*****《ある町の退任人権擁護委員のメモ》*****

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【生きる羅針盤の提案(16):六然訓】


 人権宣言等から導き出した「人権羅針盤」は,人権という言葉が目指すものに言い換えると人が穏やかに生きるための羅針盤と考えなければなりません。だからこそ,先に示した子どもの育ちを考える羅針盤としても有効になることができたのです。ここでは,「生きる羅針盤」としての様子を描き出しておくことにします。ふと立ち止まって,「生きるとは?」という疑問に出会った際に,その思考のお手伝いができたら幸いです。

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 「私が生きる羅針盤」を考える第16版です。今号では,前号に続き,日本の陽明学であり,哲学者でもある安岡正篤が座右の銘に据えていたといわれる教えである六然訓を,人権羅針盤に対応を試して見ることにしました。

生きる羅針盤の提案(六然訓)です
【自処超然】
《説明》自分を絶えず突き放し眺めること。
 自分自身に関しては,一向にものに囚われず,恬淡としている。人はよく見ているもので,モノに執着している人は人が離れていく。他人の行状は自分を振り返ってみる格好の物差しである。

※心穏やかに暮らすためには,もう一人の自分が自分の欲していることを見届け,とらわれていないかを,周りの状況に照らして冷静に評価することが必要です。我を忘れるという状況に陥りそうになったときには,とらわれの素を息とともに吐き出し,新鮮な空気を吸い込むようにします。自分に何か思い込みがあるかもしれないと感じたら,周りの人を観測することで見えてくることもあります。自分の決断が,間違った情報でゆがんでいないか,気をつけておきたいものです。

【処人藹然】
《説明》人と接するときは和やかな気持ちでということ。
 藹(あい)とは草木が盛んに繁るさまをいうので,處人藹然とは,人に接するときは,相手の気持ちが和らぎ,穏やかになるように心がけることである。

※心穏やかに暮らすためには,自分が落ち着いていられる居場所を持つことが大事です。人と接しているときも,和やかな気持ちを伝えようと意識すれば,自分だけでなく相手も平静な対応をするようになります。気持の高まる局面でも,ほどを弁える抑制が効いていれば,後悔には至らなくて済みます。

【無事超然】
《説明》何も事がないときは,水のように澄んだ気でいること。
 事がない場合には,静かな湖面のように澄み切っている。私利私欲がないから心が澄んでいる。澄んでいるから融通無碍に動くことができるのだ。

※心穏やかに暮らすためには,もう一人の自分が自らの置かれている現状をきちんと理解しているという確信が必要です。その理解をもたらす手段が言葉による知恵の世界です。現状を理路整然と説明できると,欲望というゆがみによる気持の波を排除することができます。逆に言えば,すんだ気持ちでいれば,事が無いという状況を招くことができることになります。

【有事斬然】
《説明》何か事があるときは,ぐずぐずしないできびきびとやること。
 いったん事が起きればグズグズしないで,束ねたものをマサカリで斬るように,一気呵成(かせい)にやる。

※心穏やかに暮らすためには,予期しなかった事が降りかかってきた際の適切な対応が必至です。自ら対応ができることについては,即座に動き出すことはもちろんですが,手に余ることが襲いかかることもあります。その場合には,周りに助けを求めることが必要であり,躊躇しては手遅れにもなりかねません。共生社会における互恵関係による救済への要請が必要です。

【失意泰然】
《説明》失意のときは,やせ我慢でいいからゆっくり落ち着いていること。
 失意の時にはうろたえ,呆然となるのが人間の常だが,だからこそ逆に泰然と構え,大所高所から眺めてみる。するとそれまでは見えていなかったことに気づき,死地を脱することができる。そこで意気消沈したらおしまいだ。

※心穏やかに暮らすためには,生き続けようという思いが基本になります。なんとなく生きているというのではなく,生きる努力をしているから生き続けているという実感が得られるものです。生きる上で今しなければならないこと,それが壁のように立ちはだかってくるものであっても,その場に立ちすくむのではなく,一歩でも前に進み続けるしかありません。その先にある明るい希望から目を離さなければできるはずです。

【得意澹然】
《説明》物事が上手くいって得意な気分のときは,努めて淡々とした態度を示すこと。
 澹というのは水がゆったりと揺れ動くさまをいう。従って,得意絶頂のときこそ,逆に静かであっさりしていることが緊要だ。そうすると足をすくわれることがない。

※心穏やかに暮らすためには,成長している自分に出会うことがあれば可能になります。自分の成長をもう一人の自分が認めることで,生きている自分を愛おしく受け止めます。その成長とは,生きることに忙殺されている中でも,意識的に我に返ると,今の自分が直面する成長点に気付き,その先の自分のあるべき姿を思い描くことができます。自分が見得ているから,淡々としていられるのです。

○以上,六然訓を,「生きる羅針盤」に対応させてもらいました。これまでの対応事例と同じように,あまり違和感なく整理をすることができていると思います。それぞれの想定している世界観における具体的な表現は違っていても,人が思い至る幸せに生きる境地は本質的に同じ構造になっているようです。それぞれを別個にしておかずに,まとめていく作業から,人の生き方について深い理解が得られるのではないかと期待しています。

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 社会に真剣に向き合って生きていくことは,人として誰もが願っていることです。ただ人には本能から派生する弱さもあります。その弱さを押し込めていく意思が必要になります。そしてその意思は目標を必要とします。それが羅針盤なのです。
 人としてすべきことから外れないようにすることは大事であり,それは誰にとってもできることであり,気持ちの良いものです。しあわせは誰かだけにあるのではなく,皆に同時にあるものです。権利を守る,言葉は堅く響きますが,人として生きていく自然な姿であればいいのです。

(2025年05月18日)