。
それは、はかない夢なのでしょうか。
踊り場の床にモップをかけながら、わたしはそんなことを想います。
想っていても、行動には移せない。そんな勇気はない・・・。出るのはため息ばかりです。
わたしの憂鬱な日々は、まだまだ続きそうです。

そんなある日。
わたしは、お店の奥にある物置で、商品の整理をしていました。
商品とは言っても、ヴェルナーが興味にまかせていろいろなところから集めて来たがらくたの山です。お店に出しても売れなかったものが、ただ雑然と積み重なっているだけ。
ヴェルナーは、探し物があると、このがらくたの山をひっくり返すだけひっくり返しておいて、あとはそれっきり。後片付けをするのは、わたしの役目です。
「ふう・・・」
額にしたたりおちる汗をぬぐって、ふと目を上げると、棚の奥に、何冊かの本が埃をかぶっているのが見えました。おそらく、ヴェルナーがどこかの古書市で買って来て、そのまま突っ込んであったものでしょう。
わたしは、ふと興味を引かれて、本の中の1冊を取り出して、ページを開いてみました。
それは、さまざまな魔法やおまじないのことが書いてある、古い本でした。
あるページに、目がとまりました。
自分でも気が付かないうちに、わたしは夢中になって、そのページを読みふけっていました。
そして、わたしの心に、ひとつのアイディアが浮かんできたのです。
今から思えば、わたしはどうかしていたのだとしか思えません。
でも、その時は、わたしにできることはこれしかない、どうしてもやらなければならない、と思い込んでいたのです。
わたしは、物置を出ると、ヴェルナーに、
「ちょっと外出してきます」
と言って、お店を出ました。
「ああ」
と、ヴェルナーは気のない返事をします。
わたしは、そのまま坂をまっすぐ下って、中央広場の方へ向かう道に立ちました。
目を上げると、丸い金属製の看板が、風に揺れています。
そこには、『リリーのアトリエ』と記されていました。
そして、その工房の扉には、
「薬品、魔法の道具、その他、よろずアイテムのご用命、うけたまわります」
と書いた貼り紙が貼ってあります。
リリーさんの、錬金術工房です。
わたしは、深呼吸をひとつすると、思い切って工房の扉をノックしました。
「は〜い、どうぞ」
明るい声で返事が聞こえ、リリーさんが顔を出しました。
「いらっしゃいませ。なにかご用ですか?」
わたしがヴェルナーの店のメイドだと、気付いた様子はありません。
わたしは、ごくりとつばを飲み込むと、一息に言いました。
「あの・・・。“惚れ薬”を作っていただけませんか?

