*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【豹変?】


 ドイツの哲学者カントは毎朝欠かさずケーニヒスベルグの町を散歩する習慣があり,その時間が厳格であったため,市民は彼の姿を見て時計の針を合わせたといわれています。その朝の儀式を打ち破ったのが,ルソーの「エミール」という本でした。読んだときには,感動のあまり散歩の時間を狂わせたのです。
 「エミール」は教育についてという副題が示すように,エミールという子どもの成長を追う形で繰り広げられる教育論です。ただし,単なる教育論ではなく,「自然に帰れ」という人間味のある思想・哲学書です。この本の中でルソーは母親に向かって,「女性は自然によって乳房を与えられている。だから,自分の子は自分で養い,育てなければならない」と語っています。
 カントはこのような自然人の言葉に胸を突き動かされ,「ルソーによって,私は人間を尊敬することを学んだ」と述懐しています。従来の知識に彩られただけの理論哲学から,人間を中心に据えた実践哲学に進んでいきました。
 当時の人間観は現在とは違ってはいますが,それでもカントはルソーの考えに触れることで,自分の理論が人間性に立脚していなかったことに気付かされたようです。君子は豹変したのです。そんなこと考えたことがないという論に出会ったとき,柔軟に受け入れていく余裕が肝要です。
 人権擁護機関が行っている相談では,辛い思いを受け止める寄り添いが重要ですが,それは人間性を基盤とするということです。その上で,新たな視点があることを伝えるようにします。また,啓発や救済活動においても,権利の擁護をすべきであるという理論ではなく,人をお互いに尊重しようという実践を推奨していきたいものです。
(2020年06月29日)