《有難い 寄り添うことで 思い合う》

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 各種団体や機関が連携して認知症の方を見守る活動を進めようとしています。そのイベントとの一環として,商業施設での発表の機会を計画しています。展示によるアピールとしてカードに一人一人が「して欲しいこと・できること」を書き出すことになりました。折しも地元の新聞でその見守りをしている先進地の実状を紹介する記事が紹介されていました。その中で新たな展開へのきっかけになるという気になる指摘がありました。
 見守りをしている方が認知症になった後に,自宅にこもりがちになりました。認知症の人を見守り気遣う地域の人たちの優しさや視線が監視に思われてしまい,当事者になると煩わしさになることもあるということです。そこで,支える側と支えられる側という関係が当事者にはいきづらさになっているという反省がなされて,当事者の声を元にする軌道修正に至ったということです。
 少し話題を移動しますが,ボランティアの活動についても以前から気になっていることがありました。何らかの福祉関係の活動をしようというボランティアは募集によりそれなりの方が参集し,団体に組織化されてきました。その気運は何らかのお手伝いをしたいという思いが集約していきました。ところが,お手伝いをして欲しいという方がなかなか現れないという状況が続いています。何らかの支援が必至の方は,それなりの制度に基づく専門的な対処に頼られます。ちょっとしたお手伝いのボランティアは出番がないという状況に陥っています。支える人はいるのですが,支えられる人がいないというミスマッチが起こっています。そのために,ボランティア組織が活動ができないとして消えていっています。
 福祉の掛け声として,自助,互助,共助,公助という助けの4ステップがあります。支える側の発想です。地域で豊かな生活をという願いも含まれて,互助や共助が想定されます。イメージとしてご近所による相互の助け,自治会などによる共生の推進としての共助が展開されるという構想です。ここで留意しなければならないことは,自助です。自分でできることは自分でしようという意味であり,できないことは互助につなぐという想定です。
 自助とは,自分を助けることです。自分でできることは自分ですることはもちろんですが,できないことに直面している自分を助けるために,「助けて」と訴えることも必要なのです。その際に,どこに助けてと訴えたらいいのか,その受けるところを持っていなければなりません。助けはつながってこそなのです。支える側と支えられる側という立場を超えて「共に生きていく」というつながりが意識され実践されるべきです。
 支える側は困っているだろうと「思い・やり」を発揮して「寄り添おう」とします。それは必要なことですが,十分ではありません。支えられる側にもそれなりの思いがあります。その思いを受け取る「思い・とり」があってこそ,思いが通い合い,寄り添いが完結できます。そこで,カードには,「思い・やり」で寄り添って「思い・とり」して「思い・合い」,と書いておくことにしました。

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(2024年08月18日:No.1273)