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永劫回帰


ある秋の日の、昼下がりであった。
紅葉しかけている木々がそこここに立ち並ぶ、のどかな村の中の一本道を、すたすたと早い足取りで歩を進めている青年がいた。
聖職者が身に着けるような白いローブをまとい、髪は褐色、肌の色は透き通るように白い。銀縁眼鏡の奥に光る両の瞳は深みのある緑色で、口元は無表情に引き結ばれている。
片手に薄手の書物とノートをかかえ、彼は家路を急いでいるところだった。
このクルスリーブ村は、ハーガゼント王国の東部辺境に位置しており、王都エナレスケンドからも遠く離れている。しかし、はるか昔、古代ヴィラキア帝国の版図であった時代には文化の中心でもあったらしく、村の近在には、古代の遺跡や人工的な洞窟が多く点在している。
青年は、そんな古代遺跡の探索から戻って来たところだった。
これまで発見されることがなかった隠し扉を見付け、その中の石壁に書かれた古代文字の碑文を発見したのである。古代ヴィラキア文字の変形と思われるそれらの文字をノートに書き写し、これから家へ戻って解読しようと、青年は胸を高鳴らせていた。

この時間帯、村人たちのほとんどは農作業や狩猟に出かけており、小さな子供たちがはしゃぐ声が聞こえる他は、村は閑散としていた。
村の中央広場を早足で横切ろうとした時・・・。
「お〜い、パロスさん! パロスさんよう!」
自分の名を呼ぶ声に、青年は心の中で舌打ちしながら足を止めた。
今は、誰にも邪魔をされたくない気分なのだ。しかし、声の主が村長とあっては、無視するわけにもいかない。
中央広場に面した村長宅の、南向きの日当たりのいい庭から、村長のバーセル・リーズが手を振っている。
青年パロス・エイヴォンは、髪をかき上げ、本を抱えていない方の右手で眼鏡の位置を整えると、自宅がある村外れの方をちらりとながめた後、村長に向き直った。
「こんにちは。なにかご用ですか?」
にこりともせずに、挨拶するパロスだが、バーセルはいっこうに気にした風もなく、
「ははっ、相変わらず愛想無しだな。これからお茶にするんだ。よかったら、一杯飲んでいかないか。あんたに見せたいものもあるしな。リルミスがいれたハーブティーは、天下一品だぜ」
そして、パロスの返事を待つまでもなく、既にティーセットが整えられたテラスのテーブルの方へ向かっていく。
(ふう・・・。仕方ありませんね。楽しみは、しばらくのお預けとしますか・・・)
パロスは心の中でつぶやくと、村長の後に続いた。

「あ、パロスさん、いらっしゃい」
ティーポットを手にした、村長の娘リルミスが微笑んでパロスを迎える。パロスは曖昧にうなずいて、テーブルの隅に書物を置き、椅子に掛ける。
すぐに、パロスの前に薫り高いハーブティーが入ったカップと、リルミス手作りのクッキーが置かれる。
「さあ、どうぞ。・・・お父さんも、早く来ないと、せっかくのお茶がさめちゃうわよ!」
リルミスの声に、いったん屋内に戻っていたバーセルがあわてて出てくる。
その手には、古ぼけた写本が握られていた。
とたんに、パロスの緑色の瞳に光が宿る。古書文献や古代遺物には、目がないのだ。
「それですか? 私に見せたいものというのは」
「もう! お父さんったら、お茶の時間にそんなかび臭いものを持ち出して来るなんて! せっかくのいい香りが台無しよ」
リルミスの抗議に、いくぶんかすまなそうな顔を見せながらも、バーセルはパロスの斜向かいにどっかと腰を下ろした。
その隣に、行儀よくリルミスが座る。
この家に母親はいない。行方不明なのだ。もうひとり、リルミスの弟がいるはずだが、遊びにでも行っているのか、姿は見えない。

