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翼をください Vol.1


Scene−1

「そおら、今度はお姉ちゃんが鬼の番だぞ〜。早く逃げないと、捕まえちゃうよ〜」
「きゃあっ、助けて〜!」
「あははは、あははは!」
フローベル教会の裏庭から、若い女性の声と、何人もの子供たちがはしゃぐ声が響いてくる。
若い女性は、活動的な赤のパンツルックと白いブラウス、赤のベストといういでたちで、首までの薄茶色の髪を無造作にまとめ、緑色の目がくるくると動く。周囲に群がる7歳から12歳くらいの子供たちに、すっかり溶け込んでいるようだ。子供たちは、どの子も服がすり切れ、薄汚れた格好をしているが、目は生き生きと輝き、さして広くもない中庭の芝生の上を、小犬のように駆け回っている。
「ふう・・・」
その光景を2階の窓から見下ろし、ひとりの神父がため息をついた。医薬の女神アルテナを祀るフローベル教会の神父、クルトである。
「・・・あなた、どうなさいましたの?」
背後から聞こえる声に、クルトは振り向くことなく答える。
「また、孤児院にエルザさんが来てくれているのですよ。子供たちも、あんなにはしゃいで・・・。はしゃげばはしゃぐほど、お腹が空くというのにね。あの子たちは、最低限の食べ物しか食べられないのです。王立の孤児院なのだから、王室も、もう少し援助をしてくれても良さそうなものですが」
「そんなふうに考えるものではありませんわ。ほら、子供たち、あんなに楽しそうじゃありませんか・・・」
「そうですね・・・」
と、クルトは新妻の方を振り向いて、寂しそうに微笑んだ。

「はあ、はあ。あ〜、面白かった」
「ねえ、エルザお姉ちゃん、今度は何して遊ぶ?」
追いかけっこに疲れて芝生の上に座り込んだ子供たちは、エルザを囲むように輪を作っている。
「そうね。何しようか」
エルザは大きく伸びをすると、そのまま仰向けに倒れ込んだ。
「あ〜、気持ちいい」
子供たちは歓声を上げてそれに習う。
頭上には、吸い込まれそうな青い空が広がり、綿菓子のような白い雲がふわふわと浮かんでいる。はるかな高みを、鳥が飛んでいくのが見える。
「そうだ!」
エルザが叫ぶと、起き上がる。
「どうしたの、お姉ちゃん」
「いいこと思い付いた」
「何、何?」
「しーっ。いいから。お姉ちゃんについて来て。そおっと、そおっとよ。クルトさんに気付かれないようにね」
そして、エルザは足を忍ばせて、教会の裏口に向かった。金魚のフンのように、子供たちが一列になって、後に続く。

午後の礼拝を行うために礼拝堂に向かったクルトは、説教台に立つと、聖書を開いた。
シスターが弾くパイプオルガンの調べが、礼拝堂内に荘重に響き渡る。
ふと、クルトは耳をそばだてた。
子供たちの歓声が、外から聞こえて来る。
それは、いつものことだ。しかも今日は、人気者のエルザが遊びに来ているのだから。
しかし、声が聞こえて来る方向が気になった。
聖書を置き、足早に出口に向かう。
教会の正面の出入り口を出ると、そこはザールブルグの中央広場だ。中央の噴水の周囲で散策したり、おしゃべりに興じる街の人々、大声で客引きをする露天商、カード占いをする屋台など、いつも通りの風景が広がる。
クルトは噴水のところまで行くと、振り返って教会の屋根を見上げた。
「あ、神父さんだ」
「お〜い」
「やっほ〜」
目ざとくクルトを見付けた子供たちから声がかかる。
しかし、クルトは驚きに目を丸くして、子供たちを見上げていた。
「な、何てことを・・・! 教会の屋根に上がるなんて・・・。危険です! 早く下りて来なさい!」
クルトの声は上ずっている。
フローベル教会の屋根の上に鈴なりになって見下ろしている子供たちの顔の中から、エルザがひょいと顔を覗かせた。
「あ〜あ、見つかっちゃった。大丈夫ですよ、ちゃんと命綱を付けていますから。それより、クルトさんも上って来ませんか? 気持ちいいですよ」
「と、とんでもない! 早く下りて来ないと、アルテナ様の天罰が当たりますよ! さあ、下りて来るのです!」
クルトの叫びに、中央広場を行き交っていた人々も足を止め、屋根の上の子供たちに目をとめた。
(まあ、あんなところに子供たちが・・・)
(なんて無茶なことをさせるのかしら。あれって、教会の孤児院の子供たちでしょ)
(物騒よねえ。教会の管理責任はどうなっているのかしら)
背後でささやかれるおかみさんたちの言葉が、クルトの背中にちくちくと突き刺さる。
「とにかく! 早く、下・り・て・来・な・さ・い!」
クルトの目が血走り、声もでんぐり返っている。
「神父さん、なんであんなに怒ってるんだろ」
男の子のひとりがつぶやく。無邪気なものだ。
「そうね・・・。さ、あんまり怒らせるとクルトさんの血圧が心配だし、そろそろ下りようか。みんな、楽しかった?」
「うん、とっても!」
元気よく返事をする中に、ひとつのつぶやきが混じった。
「でも、ぼく、もっと高いところを飛んでみたいな・・・。あの、鳩みたいに」
中央広場には、人々がくれる餌を求めて、鳩の群れが住みついている。今も、数羽の鳩が教会の尖塔をかすめるように飛び、上空へ舞い上がっていった。
その子の言葉を聞いて、エルザの表情がくもった。
「いくらお姉ちゃんでも、空を飛ぶのは無理よ」
苦笑して、男の子の頭をなでる。
しかし、次の瞬間、エルザの緑色の瞳にいたずらっぽい輝きが宿った。
(そうか、あの娘なら・・・。錬金術なら、なんとかできるかも・・・)