あれから、ひと月が流れました。
その日は、わたしがリリーさんに頼んだ“惚れ薬”が完成する予定の日です。
わたしがヴェルナーの店の物置で見付けた古本には、恋を成就させることのできる薬・・・つまり“惚れ薬”のことが書いてあったのです。そして、錬金術を使えば、それを作り出すことができる、と。
わたしの注文を聞いたリリーさんは、目を丸くしましたが、なんとか参考書を調べて、作ってみると約束してくれました。その時、わたしは少し皮肉な思いをしていました。恋敵かも知れない人に、その恋に勝つための薬を作らせるという事実に。わたしは、ちょっと意地悪な気持ちになっていたのかも知れません。
わたしは、約束の銀貨を持って、リリーさんの工房を尋ねました。
ノックをします。
でも、返事がありません。
しばらく扉の前で待ちましたが、誰も出てくる気配がありません。
がまんできなくなったわたしは、そっと扉を押しました。
鍵はかかっておらず、わたしは静まり返った工房に足を踏み入れました。
「あの・・・。どなたか、いらっしゃいませんか?」
見回すと、奥の方の作業台に突っ伏している人影が目に入りました。
「あ、あの・・・」
おそるおそる、近づきます。
それは、リリーさんでした。
きゅうくつな格好で、作業台に上半身をもたれさせ、すやすやと寝息をたてています。
悪いとは思いましたが、こちらも用事を済まさないわけにはいきません。
肩に手をかけ、揺り起こします。
「ふにゃ?」
ようやくリリーさんが身を起こしました。でも、まだ目はとろんとしています。
「あの・・・。わたしが頼んでいたお薬、できていますか?」
目をのぞき込むようにして、尋ねます。
「・・・あ、ごめんにゃひゃい、ゆうべ、徹夜ひひゃって・・・」
寝ぼけ声で、リリーさんは答えると、ふらふらと起き上がって、部屋の反対側の棚を指差します。
「あひょこにあるから、ろうぞ、持ってってくらひゃい・・・」
見ると、そこには、丁寧にラッピングされて、ひもでくくられた平べったい包みがありました。きっと、これに違いありません。
「あ、ありがとうございました。お金、ここに置きますから、ゆっくり休んでくださいね」
「ふぁい、ろうもでしゅ・・・」
リリーさんは、再び夢の世界へ帰って行ったようでした。
わたしは、きれいな包み紙にくるまれたそれを、手にぶら下げて、足取りも軽くお店へ向かいました。
あとは、この“惚れ薬”をヴェルナーに飲ませることができさえすれば・・・。
お店へ戻ると、相変わらず、ヴェルナーが退屈そうな顔で、古美術のカタログをながめています。
もう少しすれば、午後のお茶の時間です。
わたしは、キッチンに入ると、震える手で包みを開きました。
厚紙でできた箱の中には、おいしそうなパイが入っていました。
(なるほど、これをそのまま食べさせればいいわけね・・・)
わたしは、いそいそと新しいコーヒー豆を碾き、お湯を沸かし始めました。
コポコポと、まるでわたしの心を映すかのように、ポットが軽快な音をたてます。
少し時間は早かったけれど、もう待ちきれません。
わたしは湯気を立てるコーヒーのマグとパイのお皿をトレイに乗せて、ヴェルナーのところに運んでいきました。
「お茶が入りました。どうぞ、召し上がってください」
ヴェルナーは、気のない様子でうなずきましたが、パイに目をとめると、にやりと笑みを浮かべました(ここだけの話、ヴェルナーって甘いものが好きなんです)。
「お、なかなか美味そうなパイじゃねえか。それじゃ、ひとついただくとするか・・・」
わたしは、フォークを取り上げるヴェルナーの指先を、夢見る想いで見つめていました。
ゆっくりと、フォークはパイの一切れを切り取り、ヴェルナーの口元へと運んでいきます。
その時、お店のドアが大きな音を立てて開きました。
そして、パタパタと階段を駆け上がる足音。
「えいっ!」
背後で子供の声がしたかと思うと、わたしは何もわからなくなりました。
まるで、時間が止まったみたいでした。
次に気が付くと、目の前にあった“惚れ薬”入りのパイの皿は消え失せていました。
振り返ると、そこにはふたりの女の子が立っていました。ふたりとも、左右の瞳の色が違っています。
わたしは思い出しました。ふたりとも、リリーさんと一緒に遠い国からやって来たという、錬金術の使い手です。
ふたりは息をはずませ、髪をおかっぱにした方の女の子の手には、パイの皿が乗っています。
もうひとりの、薄水色の髪をカチューシャで止めた女の子の方が、口を開きました。たしか、名前はイングリドといったはずです。
「ごめんなさい。緊急事態だったので、『時の石版』を使わせてもらいました」
「え、何?」
わたしはぽかんとしていました。何のことを言っているのか、よくわかりません。
「間違いだったんです。リリー先生が寝ぼけて、別の品物をお渡ししてしまったんです」
イングリドが続けて言いました。
「お姉さんが持っていったのは、ヘルミーナが作った、毒薬の包みだったんです」
「そうなんです・・・。ほんとにごめんなさい。でも、間に合ってよかった・・・」
おかっぱの女の子、ヘルミーナが、半分泣きそうな声で謝りました。
「だいたい、ヘルミーナが悪いのよ。こんな危険なものを、無造作にほっぽりだしておくから・・・」
「何よ! ちゃんと、毒薬だとわかるように、目立つラッピングをしといたんですからね!」
「いくら目立つようにしたからって、他の人にわからなかったら、何にもならないじゃない! あんたは、そういうところが、抜けてるのよ!」
「なんですってえ!」
いきなり始まった口論に、ヴェルナーも目を白黒させています。何が起こったのか、いちばんわからなかったのは、ヴェルナーだったでしょう。
「・・・と、いうわけで」
と、口論をやめたイングリドが、はきはきした口調で言いました。
「この『冥土みやげ』は、持ち帰らせていただきます」
「お姉さんが注文された“惚れ薬”は、こちらのビンですので、どうぞお持ちください」
ヘルミーナが、ピンク色の粉が入ったガラスの小ビンをわたしに手渡しました。
わたしはあわてて受け取りましたが、それを聞きつけたヴェルナーが言いました。
「“惚れ薬”・・・? なんだよ、それ?」
「あは、あは、あははは・・・」
わたしは、笑うことしかできませんでした。

あれ以来、“惚れ薬”が入ったビンは、ヴェルナーのカウンターの下の陳列棚に並べられています。
「こいつは、なかなかの掘り出し物だ。きっと高値がつくと思うぜ」
ヴェルナーは、何も気が付いていないようです。それとも、とぼけているだけなのでしょうか?
わたしは、あの出来事で、目が覚めました。
間違いだったとは言え、もう少しで、ヴェルナーに毒薬を食べさせてしまうところだったのですから。
あれはきっと、わたしの心の間違いを正すために、神様がはからってくれたことなのかも知れません。
「お〜い、コーヒーいれてくれよ」
ヴェルナーの間延びした声が、わたしの耳に快く響きます。
「はい!」
わたしは元気に返事をして、キッチンに向かいます。
わたしの胸に、いつかリリーさんがヴェルナーに話していた言葉が浮かんできます。
(夢は、追いかけていれば、きっとかなう・・・)
いつの日か、ヴェルナーがわたしの方を見てくれる日が、きっと来る・・・。
そう信じて、生きようと思います。
今日も、そして明日も・・・。

<おわり>


○にのあとがき>

あ、あはははは・・・。
なんか、タイトル見ただけで、オチがわかってしまいますね。
しかも、『ピコ!』以来の一人称小説。

「リリー」でヴェルナーラブのイベントを見てからというもの、あのメイドさんがかわいそうでかわいそうで・・・。
なんとかしてあげたいな、と思って、でき上がったのがこの小説です。
それにしても、リリーの寝ぼけっぷりって(汗)


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