*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【他尊?】


 戦国時代,最初に日本を訪れたヨーロッパの国は鉄砲を伝えたポルトガルでした。その後,徳川幕府はポルトガルとは関係を断って,オランダとだけ貿易を続けました。当時,幕府が最も警戒していたのはキリスト教の普及でした。統治の原則として身分制度をとっていた時代,平等を説くキリスト教は幕府にとっては厄介な存在でした。
 そのため,幕府は1633年から,キリスト教の普及に熱心だったポルトガル人の国外退去や,来航禁止を命じていきます。ところが,ポルトガル人がいなくなって困ったのが、長崎の商人たちでした。幕府は長崎の大店25人に出資をさせて人工島を作らせ,ポルトガル人の居留地としていました。これが出島ですが,退去によって,家賃収入が途切れてしまいました。
 そこで,目を付けられたのが、当時伸び盛りの国オランダでした。オランダはキリスト教国ではあったのですが,商売一辺倒,ポルトガルのように布教に熱心ではありませんでした。オランダ人に出島を借りてもらうように交渉し,1641年,オランダ商館が平戸から出島に移され,貿易相手国となったのです。
 ポルトガル人が目指す付き合いは,心情のレベルまで関わろうとするものであり,オランダ人は単純にそのときどきの利害の交換に止まるものに抑えていました。私たちの普段の付き合いにも、この違いがあります。こどもの付き合いでは,勝手な思いを押しつけられて迷惑と感じると,いじめになります。干渉してしまうことのない付き合いかたを身につけさせることが必要です。そうしないと追放という断絶が待っています。
 人権の啓発をする場合にも留意しなければなりません。自分が良いと思うことだから,あなたも良いと思うはずだということにはなりません。どのように受け止めるかは、それぞれに自らの判断で決めることが大事です。その判断を邪魔しないように,助けるように関わっていくまでです。他者を尊重する配慮があってこそ,側に寄り添うという基本的な立ち位置を保つことが可能になります。

(2023年07月05日)