『子育ちは 価値の物差し 当てながら』

■子育ち12確認■
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『子育ち第7確認』
【お子さんに,物差しを渡していますか?】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という5W1Hの問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
この第102版では,親が育ちの確認をしていくときに,状況を判断するキーワードとなる12の自問を選んで育ちを検討していくことにします。その構成は,奇数号では「私の育ち」を,偶数号では「私たちの育ち」という配置をします。私の育ちだけに意識が向くと,私たちという社会性に基づく仕合わせな育ちが疎かになります。あちらこちらで人のつながりに欠陥が見られる現状は,私たちによる育ちから得られる「私たち」という意識が未熟だからです。そのことに注目して,羅針盤を手元に設定していただくようにお願いいたします。
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《「物差しを渡す」ということについて説明が必要ですね!》
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○運任せ?
「走ったら危ないよ!」とママが注意します。子どもは「こうしたらこうなるかもしれない」という状況判断をしていません。それが子どもの危なっかしさの源です。もう一人の子どもが自分と周囲の状況を考えて,起こりうることを推定し,危険を回避するという選択をしなければなりません。しかし,その力は幼い子どもにはまだ育ってはいません。
中学生になっても,テストの点数が良ければ「ラッキー」と思っています。自分の理解が進んだ結果ではなく,単に運が良かったという受け止め方です。これでは自分の能力の伸張にはつながりません。もちろん試験には山が当たるといった運も絡みます。しかし,基本はあくまでも勉強したら点数が上がるということです。その期待が「努力」を生み出します。
パパやママは朝出がけに空の状態を見上げますか? ひまわりから見た雲の様子をテレビで見ただけでしょう。自分の頭上にある雲を見て,確かめましたか? 子どもと一緒に雲を見上げてください。「あちらに雲があると雨になる」といった一日の見通しを教えることで,状況判断の良い教材になります。
「こうしたらこうなるかもしれない」という予測をする判断力は,体験しなければ身につきません。走って転んだら,「走ると転ぶことがある」という経験として残ります。ママが「走るからよ」と念を押すことは大事です。経験はきちんと意識させなければ使えるものにならないからです。点数が上がったら,「よく勉強したからね」と努力の賜であることを気づかせて下さい。
・・・結果には原因があるという物差しを体験から意識させて下さい。
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○なぜ勉強を?
今学校では授業が成り立たなくなりつつあります。先生の話を静かに聞いて分かろうとする姿勢が備わっていないのです。授業は表面的には面白おかしいものではありません。いわゆる知的な面白さですから,うわさ話のような感性的な面白さとは異質です。学校は学ぶところであり,学びとは知的な楽しみなのです。
「勉強しなさい」とママが急かせます。でも,子どもは「なぜ勉強しなければならないのか?」と思うことがあります。それに対して「いい学校に入って,いい会社に就職して,いい暮らしをするため」と答えます。親としてはもっともな目標なのでしょうが,子どもにはそんな遙かな先のことは理解不可能です。一生というとてつも長い物差しは子どもには使いこなせません。子どもが求めているのは勉強する今日の理由です。
大人は,勉強とは何かの目標に向かってするものと思いこんでいます。自分の受験体験が勉強の意味を塗り替えてしまっていることに気づいていません。ですから,子どもから勉強する理由を尋ねられたとき,その目標を問われていると勘違いして答えてしまいます。子どもが知りたいことはそんなことではありません。その子どもの問いかけと大人からの返事のすれ違いが,勉強そのものや学校に行くことに対する納得のギャップになって,子どもを追いつめてしまいます。
子どもが問いたいことは,勉強そのものの意味が分からなくなったということです。もっと端的に言えば,勉強が楽しくなくなったということです。勉強して試験があって,点数をつけられて,序列が付けられるというシステムに対して,そんなはずではなかったという不信感を抱いています。
ひらがなを覚えはじめた頃は,目に付いた街の看板を漢字抜きで読んでいましたね。読めることがうれしくてしようがないのです。訳の分からない曲がりくねった線だと見えていたものが,読むことのできる字であることに感動しています。子どもはなぞなぞが好きです。問の言葉の陰に隠された秘密を読み解くことが楽しいからです。学んで知ることがワクワクすることであったのに,勉強が進むにつれて,その楽しさが感じられなくなっていきました。
子どもが「なぜ?,どうして?」といろんなことに疑問を持ち始めたときに,その疑問を解く方法と分かっていくときの面白さをきちんと伝授しておけば,子どもは自分から進んで学ぼうとしていきます。子どもが「新発見」をしてきたときに,ママが一緒に面白がってくれたら最高の学びへのしつけです。
・・・疑問を見つけ分かる楽しさが学びを測る物差しなのです。
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○真面目だからいじめられる?
