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願い星のロウソク

作:理珈さん


――1――

今日は私の大切な人の誕生日。
立派なお祝いはできないけれど、今夜のために買っておいた特別な蝋燭を点そうと思う。
ささやかな夕餉のテーブルに蝋燭を飾る。美しい蝋燭に見とれていると、夫が部屋に入ってきた。
「ただいま。今日は暑かったなぁ。すっかり汗だくだ」
テーブルの蝋燭に気づいて、足が止まった。ややあって
「裏で水を浴びてくる」
手ぬぐいを持ってまた外に出て行った。
外は茜空。何もかも薔薇色に見えた。
スープとパンと、夫には蜂蜜酒を一杯。いつもながらのつましい献立。いつもなら、一日の出来事を二人であれこれと話し合う。でも、今夜はどちらも無口だった。
食事を終えると外はすっかり暗くなっていた。
かまどから火を取り、蝋燭に点す。柔らかい光が広がる。ほのかに花の香りがするようだ。その美しさに自然とため息が出た。

 * * * * *

今から二ヵ月ほど前、村に行商人がやってきた。
「さあさあ、どれも王都ザールブルグで評判の品ばかりだ」
威勢のいい声とともに広げられた品々を珍しそうに眺める村のみんな。そこに私も混じっていた。
中にひとつ、目を引くものがあった。綺麗に細工を施された蝋燭だ。白い蝋の肌に雫のような粒が波の模様を描いてついている。それは日光を受けてキラキラと輝いた。
思わず一本手に取ると、行商人がこちらを向いた。
「それは『願い星のロウソク』といって、錬金術でできた品でね、なんでもそれに火をつけて燃え尽きる最後の最後まで一心に念じると願いが叶うとか」
「錬金術、ですか。・・・願いが叶うって、本当に?」
「けっこう効き目があるらしい。欲しがる人間が多くて、これもやっと手に入れたんだよ。もっとも、買うのは大概若い娘で、恋のまじないに使うってんだがな」
私がその蝋燭をじっと見つめていると、
「あんた、それにご執心のようだね、恋のまじないかね? あんたにゃ立派な旦那がいるんだろ? それとも、二人でもう一花咲かせようってのかい?」
行商人のからかう口調にみんなから笑い声があがった。それはそうだ、こんな白髪のおばさんが恋のまじないなんて滑稽だもの。
「まあ、そんなところですかねぇ」
調子を合わせて返事をし、それから、何気なく
「これ、いくらするんです?」
と尋ねた。
返ってきた言葉を聞いて、頭を振り、蝋燭を元に戻そうとした時、後ろから
「じゃあ、一本貰おうか」
夫の声がした。私が驚いているうちに
「そら、お代だ」
「まいど」
夫はお金を払い、人垣から離れた。そのまますたすたと歩いて行く。
私は蝋燭を胸に抱いて慌てて後を追った。行商人の声が聞こえた。
「願いが叶うといいね!」
また笑い声があがった。私は目の前の背中に謝った。
「ごめんなさいね、こんなに高いものを・・・」
「まあ、たまにはよかろう」
夫は振り返って微笑んだ。

翌朝、村に一泊した行商人を訪ねた。彼がまた旅に出る前に頼んでおきたいことがあったのだ。
人を捜しているという私の話を聞くと、行商人は、都に戻る道すがらあちこちで尋ねてみる、ザールブルグでも人が集まりそうな所で話をしてみようと請け合ってくれた。
「よろしくお願いします」
お礼を言って帰ろうとすると、行商人が言った。
「願いが叶うといいな」
「ありがとう」
私は笑顔を返した。

本当に、今度こそ願いが叶うといい・・・。

――2――

錬金術で作られたという『願い星のロウソク』の光を見つめながら、しばらくは二人とも黙っていた。
蝋燭の雫のような粒が溶けると、そこから小さな炎がシュッと音を立てて生まれ、さまざまな色に輝いて、飛び散った。まるで小さな小さな流れ星のようだった。
美しい小さな流れ星が輝くたびに私は心の中で念じた、どうか私たちの願いごとが叶いますようにと。

