『難しい 言葉を使い ママ逃げる』
■はじめに
赤ちゃんの言葉はただの泣き声ですが,ママには通じるようになります。
いくらママだからとはいえ,最初から聞き分けられるのではありません。
なぜ泣くのか分からないので,うるさいと感じてしまう騒音でしょう。
お腹がすいた,オシッコ出た,眠たい,かゆい,痛い,暑い,寒い・・。
赤ちゃんの言いたいことは身体のことですから,そう多くはありません。
赤ちゃんの立場になれば,おおよその見当がつくようになっていきます。
満たされたらおとなしくなり,やがて笑顔も出るようになっていきます。
ママが優しく繰り返し言葉を語りかけていけば,口まねをはじめます。
手で触れたものが何か,外界に興味を持ち,関わろうとして発声します。
動いている犬を見て指さし,一所懸命に何か言おうと口を開きます。
「可愛い犬ね」とママが見本を示せば,「イヌ」と言おうとします。
見えるものに名前をつけていくことで,子どもは外界を見分けます。
子どもが育つにつれて,ママは子どもの思いが読めなくなっていきます。
同時に,代弁することで言葉を教えてきたやり方が通用しなくなります。
児童期の言葉のしつけは,ちょっとした工夫が必要になります。
【質問2-04:あなたは,お子さんに優しく話していますか?】
《「優しく話す」ということについて,説明が必要ですね!》
〇負の思いこみ?
「流れ星が消えないうちに願い事を言えたらかなえられる」と教えられ,挑戦してもなかなかうまく言えません。流れ星を見つけてから慌てて願い事を考えていては,既に手遅れです。この伝承は願い事をとっさに口に出せるほど思いこんでいるかどうかというチェックだからです。
ところでママは子どもについて思いこみを持ってしまうことがあります。うちの子はこんな子どもという思いこみです。「またあなたが・・」という言葉がついつい出てきます。良いイメージであればいいのですが,悪いイメージの時には子どもの育ちにブレーキになります。
子どもが何か手伝ってくれたとき,「どうしたの今日は? 雨が降るわよ」と茶化したりしませんか? 子どもはやる気がそがれます。折角の育ちのチャンスを逃します。たとえ子どもが気まぐれであったとしても,「どうせ気まぐれなんだから」と思われることと,「アリガトウ。ママは大助かりよ」と正面から優しく受け止めてもらうことでは,その後の子どもは違った育ちをします。何気なくしたことがママを喜ばせたという経験は育ちの階段を一つ上ることに相当するのです。
・・・子どもはママに認められたとき育っているのです。・・・
〇心の装い?
名は体を表すと言われています。子どもから,何と呼ばれていますか? ママ,おかあさん,かあちゃん,おっかー,おかん・・,さまざまな呼称がありますね。親と離れているとき,「おかあさん」と口で言ってみると,とたんに懐かしさがおそってきます。
人の気持ちは言葉に左右されます。悲しいから泣くのではなく泣くから悲しくなるのだと言われています。子どもの情操を育てるためには,言葉の質に気配りする必要があります。優しい子にするには優しい言葉を,乱暴な子にするには乱暴な言葉を,わがままな子にするためにはわがままな言葉を,弱い子にするためには弱い言葉を中心にしつけていけばいいでしょう。乱暴な子だから乱暴な言葉づかいをするのではありません。
フランスの母親は結婚する娘を,「何もあげられなかったけど,美しいフランス語だけはしっかりと教えたからね」と送り出すそうです。さすがにおしゃれの国です。ママは言葉のおしゃれが心のおしゃれであることをしっかりとわきまえています。
・・・言葉の装いも忘れないようにして下さい。・・・
〇対話とは?
ラテン語でコムは一緒にという意味で,コムニカーレは共有するという意味です。コミュニケーションは何かを共有しようとする確認作業です。対話の対も何か共通するから対とみなされるので,同じ意味になります。
コミュニケーションの手段は言語です。言葉を知る喜びは,人と心が通い分かり合える喜びです。もしも言葉が貧しかったら,人の心が読みとれず,自分の心も伝えられません。ここで貧しい言葉とは短絡的,表面的,直接的なものを言います。例えば,「ムカツク」,「チョー〇〇」といった感情丸出しの単語系も入ります。若者が若者言葉を使うのは若者同士で分かり合えるからでしょう。しかしそのことが自分の心を狭くしていきます。
社会化とは異世代との交流が本質です。その基盤は親子のコミュニケーションです。親にも共感できる言葉づかいを身につけなければなりません。子どものことが分からなくなるのは,親が分かり合える言葉を子どもに手渡していないという要因もあります。子ども扱いせずに対等に話すようにするのも一つのやり方です。ことさらしつけを意識せずに普段の会話を豊かにして下さい。わかりやすく話してやれば,子どもは大人の言葉をどんどん覚えていきます。
対話は共感です。心を開かなければなりません。「そう」,「おもしろいね」,「もっと知りたい」,「どう思う」,「それから」と,優しく受け止めていく言葉を返します。「ばかだな」,「ダメよ」,「つまらないこと言って」,「それは未熟」と厳しくしている積もりでしょうが,そこには共感しようと心を開く姿勢が見られません。
・・・やさしい言葉にママの優しさを込めてください。・・・
〇豊かな言葉?