太閤秀吉のお伽衆に曽呂利新左衛門という知恵者がいて,いつも呼ばれて話をしていました。他のお伽衆がどんな話をしているのかと尋ねました。新左衛門が「お前たちは菓子は好きか?」と聞くと,皆は「好きだ」と答えました。「それなら毎日菓子を食え」と言われ,「毎日は食えぬ。飽きてしまう」。そこで「わしは太閤殿に米の飯を食わせているんだ」と言って聞かせました。
ご飯は味がありません。決して美味しいものではありません。しかし,美味しくないから毎日飽きずに食べられます。さらに,オカズとご飯を交互に食べると,味のないご飯が味覚をご破算の状態に戻してくれますから,次に口にするオカズの味が楽しめます。味の付いたものばかりを食べていると,味覚が鈍ってきて濃い味でないと感じなくなっていきます。美味しさとは無味があってこそ引き立つものです。
「何かおもしろいことはないかな」とおもしろいことばかり求めていると,チョーおもしろいことへと感覚が麻痺していきます。格別おもしろくもなんともないことが当たり前なのだと感じていないから,面白さに暴走します。
格好にしてもダサイ(=田舎い)ことを最低などと思っているから,派手さを通り越してケバくなっていき,過ぎたるは及ばざるがごとしの域にまで突き抜けてしまいます。普段はダサくていいんだという真正な美的感覚を見失っています。
真面目であることをバカにするひねくれた物差ししか持っていないから,子ども社会がねじれてしまいます。人としてまっとうなことをきちんと目盛った物差しと交換しなければなりません。
・・・物差しは0の目盛りが消えたら有害です。
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《目盛りのいい加減な物差しに頼ると,できたものはこけます》
○子どもを抱っこしてママと向き合ってばかりいると,子どもはやがてストレスを感じるようになるそうです。いくら愛し合っていても見つめ合うのはちょっとの間で十分です。子どもはパパの背中におんぶされることが大好きです。それはパパと同じ目線で景色を見ることができるからです。子どもは親と一緒に同じ世界を見ることで,親の物差し使いを学んでいきます。それが背中を見て育つということです。
【確認7:あなたは,お子さんに物差しを与えていますか?】
●答は?・・・もちろん「イエス」ですよね!?
暮らしの中で育ちながら,子どもはいろんな力を自然に蓄えていきます。大切なことは,力を何に向けて発揮するかということです。強い腕っ節を恐喝に使っては,生きる力とは言えませんね。教育やしつけにとって大切なことは,どの方向に育つかということです。持てる力を使って,人はいろんな行動をすることができます。その行動を価値あるものにできるように育てることがしつけです。
★落書き★
自分の母親を「おふくろ」と呼びます。鎌倉・室町時代に,一家の主婦は家庭内で大きな権力を持ち,財物を入れた「袋」を管理していたので,一家の中心である女性を「おふくろさま」と呼ぶようになりました。ほかに,母親の胎内で胎児は胞衣という袋に包まれてい手,その状態から母親を「おふくろ」と呼んだという説もあります。一方,「お母さん」は平安時代に上流階級の奥方が住んでいた「北の方」が語源で,敬語の「御」を付けて「おかたさま」と呼び,現在の「おかあさん」に変化したのだそうです。