「さあ、これだ。実は、先日、物置を片づけていて、見付けたんだ。わしのじいさんの父親、ということだから、わしのひいじいさんだな・・・名前は、ガレットという。これは、そのガレット・リーズが書いた、この村の年代記なんだ。まあ、年代記と言っても、日記に毛が生えたようなものでな、とりとめのない備忘録といったところなんだが・・・」
バーセルは、一方的にしゃべりまくっていたことに気付いて、口をつぐんだ。
礼儀正しくカップを口元に運んではいるが、明らかにパロスは興味を失っていた。何代か前の村長の日記など、古代ヴィラキア文字の碑文と比べたら、ごみのようなものだ。
「で・・・? それを私にどうしろとおっしゃるのです?」
口調は丁寧だが、パロスの声は冷ややかだった。
バーセルは、いささかあわてたように、
「いや、違うんだ。あんたを呼び止めたのは、別に、この写本を解読してくれとか、そんな用事じゃない。実は、この中に、あんたのご先祖が、この村に初めて移り住んできた時のことが書いてあるものだからな。あんたも興味が湧くんじゃないかと思ってな」
「私の・・・先祖・・・」
今度はパロスも興味をひかれたようだった。
「さあ、ここだ」
と、バーセルは、写本の真ん中あたりを開いた。さらにかび臭い匂いがたちのぼり、リルミスが顔をしかめる。でも、まんざら興味がないわけでもなく、リルミスもページをのぞき込む。リルミスの顔が間近に迫り、パロスはあわてて身をひいた。
「3人でいっぺんに見るのは、難しいぞ。それじゃ、わしがかいつまんで話してやろう。もう、昨日、一度読んでいるからな」
と、バーセルは話し始めた。
「ここに書かれているのは、今からちょうど100年と少し前にあった出来事だ・・・」


秋も、終わりに近い頃だった。
1台の荷馬車が、クルスリーブ村を訪れた。
さして多くない家財道具を積み込んだ馬車には、御者の他に、60歳を少し越えたくらいの品のいい老女と、その孫と思われる10歳前後の少年が乗っていた。
馬車を村の中央広場に止めると、老女は少年を連れ、まっすぐ村長の家に向かった。
「この村に住みたい・・・。そうおっしゃるのですかな?」
突然の申し出に、村長のガレット・リーズはとまどった。
クルスリーブ村は、平和でのどかで、よくまとまった村だった。村中の誰もが、親や祖父母の代からの知り合いで、村を出ていく者もなく、外から入り込んでくる者もいなかった。
だが、マーサ・エイヴォンと名乗る老女は、穏やかだがきっぱりとした口調で、言った。
「私は、占い師を生業として、これまで暮らしてきました。そして、私が余生を過ごすのには、この村がいちばん良い、と占いにも顕れているのです。しばらく村の中を見せていただきましたが、本当に、住んでいる方々も穏やかで、親切そうな方ばかりのようですね。これならば、私も孫も、安心して暮らすことができます」
「あなたとお孫さんのふたりだけですか? 表で荷馬車をひいている男の人は?」
「彼は、ただの雇い人です。私たちが身を落ち着ける場所が決まったら、馬車と一緒に帰します」
「しかし、我々があなた方を受け入れるのは良いとして、住む場所は、どうされます? あいにく、今は村に空き家はありませんし、土地はあっても、これから家を建てるのでは冬に間に合いません。ここいらの冬は、かなり厳しいですからな」

「村外れにある、あの小屋はどうなのでしょう」
と、マーサは隣にちょこんと腰掛けている少年を見やって、言った。
「え!? あの、兵士小屋ですか!?」
ガレットは驚いて、叫ぶように言った。
「たしかに、あそこは、空いています。しかし・・・」
それは、かつてハーガゼント王国と隣国のヴィラキア帝国との間に国境紛争があった時代、ヴィラキア兵の襲撃に備えて村を警護する兵士たちが寝泊まりしてた小屋だった。見かけは小さいが、地下には、いざという時に村人を避難させるために、広い石室が掘り広げてあった。
しかし、紛争も収まり、兵士たちが去っていった後は、放置され、村外れの目立たない場所にあるために、その存在すら忘れている村人も多かった。
「特に問題がないのであれば、ぜひあそこに住まわせてください。私も老いてはいますが目も足腰もしっかりしています。糸紡ぎでも裁縫でも、何でもできます。この子も、身体は少し弱いですが、読み書きはできますし、おとなしい子なので、悪戯をして村の皆さんにご迷惑を掛けることもないと思います」
老女の言葉に、あらためてガレットは少年を観察した。
たしかに、肌は雪のように白く、ほっそりとした体格で、村の同じ年格好の少年たちと比べると、かなり見劣りがする。そして、この年頃の子どもには珍しく、眼鏡を掛けている。そのレンズの奥からガレットの視線を見返す緑色の瞳には、大人っぽい知性の光が感じられた。
(こりゃあ、かなり賢い子どもに違いないわい。事と次第によっては、村のガキどもに読み書きや計算を教えさせることができるかも知れないな・・・)
たしかに、学校らしい学校もなく、子どもの教育はそれぞれの家庭まかせになっていることは、村でも問題になっており、村長も頭を悩ませているところだったのだ。
「わかりました。わしとしては、おふたりがこの村に住むことに異存はありません。最終的には、今度の村役人の寄り合いで決めることになりますが、まず問題ないでしょう。クルスリーブ村へようこそ!」