「もう、誕生日か、時間がたつのは早いな・・・」
夫が呟く。
今まではこんな風に誕生日のお祝いをする余裕がなかった。旅の途中にその日いた場所で――野外で、安宿の片隅で、時には町の慈善施設で――この日を迎えた感謝の祈りを神に捧げるだけだった。
ようやくこの村に落ち着き、我が家と呼べる場所を得た。もう若くはない私たちにとってはまさに安らぎの地となった。

「うちの坊主も今日で――そうだ、離ればなれになった時の俺と同じ年になったんだな」
「そうなりますねぇ」
またシュッと音がして蝋燭の小さな炎が星になって飛ぶ。
「もしかしたら、あの子ももう可愛いお嫁さんを貰っていて、子供も一人、二人いるかもしれませんね」
「ははっ、そうだな。知らないうちに爺さん婆さんになっていたりしてな」
「いきなり『おばあちゃん』なんて言われたら、アタシは嫌ですよ」
本心でもないのにわざと言い募る。
「随分と若くて可愛いおばあちゃんだ」
夫は笑ってお世辞を言い、私の肩を抱いて引き寄せた。

 * * * * *

お祭りに来た隣村の若者と出会い、すぐに恋に落ちた。
明るい金茶の髪と新緑の森の色の瞳を持つその人と、ちょっとしたごたごたを乗り越えて結婚し、やがて子供も生まれた。
遠くまで広がる小麦畑に囲まれた穏やかな村のたたずまい、小さいけれど居心地のいい我が家、優しい夫と元気な息子との笑い声の絶えない毎日・・・私は、三人の楽しい暮らしがずっと続くと信じていた。

そして突然の恐怖――
村は戦場となり、気がついた時には、私たちはかけがえのない宝物をなくしていた。

戦場から離れた王室騎士隊の野営地に私と夫は連れてこられた。
夫は戦火の中私をかばって大怪我を負い、私は世話係の騎士に『覚悟した方がいい』と言われていた。
ザールブルグから来たアルテナ教の従軍神父が村まで息子を捜しに行ってくれたが、今や見る影もなくなったそこには生き残った者はおらず、また遺体の中にもそれらしい者はいなかったと報告してくれた。
「あの子はすばしっこかったから、きっと、逃げたにちがいありません」
私は笑顔で答えた。自分でもそう信じられたらいいのにと思いながら。
すると、何もかもお見通しなのだろう、そのフローベルという神父さんは悲しそうな表情を浮かべて私を見た。
「ちょっと待っていてください」
やがて戻ってきた神父さんは小さな壺を差し出した。
「これは私の友人の錬金術士が作った薬です。もうわずかしかありませんし、何にでも効くというわけではありませんが、ご主人の回復の助けになると思いますよ」
「錬金術士」という聞き慣れない言葉の意味を尋ねる気力もなく、黙って薬を受け取った。
「どうか希望を捨てないで、お子さんやご主人のために祈ってください」
けれども、私には返事ができなかった。そんな私を神父さんはなんとか励まそうとする。
「ご主人やお子さんを信じるのです。それからご自分のことも」
まだ言葉を続けたいようだったが、騎士がやってきて何か耳打ちした。
「分かりました、すぐに参ります」
誰か臨終を迎える人がいるのだと私はぼんやりと考えた。
神父さんは悲しそうな表情のまま私の肩に手を置いた。
「あなた方ご家族のうえにアルテナ様のご加護がありますように」
「ありがとうございます」
自分の声が遠くに聞こえた。

