*** 子育ち12章 ***
 

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「第 85-10 章」


『子育ちは ヘマを重ねて 一歩ずつ』


■子育ち12親心■

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『子育ち第10親心』

【努力を観察できる親心!】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第85版では,子どもたちの育ちに寄り添う親がどのような心であればいいのか,確認をするポイントを総括します。子どもの育ちは周りからの多様な支援と結びついて一体化する設計図とも言える様式があります。順序が違ったり,逆につながったりすると,本来の属性が機能せずに,育ちに不都合が織り込まれてしまうこともあります。
 人間として心豊かに育ってほしいという親の願いが,子どもの育ちに寄り添った支援になるためには,日々の子育てを確認することが必至です。子育ての全体を見渡したポイントになる12の指標毎に親からの支援のつながりを確認してみましょう。

○もう一人の子どもが生まれると,自分を演出しようとします。ごっこ遊びの中では,自分を舞台に立たせて,キャストや小道具を決めていきます。ママと3歳の娘がいました。家事が一段落したママが,寝転がって休憩しているところに,「眠れる森の美女ごっこしよう。わたし王子さま」と娘がやってきました。ママは「じゃあキスされちゃうのかしら?」と目をつぶっていると,「起きて」と命令する王子さま。「あら冷たい王子ね」と起き上がると,「ひひ〜んって言いなさい。こう(四つんばい)して」。ママは馬役でした?

 欲しいものがあるとき,お小遣いを貯めている子どもに,不足額を助けてやることがあります。幼子は別として,丸ごと親が手出しをするというのは止めた方がいいでしょう。子どもの努力がないので,手に入れたものに対する思い入れがなくて,大事にされません。自分が係わる度合いに応じて,ものごとは自分のものとして意識化されます。養育上では,子どもの能力を発揮する機会を生かしてやることで,鍛えられるという効用が期待されます。

 子どもが探し物をしているとき,「きちんと片付けていないからよ」と皮肉めいた言葉を投げかけたくなるかもしれませんが,止した方がいいでしょう。探す努力をすればするほど,片付けていない手抜かりに気付かされるでしょう。探し出した後に,片付けておくことの意味を教えてやればいいのです。探しもしないで,あっさりとなくしたと言ってしまうときは,「探したの!」と促さなければなりません。懸命に探して見付かったときの「あった!」という気持ちを経験させることも大切なしつけです。

 子どものすることを見ていると,要領が悪く,危なっかしく,おとなしく見ていられないと思ったりします。つい口を出し手を出し取り上げてやってしまうこともあります。子どもの育ちを邪魔してはいけません。子どもの仕事は片付けばいいというものではなく,自分の手ですることに意義があります。てきぱきとはできなくて,もたもたしますが,それが努力をしている姿です。子どものすることを見ながら,「できるようになるよ」とゴールが近づいていると思わせる言葉掛けが励ましになります。

 手軽さが当たり前という暮らしの中で,子どもは手の込んだことをしようとしなくなりました。自分の手で組み上げたり作ったりするよりも,買ってくればいいという選択をします。こつこつという作業方法を知らないから,育ちに深みがなくて薄っぺらな感が漂います。パッとしてできないことには手を出そうとしません。パッと分からないことは考えようとしません。子どもが手を止めたり躊躇したりする時に,もう一踏ん張りするように激励することが,育ちへの大事な手助けになります。

 日頃からしていないと,いざというときに慌てても間に合わないことがあります。ダラダラした態度で日々を送れば,ちゃんとする場面には適応できません。日頃の姿がでてしまうというのは,大人でも経験することです。日々きちんとする,真面目に取り組む,真剣に考える,集中して行動するといった地道な態度が,最大の努力といえるでしょう。いかにも努力しているというのではなく,さりげなくすべきことをしていく,そのような無理のない努力ができるように育てたいものです。

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※探し物をしている子どもや,助けの必要な子どもの努力を見逃さないよう,子どもを観察しなさい。
 子どもの喜びを大人の代行で奪ってしまわないように。しかし,助けが必要なタイミングは逃さずに。



 間違えると叱られる,という環境にいると,子どもは育てなくなります。ハイハイをしていた子どもが,歩けるようになると育ったと思うものです。育ちは何事かができるようになることと考えがちですが,逆に見ることが大事です。歩けるようになる前には立ってもすぐに転んでいます。転ばなくなることが,立つことであり,歩くためのスタートになります。失敗や間違いをしなくなること,それが育ちであると考えると,間違いをさせないと育てないということが分かるはずです。失敗は育ちの元なのです。

★落書き★

 ドーナッツは旧いお菓子ですが,いつ頃できたかははっきりしていません。形は真ん中に穴が開いていますが,これは油で揚げるときに火の通りがよくなるようにした新しい工夫で,元々は穴はなく、もっと小さいものでした。名前の意味ですが,ドウは小麦粉を中心にして練り上げた生地のことで,元の小さな丸い形がナッツに似ていることから,結びついたのです。


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