エリーアイゼル禁断の一夜


ザールブルグの夜は早い。
黄昏時には道行く人々でごったがえしていた職人通りも、2刻も過ぎて酒場が店じまいしてしまうと、ほとんど歩く人もいなくなってしまう。
雲間に見え隠れする月が、石畳の道にまだらな影をかたち作り、時おり吹き過ぎる気まぐれな夜風に、落ち葉が舞い上がる。

そんな中を、オレンジ色の錬金術服にマントをはおった小柄な人影がとぼとぼと歩いていた。
「はあ・・・」
うつむき加減のエリーは、もう何度繰り返したかわからないため息をつく。

頭痛はようやく治ってきたようだが、耳の奥には、まだ工房の大騒ぎの余韻がこだましている。
(まさか、あんなことになるとは思わなかったなあ・・・。でも、「いいよ」って言っちゃったんだし、怒るわけにもいかないよね・・・)
それにしても、妖精ピノットの一言に、軽い気持ちでうなずいてしまった自分が、今となっては恨めしい。

・・・「ねえ、おねえさん。今日、友達がここに遊びに来たいって言ってるんだ。呼んでもいいかなあ?」
その「友達」が、あんなに大勢だったなんて・・・。
妖精さんのパーティーが、あんなにとんでもない大騒ぎだったなんて・・・。
今、工房がどんな状態になっているか、エリーは想像したくもなかった。
(でも、どうしよう・・・? とても耐えられなくて、飛び出して来ちゃったけど・・・。やっぱり、野宿するしかないのかなあ・・・)

ふと、頭上に大きな影がおおいかぶさったような気がして、エリーは足を止める。
(いつのまにか、アカデミーに着いちゃった)
無意識のうちに、足は歩きなれた道をたどっていたのだろう。石造りの重厚なザールブルグ・アカデミーの建物が、長い影をエリーの上に落としていた。

エリーは正門を抜け、正面玄関に向かう。自然に手が動き、大扉を引き開ける。
軽いきしみと共に開いた扉の向こうに、寒々としたロビーの風景が広がる。窓から差し込む青白い月明かりに照らし出された無人の広間。

ロビーの中央にたたずみ、ぼんやりと思いをめぐらす。
(結局、アカデミーに来ちゃった・・・。誰か、泊めてくれるかなあ? 知り合いと言えば、アイゼルとノルディスくらいしかいないけど・・・)
考え込んでいても仕方がない。
エリーは渡り廊下を抜け、寮棟に向かった。

アイゼルの部屋の前で、足を止める。扉の隙間からランプの灯りが漏れ、廊下に細長い光の筋を作っている。どうやらアイゼルは、まだ起きているようだ。
一瞬ためらった後、ドアをノックする。
「はい、どなた?」
いささか不機嫌そうな声とともに、ドアが開きアイゼルが顔を出す。

もう寝る支度をしていたのだろう。アイゼルはパジャマに着替え、髪飾りや耳飾りも付けていない。ダークブラウンのつややかな髪を、無造作に束ねている。
「あら、エリーじゃない。誰かと思ったわ」
訪問者がエリーだとわかり、険しかった目がふっとほころぶ。しかし、すぐに大きなエメラルド色の瞳にいぶかしげな表情が浮かぶ。

「それにしても、どうしたの、こんな時間に。もうすぐ夜中よ」
「実は・・・」
エリーは事情を説明した。
話の途中で、アイゼルはエリーを部屋へ導き入れた。話しつづけるエリーに、香り高いお茶を入れて手渡す。熱いお茶をすすって、エリーはようやく人心地がついた。

「ふうん、そうだったの。でも、お人好しなあなたらしいわね。ひとこと怒鳴って、追い出してしまえばよかったのに」
「ほんとに、そうすれば良かったよ・・・」
「ばかね、できもしないことを言うんじゃないわよ」
アイゼルのきつい一言に、一瞬むっとしたエリーだが、すぐにその通りだと思い当たり、苦笑する。

「それにしても、困ったわね。あなたを泊めてあげるのは構わないのだけれど・・・」
アイゼルが眉をひそめ、室内を見回す。
「実は、先日、調合に失敗してソファーに焼け焦げを作ってしまったのよ。それで、補修に出してしまったので、今ソファーがないの。あなたにどこで寝てもらおうかしら」