もらった薬を夫に飲ませながらも、奇跡など起きるはずがないと胸の内では呟いていた。
夫が怪我の痛みに苦しむその傍らで、私は懸命に神に祈った。
「神様、どうか私をこのまま死なせてください。坊やをなくし、今また夫も失おうとしています・・・そんなこと、この私にどうして耐えられるでしょう・・・。ですから、どうかお願いです。私をこのまま死なせてください」
私の祈る声が聞こえたのか、意識がなかった夫が目を覚ました。
「だめだ、――」
かすれた声で私の名を呼んだ。
「坊主を捜すんだ。諦めるな」
「でも、もうあの子は・・・」
「きっと生きている。きっと逃げ延びている」
夫は私の腕を掴んで起き上がろうとした。
「俺は決して諦めない。絶対に捜し出す。諦めたら負けだ、俺たちをこんな目に合わせた奴らに負けることになるんだぞ!」
熱のせいで瞳が異様に光って恐ろしいくらいだった。これまで見たこともないような夫の怒りと悲しみが私の胸を突き刺した。私は泣いて一言も言葉を返せなかった。
「な、俺は必ずよくなる。お前に約束する。絶対にお前をひとりにしない。だから、死なせてくれなんて情けないことを言うな」
そう懇願する彼の瞳を見ているうちに、私の心の中に鮮やかによみがえってくるものがあった。
私たちの村、私たちの家、そして・・・私たちの坊や。諦めてしまうにはあまりにも大切な宝物。それを私はどうして捨ててしまおうなんて考えたのだろう。
私は泣きながら夫に謝った。
「ごめんなさい、私を許してね。約束する、決して諦めないって。もう二度とあんなお祈りはしない・・・」
私のその返事を聞いて、夫は掴んでいた手を離した。大きく息をつくと、また眠りに落ちて行った。
あの薬が効いたのか、それから夫の状態は落ち着いてきた。その夜の間に一度だけ夢を見てうなされることがあったが、
「・・・大丈夫、きっと迎えに行ってやるから、それまでお前も頑張るんだぞ・・・」
夢の中で夫は息子を励ましていたのだった。
そのうわ言を聞いた時、私は心の底から祈った。
『どうか夫と坊やをお守りください。そして私たちに生きて行く勇気をお与えください』
私はもう迷わなかった。

それから夫は一命と取りとめ、なんとか回復したが、元通りの壮健な身体には戻れず、子供を捜すこともままならない年月が続いた。
私たちは近隣の村から逃げて助かった者たちで集まって、定住地を求めて国のあちこちを旅をした。その間に私たちにできたのは、行く先々で出会う人たちに捜している息子の話をすることだけだった。

村を滅ぼした者たちに対する意地なのか、大切な者を守りきれなかった自分への罰のつもりなのか、どんなに苦しくても夫は決して弱音を吐かなかった。辛ければ辛いほど私に優しくなる、明るい笑顔を向けてくる。
そんな彼の強さに、私は時にいたたまれない気持ちになった。腹立ちさえ覚えた。恨みや悲しみの大波に襲われてどうしようもなくなる自分と同じように、我を忘れて泣いてほしかった。せめて私にだけは弱味を見せてほしかった。
けれど旅暮しにもようやく慣れたある日、夫がふと漏らした言葉で私の気持ちは変わった。
「お前はすごいな」
「えっ?」
「あんなに激しく泣いても――そう、泣いても泣いても、次の日はけろっとして働いている。なんて強いんだろうって、いつも感心させられる。・・・俺はだめだ。一度泣いたら、もう二度と立ち直れないような気がして・・・」
どんなに驚いただろう。そんな風に考えたことはこれまで一度もなかったのだ。
私は一生懸命言葉を選びながら夫に答えた。
「私が泣けるのは、あなたが側にいて私を護っていてくれるからよ。・・・すぐに元気になれるのは、あなたと約束したからなのよ、決して諦めないって。・・・覚えているでしょう、あの時の約束?」
あなたは約束を守ってくれた。瀕死の状態から回復して、私の側にずっといてくれる。どんな時でも変わらず私を受け入れてくれる。
「私はあなたとの約束を守ってきただけ。ただあなたを信じてきただけ。それは私にとっては簡単なことよ」
すると、夫はつらそうな笑みを浮かべて呟いた。
「俺は・・・すっぱりと諦めて何もかも一からやり直す勇気がないだけかもしれないのに」
やっと本音を吐き出しはじめた彼が愛おしくて、思わず彼の頬に触れてその瞳を覗き込んだ。出会った時からずっと変わらない新緑の森の色の瞳、・・・坊やも同じ瞳をしていた。
「今さら諦めるなんて私にはできない。欲しいものは二つだけ。一つはあなた、もう一つはなくした宝物。単純なのよ、私。ほかのことはもう考えられないの」
そう言いながら私は、自分でも思いがけなくにっこりと微笑んでいた。
「あなたは?あなたにはほかに欲しいものがあるの?」
彼の瞳が一瞬揺らいだ。それから
「ない」
彼は静かに答えた。
私たちは互いの瞳に映る自分の姿に誓った、決して諦めないと。もう一度私たちは約束を交わしたのだった。