その時、家の奥からガタン!と音がした。
ガレットが素早く振り向く。
「こら、ゲラン! こそこそと覗き見なんぞ、するもんじゃない! 出て来い!」
ガレットに一喝されて、がっちりした体つきの少年が、奥の部屋から現われた。年齢は、マーサの孫と同じくらいだが、身体はひとまわりもふたまわりも大きい。もっとも、マーサの孫の体格が、平均をかなり下回っていることもあるのだが。
ガレットは、照れ笑いを浮かべながら、紹介する。
「わしの長男のゲランですじゃ。将来はわしの後を継いで村長になろうというのに、勉強もせず遊び回ってばかりで、困ったもんです。マーサさん、あんたのお孫さんと足して2で割れば、ちょうどいいと思いますがね、はっはっは」
そして、ゲランを振り向き、言う。
「ちょうどいい。紹介しておくぞ。今度、この村に住むことになった・・・あ〜、そう言えば、まだお孫さんの名前を聞いておりませんでしたな。ぼうや、名前は何て言うんだい?」
問い掛けられた少年は、右手で眼鏡の位置を整え、真っ直ぐガレットを見返して答えた。
「パロスです。よろしくお願いします」


「へえ、パロスさんって、ご先祖様と同じ名前なんだ」
ここまで話を聞いていたリルミスが、不思議そうに言う。
パロスは、2杯目のハーブティーを口に運びながら、つまらなそうに答える。
「私の一族では、男性の長子は先祖伝来の同じ名前を名乗ることになっているのですよ」
「ふうん。じゃあ、お父さんもおじいさんも、パロスって名前なの? 一緒に住んでたら、こんがらがっちゃうね」
リルミスは、くすっと笑った。
「そういうことになりますかね。でも、問題は全然ありませんよ」
「そうかなあ」
そこへ、バーセルが割り込む。
「こらこら、まだ話は終わっちゃいないぞ。これからが大変なんだ」
「はいはい」
と、リルミスはお茶のお代りを注ぐ。
バーセルは、話を続けた。


マーサとパロスがクルスリーブ村に居を構えて、半年が過ぎようとしていた。
穏やかで優しい性格のマーサは、村のおかみさんたちの中にすっかり溶け込み、一緒に糸車を回したり、水汲み場でのおしゃべりに参加したりしていたが、決してでしゃばろうとせず、そういうところも好感を持たれていた。
しかし、パロスの方は、そうは行かなかった。
何と言っても、田舎の村である。
遊びといえば、野山を駆け回っての陣取り合戦や、木登り、ウサギ狩り、近くの川での水泳や魚獲りが中心になる。
要するに、体力勝負なのだ。
冬の間、雪が降りしきって外での遊びができない時、屋内での双六やカードゲームでは、パロスは決して負けることはなかった。目立つような大きな勝ち方はしなかったが、ゲームが終わってみると、トータルでは必ず勝っているという、そんな感じだった。
これは、村の少年たちにとって、あまり面白いことではなかった。
そして、春。
雪解け水が流れ、草花が芽吹き、小動物たちが冬眠から覚める時期になると、パロスは一気に劣勢に立たされることとなった。
パロスは、同じ年頃の、いや、もっと年下の子供たちと比べてさえ、体格は華奢で、筋力もなかった。
屋外で、体力を使う遊びの時は、どうしても出遅れてしまう。他の子供たちが楽々と森を駆け抜け、丘を下り、木から木へ飛び移って行くのを、息も絶え絶えになり、大きく遅れてついて行くのがやっとだった。時には、息が切れ、貧血を起こして倒れてしまうこともあった。
村の子供たちの中には、そんなパロスを露骨にばかにしてみせる者もいた。村長の息子ゲランも、そのひとりだった。
しかし、それは決して“いじめ”ではなかったろう。
少年たちは、普通に遊んでいるだけなのだ。それについて来られないなら、来られない方が悪い。パロスも、その気になれば、他の少年たちと離れ、独りで遊んでいることもできたはずである。だが、マーサがそれを許さなかったのだ。
集団生活をしている社会の中で、そこからはみ出して生きていくのは、並大抵のことではない。マーサが言い聞かせるのを、パロスは何度も聞き、なんとか同年代の子供たちの一員として認められるよう頑張っていたのだった。
しかし、その頑張りも実を結びそうになかった。
ある事件が起こるまでは。