Scene−2

「こんにちは、リリー!」
「あ、いらっしゃい、エルザ」
ノックの音とともに飛び込んできた元気のいい声に、工房の主リリーもにこやかに応える。
ここは、ザールブルグの下町にあたる『職人通り』の一画。金属製の丸い看板に刻まれた『リリーのアトリエ』という文字が風に揺れている。
錬金術師のリリーは、数年前、このシグザール王国に錬金術を普及させるという使命を帯びて、はるか西の海を越え、エル・バドール大陸のケントニスからやって来た。一緒に来たのは、師匠のドルニエと、錬金術に関しては天才的な才能を持っているふたりの少女、イングリドとヘルミーナだった。
そして、ここ『職人通り』に錬金術の工房を開き、街の人たちの依頼を受けながら、徐々に錬金術を根づかせようとしていたのだ。
エルザは、そんな生活の中、ある事件を通じて知り合った友人だった。外に材料採取に行く時の冒険者仲間でもある。
「それで、今日はどうしたの?」
エルザに椅子を勧め、リリーはお手伝いの妖精のひとりに、ミスティカティをいれるように言いつける。
「オゥ、キミはボクにウェイターをやれと言うのかい。まったくキミにはかなわないな」
気取ったセリフを残し、妖精ピエールがキッチンによちよちと消えていくと、エルザは思わず吹き出した。
ひとしきり笑い合った後、エルザは急に真顔になって言った。
「ねえ、リリー。『空を飛べる道具』って、作れない?」
「へ?」
リリーはきょとんと見返す。エルザは力をこめてうなずくと、話し始めた。

「そう。事情はわかったわ。確かに、なにかの参考書にそういう道具が載っているのを読んだ覚えはあるわ。でも、詳しい作り方まではわからないのよ」
リリーの答えに、エルザは目を伏せた。
が、すぐに目を上げ、訴えるように言う。
「でも、あたし、どうしても、あの子たちの夢をかなえてあげたいのよ。満足に食べるものもない、あの子たちに・・・」
「エルザ、あなたの気持ちはわかるよ。でも・・・」
「お願い! お願いよ、リリー」
すがるようなエルザに、リリーはティーカップを置くと、立ち上がった。
「わかった。やってみるよ。でも、『空飛ぶじゅうたん』を作るためのレシピははっきりわかってはいないから、いろいろな材料を順番に試してみるしかないのよ。だから、少し時間をちょうだい」
「うん。ありがとう、リリー!」
エルザははずむような足取りで帰って行った。

「さてと・・・」
エルザを見送ったリリーは、工房の中に向き直ると、大きく手を叩いた。
気合いを入れ直し、妖精のピエールに声を掛ける。
「さ、ピエール、お仕事よ! 『グラビ結晶』を作ってちょうだい。大急ぎでね!」
青妖精のピエールは、大げさに肩をすくめ、嘆いて見せる。
「おお、なんということだ・・・。戦士には休息のいとまも与えられないというのかい。しかし、キミの頼みは断れないな・・・。フッ、このボクとしたことがな」
「何、気取ってるの! 早く仕事、仕事」
と、リリーはピエールを材料置場の方へ追いやる。そして、自分は机につくと、分厚い参考書のページを繰り始めた。

