《楽しさを 見つけてすれば 疲れない》

 朝の通勤は渋滞した道路の信号待ちに邪魔をされますが,一方で道沿いにある会社での始業風景を眺める時間が与えらます。皆で体操をしている会社がありました。夏休みの子どもたちの体操と同じで,お父さんたちも全く迫力不足です。腕のひじが曲がったままで,伸びていません。見ていて楽しさが伝わって来ないのは,なぜでしょう。まじめに体操をしたからといってどうなるものでもないという気持ちが見えます。自分にする気がないから,自分の体もしゃきっとさせられません。
 他人に言われてすることや一般的にした方が良いと言われることには,人は消極的あるいはネガティブな反応をするものです。一方で自分がしようと決めたことには邁進できます。子どもは親の言うようには育たず,親がするように育つと言われています。子どもだって親から言われることは嫌なはずです。子どもも自分で決めたいのです。子どもは親の後ろ姿の中から自分の好きなものを自分で選び取ってまねをします。体操もお父さんが楽しそうにして見せれば,子どもは自分も楽しくなろうとまねをするはずです。
 お父さんの仕事ぶりが楽しくないのは,子どもにとって将来を暗くする教えになってしまいます。楽しくなる方法は,自分が選ぶという手法でものごとを見直すことです。させられることは疲れますが,しようとすることは疲れません。たとえしなければならないことでも,自分に対する期待を見つけることができれば,楽しくなるはずです。朝の体操を眺めながら,「させられる世界からの脱出」がお父さんの後ろ姿だと気づきました。

ホームページに戻ります Welcome to Bear's Home Page (2000年4月XX日号:No.0) 次号のコラムはこちらです