それは、初夏のある日だった。
少年たちは、いつものように、村の近くの森で、陣取り合戦をやっていた。
これは、二組に分かれてそれぞれ大木を選び、そこを基地にする。そして、森の中を隠れて進み、相手の木に先にたどり着いた方が勝ち、といういたってシンプルな遊びである。もちろん、途中で“敵”を見付けたら、捕まえて捕虜にすることもできる。捕虜にするには、相手に気付かれずに近づき、背中を叩けば良い。
この時、ゲランは片方の総大将だった。
総大将が捕虜になれば、そこでゲームは負けになってしまう。だから、通常は総大将は基地の木を離れない。
しかし、ゲランには捕まらない自信があった。
彼は、他の子供たちには登れないほど高く木に登り、梢から梢へと猿のように渡っていった。
まさか、こんな高いところから攻めて来るとは、敵も思ってはいないだろう。
このまま気付かれずに敵が基地にしている大木まで行きつけば、それで勝ちだ。
あと数本の木を渡れば、敵の基地にたどりつく。
もう少しだ。
手を伸ばし、隣の木の枝をつかむと、えいとばかりに身を躍らせて大枝にしがみつく。
だが、ゲランは計算違いをしていた。自分の体重を軽く見積もり過ぎていたのだ。これがパロスだったら、何の問題もなかったろう。枝は十分に、その重さを支えてくれたはずである。もっとも、パロスの体力ではこの高さまで登り切ることはできなかっただろうが。
ともかく、ゲランが身をあずけた枝は、その重みに耐えかねて、ボキリと折れてしまった。

「うわあっ!!」
葉叢を揺らし、小枝を折りながら、ゲランは地上へ向かって落ちた。
途中の枝がクッションになり、落下速度を緩めてはくれたが、受け止めてはくれない。
ゲランは頭から落ちていった。
無意識のうちに、頭をかばおうと、右手を突き出す。
ゲランは、下生えの中に、右手から落ち、受け身をとるような形になった。
激しい衝撃を右腕に感じ、ゲランの身体は一回転して地面に叩き付けられた。
物音と悲鳴に驚いて、森のあちこちから少年たちが集まってくる。
仰向けに倒れていたゲランは、全身の痛みに耐えながら、身を起こそうとした。どうやら、柔らかい腐葉土が助けてくれたらしい。
しかし、右手で身体を支えようとした時、頭の中が真っ白になるような激痛が走り、ゲランはうめいた。
遠巻きに見ていた少年のひとりが、悲鳴をあげる。
「手が! ゲランの腕がぁ!!」
ゲランはそっと顔をめぐらし、自分の右手を見た。
「!」
彼は、悲鳴をあげることさえできなかった。
右の手首の上から先が、だらんと力なくたれさがっている。そこからは、真っ赤な血が泉のようにあふれ、折れた骨のぎざぎざになった先が、白く突き出していた。
「うわあっ!」
子供たちは、先を争って逃げ出した。今、目の前で見た光景は、かれらの世界にあってはならないものだったのだ。パニックを起こして当然だった。

ゲランは、ショックと痛みで声も出せず、その場に横たわっていた。
(俺・・・死んじゃうのかな?)
その時、ひとつの影が近づいてきた。
眼鏡の銀のフレームが、きらりと光る。
「これを噛んで!」
有無を言わさぬ口調とともに、青臭い木の葉が何枚か、ゲランの口に押し込まれた。
言われるままに、それを噛み締める。
苦い味がして、吐き出しそうになったが、口を覆った手が、それを許さない。
しばらくすると、ゲランはぼうっとしてきた。気分がぼんやりし、痛みも薄れてくる。
その間に、パロスは手ごろな長さの枝と、何種類かの薬草を見つけてきた。
自分が来ていたシャツを脱ぎ、引き裂く。そして、すりつぶした薬草の汁を、布に染み込ませる。
パロスの青白い肌と、ゲランの日に焼けた肌が対照的だ。
パロスはためらう様子もなく、血にまみれたゲランの手首を持ち、折れた前腕部を固定して、包帯代りのシャツを巻く。さらに、枝を添木にしてシャツをもうひと巻きした。
子供たちの知らせを聞いて、村長のガレットをはじめ、村人たちがかけつけた時には、応急手当てはすっかり終わり、ゲランはパロスの膝を枕にして眠っていた。
あ然とする村人たちに、パロスは静かに言った。
「痛み止めの薬草を飲ませたから、今は眠ってます。傷口は消毒して、血は止まったけど、右腕は完全に折れてるから、早くちゃんとしたお医者さんにみせないと、右手が動かなくなってしまうかも知れません・・・」