その様子を、2階へ通じる階段の陰から覗き見ていたふたつの小さな姿があった。年の頃は十代前半の、ふたりの少女だ。軽くウェーブがかかった薄水色の髪をカチューシャで止めているのがイングリド、薄紫色の髪をおかっぱに切り揃え、輪の形をした青い帽子をかぶっているのがヘルミーナだ。
ふたりとも、8歳の時からケントニスの錬金術アカデミーに属しており、その高い才能から『神童』と呼ばれていた。そして、ドルニエとリリーの手助けをするために、一緒にこのザールブルグにやって来ていた。
イングリドもヘルミーナも、階段の陰から、息をひそめてリリーとエルザの会話に耳をそばだてていた。そして、エルザが帰って行くと、どちらからともなく目を合わせた。その大きな瞳は、ケントニス出身者の例にもれず、左右の色が異なっている。左が茶色で、右が空色だ。
その瞳に、興奮したような奇妙な輝きが宿っている。
ふたりは、大きくうなずき合うと、足音を忍ばせて、2階の自分たちの作業場に戻っていった。

1階の作業場では、リリーが大きく音を立てて参考書を閉じ、立ち上がった。
「よし! だいたいの見当がついたわ。『グラビ結晶』は必須として、あとは布が要るわね・・・。『国宝布』を使うか、それとも『フォルメル織布』にするか、ここが考えどころよね。それから、空を飛ぶためには・・・」
ぶつぶつ言いながら、工房をうろうろと歩き回る。
そこへ、妖精のピエールが『グラビ石』の入った袋を引きずって戻って来た。そして、自分用の小さな乳鉢を取り出すと、ごりごりと材料をつぶし始める。
「ピエール、この前みたいに居眠りするんじゃないわよ!」
リリーの声に、ピエールは気取って答える。
「フッ、この程度の調合、ボクの才能を以ってすれば、居眠りしながらでもできてしまうさ。安心するといい・・・」
「どうだかね・・・」
つぶやくと、リリーはレアアイテムが入っている戸棚に近づき、中をかき回し始めた。
「えっと・・・。あれ? 『アードラの羽根』、切らしてたっけ。しまった!・・・ピエール、ヴェルナーの店まで行って来るから、ちゃんと調合してるのよ、わかった!?」
「フ・・・。任せておきたまえ」
その言葉が終わらないうちに、リリーは大きな音を立てて工房のドアを押し開け、『職人通り』に飛び出して行った。

「相変わらず、騒がしいわね。リリー先生の調合は」
2階の作業場に並んだ机で参考書をめくりながら、ヘルミーナが言う。
「リリー先生は、『空飛ぶじゅうたん』を作るつもりらしいけど・・・」
と、作業台の上に乳鉢やビーカー、細工道具などを準備しながら、イングリドが応じる。
「あれは、かなり難しいと思うわ」
「バランスが難しいものね」
「そうね。あたしだったら、もっとシンプルな道具を作るわね」
「へええ、あなたは、いったい何を作ろうと言うの?」
「あなたこそ、どんなものを作ろうと考えているわけ?」
「材料は、まず『干し草』に『竹』、それに『ぷにぷに玉』かしら。それに加えて・・・」
ここまで話したヘルミーナに続けて、イングリドが言う。
「・・・『グラビ結晶』に、『アードラの羽根』といったところかしら?」
「どうやら、ふたりとも同じ物を考えているようね」
「そのようね」
顔を上げたイングリドとヘルミーナは、互いに不敵な笑みを浮かべてうなずきあった。
「“生命を吹き込む”のは、あなたに任せるわよ、ヘルミーナ」
「OK。イングリドは、空中浮遊要素の方をお願い」
「まかせといて」
「じゃあ、作業開始よ」
「さてと・・・。ピコ! いる?」
イングリドの声に、作業台の下からおずおずとひとりの青妖精が現われる。妖精のピコだ。
リリーの工房では、お手伝いの妖精を何人も雇っている。その中からひとりずつを選んで、リリー、イングリド、ヘルミーナそれぞれ専属の妖精として、手伝わせているのだ。リリー専属がピエール、イングリドの専属が、このピコである。
「あの・・・。何でしょうか・・・」
ピコは、居心地悪そうにもじもじしている。腕は確かなのだが、気弱なのが玉に傷だ。
「いいから、材料置場から『グラビ石』を取って来て、『グラビ結晶』を調合しなさい。ピエールも作ってるから、負けないようにね」
「ええっ」
「何よ。何か言いたいことでもあるの?」
「・・・いえ、何でもないです」
ピコは材料置場にすっ飛んでいく。
反対側では、ヘルミーナが自分のお手伝い妖精のペーターに指示を与えていた。ペーターも、青妖精だ。
「いい、ペーター。あなたはまず、『竹ぼうき』を作るのよ。この前教えたブレンド調合を使って、品質値をアップさせること。いい?」
「なんと・・・。このボクにそのような任務を与えて頂けるとは。高い評価、光栄ですな」
「いいから、無駄口たたいてないで、早くやりなさい」
「ふむ、既に計算はできています。計算さえ正しければ、失敗するはずなどないのです。当然のことですな」
ペーターはつぶやきながら、よちよちと道具と材料を揃えにかかる。
「何、考えてるんだか」
ヘルミーナはつぶやくと、自分も調合道具を揃えにかかった。

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