*** 子育ち12章 ***
 

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「第 86-07 章」


『子育ちは ちょっとできるが 始まりに』


■子育ち12正負■

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『子育ち第7正負』

【できる方法を考える!】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第86版では,子どもが育っていく方向があるべき正しい場合と逆の負の場合をセットにして考察していきます。育ちの進み方はふらふらしますが,正しい向きであることを見守っておかないと,逆に逸れたままにしておくと,戻り損ねます。後悔しないために,見届ける際の参考にしてください。

【正の育ち:できる方法を考える】

●子どもの行動はダイレクトです。ときには,ダイレクトすぎて,ずれてしまうこともあります。小食&偏食バリバリの2歳の娘がいます。ある晩も少ししか食べずに夕飯の終了です。お父さんに「遊ぼう!」と誘いかけて断られ,ショボクレてしまいました。すかさず母親が「△△がゴハンをちゃんと食べないから,おとうしゃん冷たいんだよ」と言ったところ,テテテッと父親に駆け寄りその手に触り,「まだアッタカイよ!?」と言ってのけました。普段は寡黙な父親もその時ばかりは,「まだ生きてるって!」と突っ込みを入れてました。

○幼い子どもは,自分にできるかどうかお構いなしに,行動を起こします。全力で動いています。目に入ってくる動くもの,人であれ動物であれ機械であれ,その動きを真似して動こうとします。やがて,自分にはできないことがあることに気付くようになります。「どうして自分にはできないの?」といぶかりながら,「どうすればできるようになるのか」その方法を探り始めます。してもらうのではなくて,自分がするということにこだわります。できる能力を獲得するという育ちをしているからです。

○子どもが何か行動している際に,大人が余計な注文を付けることがあります。手伝ってくれるのはありがたいけど,後始末が大変ということがあります。あるいは,宿題をしているのはいいのですが,字が汚いので,「ちゃんと書きなさい」といった注文です。あれこれ完全にこなすには,かなり熟練しなければなりません。急にはうまくなれないという育ちのペースを奪うと,できるものもできなくなります。そばに寄り添って,一つずつ,丁寧にできることを磨いていけるようにアドバイスしてください。

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【負の育ち:できない理由が先に出る】

●どうすればいいのか分からないことがたくさんあります。特に子どもには,大人の要求が理解できない場合があります。食事のマナーにはわりと厳しい家庭です。娘さんが5歳のころのことです。バイキングで自分が取ったものを残そうとしたので「ちゃんと責任持って食べなさい!」と父親が叱りました。すると,「責任って,どこ持って食べればいいの!!」と逆切れされました。父親はしっかり説明に困ってしまいました。そういえば,お茶碗持って,箸持って,といちいちうるさかったことを思い出しました。

○自分がしたいと思うことに対しては,できない理由を持ち出すことはありません。しなければならないと外部からのプレッシャーがあることに対して,できない理由を口にして,逃れようとしたり,できなかった際のいいわけを先にしておくといった予防線を張りたくなります。PTAの役職を決める際など,できない理由のオンパレードです。面倒なことから逃げ出す姿を子どもは見習って,自分本位な振る舞いに閉じこもって,社会人になり損ねるかもしれません。できない理由はさておいて,できる条件を考えるのが知性です。

○恵まれた環境にあるかないか,それが出来不出来に繋がるという思い込みがあります。スポーツ大会で負けたのは,体育館設備が劣っていて練習ができなかったからというつぶやきが漏れてきます。できない理由探しも似たようなことで,自分の外にできない理由を当てつけて済ませます。自分の努力という要因をベースにして,外部の力との結びつきを考えることができることを考えるということです。できない理由を考える癖が付いたら,自分を頼らないことになって,育ちは周回遅れを重ねることになります。



 他人の幸福に役立ちたいなんて,お人好しもいいところです。ところで逆に,他人の不幸に役立ちたいとなると,極悪人です。どちらかといえば,他人の幸福に役立つ方が,生きる目標としてはまともです。もちろん,他人だけの幸福ではなく,私だけの幸福でもなく,私の幸福と他人の幸福を同じように目指すことが望まれます。お互い様で生きていくということが,普通の感性です。ひとは自分の幸福を意識下で求めているので,意識上では他人の幸福を求めることでバランスが取れるのです。

★落書き★

 失敗したときに「仏の顔も三度まで」と言われることがあります。失敗も三度までは許すけれど,いくら人がよいからといっても,四度目の失敗は許されないということですね。仏像の顔や頭を撫でて,その手で自分の身体を撫でると,病気や災いから逃れることができると信じられています。しかし,優しい仏様でも三度までのことであって,四度も撫でるのは虫がよすぎるという戒めです。親に甘えるのも大概にしなさいと言いたくても,三度までは。


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