村に運ばれたゲランは、数日後、巡回医の治療を受けることができた。
このあたりの村々を回っている老医師は、つぶやいた。
「折れた直後の処置が良かったから、この右手は助かったんじゃ。そのまま放っておいたら、傷が腐って、肘から先を切り落とさねばならなかったかも知れんぞ」
それを聞いた時から、ゲランのパロスに対する態度はがらりと変わった。
ゲランが変われば、村の他の少年たちも、右へならえだった。
この、ある意味では一方的な友情の押し付けに、パロスは迷惑そうな表情をすることもあったが、マーサは心から喜んでいるようだった。
もちろん、村長のガレットも、このふたりを村に住まわせることを許した自分の先見の明を誇りに思うとともに、パロスへの感謝の気持ちを忘れることはなかった。

しかし、別れの日は唐突にやってきた。
2年目の冬は、いつになく寒気が厳しく、特に老人たちの間に肺炎が流行した。
そして、マーサも2週間ほど寝込んだ後、あっけなく亡くなってしまった。
葬儀はすべてガレットが取りしきり、遺体は春になって雪が解けた後、ふたりが住んでいた小屋の裏手に葬られることとなった。
パロスは葬儀の間中、無表情のまま、涙すら見せなかった。
村人たちは、唯一の肉親を亡くした悲しみが大きすぎるのだろう、と思い、なにくれとなくパロスに慰めの言葉をかけた。しかし、パロスは緑色の目をどこか遠くに向けたまま、上の空のようにうなずくだけだった。
村長のガレットは、独りになったパロスを、自分の家に引き取ろうと申し出た。パロスは、とりあえず春になるまで、という条件を付けて、ガレットの家でひと冬を過ごした。
春が巡ってきた。
雪が解け、柔らかくなった土に墓穴が掘られ、マーサの小さな遺体が埋められた。村人全員が、ひとすくいずつの土をかけ、短くはあったが親しく付き合った老女の霊を慰めた。

その翌日。
パロスが、1通の手紙をガレットに手渡した。
「マーサの遺言状です」
表情を変えぬまま、パロスは言った。
それを読んだガレットは、内容に愕然とした。
そこには、次のように書かれていた。
マーサが亡くなったら、パロスは占い師としての修行を積むため、独りで村を旅立つこと。しかし、パロス自身、ないしはその子孫がクルスリーブ村へ戻ってくる時のために、小屋とその中の調度類には一切手をつけず、そのまま保管しておくこと。
「ほ、本気か、こりゃあ? 本当に、まだこんなに小さいのに、独りで修行の旅に出るって言うのか?」
信じられないように言うガレットに、パロスは黙ってうなずく。
「それにしても、あまりに無茶だ。修行だったら、この村でだって、できるだろう。それでいいじゃないか」
なんとか説得しようとするガレットに、パロスは静かな、しかし反対を許さない大人っぽい口調で答えた。
「マーサの遺志は、ぼくの意思です。・・・明日、この村を出ます。お世話になりました」
そして、まだあどけない子供のパロスは、小屋に鍵を掛け、ザックを背負うと杖を片手に、クルスリーブ村を旅立った。
村の外まで、ゲランが追いかけてきた。
「なあ、パロス、いつか、帰って来てくれるよな。約束してくれ」
涙声になったゲランの言葉に、パロスは振り向き、口元に微笑を浮かべた。
「ああ、必ず・・・。ぼくが無理でも、ぼくの子供がね・・・。ここは、ぼくの故郷なんだから・・・」


