家庭の窓
|
言葉を覚えることは心の食事です。どのような種類の言葉を覚えて使うか,それが心の活動になり,人としての品格を表します。人権宣言において,人は理性を持つと謳われていますが,それは言葉を獲得したことから得られたものです。
言葉の意味・伝達はそれぞれの人の体験との結びつきによることを見ています。そのことを思い知らされた一つの事例は,今年の流行語大賞が「ふてほど」であるとの発表記事を見たときです。ふてほど? 全く意味不明の未経験の言葉です。流行語ですから一度は耳にしているはずという思い込みがあっけなく拒否されてしまいました。先ずはどういう言葉なのかという素性の探索です。年初に放映されたテレビ番組のタイトル「不適切にも程がある」の略であるとのことでした。主演の俳優さんもその略はご存じなかったようです。テレビを見る体験をしていないので,そのような言葉が流行していたことには全く無関係でした。世間の流行から外れている自分を見つけることになりました。
人の経験は,住んでいる地域,関わっている社会にある常識といった環境による特色を帯びています。そのために使う言葉にバイアスが掛かっていきますが,そのことに無自覚になっています。アンコンシャスバイアスと言われます。情報社会では目を引きやすい論考を紹介してしまうことがあります。例えば,高齢者ドライバーの事故が多いという確証バイアスがあります。そのために高齢者ドライバーへの偏見が,常識のように思われてしまいます。そのほかに,自らに都合の良い選択的体験に基づいた,男らしさとか女らしさ,公務員らしさ,店員らしさといった言葉に付随した思い込みを他者に押しつけてしまうために,ハラスメントを起こしてしまうことになります。言葉が相互に正しく伝わっていくかということだけに止まらず,言葉は各個人の思考を組み立てていることから,行動のあり方に影響をしていきます。言葉の偏りを放置していると思考を歪めて行動を不適切にしていくことになります。
そこで他者と言葉を交わすことによって意味づけを確認し合う手間が必要になります。それはどういう意味? 言葉に導かれる体験という具体的なイメージを突き合わせて比較することが一つの方法でしょう。話し合うということです。そこで何を起こせばいいのかというと,違っている体験であればそれを統合するイメージを描くようにします。そうして,言葉の偏りが解消されていきます。
言葉は生きています。それは言葉を使う人が経験を重ねて育っていくからです。同世代で話が通じやすいのは,同じ育ちの言葉が行き交うからです。そのために,ネット空間では世代の違う言葉が混在しているので擦れ違いが起こりやすいようです。闇バイトなどの悪意のある言葉の放出は意識して無視すべきです。
|
|
|