「あ、あたしだったら、床で十分だよ。毛布を1枚貸してもらえれば・・・」
野宿をすることを考えれば、アイゼルの部屋の高級なカーペットはふかふかのベッドと変わりない。
「冗談でしょ? 風邪でもひかれたら、後で何を言われるかわからないじゃない」
あごに手を当てて考え込んだアイゼルだが、やがてうなずくと、衣装戸棚から取り出したパジャマをエリーに放ってよこす。

「あなた、寝相は悪くないでしょうね?」
「え? ・・・うん、たぶん、悪くないと思うよ。工房でもベッドから落ちたことはないし」
アイゼルの真意がわからないまま、エリーが答える。
「そうらしいわね。授業中でも死んだように眠っているそうだし」
「えっ?」

「ノルディスが言ってたわよ。なんでも、あんまり堂々と居眠りしているので、イングリド先生も怒るのを通り越してあきれていたらしいわね」
「ええっ?? そんなこと、あったかなあ・・・」
思わず考え込むエリー。だが、アイゼルの瞳にいたずらっぽい笑みが浮かぶのを見て、冗談だということに気付く。

「もう!! ひどいなあ。ほんとにそういうことがあったみたいな気になっちゃったよ」
授業中に居眠りするエリーを起こすために、イングリド先生がいつもガッシュの枝を持ち歩いていることは、アイゼルも知らないらしい。ここは黙っていよう、とエリーは思った。

「まあ、いいわ。早く着替えておしまいなさい。明日も早いんですからね」
アイゼルにうながされて、エリーはアイゼルが貸してくれたパジャマに着替える。ほのかに香水がふりかけてあるらしく、心を安らかにしてくれるような花の香りが漂う。
「さ、寝相がいいのだったら、あなたは奥に入りなさいな」

ベッドの上の毛布を整えながら、アイゼルが言う。
「へ? 奥?」
「もう、鈍いわね。ベッドがひとつしかないんだから、一緒に寝るしかないでしょ! ちょっと狭いけれど、ひと晩くらい我慢しなさいよね!」
アイゼルがエリーの背中を押す。

「ちょ、ちょっと待ってよ。そういうことなら、あたしが手前に寝るよ」
「何言ってるのよ。どうせあたしが先に目が覚めるに決まっているんだから、ベッドから出やすい位置の方がいいのよ。寝ぼけてるあなたを押しのけてベッドを出るのは大変じゃない。そのくらい、気を回しなさいよね!」

疲れきっていたエリーは、それ以上反論する気力もなく、黙ってアイゼルの言葉に従った。
ふかふかしたベッドに身をうずめる。
ランプの炎を吹き消したアイゼルが、エリーの脇に身体を滑り込ませる。

雲が月を隠したらしく、眠るにはちょうどよい暗さになった。
「お休み、エリー」
アイゼルが声をかけた時には、エリーはすでにぐっすりと眠り込んでいた。
くすっ、と笑って、アイゼルも目を閉じる。
ふたりは、夢の世界に落ちていった。


・・・エリーは、薄暗い洞窟の中で、なにかに追いかけられていた。
魔法の杖を握りしめ、出口と思われる方向に必死で走る。
だが、追ってくる気配は次第に近づいてくる。
「あっ!!」
石につまずき、倒れ込むエリー。起き上がろうと身をよじった時に、魔物の影がのしかかるようにおおいかぶさってくる。
「いやっ!!」
小さく叫びを上げたエリーは、自分の声に驚いて目を覚ました。

(夢・・・だったみたいね)
背中に柔らかなベッドの感触を感じて、エリーはほっとため息をつく。
だが・・・

「!」
次の瞬間、エリーは自分におおいかぶさる黒い人影に気付いて、声にならない叫びをあげた。
悪夢の中の魔物が、実体を持って襲ってきたのだろうか?
その時、月を隠していた雲が切れ、青白い月光が窓から差し込んできた。
その光が、人影を照らし出す。

「なあんだ、アイゼルだったのか」
アイゼルは半身を起こし、身を乗り出すようにエリーを覗き込んでいる。暗がりになっているため、細かな表情は見分けられない。
「・・・ごめんね、もう大丈夫だよ」
ほっとして、エリーが声をかける。うなされていた自分を心配して起きてくれたと思ったのだ。

アイゼルのほっそりした指先が、エリーの額、前髪の生え際を優しくなぞる。そして、ゆっくりと下がってきたアイゼルの左手は、エリーの頬をそっと包み込むようにして止まった。
もう一方の手も、エリーの栗色の髪を梳くようにして、頬まで下りてくる。

