*** 子育ち12章 ***
 

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「第 94-13 章」


『子育ちは 喜怒哀楽を 満喫し』


■子育ち12態様■

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『子育ち第13態様』

【子育ちは,自分を生かす喜びを感じ続けていく】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第94版では,こどもが育っている態様を説明しようとするとどうなるかを考えます。こどもには健全に育っていってほしいと願いますし,幸せに生きていくことができるように育ってほしいものです。何となく育っているように見えても,生きる喜びを掴まえられる脳力を身につけて欲しいのです。健全な育ちを実現する羅針盤として具体的な育ちの全方位を見届けることができるように確認していただけたらと思います。

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《どんな形で育つのか?》
 己愛は,しばしば登校拒否の原因になります。つまり,今の子は自己中心的という弱点を持たされています。優等生は,周りからの期待に応え,自己愛を満たすために猛勉強をしますが,中学で狂い,自己喪失することがあります。期待に添えなくなってくると,気に入った自己イメージに合わせようと,お手軽に格好を気にするようになります。また,自己否定した上で成り立つ倫理的・社会的理想像を持とうとします。無理な期待につぶされないために,ただ「らしくなろう」とするだけの所で止まれるようにしておきましょう。身の丈のモデルを持たせるようにして,子どもに自分は特別な人間(可愛がられ,尊敬されるべき?)とは思わせないことです。
 教育とは上から与えられたり,マニュアルによって管理されたりするものでしょうか? 一人ひとりの学習者が主体的に「夢」を画き,その実現を目指すプロセスと考えるべきです。そのことを押さえておきながら,幼い子どもには知恵を与え,振る舞いを整えるようにします。大切なことは,子どもが喜んで受け入れるように工夫をします。お父さんのようになりたいと思わせると,お父さんの振る舞いを真似して,身につけていきます。それが,後ろ姿で育てるということです。

 気品ということが言われなくなりました。たとえば,歩く姿勢は,肩をすぼめ,靴を引きずるようにドテッとした感じです。食べる姿勢はというと,片肘をテーブルに突き,どんぶりに顔を突っ込んで犬食い状態です。これは,誰かに支配されている奴隷の姿です。作法の権威である必要はありませんが,もっと人間らしさを目指すべきです。美しさという概念が,服飾品や装身具という装いに限定されてしまっています。美しい振舞いがあってこその服飾であるのです。本当のおしゃれを楽しみたいですね。

 悲しみを毛嫌いしていないでしょうか。「ユーモアの源泉は哀愁である」とマーク・トウエンが言っています。現代人は,暗さを恐れ,悲しみを嫌い,涙を軽蔑し,明るく愉快であることを求めています。本当は明るく生きるためには,暗さを直視する勇気を持たねばなりません。本当の喜びを知る人は,深く悲しむことを知っている人です。自然に目を移してみると,朝顔のつぼみは,朝の光(必要)+夜の冷たさと闇の深さ(十分)が揃って,花を開きます。物事は,対立項を失うと,人の判断は漂流し,暴走をします。片方のみでは,正しく方向を見定められないからです。

 「世の中の役に立つ人にならなければならない」。子どもたちは,そんな建前を蹴飛ばして,バカにしています。本当でしょうか? 老人を尊敬しなくなる,軽蔑します。なぜなら,老人は役に立たない,立ったのは過去のことだからです。自分のことはさておいて,役に立つ/立たないという比較のものさしだけで人間を測っています。比べれば,必ず役に立たない方が出ることになります。ところが,役に立つのも,環境が変われば逆転します。役に立たない人がいて,いざというときの安定が確保できるという,バランスが人の世の常です。
 「これ其の能を以て其の生を苦しむるものなり」。役に立つものはその有能さのゆえに苦しめられることになります。役に立つ仕事をしていると,自分はもうそれで完全な人間になったと錯覚し,働いていない人,世の役に立っていないように思われる人たちを見下し軽蔑することになります。人としての器量が損なわれてしまいます。自分を生かすことは,人を生かさないことで実現するのではなく,人も生かすということが喜びになるときに達成されるものです。



 恒例の版代わりです。第95版が終り,次号からは第96版です。どういうことができるように育っていくのか,例のごとく12通りの方向性を確認していきます。子どもは大人よりも育ちの変化が早いので,あっという間に育ちが進みます。3か月をワンクールとして,常に育ちのバランスを見守っておくことが大事です。偏向していないか,子どもはこの方向の育ちもしているとそれぞれを確かめてみてください。何となく見守っているのではなく,的確な視点で見てやりましょう。そのお手伝いができたら幸いです。

《健やかに育つとは?》
 生活の場で,子どもには教育的配慮として手伝いが求められます。ところが,親は,二度手間になるから,余計なことはしないでと断ります。理想と現実はすれ違います。ところで,手伝いは,子どもの能力を親も子も知る場面になります。こんなことができるようになったという,成長の確認の場になります。手伝いをするときの気持ちを考えると,例えば,食事の用意の手伝いは,自分の食べたい欲求につられます。手伝いをする訳があります。他方で,食事の始末は汚れたり,面倒なものです。どうして私が片付けをという直接的な理由がありません。しかしながら,始末は,後のため,次へのつながりになるという生活の場における流れであり,自分のためも含めて家族みんなのためになることであると決断できる健やかさを育んでくれます。

★落書き★

 蝦という字をご存じですか? 海老と同じくエビを指す言葉です。エビには伊勢海老や車エビからザリガニまで多様な種類があります。10本の脚を持つ甲殻類です。海老は海底を這うようにして歩く種類のエビを指し,伊勢海老やロブスターのように老人に似て腰が曲がっていることから付けられました。一方の蝦は水中を泳ぐ種のことを指し、小型の蝦はほとんどが該当しており,ヒゲや脚がたくさん出ていることを表しています。英語では海老がロブスター,蝦がシュリンプとなります。

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