*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【暮らしの6権利?】


 「人権とは?」という説明をしようとする時,悩ましい思いをします。人権擁護局の「人権の擁護」冊子の冒頭にある「人間が人間らしく生きる権利で,生まれながらに持つ権利」という言葉を受け売りで語っていても,今ひとつ腑に落ちません。話し手が納得できていないようでは伝わるはずもありません。人間らしく生きる権利とは「普通の暮らしでしていい権利」と考えてみることにします。
 出発点を世界人権宣言第1条の条文として,子どもの権利条約と,高齢者の国連原則の定義文を導きとして,思考を進めてみようと思います。

@世界人権宣言第1条を仕分けていくと,「生まれながらに自由」は子どもの「生きる権利」となり,高齢者の「自立」に連なり,自由な判断による「暮らしでは決定権」と考えられます。
A「尊厳と権利で平等」は,子どもの平等で隔てなく「守られる権利」,高齢者の公平な「尊厳」に連なり,「暮らしでは安心権」に結びつけられます。
B「理性と良心」は,人が言葉を持つから可能であると考えて,子どもの「意見を表す」に,高齢者の「共同体参加機会」と関わり,「暮らしでは表現権」に結びつけられます。
C「同胞の精神」で「行動」は,子どもの団体づくりで「参加する権利」となり,幸せな共生に「暮らしでは参画権」に展開することができます。
Dさて、人権宣言には「時間」軸が欠けています。しかし,人は明日に向かって生きていくという現実があり,そのための権利を想定すべきです。子どもにも高齢者にも明日を保証する支援や保護が必須であり,明日を楽しみにできる「暮らしでは希望権」が想定されます。
Eさらに,今日を生きることが明日につながるためには,子どもも高齢者も能力や可能性を発揮し自己実現を続ける「暮らしでは成長権」の実践が不可避です。
 SDGsが目指しているのは,一人一人の幸せを目指す活動によって明日の人類が幸せになっていくという壮大な成長希望なのです。

 以上の6つの「暮らしの権利」は,さらにそれぞれ二面性を持っていると考えていきます。人は自分ひとりだけでは幸せにはなれないということです。人はつながって生きています。「人間」という言葉に目を向けると,普段はなんとも思わないでしょうが,「間」という字が気になります。人は人間であるとき,「間」をまとっているのです。つまり他者との間を認識していてこそ人間であるのです。
 そこで、暮らしの権利を自己と自他の二面で認識しなければなりません。

@決定権については,(自己)自分が自分を大事にするように決めていく一方で,(自他)他者からは自分のことを勝手に決められてはいけないのです。
A安心権については,(自己)自分には信じ合える仲間がいると実感できる一方で,(自他)信頼という和を理不尽に拒否されてはいけないのです。
B表現権については,(自己)自分の意志を表明し分かり合える努力をする一方で,(自他)意見の多様性を強圧的に排除されてはいけないのです。
C参画権については,(自己)自分に人間としてあるべき役割を課していく一方で,(自他)社会の互恵関係を理由なく壊されてはいけないのです。
D希望権については,(自己)自分が目指すと願った希望を持ち続けていく一方で,(自他)可能性を安易に否定され邪魔されてはいけないのです。
E成長権については,(自己)自分の成長のために必要な学びに励んでいく一方で,(自他)教えを強いられたり機会を奪われてはいけないのです。

●暮らしには様々な局面があります。ただ単に「仲良く暮らす」というだけでは人権事象を整理することはできません。普段の暮らしの場で人権が交流する際に参照できる黄色信号を考えてみませんか?

普通の権利一覧表です
幸せ権利の6葉図です
(2022年08月01日)