*** 子育ち12章 ***
 

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「第 42-07 章」


『子育ちは できる力を ほめながら』


【目標 42-07:能力を弁えること】

 ■子育ち12目標■
『子育ち第7目標』
〜「能力を弁える」ということの意味について説明が必要ですね!〜

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 ○金の力とは,どのように生まれるのでしょうか?

 力として最も身につまされるのは,金の力です。通貨は通過するだけです。力の例題として考えてみましょう。お金は有るところから無いところに動くときに,力が発生します。お金持ちとはお金を使う人のことで,溜め込んでいる人はただのケチにすぎません。水も流れるときに力を生みます。つまり,力とは使うときにしか現れません。出し惜しみをすれば無力なのです。

 知力は知識を他に向けて使うときに現れる力です。自分のために使うのは力とは言いません。簡単に言ってしまえば,役に立てるときに力が出てきます。能力の能はできるという意味ですから,行動可能性が引き出された状態が能力が発揮されたということになります。

・・・力とは他に向けて何事かを為そうとしたときに生まれるものです。

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 〇子どもの力の育ちは,どのように見たらいいのでしょうか?

 赤ちゃんが育っていくにつれて,「ハイハイができるようになった」,「伝い歩きができるようになった」,「立って歩くことができるようになった」と,「できること」を親は喜びます。やがて言葉を覚えて喋りだすと,「こんなことを言えるようになった」と,親は成長を実感していきます。

 前章で,もう一人の子どもは言葉を母乳として成長すると言っておきましたが,話せるのはもう一人の子どもの育ちなのです。言葉を覚えてさまざまなことを知るようになります。つまり知力が身についてきたと考えられます。

 ここで育ちの見方について注意をしなければなりません。赤ちゃんの時は子どもの能力を見ていますが,おしゃべりについてはもう一人の子どもの知力を見ているということです。どういうことかというと,知っていることとできることは違うということです。

 思いやりの話を知っていても,それを実行できなければ能力とは言えないのです。もう一人の子どもは知っていますが,それを実行できるのは子どもなのです。両方の成長が揃わなければ無意味です。

 もう少し説明をしておきましょう。ママがキュウリを薄く切っています。もう一人の子どもはキュウリを包丁で切ればいいことを知っています。ところがやってみるとそう簡単ではありません。パパが釘を打っています。金槌で叩けばいいと知っていても,いざやってみると釘は曲がってしまって打ち込めません。

 知っていることは必要ですが,それだけでは十分ではないのです。自分のできる力にするためには体験するという大切な育ちをしなければなりません。これが現実感を育み,もう一人の自分の肥大化を抑制してくれるのです。

・・・子どもの育ちは「できるようになった」時が本物です。

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 〇力は,精一杯出せばいいのでしょうか?

 少子化のために家庭で子どもたちの相手は大人ばかりです。パパと遊ぶのが好きな子どもたちは,思いっきりぶつかっていきます。パパは強さを見せようとがんばっていますが,子どもはしつっこく食い下がるものですからさすがにくたびれてしまいます。ほほえましいのですが,親としての遊び方は少し工夫した方がいいでしょう。

 元気のいい子は思いっきり父親にぶつかっていきます。それでも父親はびくともしません。「パパはすごーい」と思います。そのことは大切な親子の触れ合いなのですが,そのままだと困ったことが起こりかねません。子どもが友達に同じようにぶつかっていくと,相手の子どもはたまらず押し倒され怪我をするかもしれません。乱暴な子というイメージを持たれてしまいます。相手を見て力を加減することを教えておかなければなりません。

 おじいちゃんがいて相手をするとしたら,どうするでしょう? おじいちゃんは数度目には,「○○ちゃんは強いな。負けた負けた」と言って降参します。本当におじいちゃんはしんどいのかもしれませんが,実のところは子どもに力の加減を教えているのです。力を入れすぎると相手は転ぶことを体験させています。何気ない光景ですが,核家族で失われた子育てなのです。

 無い物ねだりをしてもしようがありません。パパの出番は,子どもがムキになってきたら負けてみせることです。そのことで子どもに「パパは弱い」と思われることはありません。パパは相手が子どもだったら受けられないというところで,親のしつけとして負けなければならないのです。パパに勝ったという体験は子どもに強いという気持ちを与え,力を加減することを覚えさせます。

・・・力の加減を経験しないと,力の発揮が暴力にすり替わります。

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 ○学力は,どうすれば身に付くのでしょうか?