「ど、どうしたの? なんか変だよ、アイゼル・・・」

あわてるエリーの声に、アイゼルは答えない。
わずかにあごを上げたアイゼルの口元が、月明かりの中に入ると、ふっくらしたピンク色のくちびるがかすかに動いているのがわかる。なにかつぶやいているようだが、何を言っているのかはわからない。暖かな吐息が感じられるくらいまで、アイゼルの顔が近づく。

エリーはどうしてよいかわからず、身を縮こまらせたまま、じっとしている。
アイゼルの左手が、頬を離れてエリーの肩まで下り、抱き寄せるようにエリーの身体を引き寄せる。
(どうするつもりなの? ア、アイゼル、まさか・・・

エリーは、以前に読んだ本の内容を思い出していた。
(そう言えば、貴族の世界では、女の人同士で・・・。そういうことは、それほど珍しいことじゃないって、書いてあったけれど・・・。でも、でも、アイゼルが、そうだったなんて・・・

ごくり、とエリーはつばを飲み込む。
すぐにでも行動しなければ・・・!
アイゼルを押しのけ、ここから逃げ出さなければ・・・。
(でも、そうしたら、アイゼルはどう思うだろう? ・・・あたしたち、親友だよね?)
もう一度、つばを飲み込む。

エリーは、心を決めた。
目を閉じ、身体の力を抜く。
(やさしくね、アイゼル・・・。あたしの、ファースト・キスなんだよ・・・

乾いたくちびるを、舌先で湿らせ、息を詰めて、その時を待つ。
だが、なかなかその時はやって来ない。
と、不意に、耳たぶにアイゼルの暖かい息がかかった。
びくっ、と再び身を固くするエリー。

次の瞬間、アイゼルの口から言葉がこぼれた。
「ノルディス・・・」
「へ!?」
目を見開くエリー。
その傍らで、エリーの肩に手をかけたままのアイゼルは、枕に頭をうずめ、安らかな寝息を立てはじめた。

しばらく呆然としていたエリーにも、ようやく事情が飲み込めてくる。
「ア〜イ〜ゼ〜ル〜!!!」
肩に置かれたアイゼルの腕を払いのけ、半身を起こす。
「もおっ!! 寝相が悪いのは、どっちなのよぉっ!!!」

寝ぼけたアイゼルの行動に対する、自分の反応が恥ずかしくも腹立たしく、エリーは顔に血が上っているのがはっきりとわかった。鏡を覗けば、顔は真っ赤だろう。
「アイゼル!! 起きなさい!! 起きなさいってばぁ!!」
荒々しくアイゼルの両肩をゆすぶる。

「ふぇ?」
ようやくアイゼルがうっすらと目を開いた。のろのろと身を起こす。
「あれぇ? ノルディスぅ、どこぉ・・・?」

太平楽なアイゼルの寝ぼけ声に、ついにエリーは切れた。
「こらぁ!! 起きろぉっ!!!」
アイゼルの髪を引っ張り、腕をつねる。
ようやくアイゼルは正気に戻った。きょとんとして、エリーを見つめている。

「アイゼルぅ・・・」
あまりにも罪のないアイゼルの表情に、エリーの怒りの言葉はのど元でせき止められてしまった。
泣き笑いのような表情で、友の顔を見つめる。

ところが、今度はアイゼルの方が不機嫌になった。つんとあごを上げ、
「何よ。こんな時間にひとをたたき起こして、どういうつもり? せっかくいい夢をみていたっていうのに・・・。安眠妨害もいいところだわ」
エリーはそっとため息をついた。
ここで何を言っても、事態は悪くなるだけだろう。
「ごめん、アイゼル・・・。とにかく、寝直そ」

壁を向いて横になったエリーに、ぶつぶつ言いながらアイゼルも仰向けに寝て毛布を引き上げる。
アイゼルに背を向けたまま、エリーはぽつりと尋ねた。
「で、夢の中で、ノルディスとは、どこまでいったの?

今度はアイゼルが身を固くし、真っ赤になる番だった。

<おわり>


○にのあとがき>

あぞさんの妄想部屋に寄贈したふたつめの作品。前作以上にアブナイ出来に仕上がりました。16禁くらいはあるかな?(滅)

またエリー、壊れちゃった。
でも、寝ぼけたアイゼルもかわいいでしょ?
どんな夢、みてたんでしょうね?


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