「トムソーヤの冒険」の著者であるマーク・トウエンがある日,素晴らしい説教をすると評判の牧師がいる教会に出かけました。その日も感動的な説教が聞かれ,トウエンは牧師に「とてもいい説教でした」と感想を述べた後,「ただ,あなたの説教の一言一句がすべて載っている本を私は持っています」と付け加えました。
牧師は驚きました。説教はすべて牧師が自ら考えて創作したものだったからです。そのことを話すと,トウエンは「後日,その本を送り届ける」と約束しました。届いた本は「辞書」でした。トウエン流のジョークですが,言葉が持つ大事な性質を教えてくれます。
評判の絵画教室に入りたいと申込に来た女の子がいました。画家である先生はチューリップの球根を一つ渡して,「家に帰って植えなさい。チューリップの花が咲いたらいらっしゃい」と約束しました。女の子は芽が出るのを楽しみに水をやり,少しずつ伸びる葉に日光を当て,つぼみが膨らむのを待ちかね,ある日とうとうきれいな花が開きました。「先生,咲いたよ」とうれしそうに教室に駆け込んでいきました。先生は笑顔いっぱいの女の子に絵の具を渡しました。
思いを言葉で表すためには,言葉を選び,どのようにつないでいくかということが重要です。やさしい言葉でも上手につないでいけば,その話は深い味わいを持つことができます。単語で思いを表そうとすると,言葉が過激になり,深みがなくなります。文芸に限らず,普段の話も文章として整えようとする気配りが肝心です。絵の表現では,「花が咲いた」という短い言葉に,球根があり,芽があり,水があり,日光があり,葉や茎があり,つぼみがあり,それらに関わった自分という全体的背景が移し込まれて,花の美しさを感じ取ることができます。花だけを見ては,花が描けないのです。
・・・言葉を生かそうとする優しさが豊かさです。・・・
〇言葉のおもしろさ?
電話をかけると幼い女の子が出てきました。「ママはいる?」と尋ねると,「要らない」という返事です。留守だということが分かって「電話をちょうだいと伝えてね」と言うと,「私の電話だからあげない」と返ってきます。ここまでトンチンカンになると,楽しいですよね。
理科の時間です。ウサギの観察をしたあとの問です。「ウサギの耳は〇〇」に適当な言葉を問われました。ほとんどが「長い」でしたが,二人だけ「赤い」と違っていました。この二人は飼育係をしているのでよく観察し,赤い耳に強い印象を受けていました。どちらが正解かということより前に,あいまいな問がどちらの答も引き出してしまったということに着目してください。よく聞く話に「氷が溶けたら何になる?」という問に,「水」が常識的な正解ですが,「春」という答も寒い地方では正解でしょう。自然に親しんでいる子どもなりの答を,せめて親だけは楽しく丸にしてやって下さい。
・・・言葉の広がりを受け止めてあげることがママの優しさです。・・・
〇言葉の使い方?
物事を分かる方法は,言葉で分けていくことです。スイカは野菜ですか果物ですか? 木になるのが果物ですから,野菜です。「木になる」という言葉の尺度で分けているのです。分析とか分解とか,分けることが分かることです。分ける方法をたくさん知れば知るほど,物事が分かるようになります。言葉を覚えて楽しいという子ども時代は,物事が分かる楽しさいっぱいなのです。
犬を見て,自分より大きいか小さいか,毛色は,しっぽの長さは,耳は立っているか,鼻は長いかと見分けることで,その犬が意識的に見えるようになり記憶できて人に話せるようになります。子どもに言葉を教えるのは「分け方」を教えることになります。逆に言えば,言葉を知らないと分けられませんから,見ても見えないということになります。子どもがよく勉強で「分からないところが分からない」と言いますが,問になっている分け方が分からないのです。
言葉を知ると,行動の具体化も可能になります。抽象的なしつけも具体的なイメージを獲得できるからです。美意識=キレイネ,思いやり=ヨカッタネ,生命尊重=アブナイ,我慢=アトデ,自発性=ヤラセテ,分担=マカセテといった調子で,使える言葉を結びつけることが大切なのです。
・・・物差しになる言葉を厳選して教えてやって下さい。・・・
《優しく話すとは,子どもの心と豊かな言葉でつながろうとすることです》
○もちろん,いけないことはきっぱりと厳しく言わなければなりません。危ないことも優しく言い聞かせていると,子どもにはその重大さが伝わりません。人をモノで叩くことはたとえ冗談でも許されないという厳しさを失ってはいけません。厳しさも優しさの一つであることはご承知の通りです。
【質問2-04:あなたは,お子さんに優しく話していますか?】
●答は?・・・もちろん「
イエス」ですよね!?