《有難い 新たな明日の 楽しみが》

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 コロナ禍も後退している今年の暮れは,忘年会が復活しています。久しぶりの集まりに参加すると,恒例の挨拶を迫られます。会場に向かう電車の中で,何を話すか考えていました。そのとき,車内アナウンスが、次の停車駅を案内してきました。意識がそこに照準しました。
 駅に関するアナウンスは、必ず次の駅名です。状況を反転すると,出てきた前の駅名が言われることはありません。過ぎた駅には関心がないのです。なぜでしょう。乗客は目的地に向かって移動している最中であり,どこまで辿り着いたか,後どの位の行程が残っているかということを気にしています。次が降りる駅であれば,準備をしなければなりません。次への備えが必要なのです。
 人の足は前に向かって踏み出されます。後ろに向かうようにはなっていません。目が前向きだからという理由もあります。時間の経過も重ねると,今の位置から前に進む,後は過ぎてきたのです。人にとって時空間では一方向にしか動けないのです。人は生まれて以来,先に先に進んで生きているのです。
 忘年会が始まりました。会長によるあいさつです。過ぎた年を忘れる会とワザワザ念を押しているのは,とらわれていないで新たな気持ちで新たな日に向けて前進をする準備という意味合いであると念を押しながら,一年の労をねぎらい感謝し,挑戦に向けてがんばるように鼓舞しました。
 ところで,過ぎた昨日は忘れてしまってもいいのでしょうか。事が円滑に運んでいるのに,それをすっかり忘れてしまって,新たな動きに移ってもいいのでしょうか。忘れることが必要な場合もあれば、それでは困ることもあるでしょう。忘れるべきことは切り離して新たなことに変えていく一方で,ちゃんと覚えていて次につないでいくこともあり,区別しなければなりません。
 忘年会という時間を設定するのは,今年を振り返り,決別することとつないでいくことを峻別して,忘れるべきことは忘れていいという納得をするためです。こどもの成長に準えるときちんと振り分けができます。卒業式は完成したので忘れていいという区切り,入学式は新たな始まりに向かうという区切りになります。大人になると,入社式や就任式で始まり,退社式や退任式で終了します。
 この暮れに退任式を迎えました。これまでの日々が突然に断たれてしまいます。明日につながることが一切ありません。新たな進路を設定しないと前に進むことが滞ります。生きていくことに結びつく日々の具体的な歩みを続けなければなりません。実際には,これまでに別の歩みを同時にしているので,ここで止まってしまうことはありませんが,それもいずれ打切がやってきます。明日を切り開く新たな挑戦への歩みを始めることができます。

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(2023年12月24日:No.1239)