 かなり前に「新しい学力観」という言葉が登場しました。「新しい」という意味は何でしょうか? 従来,学力は「知って覚えるもの」というイメージが持たれていました。いわゆる入試対策の知育偏重です。自分による自分のための勉強が学力であるという考え方です。学力は学ぶ力と書きますが,何を学ぶのかという点が欠落していました。

 一言に能力と言いますが,その具体的な内容があいまいです。能力の中身は例えば,知力,徳力,体力と分けてやれば見えてきます。もう一人の自分が知力を,自分が体力を,そして一緒になって徳力を備えたときに,できるという行動可能性が「してあげられる」という能力にまとまります。こう考えてくると,新しい学力観とは,知る学力+使える学力=できる学力を目指すものだということになります。

 ただ単に知ることは教えられれば済みます。万引きはいけないことと子どもでも知っています。こうした知力をどのように使えばいいのか,それは体験を通して学ばなければなりません。学力とは使い道を学ぶことなのです。能力は教えられるものではなく,自ら学ばねば獲得できないものです。このできるという能力を,最近は「生きる力」と称しています。

 学力について,もう少し具体的に見てみましょう。学校で授業を受けて知識を得ます。ところで,子どもたちには理解の程度に差が現れます。いまいち内容を飲み込めないうちに時間切れになります。そのときから学びが始まります。分かった子がよく分からなかった子どもに教えるのです。理解したことを友達に自分の言葉で教えてあげることが学力です。授業という受け身から友達に教えるという働きかけによって,覚えたことが使われて,できる学力に完成されます。この学び方は私たちがかつてしていたことであり,家庭でも兄が弟に教えていました。

 学校とは学ぶところと書きますが,いつの間にか授業を受けるところと錯覚しています。それが学びを分からなくしてしてしまいました。使い方を学んでいないのです。学びを取り戻しませんか?

・・・使わない学力は学力ではありません。ただの守知奴?です。

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 《力とは,他に対してしてあげられることを意味しています》

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 子育ち第7目標は,何が育つのかという四つ目の課題に対する第1の解答であり,「もう一人の子ども」が自分の中にできる力を育てるということです。想像の世界に住むもう一人の子どもは万能ですが,生きている自分は限られた能力を精一杯に使います。言行一致という状況が生きていく基本です。もう一人の子どもが先走りをすれば,自分を置き去りにすることになります。自分で自分をほめられるようながんばりができるようになりたいですね。



 世の中には,していいこととしてはいけないことがあります。した方がよいこととしない方がよいこともあります。したい放題というのは,許されていません。しなければならないこともあります。それをしないと不都合な事態を招きます。できる力の使い道を弁えていなければなりません。使い方の判断をする物差しとして,社会で共有されている善悪や正邪という価値尺度があります。独りよがりの物差しは通用しないので,きちんとすり合わせておかなければなりません。

★落書き★

 文字を覚えたての子どもは,左右反対の鏡文字を書きます。「反対でしょ!」と書き直させようとしますね。でもやり過ぎると,文字に対する興味を失わせ,読み書きの能力を遅らせる原因にもなるとか。成長すれば放っておいても,正しい字を書くようになります。幼児は文字や図形を見るとき上から下へだけ眼球が動きます。下から上とか,左右,斜めといった動きは自由にはできないそうです。上下は分かるが,左右は区別できないのです。8,9歳になると眼球運動が自由自在になり,問題は解消されます。


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