「それで? そのパロスさんは帰って来たの?」
リルミスが、身を乗り出して尋ねる。
バーセルが答える。
「いや・・・。彼は、戻っては来なかった。しかし、それから30年後、ゲランが村長の時代に、そのパロスの息子と名乗る少年が帰って来た。年は、10代半ばだったそうだ。以前のパロスのことを覚えていたのは、村でも年かさの連中だけだったが、その少年が先代パロスの血をひいていることに疑いの余地はなかった。同じ緑色の目、褐色の髪、透き通るような肌。おまけに、ご丁寧に、同じ眼鏡までかけていたそうだ」
「あら、それじゃ、今のパロスさんとまったく同じじゃない。目の色も、肌も、眼鏡だって・・・」
リルミスが興味深そうに言う。いささか無遠慮に見つめるリルミスの視線を避けるように、パロスはせき払いをして、
「私の一族の血統は、よほど強力なようでしてね、目の色、髪の色、肌の色、これらは子々孫々まで逃れるすべがないようです。いつか、私が息子を持ったとしても・・・」
「そりゃあ、無理ってもんだな。あんたみたいに女嫌いじゃ、子供なんて作れやしないぜ」
「ちょっと、お父さん、失礼よ」
「まあ、ともかくだ・・・」
と、バーセルは真顔になって、
「その“2代目”のパロスさんも、この村で何年か暮らすと、またふらりと旅に出ちまったらしい。で、まだわしがガキの時代に、“3代目”、つまりあんたの親父さんが戻ってきたわけだ。わしはまだ覚えているが、今のあんたをひとまわり若くしたような感じでな、そっくりだったよ」
「そうですか・・・」
「で、“3代目”も、わしが大人になる前に、村を出て行っちまった。で、“4代目”のパロスさん、あんたが戻って来てくれたってわけだ」
バーセルは言葉を切り、ティーカップの残りを飲み干す。
「なあ、あんたもまた、いつか、この村を出てっちまうのかい?」
真剣な顔で問われ、パロスは居心地悪そうに身じろぎした。リルミスも、じっとパロスを見つめる。
「少なくとも、私はこの村が気に入っています。近くに、興味深い古代遺跡もたくさんありますしね。静かで、余計な詮索をする人が少ないのも、ありがたいです」
「それじゃあ・・・」
「先のことは、その時になってみないとわかりません。・・・おや、かなり日が傾きましたね。これで失礼しようと思います。おいしいお茶を、ごちそうさまでした」
言うと、パロスはそそくさと席を立ち、村外れの自宅に向かって早足で歩いていく。
「やっぱり、少し変わってるわよね。でも、いい人。ずっと、いてほしいな」
その後ろ姿を見やりながら、リルミスがつぶやいた。

村外れの小屋に帰り着いたパロスは、すぐに家には入らず、裏手に回った。
そこには、ひとつの墓標が立っている。長年の風雨にさらされ、刻まれた文字も薄くなっている。
マーサ・エイヴォンの墓だ。
パロスはひざまずき、そっと墓標をなでた。
そして、心の中で語りかける。
(今日、久しぶりに昔のことを耳にしましたよ、母さん・・・。時々ですが、私は、自分に流れるエルフの血が疎ましくなります。たしかに、母さんのような普通の人間に比べて、長く生きることができ、時間だけはたっぷりとある・・・。そう言えば、この村に来た時、私は既に30年近く生きていたのですよね。見かけは10歳の子供でしたが・・・。でも、あの時、友達だったゲランは、もう過去の人になってしまい、今はその孫が村長をしています。あの、小鳥のようなリルミスも、いずれは年老い、私を置いて時の流れの中に消え去っていくことでしょう。でも、その前に、私の方がこの村を出て行くことになりますね。そして、再び、その息子として帰ってくることになるでしょう・・・。いつまでも、年をとらないでいる存在・・・それは、普通の人から見れば、“化け物”なのですから・・・)

そして、ハーフエルフ・・・普通の人間の5倍の寿命を持つハーフエルフのパロスは、初めてここを訪れた100年前の時と同じように、部屋にこもると、古代文字の解読を始めた。

<おわり>


○にのあとがき>

初のオリジナル小説・・・とは言っても、純粋なオリジナル小説ではありません。
某所で進行中のテーブルトークRPGで○にが演じているキャラであるパロス・エイヴォンの、オリジナルストーリーです。
背景となる世界設定は、TRPGのゲームマスターであるまちゃき氏によるものですし、バーセルとリルミスの村長父娘はプレイヤーとして一緒に参加している綾姫さんのオリジナルキャラです。

アトリエワールドとは世界観などがまったく異なっていますので、雰囲気はかなり違っていると思いますが、いかがでしたでしょうか。
感想など聞かせていただけたら嬉しいです。


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