家庭の窓
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前号で,「仕事より余暇」という記事について,取り上げました。たまたまですが,毎日一言が届けられるメールで,ドラッカーの言葉が紹介されていました。「仕事と働くことは別の世界に属する。仕事は人の外にあり論理に従う。働くことは人の内にある」というものです。
仕事をやりがいにするといったことはあるはずがない,あるべきではない,そう言っているようです。仕事が個人という人に結びついたら,それは一般的な価値を失うことになるということです。仕事は人によって変わってはいけない,働くことは人によって変わるものとなると,働くとは仕事をすることではないのでしょうか。
「仕事」と「働く」の違いをはっきりしておきましょう。今風に検索してみます。
仕事は,特定の目的を持つ活動を指し,名詞として使われます。これは,誰かから与えられたタスクや役割を意味します。 一方で,働くは,その活動を実行する行動を指し,動詞として使われます。つまり,実際に労働を行うことを表します。このように,仕事はタスクや役割を指し,働くはその行動を指すという違いがあります。
仕事は人の間で交わされる有形無形の成果です。働くとは,その成果を想像する動作となります。働き方はそれぞれであっても,その成果である仕事は一定の規格等に沿うものであることが求められます。実際には,その対象に応じて程度に余裕があります。例えば,ラーメンという食品を提供する仕事では,素材の構成等は規格に合致しつつ,そのつゆや味,具などに作る人の工夫やこだわりが込められることもあり得ます。調理人による変化があります。
話を飛ばして,最近の世情に論点を重ねてみます。参議院議員選挙がありました。議員という働き手は,立法という手段を通じて,政治という仕事をしてくれます。ところで選挙では,政策という形で示される成果は,政党によって違っていました。国民の働きは選挙で選ぶことです。議員という働き手によって政治という仕事は選ばれています。だから,国民は働き手である議員を選ばなければなりません。
仕事と働くはつながっているので,完全に切り離すことはしない方が良いようです。ドラッカーの言葉は仕事の品質に注目するという局面で,意味があるものと思われます。仕事に私情は無用とする立ち位置もあるでしょう。仕事の成果を選ぶことができるという豊かさを求める状況では,関わる人との関連を見極めることも必要になります。
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