*** 子育ち12章 ***
 

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「第 53-01 章」


『子育ちは 自分でこうと 決めてから』


■子育ち12幸福■

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『子育ち第1幸福』

【幸福になることを誓わなければならない】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の方位構成となります。
 この版では,子どもたちが幸せに向かって育っていくことを願って,タイトルとして「アランの幸福論」に語られている言葉を選択し,子育て羅針盤の視点で考えてみることにします。

《幸福であるために》
 人に指図されると嫌な気分になるのは,決定権を奪われるからです。何であなたに言われなくてはならないのという反発は,自分のことは自分で決めるというプライドがないがしろにされるからです。人の言うがままになるのは,奴隷です。好きな人の言うがままになることを恋の奴隷と言いますが,惚れることは惚けることですから納得ずくです。人としての自尊心は,自分のことはもう一人の自分が決めているという状況です。だからこそ,決定権を奪って従わせることが刑罰となるのです。
 親は子どもの決定権を不安に思い,代行しようとします。親の言うことを素直に聞く子どもは,良い子という称号を与えられます。親子の関係を取り仕切っているのは親にとっては安心ですが,子どもからすれば不本意です。自分でする・決めるという反抗期が,決定権を奪還しようというやむにやまれない育ちの一つとして現れます。子どもなりの決定権を移譲する機会です。未熟な決定をするかもしれませんが,その責を負うという始末ができるとき,子どもは育ちの幸福を感じていくものです。

《幸福になるために》
 毎日何となく生きていては,幸せではないでしょう。懸命に生きようとしている姿は感動的ですが,そこに幸せが満ちあふれているからです。何事かに打ち込んでいる姿が美しいのは,幸せのオーラが迸っているからです。することを見つけ,自分をそこに導いていく決心,自分はこれをやり遂げるという誓いを立てた瞬間から,人は幸せモードに入ります。無我夢中で突き進んでいるときは幸せを感じることはないでしょう。それでも,振り返ったとき,無我夢中であったときが幸せであったと思うはずです。
 幸福とは手に持つことはできません。幸福になるという言い方が示すように,なる状態なのです。自分が幸せな状態になることですから,他人から譲り受けたり買い取ったりできるはずもありません。親が子どもを幸せにするということもできません。子ども自身を幸せな状態にできるのは,もう一人の子どもであり,自分を幸せにするともう一人の自分が誓わなければなりません。幸せはどこかにあるのではなく,今自分の中にある思い・願いに火を灯そうと決心さえすればいいのです。



 僕は今とても辛いです。というのは,クラスの皆が僕を除け者にして無視するからです.学校に行きたくありません。でも,お母さんやお父さんには言いません。大好きなお母さんやお父さんに心配を掛けたくないからです。それに,いじめられている情け無い子どもであると思って欲しくないからです。先生に言おうと思っても,いじめがもっとひどくなるのが怖くて言えません。だけど,もう気持ちがいっぱいで,どうしてよいか分かりません。(お母さん,どうしたらいいの・・・)。

★落書き★

 イセエビは伊勢海老,クルマエビは車蝦と漢字で書きます。エビの仲間は2340種類以上が知られているそうですが,大きくは2つに分けられます。主に足を使って移動するエビを漢字で海老,泳いで移動するエビを蝦と書きます。ということですが,実際にはそれ程厳密には使い分けされてはいないようです。因みに赤みを帯びた紫色,いわゆる葡萄色をえび色とも言います。昔は「えび」という和語は,ブドウのことだったからです。


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