*** 子育ち12章 ***
 

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「第 86-03 章」


『子育ちは 自分を信じて 他を信じて』


■子育ち12正負■

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『子育ち第3正負』

【何事も信じつつ行動する!】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第86版では,子どもが育っていく方向があるべき正しい場合と逆の負の場合をセットにして考察していきます。育ちの進み方はふらふらしますが,正しい向きであることを見守っておかないと,逆に逸れたままにしておくと,戻り損ねます。後悔しないために,見届ける際の参考にしてください。

【正の育ち:何事も信じつつ行動する】

●信じていいかどうかが分からないときには,心を閉ざすようになります。帰宅した父親が娘に「ママは?」と聞くと,娘は「ん?ママは父ちゃんのこと嫌いだから出て行ったよ」。そこで,父ちゃんは「おぉ、そうか…」と受け止めています。3歳2ヶ月の娘は、父親のことはパパではなく「父ちゃん」と呼びます。父ちゃんへの対応はとても冷めています。そのまま放置せずに,母親が父ちゃんと仲良くしてみせて,父ちゃんは信じていい人と保証してやらなければなりません。

○子どもは無条件に親を信じています。生まれたときから一心同体と思い込んでいるので,信じる以前の状態です。母子分離を経て,母親を信じるという状態に入ることになります。母親が仲良くしている父親やきょうだいを信じてよい人と認知し,信頼関係に依存する家族としての暮らしを受け入れていきます。人見知りをする時期は,信じてよいかどうか判断する情報が不足しているために,保留しているのです。家族の知り合いという友達の輪が広がる過程を通して,信じる世界が広がっていきます。

○自分が周りの人から信じてもらえるかという心配があります。ただ,相手の心情を思い通りに動かすことはできないので,自分が相手を信じるということしかできません。信じられていたら,それに応えて信じて返すのが普通の人情です。もちろん,程度の差や例外もありますが,世間は信頼関係が原則であることは間違いありません。子どもであっても,社会的な生活が広がり深まっていく中で,もしも信頼関係が壊れることがあれば,居場所を失うことになります。信じ合えるという世界は,それぞれが努力して創っていくものです。

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【負の育ち:不信感で行動できず】

●自分は保護されていると信じることができたら,安心していろんな行動をすることができます。逆に,保護されていると信じられない場合は,不安になって行動することができなくなります。不安は気持ちを内向きにし外に向かう行動を封じ込めるように働きます。ある親が娘を保育園の一時保育に預けてみました。帰宅した2歳の娘に「どう?楽しかった?」と感想を聞いたら,「保育園は疲れるからもうイヤ」という返事です。連絡帳には「何もしませんでした」と書いてありました。不安に耐えた,それを精神的に疲れた?といいます。

○人のあら探しをしていると,嫌な気分になってきます。人は自分がしていることを他人も同じようにすると思っています。周りの人も自分をあら探しの目で見ているだろうと思うと,人の目が怖くなり,信じられなくなります。自分が道を行き交う人に危害を加えようなどとは思ってもいないので,同じように人を信じることができて,人混みの中を平気で歩いて行くことができます。不信感を持つ事柄の中には,自分の不信感を反映している部分もあります。子どもが抱えた不信の根源をじっくりと聞いてやって下さい。

○どのような行動も自己完結はしません。食材は誰かの手によって作られ届けられ,母親の手で調理されて,子ども自身ができる飲食の行動を経て,残り物は廃棄物としてまた誰かの世話になります。見ず知らずの人の手を信じていないと,とても生きていくことができません。間接的に関わっている人がどれほど多く,さらに信じるにたる人たちのお陰で暮らしていることを学ぶことが大切です。たとえ身近に信じられない人がいるとしても,たくさんの人の中で例外的であると思うことができます。



 全く無防備に信じることは避けなければなりません。車が近づいてきたとき,避けてくれると運転者を信じるのが普通ですが,時々避けてくれないこともあると用心して,自分の方から避けるように気をつけることが肝心です。自分が正しくても,痛い目に会うのは自分なのですから。自転車に乗る子どもは曲がり角から無防備に飛び出します。危険があると用心をすることは,信じないということとは次元が違います。信じてよいことを見極めるためには,経験を重ねなければなりません。

★落書き★

 人はうれしいとき,感動したとき,人を歓迎するとき,人は拍手をすることでその気持ちを表します。拍手の起源は,古代ギリシャで紀元前5世紀に始まった演劇で,観客が芝居を褒め讃える意味で手を叩いたのが最初と言われます。なぜ,手を叩いたのでしょう。手が身体の中で最も上等な器官だと考えられていて,その尊い手を叩いて出た音には褒める意味があるというわけである。左右対称の手は叩くと音が出やすく,一番いい響きを持っていたことも大きな理由です。美しい拍手ができるように子どもたちに教えてください。


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