 * * * * *

あれから、もう随分と経ってしまった。
長い年月の間に、恨みは心の奥底に封じ込めて暮らすことができるようになっていた。決して消えはしないけれど、それだけでは生きて行けないから。悲しみは閉じ込めなかった。それはそのまま愛だと分かったから。

ようやく一昨年新しい村を作れそうな場所を見つけた。今は全員で必死に働いて、なんとか村らしい体裁を整えようとしているところだ。
旅の間に覚えた雑貨作りでわずかながら現金も手にできるようになり、王都ザールブルグへ行くための貯金が今の私たちのささやかな楽しみだった。ザールブルグでなら息子の手がかりが得られるかもしれない。特別な当てがあるわけでもないのに、明るい心持ちで話し合う。
「ザールブルグでなら」そんな希望だけが私たちの財産なのだ。

他人から見れば、私はたぶん不幸な女なのだろう。ささやかな幸せを取り上げられ、何年もその日暮しをしながら、子供の無事を祈り、再会を願うばかりの人生・・・。
でも、本当にそうだろうか。私は、愛する人とともに、この世の富や地位ではなく、二人の宝物だけを求めて生きている。そこには、私にしか分からない「幸せ」があるのだから。
そう考えて時におかしくなって、自分のことを笑いたくなる。
『負け惜しみっていうのかしら』
こんな、悲しくって苦しくってそれなのに暖かい「幸せ」なんて、ほかの誰が欲しがるだろう。

シュッと音がして小さな流れ星が飛び散る。願いを聞き届けてくれるという流れ星が。

『どうか、あの子が無事でいますように。ひもじい思いをしていませんように。いい人たちに囲まれて幸せに暮らしていますように。そして、・・・いつかまた会えますように・・・』

これまでの年月、何千回、いや、何万回も唱えてきた祈りの言葉を心の中でまた繰り返す・・・
『願い星のロウソク』の光を見つめながら、蝋燭が燃え尽きる最後の最後まで、私たちは二人寄り添い、無言で念じ続けた。

――3――

そして、晩秋のある朝・・・

窓の外に立ちこめる霧に冬が近いことを知らされる。こんな朝は古傷が痛むと言って夫は浮かない顔だ。
「お昼には暖かくなりますよ」
気を引き立てるように声を掛け、テーブルに温めたミルクとパンを運ぶ。
静かな朝のひととき・・・
が、それを破るように、誰かが戸をたたく音がした。
「こんな時間に誰だろう」
訝しく思いながら戸を開けると、そこには、白い霧を背にして一人の若者が立っていた。
明るい金茶の髪と新緑の森の色の瞳をした、ただ頬にいくつかの傷があるほかは、昔の夫そのままの若者が・・・。

「あ、あの・・・俺・・・」
不安そうに言いよどむその顔を見上げて、私は、とめどなく溢れる涙には構わず、せいいっぱいの笑みを浮かべ両手を差し伸べた。
「お帰り、ルーウェン」
息子は崩折れるように私の腕の中に飛び込んできた。震える背中をぎゅっと抱きしめた。
いつの間にか傍に来ていた夫が、息子の頭に手を置いて髪をくしゃくしゃっとかき撫でる。
「坊主、お前・・・」
夫の声は震えていた。
「・・・よく、よく頑張ったな」
すると息子はまるで小さな子供のように声をあげて泣き出した。

あの『願い星のロウソク』がこの奇跡を呼んでくれたのだろうか。
私は夫を見た。涙の中で笑顔が揺れた。夫の頬にも涙が流れていた。

私たちは、ようやく、なくした宝物を取り戻したのだった。

おしまい


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